ロケットによる宇宙飛行の本においては、次の事柄は問題外であろうが、アンバランスなGフィールド(重力場)による宇宙飛行においては、最も重要なことである。そこで私は自分で徹底的に調べたテーマの一部分をあえて含めたのである。そして円盤の推進法の背後にある基本的原理と今述べられる現象とは一致すると固く信じている。
この現象こそ、私が説明する基本的な理論の形成に幾分関係があるのである。私は長いあいだ熱心な宇宙飛行マニアであり、ロケットや宇宙船の設計を徹底的に研究してきた。しかしスムーズに、無音で、優雅に飛ぶある反重力的な力を示す現象を目撃したのである。しかもこれは驚くほど強力な力なのだ。疑う人はこの現象をインチキと片づけるだろうが、超能力現象を徹底的に調査したあとで、なおかつ納得のゆかない人はいないと言っておく必要がある。高度な科学研究を行なう価値のある諸問題がまだ残されている。それらが科学的に研究されさえすれば、現代の諸問題の多くが解決できるだろう。
研究はしばしば勇気と信念のある人によって行なわれてきたが、資金不足のために不充分な設備で耐えねばならなかった。そのために業績を上げるのに長年月を要するのである。もし助成を受けて充分な設備を与えられるならば、難儀な長年月をすごすことなく数週間で進展を見るだろう。こうした状態はこの科学的発見の、原子エネルギーの時代にも在存する。ハーウェル、ロスアラモスなどの原子力研究所にいる専門家の理解を超えたある"現象"を目撃した人は世界中にいるのである。人間は理解の対象になる事象を見てきたし、研究設備を与えられて理解を試みてきたが、彼らの報告は多数のいわゆる科学者によって嘲笑されている。科学者は理解できないと言うのだ。
"空飛ぶ円盤"という言葉が聞かれるようになるずっと以前から、私は厳密な実験状態のもとに、無生物の完全な空中浮揚現象をたびたび目撃した。この物体(複数)は目にも見えず触れることもできない何らかの方法で空中に静止していた。糸や磁石が隠されていたのではない。
こんな状態のもとならインチキは全く関係ない。自己暗示、幻覚なども問題外である。この現象を記録し、測定し、撮影するために科学装置が用いられた。ハーウェルやロスアラモスでやっているのと同じことである。我々が好もうが好むまいが、こうした現象は発生したし、今も発生している。この現象が調べられたような環境は別な事象をも含んでおり、この記事とは関係ないが、重要なのは、忍耐力をもって調査の労をとろうとする人には、一般の科学はこの生命現象の調査において一方的にすぎないということである。たぶんそうだろう。しかし今日の物理学者が直面している諸問題の多くは、少し異なる角度から現象を研究すれば解答が出てくるだろう。彼らは研究所で見ることのできない物を見るだろう。私が見たような一トンも重量のある物体が空中に何の支えもなく浮かんでいる光景をロケットマニアが見たならば、いったい何人がそのままジッとしているだろうか? 彼らがこれまでとってきた態度よりももう少し綿密に円盤関係の報告類に目を通すことは不自然ではないだろう。物体のいわゆる超自然的な浮揚現象でよく知られているさまざまの状態は、一般人の円盤目撃で観測されている。
我々は理解していない物事に直面するとき、魔術的なものを期待する必要もない。万物は自然の法則に従っているのである。長い時代を通じて人間はゆっくりと自然の諸法則を理解するようになってきた。偉大な科学的発見の行なわれる現代においても、まだ宇宙の壮大な機構について学ぶべきことが多くある。
真の哲学的な科学者は自分が理解していない物事を不可能事としてすぐに無視したりすることはない。むしろ説明できない事象を説明できるように努力するのである。世の中には"少数の人"から与えられた知識情報があるにもかかわらず、みずから調査研究しようとしない物事を不可能視して否定する人があまりに多すぎる。オリバー・ロッジ卿やウィリアム・クルックス卿は自分の力で研究した卓越した科学者である。 (注=オリバー・ロッジは英国の物理学者で、無線電信を含む電磁気学の研究で名高く、そのヘルツ波(電磁波)研究によりマルコーニの無線電信発明の道を開いた。晩年は心霊術に凝った。ウィリアム・クルックスも英国の化学者・物理学者で、真空放電を研究し、陰極線が電気的な微小粒子からなることを発見し、これを放射体あるいは物質の第4態と考えた。彼も一時心霊現象の研究を行なった)
ところが、この両名がいわゆる神秘的事象に大胆に取り組んだときも学者仲間から非難されたのである。その結果、1874年にクルックスが円盤に応用されているかもしれないある現象を観察したというのに、我々はいまだに花火のロケットをいじりまわしているというありがたい1954年を迎えているのである。私は無生物ばかりでなく人体も完全に浮揚したという例を述べたい。以下は当時の有名な超能力者ダニエル・ダグラス・ホームによる数度の浮揚実験を目撃したウィリアム・クルックス(1832―1919)が書いた記事である。
「ホームの浮揚実験の最もすばらしい光景は私の家で展開した。彼は室内の広い場所に行き、ちょっと立ってから『これから浮揚します』と言う。すると彼はゆっくりと空間へ上昇してゆき、数秒間、15センチばかりの位置に停止して、それからゆっくり降下した。このときは参会者のだれ一人として動いた者はいなかった。
別なとき、今度は彼が私にむかって『こちらへ来なさい』と言う。そのとき彼は床から約50センチ空間に上昇していた。私はその間彼の足もとの空間や体の周囲、頭上などを両手でさぐってみた。また別な数度の機会に、ホームの体とすわっている椅子が床から持ち上がった。これは非常に慎重に行なわれた。それからホームは椅子の上に両足を上げてひざを組み、全員に見えるように両手を高く上げた。私は体をかがめて見たが、椅子の4本足すべてが同時に床から離れていると思った。ホームの両足は椅子の上にある。たびたびではないが、この浮揚力は参会者にも及び、一度私の妻は椅子に腰かけたまま床から浮揚した」
ホームの体が窓から出て行って路上の空間高く浮かぶという"奇蹟"が、1868年(明治元年)12月13日に、ロンドンで3名の目撃者の眼前で発生した。この目撃者とはアデア卿(後のドゥンラヴン卿)と、そのいとこのC・ワイン大尉、リンゼイ卿人後のクロフォード=パルカレス伯)で、伯は一時英国学士院の会員であった。リンゼイ卿が書いた次の記事は興味深いものである。
「私はホーム氏とアデア卿、そのいとこと共にすわっていた。すわっているあいだにホーム氏が催眠状態になり、その状態のまま隣の部屋の窓から外へ出て、こちらの部屋の窓からはいってきたのだ。各窓間の距離は約2・3メートルあり、足場は全然ないし、花の鉢を置くための棚が各窓から突き出ているが、この棚の幅は30センチしかない。
隣室の窓が開かれる音がして、ほとんど同時にホームがこちらの窓の外の空中に浮かんでいるのが見えた。月光が室内を照らしており、私は背をあかりに向けていて、窓台の壁に影があるのを見た。ホームの両足は窓台から約15センチ上方にある。彼はその位置に数秒間とどまってから窓を上げて室内へ足の方からゆっくりとすべり込み、そしてすわった。
そこでアデア卿はホームが抜け出た窓を見るために隣室へ行った。それは約45センチ上げられていた。そんなに狭い隙間からどうしてホーム氏が抜け出たのだろうとアデア卿は不思議がっていた。
ホームはまだ催眠状態のまま『お見せしましょう』と言う。そして窓に背を向けたまま仰向けになり、頭の方から間をくぐり抜け、また静かにもとへもどってきた。窓の高さは地上約21メートルである」
ホームの驚嘆すべき浮揚能力は決してユニークなものではない。東洋では人体の浮揚は公然たる事実となっている。ヒンドゥー教徒はこれがやれるという。彼らは深いリズミカルな呼吸その他の特殊な運動とともに適当な精神的態度の重要性を強調している。
その道の達人の言葉によると、一定の行法をよく観察すれば、重力に反するある種の"生命力"が発生するのが見られるという。
自動浮揚を行なう人々のことが長く語りつがれている。フランスの僧院長オーガステン・カルメが1751年に次のように書いている。
「熱列な祈頑を行なっている信心深い人々が空中に上昇して、しばらく静止した。我々はある立派な修道士を知っているが、彼は地上からしばらく浮揚し、空中に静止する。自分でそうしようとも思わないのに、特に何かの敬けんなイメージを見たり、エクセルシス・デオのグロリアのような熱心な祈りの言葉を聞いたりすると、そうなるのだ。また、自分の意志でもないのに地面から空中へ浮かび上がる一尼僧を私は知っている。彼女自身も全くわけがわからないのだ」
カルメはサン・ヴアンヌ・ド・ヴオルデュムの僧院長、聖リカルドの物語を述べている。この人は1036年に地面から浮き上がったが、その間、ガリゾン公、その息子たち、多数の将兵の面前で歌をうたっていた。また1601年にはマドリードでド、、ドミニク派の神父カルモ・ドショーが、スペインのフィリップ2世、王妃、文武百官の前で空中浮揚をやってのけた。「そこで一同はシャボン玉みたいに動きまわる彼の体を見て驚きの声をあげた」のである。これは慣性がなくなっていることを意味しないだろう。
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▲超能力者によるテーブルの浮揚実験。ただしホームではなく別人である。 |
自動浮揚について書かれた最も完全な書物の一つは、フランスの大学教授オリビエ・ルロイの著書であろう。この書の中でルロイは約200の空中浮揚例をあげているが、その一つにアビラの聖テレサの物語がある。彼女はスペインのカルメル会の大改革の中心人物であり、1622年にはグレゴリ11世によって聖列に入れられている。以下は彼女の異常な体験に対する自分の反応を要約したものである。
「恍惚状態になっているあいだ、魂は肉体を生々とさせないように思われる。恍惚状態は大抵の場合くいとめることができない。それは大体に考えるひまもなく急速なショックとして起こってくる。すると上空へ昇る雲か大ワシのように感じられ、その翼に乗って運ばれるような感じがする。……私はしばしばその状態になるのをくいとめようとして必死になった。公衆の面前でその恍惚状態が起きるときは特にそうなるまいとした。ときにはものすどい努力によってわずかにくいとめることができたが、あとで巨人にねじ伏せられたような疲れが出た。またあるときは全然くいとめることができなかった。私の魂はどこかへ運ばれてしまい、ほとんどいつも頭も、ときには体全身も魂と共に行ってしまう。それで地面から浮き上がるのであった。どうやら私がくいとめようとするときに、私の足の下の大いなる力が私を持ち上げるらしい。その力を何にたとえてよいかわからない。
それは私を大きな恐怖におとし入れた。私の体が地面から浮き上がるのを見ても、どうしようもないからだ。…恍惚状態が終わると、私の体は重量が全くなくなったかのように浮きやすくなる。あまり軽くなるので、両足が地面に着いてもほとんど感じなかった」 (注=このあと各種の神秘的な浮揚現象や、筆者クランプの自宅で行なわれた超能力的浮揚実験の詳細が述べてあるが、紙面の都合により省略する)
こうした浮揚現象を注意深く調べると、2、3の重要な事実がわかってくる。浮揚に関連のある慣性の喪失と、聖テレサの言うような"恍惚状態"である。電流の流れた2つの電極を手に握って回路にするとすれば、人体は電気ショックと呼ばれる感じを体験する。これは人体の神経系統に作用を与えるある変化が発生したのである。同様にして人体中の原子に影響を与えてその慣性を失わせれば、ある位置から別な位置へ体を動かせると考えられるだろう。しかも重力もその意味を失うだろう。このような状態が存在すると仮定すれば、原子のこのような変化は神経系統に影響を及ぼし、"恍惚状態"の感じを体験すると考えて不合理だろうか。
心の力に関してはほとんど知られていない。しかし多くの実例がある。東洋のヨガの行者は"意志"によって自分の体を地球の重力に反して浮揚させ、空中をフワフワとただよう。ただしものすごい精神力のために疲れきっているのではあるが―。これは調査すれば目撃できる事実である。水泳占いの術は"気まぐれ"なものとされているが、これには原始的な器具を用いて占い師の脳から放射する高周波インパルスを増幅するのである。我々も内部で眠っているこの機能を応用できれば、増幅器の必要はなくなるだろう。
ヨガの行者の潜在意識が自分の体を無重量にする方法を"知っている"のと同様に、学習によって我々も意識的にも機械的にも"方法"を発見できるかもしれないのだ。そして水泳占い師が増幅器を用いるのと同様に、我々も自分の心の意志通りにやれるような機械的な増幅器が作れるだろう。ヨガの行者のようにひどい疲れをおぼえることもなく―。そしてその増幅器を我々は空飛ぶ円盤と呼ぶかもしれない!
こうした考えを認めるのがむつかしければ、科学はまだ物質の基本的な組成を理解していないことや、動物が人間の耳に聞こえない高音に反応を示すように、人間の感覚もある種の放射線に感応するという事実を考え直す必要がある。そうなると人間の感覚的知覚作用を超えた物質の高周波帯域のようなものは存在しないと言えるだろうか。
これらの事実を認識するとき、人間の手になる円盤は日常の物になるだろう。宇宙空間に住むことさえも、現在我々が考えているような諸問題を必要としなくなるだろう。
我々は宇宙旅行において食物、水、酸素などを積み込む必要がなくなる時代を期待してよい。"円盤人"はおそらく数千年前にその必要がなくなったのではないか。現在惑星間をロケットで飛ぶ夢は、多くの点で潜水艦の設計に似ている。船室は居室、機械設備、酸素、ライト、その他の日用品で満ちている。推進法も似ている。いずれも反動物質を放射し、船体の外には人間が自由に生きることのできない異質媒体がある。そこで宇宙服または潜水服を着ることになる。基本的にはほとんど相違はない。
潜水艦はそれ自体の酸素供給設備を持つが、実際には周囲の海中には酸素がある。もっと効果的な方法がわかれば、海水を船内に入れて装置に導入し、酸素と水素を分離して、大量のガスを利用して燃焼させ、ガスタービンのエネルギーが得られるのである。第2次大戦中ドイツ軍はこれを実現させようとしていた、といううわさがあった。
この方法の原理は基本的には簡単に理解できる。だがロケットとなると複雑だ。しかし複雑でなければならぬという理由はない。遠からぬ昔、人々はH2Oの基本的な分析法を知らなかった。状況は今も同じである。ナただ多少進歩したというだけだ。それゆえ、我々が空間とその半身である物質についてもっと知るようになったら、宇宙旅行で酸素や食物を携行する必要はなくなるだろう。同様にして、触れることのできない"エーテル"を取り入れて酸素や動力用の"燃料"を作り出すことができるかもしれない。このような説はSFじみているが、数百年前に同じような印象を与えなかった科学上のアイデアがあるだろうか? 我々の立場は少し有利である。なぜなら円盤問題にこそ、いつか我々自身の空飛ぶマシーンといえる物をのぞき見できる特権が与えられているからである。 |