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 "人魚"目撃記録  学研ポケットムー『世界の未確認動物』より

第2話 人魚か魚か − 未知の海洋生物を見た人 星 香留菜

古い話にはどうしても尾ヒレがつきやすい。そこで20世紀の記録を調べてみよう。

▲水中のマナティ。人魚はこの動物を見誤ったものだという説もあるが、ほっそりとした美しい人魚のイメージにはほどとおい。

大阪に堀場駒太郎という男性がいた。彼は太平洋戦争中に南太平洋に派遣され、ケイ諸島のオーデルタウン監視隊の軍曹として軍務に服していた。

ケイ諸島はニューギニア、セレベス、チモールの3つの島に囲まれたバンダ海盆に浮かぶ小さな島々である。ここでは昔から人魚が出没するという話があり、原住民たちはこれを”オラン・イカン”と呼んでいた。マレー語でオランは人間、イカンは魚を意味する。

1943年3月のある日、島民たちがオラン・イカンを捕らえたといって騒ぎだしたので、堀場軍曹ら将兵が村長の家にかけつけてみると、庭に捕獲された”人魚”が死んで横たわっていた。

驚いた堀場氏がよく観察してみると、この生物は身長が1メートル50センチ、体重は65キロ足らず、頭髪は赤茶色で肩にとどくほど伸びており、額は広く鼻は低いが、顔全体は人間としか思えないような形だった。

耳は小さく、口はコイかフナの口のような形をしていた。手足も人間に近い形をしていたが、指の間に水かきがついており、さわるとヌルヌルしていた。そして体のあちこちに貝がらや藻が付着していた。

このあたりの海にはジュゴンが生息しているが、これらの特徴は明らかにジュゴンのものではない。

堀場氏はまた、生きたオラン・イカンも見たという。浜辺で親と子と思われる2頭が四つんばいになり、じやれあっているところを1回、また漁に出たときに平泳ぎのような格好で海面すれすれに泳いでいくところを1回、目撃したのである。

◆東インド諸島 ◆海盆 ◆マレー語
 アジア大陸南東部とオーストラリアとの間にある島群。スマトラやジャワ、パリ島、フィリピン諸島などを含む。熱帯資源にめぐまれ、昔から外来勢力の進出がいちじるしい。 深さ3000〜6000メートルの海底にある、円形もしくはだ円形のくぼ地。底面は平らだが、山や丘があることもある。島群に囲まれた海盆はとくに太平洋に多く見られる。 もともとはマレー半島とその付近の一部の地域で使われていた言語だが、現在ではインドネシアの国語として採用され、インドネシア語としてさらに広い地域で通用している。

堀場氏はこの体験談を、戦後大阪に帰ってから会う人ごとに話した。しかしだれもまったく相手にしてくれない。彼の作り話だと思って面白がって笑うだけであった。

「たとえ自分の体験が事実でも、人が信じてくれないときほど残念なことはない。私は、あの南の島でオラン・イカンを見たのだ。あれはたしかに人間によく似た奇妙な生物だった」

戦後の代表的な人魚目撃事件はイギリスで起きている。

1954年8月11日、イギリスのキャンベイ島の浜辺に不気味な生物の死体が流れついて大騒ぎになった。

身長は1メートル20センチ、体重は11キロ、体つきは人間によく似ていたが、魚のようなエラがあった。しかし魚特有のウロコはなく、皮膚はピンク色で、両足は人間のようにスネまであり、足の指も5本そろっている。

科学者がこの死体を調べて報告を政府に送ったが無視され、何の結論も出ないまま、うやむやになった。

これらの話は、世界いたるところから報告されている。しかし、われわれは実際に自分の目で確認しないかぎり、未知の生物や現象を容易には信じられない体質をもっている。人魚なんているはずがない、何かの見まちがいに決まっている、と一笑に付してしまいたくなる。

しかし、海は地球の全表面の70パーセントを占めている。陸地の2・5倍も広く、大部分は人間が最新の泉水装置を使っても容易にはもぐれない深さをもっている。このような海にどんな未知の生物が生息しているか、20世紀の科学知識をもってしても、われわれには予測のつかないことである。

(星香留菜)

【付記】

ジェニー・ハニバース

13世紀の大旅行家マルコ・ポーロは、スマトラで目撃した事実をこう記している。

「旅行者たちがインドからつれ帰ったと称する”小人”とは、まっ赤な二セモノで、じつはスマトラで捏造されたものである」 

スマトラ・ピグミーと呼ばれるこの”小人”は、小型のサルの死体に手を加えてそれらしく見せかけた細工物であった。

これと同様の記述は1558年刊の『ヒストリア・アニマリウム』にも現れる。筆者のコンラート・ゲスナーは旅行でスイスのチューリッヒを訪れたとき、いかがわしい薬屋でおかしな怪物を見せられた。薬屋の主人は、世間を騒がせている海の怪物の正体はじつは「パシリスク」で、これがその標本であるとまくしたてた。だが、ゲスナーは一目でそれがエイを加工したものであることを見やぶった。

パシリスクは頭に金の王冠をいただいた怪蛇で、体長は1メートルにみたない大きさながら、恐るべき魔力をもっている。古代ローマの学者プリニケスによると、バシリスクは、ほかのヘビのように体をうねらせて進むのではなく、高く直立して進む。このヘビににらまれただけで人は死に、植物はかれる。もちろん、パシリスクにじかに触れても死ぬし、息がかかっただけで石さえもくだけてしまう。馬上からヤリで刺せば、毒がヤリを伝わって人ばかりか馬をも倒すというきわめつけの毒ヘビである。

ゲスナーは薬屋のインチキ商売に腹を立て、みずから怪物そっくりの木彫を作って本の中で世間に公表し、だまされないようにと強く警告したのである。

当時、地中海からとれた魚を利用してつぎはぎ細工の怪物を作って売る商売は、地中海沿岸のおもだった都市で広く行われていた。

インチキ怪物の作製にもっとも多く利用されたのが、エイ、とくに体がひし形のガンギエイ科のエィである。エイの仲間は下腹の様子が人間の顔に似ていて、ただでも気味の悪い印象を与える。エイの体はやわらかく、加工もしやすい。バシリスクとならんで、好事家やアマチュアの博物学者たちの間で珍重されていた”ドラゴンの子”の作り方はこうである。

小さなガンギエイの死体を用意する。左右のヒレを背中の方に曲げ、尾も好みの角度にねじ曲げる。 エイの首にひもを巻きつけてしばり、ドラゴンの首らしくする。とがった棒を背中につっこんで背骨にする。全体の形を整えて天日で乾かす。乾燥して収縮するにしたがい、アゴがつき出、鼻の穴がギョロリとした目のように見えてくる。数対あるヒレを適当にカットして、翼や後ろ足のように見せることもできる。

これらの怪物を総称して「ジェニー・ハニバース」と呼び、もっともらしい説明をつけて観光客めあてのみやげ物屋や、行商人が売っていた。もちろん、法外な高値で取り引きされたであろう。むかしは日本の漁師たちも二セの人魚をこしらえて見物料を取り、人魚が予言した病気の予防だと言ってお守りを売りさばき、二重にもうけたという。

ジエ二−・ハニバースの新しい例では、1914年にプエルトリコで発見された海の怪獣「ガラディアポロ」がある。地元の新聞が「ガラディアポロの侵略」と銘打ってこの事件を大々的に報道したので、一時はプエルトリコ全土が騒然となった。だがまもなく、アメリカ西海岸で問題の怪物とうりふたつの品物を買ったという者が次つぎに現れ、じつはガンギエイを加工したインチキ怪物であることが判明した。ある人が買ったジエ二−・ハニバースの値段は1ドル89セントというから、中世にくらべると怪物の価値もずいぶん落ちたものである。

 

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