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空飛ぶ円盤の秘密   T.ベサラム/久保田八郎訳

第11章 円盤の秘密 昭和42年発行 高文社版より

11度目に円盤を訪問する前、私はモルモン台地の道路工事からデーヴィス・ダム建設工事に職場が変った。工事用機械の修理溶接工としてである。

10月18日土曜の夜、アリゾナ州プルヘッド市のダンスパーティーで私は或る一家に会った。彼らは自分たちの郷里であるキングマンの町の話をして、私にぜひそこへ遊びに来いとすすめてくれたが、私は宇宙船とその乗員たちに関する体験談は一切喋らなかった。そんな話をしても大抵の人からは冷笑されるのが今までの例だったし、せいぜい眉を上げて傍の人に面白そうな目くばせをされるくらいが関の山だったからである。だが彼らのすすめは受入れることにして、キングマンの町に車を乗入れたのは11月2日のことだった。

当日はその家で過し、夕方になってからあてもなく車を乗りまわして郊外を見物していた。キングマン空港を過ぎて何マイルか走ってから、旧バック・ステーション近くのカフェーで遅い夕食をとった。前に述べたように、私は空中をとても気にするようになっていて、流星か何か動くものが見えはせぬかと機会あるごとに空を眺めていた。

まさにその晩のことである。トラックにもどろうとしてカフェーの外へ出たとき、輝く物体が遥か高空に現われ、続いて弧を描いて落下するのを発見した。アウラの大型機か少なくとも同じ型の円盤にちがいない。その光体はほぼネバダ州ブールダー市の方角、多分モルモン台地の上空と思われるあたりで水平にもどった。そのときの私の位置はアリゾナ州キングマンの近郊である。続いてブルヘッド市へ帰ろうと私はトラックに乗込んだ。明日は仕事に出なければならないからだ。

キングマンからブールダー市に通じる十字路を通過したのちにもう一度物体が見えたような気がした。光の筋が東方に向けて引返したからである。そこで私はすでに述べたあのアウラの投下してくれた信号筒を試してみようと思いついた。連絡の必要があるときにそなえてトラックのなかに手際よく匿しておいたのである。

上空を飛んでいるのはアウラたちかもしれないので、円盤の着陸に適した場所を探しながら、私はハイウェイをはずれてかなり長い距離を走りまわった。

懐中電灯を使用してそのあたり一帯が岩も石もない平坦な土地であることを確かめると、私は閃光信号の用意にとりかかった。こんなことをやらかしてもし身辺に危険が生じたら、という考えはついぞ心中に浮ばなかった。また実際に何の危険もなかったのだが―。

いまになって考えてみると、いささかむこう見ずなことをしたものである。もし警官でもいて砂漠のむこう側からその閃光信号を目撃したら、早速調査にやって来て、現場で捕えたあげく、勘違いして私に嫌疑をかけたことだろう。だが別に何も起らなかったのだから、そんなことを想像したって仕様のないことだ。

鉄道の信号は数分間燃えているが、この信号は桃色がかった白色の閃光を発しながら、約15秒で燃えつきた。その間数秒にわたってまるで火にかけた鍋のなかのハジケトウモロコシのようにパチパチと音を立てた。消えてから見ると少量の灰のほかは何も残っていない。金属その他の燃えかすは眼につかなかった。

トラックへ引返すと万一の場合を考えて75ヤードほど離れた所に車を停め、前部フェンダーに腰をおろして空を見渡した。何か起らないかと絶えず首を動かすので、間もなく首の付根が硬く痛くなってきた。儲からない仕事だ、もうよそうかな、と思ったとき、東北の方角に稲妻を思わせる色光のきらめきを私は認めた。

だがすぐ稲妻でないことがわかった。大型機が頭上千フィートの空中を通過したからである。それはちょうど深い穴の中から上を見上げているときに、入口を横切って光る物が投げられるのを眺めるような感じで、細部どころか形も大きさもよくわからない。

数秒後円盤はまた東北から帰って来た。こんどは非常に速かったが、四分の一マイルくらいまで接近すると、この場所が着陸に適しているかどうかを確かめるように、きわめて緩慢な速度で降りて来た。

やがて彼らが着陸した場所は、私の閃光信号に応じて来ればきっとそこに降りるだろうと私が想像していた地点と寸分違わなかった。実際には接地しないで、一面に生えている茂みの上によりかかるようにいくぶん空中に浮んでいる。着陸のやり方は私にはもうすっかりお馴染である。ドアーが開くと機体はこころもち傾いて小男たちが現われた。あまり遠くへ行かないで周囲を歩ざまわって足をのばしている。話し合っている声が聞こえるが、英語で私に直接話しかけてくれるとき以外は、何を云っているのか全くわからない。

やがてアウラ・レインズ機長が入口に姿を見せた。ドアーは電力か油圧で開閉されるものらしい。彼女は私の方に向って呼びかけた。

「こんばんは。お入りなさい」大型機の緑に近づくと彼女はまた云った。

「モルモン台地がお好きらしいと思ってたのに、ここにいらしったので驚きましたわ。地球人はたえず職を変えるのね。お友達との間に何かあったの?」 

私たちは地球人が移り気なのを笑って話し合いながらなかに入り、腰を落着けて語り始めた。彼女はデスクのうしろ、私は例の通り長椅子の上である。私は彼女に新しい仕事の説明をして、熔接する物や、なかには随分危険な仕事もあるといった話をした。彼女はアラ探しでもするように熱心に聞いていたが、微笑してはっきりと云った。

「お話をうかがってみると、私たちにはべつに新しいことではないわ。そういった問題ならわたしたちはずっと以前に解決していますのよ」

いささか遅ればせながら、例のオーヴァートンの女の子がフランス語でタイプされた手紙を受取ったことを話して、返事がもらえて彼女がたいそう喜んだうえ記念に大切にしまっておくと云ったことも付け加えた。

中国語の手紙はどうなったの?コックに読めましたか、と聞かれて私は答えた。

「ええ、全部読めたらしいのですが、私には聞かせてくれませんでした。やっこさん、すっかり興奮しましてね、手紙を私に投げ返すと料理場に逃げ込んでしまったんです。天を指して、この世のものじゃあない、あそこから来たんだと叫んでいましたよ」

「そうでしょうね」とアウラは笑った。「手紙の内容はあなたには申しあげないでおきましょぅ。好奇心というものは精神の糧ですからね。あれを持ってらっしゃれば、いつかは読んでくれる人があるでしょう」

「ええ、むろんとっておきますよ」と私は力をこめて云った。「記念品のなかに加えてあります」話は再びクラリオンのことになり、私はアウラに一体どんな趣味があるのかとたずねてみた。

「読書、乗馬、水泳、それに川や湖で魚釣りをすることなど大好きですわ、きれいな衣裳をつけてダンスをするのも好きよ。だけど、なんといっても家庭内の仕事がいちばん好きですわ」

私は笑って云った。「随分家庭的なお答えですな」だが魚釣りが好きだというのはちょっと考えさせられた。クラリオン人は決して殺生をしないと彼女はいままでに何度も云っているので、私はそれを生物は食べないという意味に解釈していたのである。だが"魚釣り"というからには殺生とは人間に限るらしい。

話を大型機のことにふれないようにしているので、我慢できなくなった私はもっとくわしく機体の説明をしてくれませんかとアウラに頼んだ。

彼女は微笑して首を振った。が、次に口を開いたときのその態度は全く宇宙船の船長たるにふさわしい堂々たるもので、さきほどまでのこまやかな語に感じられた女らしさは消え失せていた。

「そうね、あまり多くはお話できませんけど―。この大型機は直径100ヤード、中心の厚さは6ヤードです。ドアーはご存知のとおり、銀行にあるような丸く反った形です。機体は火星でできるきわめて優秀な鋼鉄でつくられています。つくる人たちは大型機のことを"クラリオンの中空車輪"と呼んでいます。

動力の磁力装置やその他の機密設備は秘密を守るために自分たちの手で取付けるのです。

クラリオンまたは地球を出発するときは、機体を固く密閉しますが、航行中気圧調整装置は完全に作動します。内部にいて運動を感じるのは離陸のときだけですわ。そのときは坐っていても体がとても重く感じます。でも私たちの椅子はご承知のように―」

彼女は話の途中でクスクス笑って、「ふっくらして柔らかですから、すぐ楽になって立って歩きまわれるのです。停止するまで速度の変化はありませんし、姿勢が崩れるほど動揺することもありません。着陸にも万全の注意が払ってありますから、操縦者が動力を切っても激しい衝撃を感じるようなことは決してありません。体は磁気ベルトでしっかりと安定させるようにしてあります。

ところで、機体の形はべつに秘密でも何でもないのです。機体の大部分はポールのような曲面になっていますが、外縁部は航行中の安定のために形が変えてあります。自動車のホイールキャップを二つあわせて周囲に縁をつけたような型とでも云ったらいいでしょう。機体の厚みや重量も私密にしてはありません。あなたの計算では厚さ12インチ、重量はたいしたことはない、とおっしゃったように思いますけど―。おぼえているでしょう、いつかご自分で機体を持ち上げたことを」

これには二人とも笑いだしてしまったが、更に彼女は語り続けた。

「観測窓は航行中には使用しますが、地球に着陸しているときは厳重に閉じておきます。汽船の舷窓のような形で、直径は1フィートくらい、つまり周囲3フィートばかりでしょう。ところで地球人は流星のようだと形容しますが、大型機はほとんど完全に近い直線飛行をします。

流星が方向転換するのを見たことはないでしょう。夜空を眺めているとき、近くに大型機がいれば高速のために螢光のような航跡を残して飛ぶのが見えますから、驚く人もあるかもしれません。でも驚く前にちょっと考えてみたら、これは素晴らしい光景ではないでしょうか。私たちは今まで誰にも危害を加えたことはないし、将来もそうなのですから、おそらくもう数百年もたてば、宇宙の全人類が交通し合って、他の遊星を訪問したり滞在したりするようになるでしょう。もちろんいまでもわたしたちのようにそれが可能になった遊星もたくさんあります。地球でもあなたやお友達にはその特権がまもなくあたえられるのですよ」

また例の約束である。だがいつになるか少しも教えてもらえない。

次に、彼女が語った話を聴いていると、クラリオン人、少なくともアウラには多少なりとも将来を予知する能力のあることが理解できた。彼女はこんな話をしたのである。

「あなたの現在のお仕事は、あなたにも他の方たちにも或る危険をもたらすものと思われます。毎日の作業には徹底的に注意なさらねばいけませんわ。わたしの見るところでは、仕事が完成するまでに少なくとも3人は重傷を負うか死亡するようになると思います」

この話を聞いたのは1952年11月2日のことである。そして大事故が発生したのはたしか7日であった。それから少したってまた職工が少なくとも2、3人重傷を負った。私も冶具の上で重い遊輪を熔接中、それが落下して右足首を怪我した。ひどい傷ではなかったがかなり痛んだ。どれも全く予測不可能の事故だった。そしてそのたびごとにまるでアウラが傍にいて警告してくれるかのように、彼女の「注意なさらねば」という言葉が心に浮んだ。

そとに出て別れを告げるとき、彼女は万事うまくいったらまた会おうと語った。円盤の訪問はいままでもあれほど頻繁になされたのであるから、また会うのもさほど先のことではあるまいと思っていた。

私と5人の友人とのクラリオン訪問旅行の準備をすることになった以上、いよいよ妻を呼びよせる必要にせまられてきた。来てくれさえしたら妻にも円盤を見せ、アウラや乗員たちにも紹介できると私は考えていた。地球人の常識からすればあまりにも奇想天外な、不思議な乗員たち―しかも機長は女である―を乗せた不思議な宇宙船に私が乗込んで宇宙旅行に出発することにたいして妻の抱いている危供の念も、アウラなら取除いてくれるだろう。この円盤事件では何はおいてもメリーを安心させたかった。そこでもう一度、すぐこちらへ来るようにと催促状を書き送ったのである。もうこの季節になれば暑さなどは言訳になるまい。

クリスマスの前の週に、メリーはついに折れて会いに来た。一緒にグェンを連れて来て、この子を返しにネバダ州ラヴロックへ行かねばならないから、長くは滞在できないと云う。

今度は面と向って、あらためてもう一度私は彼女にくわしい円盤の話を聞かせてやったが、勿論彼女は信用してくれないし、その話はそっくり何かの書物から借りてきたのだろうと云う。これには私もいささか感情を害してしまった。私の体験と同じような物語を書く暑が一体どこにいるだろう? 私の知る限りでは一人もいない筈だ。

彼女がなおも心配そうな半信半疑の様子なので、私も努めてその言葉を気にかけぬようにしてこの体験はトゥルーマン・ベサラム自身のものであることを納得させようと一生懸命であった。もう一度クラリオンの大型機に会えるまで毎夜トラックで一緒に砂漠へ行こうではないか、そうすればあの驚異的な円盤も見られるし機長にも会えるから、と誠意をつくし平身低頭して頼んだのである。

ところがメリーは私と二人きりで夜の砂漠に出かけるという案を考えただけで青くなってしまった。その美しい目に浮んだ陰影からも、近頃めっきりやつれた顔付からも、私のことを心配して怖れおののいていることはよく読みとれた。無理もないことである。あれこれと手の込んだ陰険な手段をめぐらし、もっともらしい理由をつけていやがる女を寂しい場所へおびき出して、そこで女を始末してしまうというのはよくある話なのだ。そんなことを妻が考えていたというわけではない。彼女もそんなことは口に出さなかった。だが果してそうではないと云えるだろうか? 私が何物にも代え難いほど彼女を愛しており、たとえ一匹の蜂にでも彼女を刺すのを許すくらいなら、喜んで一切の苦難を引受けようとまで思っている私のこの気持を、どうして理解してくれないのだろう。他人の心を測り知ることは不可能だが、しかし彼女の心中の悶々の情は誰の目にも明らかだった。彼女は私の話を全然信じないのだ。

私たちは淋しく別れのキスをかわし、悲しみに張裂けそうな心を抱いたまま、私はラヴロックの方に走り去って行く彼女の車を見送った。

失意の中に私は数日を過した。いや数週間といったほうがよかろう。もはや円盤も夜空に現われなかったが、落胆した私はべつに空を見上げようともせずに職場に通っていた。私の沈みきった態度は私を知る人々の目を惹いたようであった。

しかし私の体験の噂はキングマン一帯に拡がっていて、私にたいする人々の態度は冷淡でよそよそしかった。ついにはこの広い世界に私の語を信じてくれる人はひとりもいないし、私の云うことが真実であろうとなかろうと誰も気にとめてはくれないのだと私は思うようになってしまった。彼らは現状維持を望んでいるのだ。自分たちの小さなつまらぬ生活の中に閉じこもって、人類始まって以来の最大の事件さえも顧みようとはしないのだ。

よし、やつらがそういう態度ならそれでいい。できれば私もこの不思議な出来事など忘れてしまうことにしよう。もう私は友人たちにも宇宙旅行の話はしなかった。私はアウラからもらった信号筒の残りの一本を砂漠に持って行って、人気のない谷に埋めてしまった。二度と見ることはないだろうと思ったし、また見たくもなかったから、後になって掘出すときの心覚えさえしなかったのである。

しかし、1953年2月27日から28日にかけての夜、間もなくデーヴィス・ダムの仕事が完成してレドンド・ビーチの我家に帰ることになった頃だが、何としてもアウラに会いたくてたまらなくなってきた。そこで、私は埋めた閃光信号筒が見つかりはしないだろうかと思って、砂漠に車を走らせたのである。潜在意識に導かれたのだろう。私はまっしぐらに何の苦もなくその地点にたどりり着いて、信号筒を掘出した。

それから再び車を走らせると、大型機の着陸にあつらえ向きと思われる場所を見つけて、そこで信号筒に点火した。燃えつきたのちも私はその場に立ったまま、心中にクラリオンの円盤よ現われてくれと念じながら、首を長くして夜空を見つめていた。いく時間かが過ぎて、東の地平線が明るくなってきたが、私の信号にこたえてくれる物は全然発見できなかった。

第12章 ジョージ・アダムスキに会うへ続く

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