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| ├ 写 真 |
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| 空飛ぶ円盤の秘密 T.ベサラム/久保田八郎訳 | |
| 第12章 ジョージ・アダムスキに会う 昭和42年発行 高文社版より |
| 信号に応じて円盤が現われないのに失望した私は怏々たる気持で自分の部屋に帰って来た。この前アウラに会ったのが最後だったのかと考えながら、身のまわりの物をまとめて街を離れた。 |
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カリフォルニアの海岸目指して車を駆る私の胸のなかを奇妙な悲しい感情が流れていた。アウラは遥かな宇宙の彼方で再び他の遊星への旅を続けているのだろうか。彼女が来なかったのはそのためではあるまいか。私はしきりに考えていた。彼女が再び私に会わない決心をしたのは、私が不思議な円盤の話をして以来わが身にふりかかった数々の苦労を知ったからではないだろうか。「永久に」この短い言葉は私を全くやるせない気持にした。もしそうだとすれば、私は最良の友人をほんとうに失ってしまったことになる!永久に。 私にも友人たちにも、宇宙を旅してあの美しい楽園の星クラリオンに行く機会はもう決して来ないのだ。平和というものが一遊星の住民にどんなに幸福をもたらすものであるか、その状態は私たちが生きている間にもはや見ることができなくなってしまった。私はしだいに憂うつになり、カリフォルニア州レドンド・ビーチにたどり着いたときには、見るもなさけない姿になっていた。 だが私は本来が楽天家だからいつまでもふさぎ込んではいなかった。それに円盤のことがどうしても頭から離れないし、結局もう一度メリーを説得しないではいられなくなってきた。そこで或る日の朝食のとき、私は再びその話を持出したのである。 それまで静かに食事していたメリーは、急に鋭い目で見上げると激しい調子でわめきだした。 「もうたくさんだわ、トゥルーマン!もう一言だって聞きたくないわ!なによ、そんなこと!あなたのおかげでわたしはいい笑いものになったし、お友達はみんな私が気違いと同居してると思ってるのよ!」 私は呆然とした。結婚後八年になるが―もちろん他の夫婦と同じようにいさかいはあったけれども―妻がこんな口のきき方をしたことはなかったし、このときのように怒りに目を光らせ、唇をかんで、鋭く激しい態度を見せたことはなかった。 私も憤怒にまかせてナプキンをテーブルの上に投出すと、すっくと立上ってきり返した。 「おまえはそう考えているのか!」 「わたしの考えなんかどうでもいいわ!」彼女も負けてはいない。「わたし、考えている余裕なんかないわよ。街中の笑いものになりたくないだけよ。云っておくけど、絶対ごめんよ!ですから空飛ぶ円盤だとかクラリオンの大型機とか、背の低い男だの、きれいな機長だのと、そんな話はもうおことわりします」 終りのほうはせせら笑いに近かった。私は怒りに燃えて妻を睨みつけていたが、グルリと踵をめぐらせて部屋の外へ飛び出てしまった。 しばらくの問ふくれっ面をしていたが、やがて郵便配達夫が一通の手紙を持って来た。その手紙がメリーの態度をいくぶんやわらげてくれたのだが、また私自身の世界を完全に変化させてくれることになったのである。 手紙はサン・ディエゴに近いバローマ一山麓のバローマー・ガーデンに住むジョージ・アダムスキ教授という私たち夫婦の知らない人からよこされたものだった。それによると、教授は私がモルモン台地で宇宙人に会ったという噂を聞いて非常な興味をおぼえたというのである。また教授自身による、遥かな成層圏に滞空している母船から発進した偵察用らしい小型円盤から降り立った一人の宇宙人と会見した事実や、私を招待しお互いの体験をくらべてみたいというようなことが述べてあった。 私はすっかり興奮して家のなかに走り込み、この手紙をメリーに見せた。読み終るとまた彼女は唇をかんだが、やがて心配そうな瞳を私に向けた。 「トゥルーマン」彼女の声はやさしかった。「もうなんと云っていいかわからないわ。この人にお会いになるの?」「会うとも!」私は歓喜のあまり踊り出しそうになって叫んだ。 妻はしばらく考えていたが、やがてかすかに微笑んだ。何カ月ぶりのことだろう。 「いいわ。ご一緒にお宅へうかがいましょう。でもその前に―」 私は妻を抱きしめようとしたが、彼女は片手を上げてさえぎった。 「でもその前にね、トゥルーマン、わたしをサクラメントへ連れて行って、あなたの娘さんたちに会わせていただきたいのよ。いまドリスがロイスのところに行っていますから、これからすぐ出かければ二人に会えるでしょう。私にはまだどうも納得がゆかないんだけど、もし二人ともあなたのお話を信じてるようだったら、この先生に会いに行くことにしましょう。私はどうも、この方もやはり―空想家じゃないかと思うんだけど―」 とたんに私は拍子抜けがしたけれども、まもなく元気を盛り返した。妻が少しでも耳を傾ける気になってくれたのはたしかに素晴しいことなのだ。だから彼女が寛大な心で私の話を聞いてくれさえしたら、私の体験が真実であって決してでっちあげではないことをまもなく理解できるようになるだろう。私は天にも昇る心地であった。 二人はただちに仕度をととのえて自動車に乗り、サクラメントに向って出発した。メリーは何だか不安そうな様子だったが、私は思いがけない幸福にうきうきしていた。宇宙人に会ったのはこの世で私一人だけではないという事実を知ったのは、全く素晴しいことだった。それにこのアダムスキ教授は、自分で教授と云っているくらいだから、学問もあり話のわかる人なのだろう。やはり神は私に慈悲深くあらせ給うたのだ。 娘たちに会うために夫婦連れでサクラメントへ行ったのは1953年7月2日であった。娘たちはたいそう喜んだし、円盤や宇宙人の話もしきりに聞きたがったので、私は始めから終りまで最大洩らさずに話してやった。語り終ると、椅子の背にもたれて、娘たちの判断は如何にと待ちかまえた。 すると二人は妻のほうに向きなおって、お父さんのお話は全部間違いないことだ、お父さんは信頼の出来る人だからと確証した上、疑念を捨てなくてはいけないと力説してくれたのである。 娘たちが私の話を少しも疑っていないのを知って妻は少し驚いた様子だった。レドンドへ帰る車中でもずっと彼女はおだやかであった。娘たちのおかげで彼女が考え深くなったのはたしかだ……。しかしそのときはまだ全然意見を変えてはいなかったと思う。彼女にはそんな事件がこの世にあろうとは全く考えられないのだ。 ともあれ彼女は迷い始めていた。それは譲歩してくれたことである。家に帰って少し休息すると、私たち二人はアダムスキ教授に会うためにサン・ディエゴ近郊のバローマー・ガーデン目指して出発した。 教授は私たち夫婦を心から歓待してくれた。この人の人格や環境、明らかに私の話を信じきった態度、それに彼の情熱などはメリーにも感銘をあたえたようであった。宇宙から来た人たちとその乗船である円盤などについて彼が説明してくれているあいだずっと、私は彼の顔と妻の顔とを等しく熱心に観察していた。 彼が会ったのは金星人であった。その金星人は長い髪をし、私が会ったクラリオン人とは異った服装をまとっており、背もずっと高いと云う。彼が会った宇宙人は一人だけだった。骨か何かを撮影するための科学的な目的でデザート・センターへ旅行したときに、この宇宙人と乗って来た円盤を見たのだそうである。彼は私の話を信じてくれた上に、世の人たちも当然信じるべきである、と思っているようであった。 だがもちろん、世の人々は彼のように宇宙人を見る機会に恵まれないのだから、そんな人間が実在するということを人々に信じさせるのは不可能に近いだろう。私はそのように彼に語った。 仕事を後援してくれる人たちに聴かせるためテープレコーダーに録音しておきたいから、もう一度初めから終りまで話を繰返してもらえないだろうかと頼まれたので、私は快諾して、それまでの話を再び全部テープに採ってもらった。 メリーの表情によってわかってきたのは、私の話にも結局は容易ならぬものがあると彼女が考え始めたらしいことである。それを知って私がどんなに喜んだことか。やがては彼女も理解して、私の話にたいして抱いていた不信の念のみならず、あの恐ろしい疑惑と不安をも忘れ去りてくれることだろう。 レドンド・ビーチの家に帰ってから私たちの生活は一変した。アダムスキ教授の採った録音チープは一般に公開されて大評判となった。弥次馬から有名な科学者に至るあらゆる種類の人々が、円盤の問題に熱心な興味をもつようになり、朝食もすまさぬうちから我家の呼鈴は鳴り続けていた。一日中、夜遅くまでほとんど鳴り止む暇もない。電話も同様であった。郵便配達夫は質問を書き並べた手紙を山のように運んで来る。自宅はもはや私たち二人だけの場所ではなくなってしまった。まるで駅の待合室である。人々は話を聞きたがった。 しかしこの訪問客の中で誰一人として、科学者でさえも、私の体験談に反駁したり嘘だと云ったりする者はなかった。しかも非常に嬉しかったのは、妻でさえも、高名な或る大科学者が彼女に向って、あなたのご主人の体験は真実だと断固たる調子で語ってからは、私を信じるようになってきたことである。その科学者は次のようにつけ加えた。 「奥さん、疑ってはいけません。ご主人のお話の内容は、何年問もこの問題を科学的に研究した上でないと理解できないほどのものなんですよ」 さらに航空機工業、電子工学、物理学などの関係者たちで経営されている"スフィアーズ社"の科学者もメリーに同じようなことを語った。 ついにメリーも納得した。「これでお友達も私を笑いものにするでしょうよ」彼女は笑いながらそう付け足した。 私は国際円盤研究会のハリウッド・ホテルにおける例会での講演を依輯された。そのときになって、円盤を研究するグループもあることを初めて知ったのである。 私は承諾した。そしてその講演のおかげでまた多数の訪問客を迎える羽目におちいってしまった。電話は早朝から夜中まで鳴り続け、私の体験談は新聞記事にもなり始めた。あまり喋り過ぎると抜目のない連中があなたを瞞して本や漫画を書かせて、あなたの体験談を食い物にするようになりますよ、と忠告してくれる人もあった。事実、私の体験談を盗用する者も現われたが、資料の使用許可を頼んで来る者も利益配分の話を持ち込んでは来なかった。この忠告には私も考えさせられて、結局弁護士に相談することにした。 ところで、世間の作家たちは私の円盤物語のようなものでも結構読みものになると考えているらしいのに気がついたので、私は自分の体験を一冊の書物にまとめる準備にとりかかった。だが私には文章を書く才能などないし、また文筆家になろうという野心もないので、マンハッタン・ビーチに住む有名な作家で著作関係弁護士のチャールズ・カースン氏を訪ねてみた。氏は、私の体験はたしかに面白いものだが、自分は代筆はやっていないからと云って、ロサンジェルスの代筆者メリー・ケイ・テニスン女史を紹介してくれた。この書の原稿が書かれるようになったのはそれからのことである。 今や出版計画は着々と進行し始めたから、私と妻はもう一度砂漠に帰って再びクラリオンの円盤に会うように努力してみるつもりだ。アウラが何度も云ったように、万事順調で、そして私が遠隔思念を行なって歓迎の念波を放つならば、円盤は必ず来てくれるだろう。私はそう信じている。 アウラの「万事順調ならば」という言葉を私はいろいろと考えてみた。そしてそれは必ずしも地球だけ、特にモルモン台地のみということではなさそうだという結論に達したのである。台地は一年中変化しない所なのだ。彼女の意味する「万事」とは私たち地球人の知ることのできない遊星間の事情のことではないだろうか。 いずれにせよ、こんどアウラ・レインズ機長が来たときには、私と友人たちをクラリオンに案内してもらって、長い間お預けになっている約束を果してもらいたいものである。その際は妻もぜひ一緒に乗れるように頼んでみよう。アウラにその権限があるのなら、妻に会ってくれさえすれば喜んで同乗を許してくれることと思う。 またもしこの宇宙旅行が実現して、再び地球に帰って来たら、私は読者に新たな体験のお話をするつもりだ。 宇宙人との会見談が詳細に紹介されて以来、私には回答しかねるような質問がたくさん寄せられて閉口しているのだが、随分妙なことを云って来る人もある。なかにはこのようなものもあった。つまり私が目撃したのは空飛ぶ円盤でも宇宙人でもなく、それは地球人である。しかもそれは敵国人で、催眠術を用いて私を瞞し、信用させた上で、軍事攻撃は起らないし円盤も無害なものだというような考えを、私を通じて一般の米国民の問に流布させ、国防力を減退させようとしているのだ、というのである。 そのような中傷にたいしては、催眠術の効力というものは時日の経過とともに弱まるものだとお答えするよりほかはない。 私が目撃したり聞いたりしたことや、この書に述べた事柄などはすべてが真実であって、私は衷心より誠意をこめて事実をありのままにお伝えしたつもりである。 記事のなかに含まれた意義に関する判断は、大衆たる読者諸賢におまかせすることにしよう。 (終わり) |
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