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| 『慈悲』は法則を完成させる 第2話 | |
| 日本GAPニューズレター 第54号 より |
| ジョージ・アダムスキー問題のプロモーションを始めてから20年近くの才月が経過しました。 その間UFOの分野においてさまざまの体験をし、多数の人と接触して意見を聞き、すばらしい情報に接しては胸を躍らせて、疲労の極に達しながらも頑張り抜いてきた私が痛感しますのは、「事実は小説よりも奇なり」ということです。 |
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ところが実際はそれだけではなく、網膜は映った光の信号を整理し、形と色を明確化して脳に伝えていた、いわば"考える網膜"であることを発見した科学者がいます。 昭和46年2月3日に死去された東北大学学長、本川弘一博士がそれです。 博士によると、網膜が形と色を明確化するというのは必要な信号を強調し、不要な信号を消去する作用で、これは網膜が状況判断枚構の第一段階の役割を果たしているということです。 これはもと脳波の研究を行なっているときに、眼からも不思議な波動が出ることを発見してこれを"]波"と命名したことに始まります。 博士のこの大発見は実に昭和18年のことで、世界の学界に論文が送られましたが、当時は無視されました。 しかし数年後にイギリスのエドリアンがこれと同じ現象を見つけてノーベル賞を受けています。 エドリアンは後に本川博士が先駆者だったことを知り、シャッポをぬいだということです。 博士は更に研究を進めて、光と図形を用いた実験により網膜上で図形から誘導される未知のフィールドを発見し、これを『視場』と名づけて昭和24年に世界へ論文を発表しました。 ところがその4年後に今度はオーストラリアのエックルスが、網膜を形成する神経細胞には積極的な信号(興奮)を送り出すもののほかに、信号を打ち消す信号(抑制)を送り出すものがあることを発見してノーベル賞を授与されています。 本川博士の『視場』(誘導場ともいう)の発見は抑制という実体を突きとめる所までゆかなかったために一歩先を越されたわけですが、ノーベル賞級の発見であることに間違いありません。 とにかく「網膜が考える」ということは、網膜の細胞同士が横に信号を送り合って誘導場を作り、図形をくっきりさせていることを意味し、これは判断や思考の働きの基本形であるということになるのです。 以上でア氏の説が科学的に立証されていることがわかります。 アダムスキーがこのような科学に通じていたとは思えず、おそらく別方面から知識を得たのでしょうが、その情報源が何であるにせよ、精神面に関して最高の知識を有していたとみて差支えないでしょう。 彼はまた一種の超能力者であり、戦前は私欲を超えて多くの人を救っています。 人体に付属するあらゆるリセプター(受容器)の内、視覚器官が最大の働きをするといわれています。 私自身の体験や訓練から判断しますと、この器官−眼−がテレパシックな受信作用に対して最も大きな妨害をしているように思われます。 つまり私の限を形成する細胞がひどくエゴの心を持っていて、内部からわき起こる宇宙的な印象をキャッチさせないように威張り返っているにちがいないのです。 したがってときどき私は眼をしかりつけます。 「眼よ、エゴの心で物を見るな!」と。 私の耳も生意気なやつにちがいありません。 したがって耳の細胞群にも呼びかけます。 「勝手な判断をするな!」と。 こうした四官が相争っているというア氏の説明をバカバカしいことだと一笑に付す人もあるようですが、その場合はア氏の本を読んだ人の"眼"がそのような解釈をするのであって、その人の宇宙的な実体が解釈しているのではありませんから、軽べつするわけにはゆかないのです。 一体に他人を軽べつするということはAという人のセンスマインドがBという人のセンスマインドを軽べつしているだけのことで、宇宙的な実体同士の衝突でないことは、両方とも同じ生命を持って呼吸している現象でわかります。 つまり実体のレベルでみればみな同じ創造物なのであって、何の差異もありません。 一皮むけば万物が宇宙の意識(英知またはパワー)によって生かされていることに変わりはありません。 慈悲の法則が基本 ある人が今生で恵まれた環境に育って何不自由なく最高の教育を受けながら、しかも全く求道的精神を持たず、ある人は悲惨な境遇に生まれて逆境と闘いながら求道的な生活をするのはなぜか? これはすべて前生からのカルマによります。 カルマというのはもと印度の思想であって、それには動力因と質料因がありますが、ここでいうカルマは少し意味が異なって、原因と結果の法則を意味します。 いかなる原因にも必ず結果が伴うのであって、これは動・反動の物理的法則であり、万物はこの法則からのがれることはできません。 そして人間の行動が原因となるという場合、その原因のほとんどは想念が占めています。 想念も物理的な原因となるからです。 他人に対して肉体的な暴力を加えなくても想念において暴力的な要素があれば、それはいつか必ず結果となって現われて自分で刈り取らねばならなくなります。 なぜならセンスマインドが起こす想念は、それが良いものでも悪いものでも、公平なソウルマインドがすべて無条件に吸収して、それに見合った結果を実現させようとするからです。 人間はすべて法則どおりに生きています。 本人が気づこうが気づくまいが、人間や万物はすべて動・反動の法則に従って生きているのです。 邪悪な想念をもってだれかを傷つけようとすれば、それは法則によって必ず現実化します。 つまり法則というものは、人間の想念が邪悪であろうが善良であろうが、すべて受け入れて、そのまま実現させようとするのです。 こうなると想念ぐらい重要なものはありません。 結局、人間の運命はすべて想念によってきまるといっても過言ではありません。 このような動・反動の法則を良き方面で生かそうと思えば、「慈悲」が最高のすぐれた要因になるように思われます。 つまり自己の行為の基盤が"慈悲"であるならば、良きカルマだけをつくることになり、良き実を刈り取ることになります。 そして悪しきカルマを背負っている人も「慈悲」に徹した生き方に切り変えればそのカルマを解消して良き運命を持つことになるのです。 要約しますと、人間が良き運命を持とうとすれば、良き想念のもとに「慈悲」に徹した行為を続けなければならないということです。 これが「慈悲は法則を完成させる」という意味です。「慈悲」という言葉は「愛」または「親切」といい変えても同じことですが、語感からすれば「慈悲」の方が深みがあります。 「 慈悲」とは何か。 これは自己の想念と行為を万物に対して私欲なしに指向させることで、これはよく太陽にたとえられます。 太陽が惑星の万物に対して無差別にエネルギーを放射しているように、人間も万物に対して無条件にエネルギーを指向させれば、太陽と同じ宇宙的な存在となってきます。 宇宙の創造主の法則が「慈悲」であることはあらゆる現象で察知できますが、太陽と惑星上の生物の関係がこれを最も端的に現わしています。 太陽や惑星や知的生物の存在などを偶然と考えるのが科学的な考え方だと主張する人があれば、それはそれなりのカルマをつくることになるでしょう。 また、他の惑星に偉大な進化をとげた人類がいて、ひそかに地球を援助しているという説を真実と考えてもウソとみなしても各人の自由ですが、いずれの考え方をしてもそれなりに本人はカルマをつくっています。 人間は想念によって自分の運命をつくってゆきますから、いかなる想念を起こしても必ず何らかの形で結果が現われるのであって、これを絶対に避けることはできません。 まことに想念ぐらい重要なものはなく、これを無視して良き運命をつくることは不可能です。 想念観察の重要性はここにもあるのです。 想念観察というのはア氏が「テレパシー」や「生命の科学」でとなえた方法で、これは自身の内部に目を向けるくせをつけて、インスビレーションを感じやすくするための基礎練習になりますが、原因と結果の法則に沿って良き結果をもたらすための手段にもなります。 これは人間が宇宙的な存在になるための不可欠な方法なのですが、一般人はこのことに全然気づいていません。 何かこの地球というのはひょうびょうとしか冬眠の世界のようであり、盲目的な意志に支配されている暗黒の惑星のようでもありますが、来世紀になれば一大光明が輝くかもしれません。 しかしそれまでには多くの変化があるでしょう。(終わり) 問い:アダムスキー撮影の金星の円盤は電気掃除機を写したものだという説がありますが、これについては? 問い:ノストラダムスについてどう思いますか。 問い:ユリ・ゲラ一については? 問い:よく円盤研究の分野で、地球は遠からず破滅するが、宇宙的に目覚めている人は事前に宇宙人達が円盤や大母船で救出するから準備しておく方がよいという情報が出たりします。 これは真実ですか。 |
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