ホーム ライブラリー レターズ ピクチャーズ ufo 掲示板 お問い合わせ リンク

GA Site -UFO Contactee-

articles

過去更新記事

 ├ 2009年度
 ├ 2008年度
 ├ 2007年度
 ├ 2006年度
 ├ 2005年度
 ├ 2004年度
 ├ 2003年度

最新更新記事

サイト内検索



GA Site内を

新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 宇宙・引力・空飛ぶ円盤  by レナード・クランプ

序文 デスモンド・レスリー      UFOと宇宙 No.6 1974

1954年2月15日の朝、13才になる少年スティーヴン・ダービシャーはなぜかそわそわし始めた。そして落ち着かない気分がずっと続いて家の裏山へ登りたくなってきた。英国ランカシャーのコニストンという町の丘である。

なぜ登りたくなったのかわからない。ただそうしなければならないと感じただけだ。そこで8才になる従弟のエイドリアン・マイヤーを連れて小さなけわしい山を登って行った。小鳥の写責でも撮ろうと思って小型のコダック・カメラを手にしている。小鳥を観察するのが少年の大好きな趣味の1つなのである。

▲ カメラをかまえたステヒーブン・ダービシャー。右はいとこのエイドリアン・マイヤー。

やがて2人は頂上へ着いて、スティーヴンはカメラのレンズを"無限遠"にセットした。そして細長くきらめいているコニストン湖の方へ向けた。これは谷間を約19キロ離れた所にある湖で、ここで有名な"ブルーバード"スピードボートが世界記録を樹立したことがある。その日は寒くて曇ったり照ったりしていた。丘のむこうのコニストン・オールドマン山(海技773メートル)の峰が雲の中にかくれている。

午前11時にエイドリアンがその山の方を見ており、スティーヴンは反対側を見ていた。突然エイドリアンがスティーヴンの肩をたたいて叫んだ。「おい、あれを見ろ!」

太陽の方向から下方へ奇妙な丸い物体が降下しているのだ。それは約90メートル彼方の地面まで降りて、少し盛り上がっている土のむこう側へ消えたが、数秒後にまた現われてきた。すると急に物体は縦に倒れて、にぶいヒユーツという音をたてながら空中を急上昇したが、それまでは完全な無音であった。数秒後にそれは雲の中に消えてしまった物体が地面のむこう側へ降りる直前にスティーヴンは写勇を撮ることに成功した。そして再度出現したときにもう1枚撮影した。だが具合のわるいことに、彼はカメラを正しくセットしていなかったため、写真がポケたのである。しかし綿密な検査をするのに差支えない程度には写っていた。

スティーヴンの話によると、物体は銀色のなめらかな外観を呈していて、「光は通過するが内部を見透すことはできない」ような金属またはプラスチックらしい物だという。(彼が探していた言葉は"半透明"だった)最初それは日光を受けてすごく輝いていた。しかし上昇するにつれて雲が直射日光をさえぎったので、少年たちはもっと明瞭に見ることができたのである。

「それは固い金属のような物体で、ドーム、丸窓(複数)があり、底には3個の球がついていた。底の中心は黒っぼくてコーンのように突き出ていた。始めは3つの丸窓が見えたが、物体が少し回転したので4つ見えた。キャビン・ドームの頂上にはハッチのような物があった」 

興奮しきった2人の少年は山を走り下りて、リトゥル・アロウ・ファームと呼ばれるスティーヴンの家へ帰った。そして息を切らしながらスティーヴンの父親のダービシャー博士に伝えたが、博士は最初信じなかった。しかし知的で寛容の精神に富んだ博士は息子をすわらせて、目撃したとおりを文章に書かせ、記憶どおりにスケッチさせたのである。

撮影フィルムはコニストン村(2・4キロ離れている)で写真スタジオを経営しているパティソン氏の所へ持って行って現像してもらうことにきめた。だが何かが写っていようとはだれも思わなかった。しかし後日パティソン氏が息せき切って走り込んで来た。

「何か写っていますぜ。どうやら空飛ぶ円盤らしい」少しぼけてはいるけれども、たしかにネガには一定の円盤型物体が写っている。3個の球体すなわち"着陸ドーム"がはっきりと識別できるし、黒い丸窓群とおぼしき物、それに底部には黒いコーン型の部分までがはっきりと見えるのだ。

だがこのことを声明する前にダービシャー博士はスティーヴンとエイドリアンに徹底的に詰問した。ウソをつけば自分や家族にどんなトラブルが発生するかがよくわかっていたからだ。しかし両名ともその話が真実であることを主張し続けた。あとで博士は言っている。

「私はスティーヴンをよく知っているので、あれがウソをついていないことがわかったのです」

それにあの年齢の子供があんなネガを偽造するとは私にも考えられないことである。家族で相談し合ったあと、何事が起ころうと、この事件はあまりに重要なので隠しておくわけにはゆかないことになった。そこでダービシャー博士は電話をかけたのである。

最初に反応を示した新聞社はデーリー・メールで、1名の記者をよこしてきた。この記者は他社の記者連すべてと同様に、その写真が本物であることにすっかり満足した。メール紙がそれをけなしたのは科学記者のJ・スタブズ・ウォーカー(彼は個人的にコニストンへ調査に行ったわけではない)の解説を載せたことぐらいのものである。それによると、ある条件下では雲の氷の結晶が一定の形を現わすかもしれないという。しかしどうして水晶がドーム(丸窓、3個の球型着陸装置などの付属した円盤の正確な像を作り出し、しかもヒユーツという音までたてるのかは説明されていない。

その少し後にランカシャー・イーヴニング・ポスト紙のアル・グリフィンが一頁をさいて、この事件の長文の知的な解説記事を掲載し、比較用にスティーヴンとアダムスキーの円盤写真をかかげた。

私は2月23日にコニストンへ行って、2日半ほどダービシャー家の世話になった。その間、精神的な意味で青年期の段階をとっくのむかしに通過してしまったこの知的な信頼のおける家族を徹底的に調査することができた。

スティーヴンに案内されて山にも登り、事件当時の模様が再演され、正確な位置もわかったし、カメラも綿密に調べてみた。まもなく明らかになったのは、円盤の位置はわずか90メートル彼方にすぎなかったということである。というのは例の一部分の高台のすぐむこう側は地面が少し低くなっていて、それからオールドマン山の頂上の方へまっすぐに登り坂となって続いているからである。

私はスティーヴンがカメラをセットする際にどんな誤りをやったかを見きわめようとした。彼は円盤が視野にはいる少し前にレンズを正しく"無限遠"にしたと確信しているからだ。彼は2つの動作の内、2つをやったと思われる。

●ジョージ・アダムスキー撮影の円盤(上)とスティーヴン・ダービシャー少年撮影の円盤とをレナード・クランプが正射影法によって比較した図。両方共同型物体であることを証明した。

ジャバラを十分に引っ張り出さなかったために写真がボケたか、25分の1秒にセットしないでバルブにして露出したかのいずれかである(注=バルブというのはシャッターボタンを押している間だけ露出する機構)。後者ならばきわめて容易にやれたことだろう。この安物カメラは1個のレバーのちょっとした操作だけでT、B、25分の1秒、50分の1秒の順にセットできるからだ。Bと25分の1秒の間のレバーの動きは約8分の1インチ(約3ミリ)で、コニストン湖の写真を撮ろうとかまえたときにシャッターを正しくセットしていたにしても、興奮しきっていた彼はレバーをうっかり動かしたかもしれないのだ。

発生した事件の真相を究明しようとして私は同じ場所でそのカメラを用いて、シャッタースピードやジャバラの状態を次々と変えながら数回の露出を試みた。そしてその結果をスティーヴンのオリジナル・ネガと比較してみたのである。露出結果と像の出具合でオリジナルに最もよく似ていたのは、バルブと無限遠で約1秒間露出して撮った写真である。

したがってこのカメラは正しくピントが合わされ、ジャバラも十分に引き出されていたにもかかわらず、スティーヴンはうっかりして25分の1秒のかわりにバルブで撮影したと考えてよいと思う。この種の安物カメラなら容易に起こりやすいミスである。

私はスティーヴンと一緒に山上をくまなく歩きまわった。難儀な山道を車で行き、道のまったくない所は徒歩で調べて歩いた。全体に鋼の鉱坑、廃坑になった縦坑、水のたまったトンネルなどが散在している。こうした鋼の廃坑が関係しているかもしれないが、今は何ともいえない。だがこれから先の記述にそなえてちょっと記しておく。

2日間私はダービシャー家に滞在したが、スティーヴンのいうことは一貫してスジが通っていた。好きなようにさせて思いきりしゃべらせたが、ウソやインチキらしい気配はなかった。また私は4人の新聞記者がスティーヴンの話を少しでも変えさせたり食い違いを起こさせたりしようと巧みに誘導尋問したあいだ、その場に居合わせたが、彼の話には矛盾はなかった。

これは両親からも確証されたことだが彼はFlying Saucers Have Landedを全然読んだことはないし、アダムスキーの体験の要約すら読んだことはないという。ただし1953年9月30日付のイラストレーテッド紙に掲載されたアダムスキー円盤の写真を見たことは認めた。

彼がいうには、この円盤写貞には3個の丸窓が一列に並んでいる円盤が写っているが、彼が見た円盤は一列に4個あったという。彼のスケッチには3個だけしか描いてないが、円盤が去って行くとき少し回転したために4個の丸窓が見えたのである。これは異なるタイプの円盤ではないかと彼は考えている。

しかし"未公開″のアダムスキーの写真類の一枚(写真版にするために右端を少しカットしなければならなかった「空飛ぶ円盤実見記」の口絵写真の原写真)には4個の丸窓が一列に並んでいるのがはっきりと見える。スティーヴンはこんなことを知らないのだ!

デスモンド・レスリーこのことは他の証拠とともに彼が真実を語っているばかりかアダムスキーと同じ円盤(または同じ型の円盤)を見たのだということを私に確信させたのである。

私は円盤に関するこの刺激的な新しい書物の序文を書くにあたり、以上の件について詳述するように依頼された。昨年は円盤問題に関する仕事が山積した。これは主として古代ローマの年代記のような古記録からペンタゴンの秘密ファイルに至るあらゆる記録類からとった目撃報告の長いリストの作成の仕事である。これらは記録または参考として興味深く価値はあるけれども、単なる事件の羅列だけではさほど研究の進歩にはならない。今必要なのはこれらすべての資料の科学的研究であり、もっと知的な物理学者に受け入れられるような説明を出すことである。

このことにクランプ氏は成功したと思う。氏は明快な言葉を用いてわれわれに科学的探求の新しい展望を開いてくれたのだ。その探求においてささやかながらも粘り強い研究を行なえば報いとして宇宙旅行の秘密が解き明かされるかもしれない。私は宇宙旅行に関心のある人のすベてにこの書をおすすめする。

現在ぎこちないロケット開発に費されている資金の一部分がクランプ氏の説の研究開発用の研究所設立資金にまわされれば、現在考えられている費用のかかる不便な方法によるよりもはるかに早く月世界へ到達できるだろう。

デスモンド・レスりー

(注=デスモンド・レスリーはジョージ・アダムスキーとの共著Flying Saucers Have Landedの第一部を書いた人で、故チャーチル首相の甥にあたる英国の名門出身。本来は考古学を専門とするジャーナリストであるが、円盤研究家としても有名である)

home artcles letters pictures ufo bbs お問い合わせ link