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 第7章 現代のUFO 第3話    宇宙よりの来訪者
 

2人の警官ウィリアム・マッコイ保安官補長とロバート・グード保安官補は、グードの指をどうするかと話しながら、1965年9月にテキサス州ブラゾリア郡のハイウェーをドライブしていた。

その指は、彼の息子のペットであるワニにかまれたのである。痛くて、ズキズキしていたのだ。2人がパトロールの最後に、医師を起こそうかと話し合っていると、空中に大きな紫色の輝きが見えた。高さ約15メートルの長方形の物体でそれがターンして二人のほうに向かって来た。小さな青い光体がつき添っている。グード゙側の窓が下げられて彼は痛む指をかざして振った。2個の光体が彼らのほうへ急速に接近してきたとき、グードは手と腕に熱波を感じた。恐れた2人の警官は加速して走り去ったがマッコイが振り返るとUFOは上昇し、パッと燃えて消えてしまった。 

2人がテキサス州デーモンに帰ったとき、グード゙はもう指が痛まないのに気づいた。包帯を取り除くと、傷口はもはやはれても出血してもいないばかりかほとんど治っていたのである。ワニにかまれた傷の治ゆは、新聞社から笑われたが、UFOに関連した治ゆは異常ではない。  

フランスの有名なUFO研究家エーメ・ミシェルは、匿名希望のある医師の事件を報告している。この医師は、アルジェリア戦争のさなかに地雷を踏んだのである。その結果彼は右手右足が麻ひしてしまった。音楽の才能のあった彼は、もうピアノも弾けず、ぐにゃぐにゃした体で歩いていた。

1968年11月のある夜、小さい息子が泣くのを聞いて3時ごろに目がさめ、息子の所へ行こうと起き上がった。3日前にまき割りをしていたときの事故のために、片足がまだはれて痛んでいた。息子をあやした後、彼は屋外にせん光が数度きらめいたのに気づき、外を見ていると、空中に形の明りょうな円盤群が静止しているのが見えた。いずれもアンテナがついていて、そこからせん光が1秒おきに放射されている。見つめていると2個の円盤は合体して1個になり彼のほうへやって来た。

一条の光線が照らされて、彼は本能的に目を覆った。ドカンという音がして物体は消えた。ひどく震えながら彼は寝室へ引き返して、空中の不思議な物体のことを妻に話した。突然彼は、まき割り事故のはれと痛みが消えているのに気づいた。その後、戦争の傷の後遺症も消えてしまった。現在では、再びピアノを弾くことすらできるのである。

UFOの活動によると思われる異常な影響のもう一つの兆候は、ある有名なアルゼンチンの弁護士とその婦人がブエノスアイレスの南方をドライブ中に消えたときに明るみに出た。ヘラルド・ビダル博士と夫人は、チャスコムスからマイプヘの道を走っていた。2人が目的地に到着しないので、友人や親類がその地域を捜索したが2人やその車の形跡を発見できなかった。2日後に博士は、6400キロメートルも離れたメキシコ市の領事館から電話をかけてきた。彼の報告によると、チャスコムスの郊外からドライブしていたとき、前方の道路上に濃密な「もや」が現れたという。それから何が何だかわからなくなり、気がついてみると、未知の道路上に停車している自分の車の中で、妻とともに座っていたのだ。2人とも後頭部に痛みを覚え、数時間眠っていたという感じがした。車は溶接用のブローランプで焼かれたようになっており、48時間の空白中に何が起こったのか、どうしてアルゼンチンからメキシコまで運ばれたのか、思い出せないのだ。ビダル夫妻がテストを受けることに同意すれば、時間逆行催眠テストでいつか解答が出るかもしれない。

現代における空飛ぶ円盤のデビュー以来、四半世紀以上も円盤は依然として謎となっている。 1947年にレーニア山上空でケネス・アーノルドが9個の輝く円盤を目撃したときよりも、もっと多くの混乱と疑惑が存在している。しかし、ハイネック博士や他の人たちは、絶え間なく科学的な研究を行えばそれだけの価値はあると確信している。 UFO現象の種々の面の特殊な研究に対して、時間をささげようとする新しい研究者にとって十分な余地があるのだ。

「存在するUFO資料を精選するのは超人的な仕事になるだろうが、献身的にこの仕事をやる人やグループには、大きな報いがあると思う」とハイネック博士は書いている。彼は、科学上の大躍進を示す何かが発見されることは可能であると考えているのだ。「それは、物理的な世界の多くの既成概念を、再決定・再整理するよう要求するだろう。相対論と量子力学が我々のかつての安楽な世界観に押し入ったときよりも、それははるかに大きな再整理を求めるはずである。

謎の宇宙船に乗って地球に訪れているといわれる生物の姿は、コンタクトした人間によって説明がまちまちである。これから示す9点の絵はこれまでに目撃された多種類の宇宙人の見本である。

▲1947年7月23日、ブラジルのバウルにて、測量士ジョゼ・ヒギンズが目撃。円盤から出てきた身長2.1メートルの3人が、彼を取り囲んだ。彼らは背中に金属の箱を背負いゴムの袋みたいに膨らんだ透明な服を着ていた。みんな全く同じ姿で、大きな丸いはげ頭にぎょろ目をして、ひげもまゆ毛もなく、すごく長い脚を持っていた。男か女か聞きそびれたが、彼らは異様に美しかったとヒギンズは述べている。捕らえられそうになったとき彼は隠れて逃れた。 ▲1947年8月14日、イタリアのラペオ付近にて、作家で画家のR.L.S ヨアニス教授が目撃。2人の小人のような生物が円盤の近くに出現した。身長約90センチメートルで肌は緑色。縦長のひとみがついた大きな目は飛び出ており、まぶたの代り目の周囲には黄緑色の輪があった。赤いそでのついた半透明の青服を着ていた。彼らはヨアニスの身振りの一つを敵対釣なものと解してベルトから一種の放射線を出し彼にあてた。 ▲1946年6月、ニュージャージー州ハイブリッジ付近にて、看板職人ハワード・メンジールが目撃。長い金髪、標準的な人体曲線、青い目を持つ美人で、半透明のパステル調の服を着ていた。身長も平均的な地球人のそれで、優雅だった。彼女はメンジールに友好的だったという。

▲1952年11月20日、カリフオルニア州デザートセンター付近にてUFO研究家ジョージ・アダムスキーが目撃。 UFOの跡をたどっていたとき1人の男が出現した。身長約1.65メートル、丸顔で目がわずかにつり上がり、ほお骨は高かった。肩まで垂れた波打つ髪は砂色であった。茶褐色の上下続きの服を着ていたが、それは我々のスキー服によく似ていた。丁寧にアダムスキーを迎えて、後に親友として彼を訪れた。 ▲1954年l1月28日、ベネズエラのカラカスにて、グスタボ・ゴンサレスとホセ・ポンセが目撃。輝く球体から出て来た。3匹ともごつくて、毛むくじゃらで、驚くべき力と丈夫な皮膚を持つ小人のような生物である。1匹はただの一突きでゴンサレスを5メートル近くはね飛ばした。ゴンサレスがナイフで刺すと、金属のようにはね返された。みんな腰布をまとっており、その態度は明らかに敵対的、攻撃的であった。 ▲1955年8月22日、ケンタッキー州ホブキンズビルにて、サトン家が目撃。宇宙船が近くの野原に着陸しその中から出て来たらしい。緑色の幽霊のような生物が数匹、身長約1メートルで、内部から光っているように見えた。丸い顔、象のような耳、両耳まで裂けた割れ目のような口を持ち、長い腕が爪まで続いていた。まっすぐ立っていたが、走るときは四脚を用いた。これらはサトン家の屋根の上をはい回り、家族を恐怖に陥れた。

▲1957年10月15日、ブラジルのフランシスコサレス付近にてアントニオ・ビリャス・ボアスが目撃。卵型UFOの乗員は5人、身長約1.8メートル。小さな明るい色の目をし、びっちりした上下続きの服を着用、固いヘルメットから3本の銀色の管が出て、服の中へつながっていた。胸にはバイナツブル大の赤く光る盾をつけており、ボアスを検査して血液のサンプルを採取し、繁殖実験に、乗員の一人が彼を利用したという。 ▲1962年10月26日、ブラジルのクルセイロスで、機械工のジョゼ・カミリ・フィリが目撃。倒れたバナナの木に座っていた。近くで目撃されたUFOに関係があるのか。しわのよった茶色い皮膚の、身長60〜90センチメートルの生物で顕が大きく白髪、大きな裂けた目をしていた。緑色のズボン、青いシャツを着て、溶接ランブのようにせん光を発する盾を胸につけていた。彼らはカミリ・フィリを見ると、互いに衝突しながら飛んで逃げた。 ▲1967年12月3日、ネプラスカ州アシュランドにて、シャーマー警官が目撃。フットボール型UFOから乗員4人が出て来た。身長約1.5メートル、灰白色の皮膚をし、鼻は平ったくて、薄く裂けた唇は動かなかった。つり上がつた目はまばたきをしないが、瞳はカメラの絞りのように拡張収縮した。銀灰色の制服、手袋を着扁していた。胸には有翼のヘビのマークがあつた。シヤーマーを宇宙船に連れこみ、講義をした後、放免した。

(終わり)

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