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新アダムスキー全集

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中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 光の子と闇の子のたたかい 久保田八郎

日本GAPニューズレター 第53号 より

ジョージ・アダムスキーの「生命の科学」を読んでみますと、最も重要と思われる個所として次のような節が目につきます。

1.「この大いなる英知と共に働くに際して友星人が用いる方法は、心のかわりに自己の意識でもって万物を観察することにあります。わかりやすくいえば、彼らは観察される個体があたかも自分であるかのようにその個体について意識的になるのです」(57ページ)

2.「ゆえに或る意味ではわれわれ人間は半分メクラなのであっで、つまり人生の半分だけしか生きていないのです。イエスはいっていますの 『死者に死者を葬らしめよ』と。これは死体を運ぶ棺の付添人は死体と同様に死んでいるという意妹です。棺の中の死体は生命にたいして無意識のまま横たわっていますが、それを運ぶ人たちも実は〃宇宙の生命〃にたいして完全に無意識なのです」(93ページ)

うえのうち1.は万物を見る際にすべては自分の姿が反映したものと観ずることをいい、2.は生ける人間も"宇宙の意識"に気づかぬ限り死人と同様だということを意味しています。これらをまとめますと、地球人というのは一種の迷妄の世界の中を何のあてもなく泳ぎまわっている魚みたいなもので、他の魚と衝突した瞬間だけ初めてその個体の存在を知るにすぎず、通りすぎればまたあてのない浮動を続けるようなものだという意味になります。このような状態になった根本的理由の一つは人間の生涯がただ一回きりで、死んだら自分のすべてが消滅するという考え方にあると思われます。これを是正するのは容易ではありませんが、科学がもっと進歩して転生の実態が科学的に実証されるようになれば、人間の思想に飛躍的な向上が見られるようになるでしょう。

しかし科学によらなくても直感的に転生の事実を知っている人がありますし、身近な現実の世界においても物事の結果を直感的に予知する人もいますから、科学的実証はなくても人間は直感カの増大によって万象の実態をある程度は感知することができるわけで、ここに1つの活路が見出されることになります。

コンピューターその他の科学的機械類の驚くべき性能を決して無視することはできませんが、個人の身にせまった危機を事前に探知する装置はまだ開発されていませんし、だいいち、人間の運命を予知する機械の発明はおそらく不可能でしょう。運命というのは四次元世界で描かれた青写真が展開するものと考えられるからです。この四次元世界と関連のある唯一のものは人間の想念であるということにまず間違いはありません。実にこの"想念"が青写真を描いて運命の源泉となるのであって、これ以外の何か他のものが一個人の運命を決定するのでないことは多数の聖賢の教えによらなくても自己の簡単な行動上の結果から帰納的に推理してもわかることです。

想念によって青写真が描かれて一つの運命が展開してゆくとすれば、それを感知するものは想念発生器官を兼ねる受信器官でなければなりません。どんなに高感度なラジオ受信機でもこればかりは不可能です。これをいいかえますと、個人の運命を作るものは本人そのものであり、自己の運命の結末を感知するのも本人自身であるということになります。たまにすばらしい超能力者がいて、他人の運命を予知することもありますが、危難をのがれるか予定のコースどおりに巻き込まれるかは本人次第です。たとえ超能力者のアドバイスによって一時的に危難をのがれても結局本人は自分で作ったカルマを果たしたことにならず、いずれは自分で清算しなければならない時がきます。

したがってやたらと超能力者に頼るのはよくないのであって、何といっても自分自身が超能力者になることが先決問題です。このためにこそテレパシー、透視力等の超感覚カの開発が必要なのであり、その方法を教えたアダムスキーの哲学書が重視されるわけです。

「今」という瞬間の重要性

「他人は信用できない」という言葉が一般化していますが、この真の意味は「他人のセンスマインドは信用できない」ということなのであって、ソウルマインドまで信用できないのではありません。しかし一般人はセンスマインドを人間の実体とみていますから、これが変化すればたちまち相手に失望します。これは両者とも誤っているのであって、メクソがハナクソを笑うたぐいです。つまりAがBを非難する場合、AのセンスマインドがBのセンスマインドを非難しているにすぎません。いいかえればこの地球上ではそれほどにセンスマインドに頼りきっているというわけで、これでは天国のような世界の実現はほど遠いことになります。

なぜある人々は墜落する運命にある飛行機に乗るのか、なぜある人々は大火災か発生する運命にあるホテルに宿泊するのか。この世には安全な飛行機やホテルは沢山あるのに、なぜよりによってそのような危険な運命にあるものに引きよせられるのか。これは本人が過去に描いた青写真どおりに現象の世界で具体化するのですが、宇宙の意識と一体化して予感カを発達させれば「行くな」という内奥の意識からくる声を聞きとることができて、その青写真を消滅させることが可能になります。

これはカルマの修正です。したがって人間は絶対的な宿命によってがんじがらめに縛られているわけではなく、向上の機会はいつでも与えられています。「いつでも」というのは「今」という瞬間を重視することを意味するのであり、30年後、50年後ではありません。「今」という瞬間に自分は大変化をとげようと決意してそのように自己訓練を開始するならば、そのときから新たに宇宙的な前進コースの青写真が描かれて、それが現象の世界に展開してきます。本人が設定した輝かしいカルマを果たす道が開かれてくるのです。こうした積極的な変化をとげないでいてある日突然にテレパシックな超能力が身についてくることはあり得ません。やはり想念印象の観察、他の個体との一体化の練習、その他の自己訓練をたえまなく行なうことによって次第に感知カが開発されるのです。論戦などの言葉の遊戯に終始しているだけでは百年河清を待つことになるだけでしょう。

知識と感性とは別

アダムスキーの哲学の要諦は「内部からくるインスピレーションに従って生きよ」に尽きます。インスピレーショソといえば普通「霊感」というような意味にとられて、心霊的なものと感違いされやすいのですが、ここでいうインスピレーショソとは「内奥の意識から洩らされる指令」というほどの意味であって、心霊とは関係ありません。要するに直感によって誤りのないスムーズな生活をしながら他人を助けて、この世界を住みよい社会にしようというわけで、そのためには万事を知っている内部の意識に頼り、意識からくる情報に従おうということを意味します。

大体に人間は精神的に進歩すればするほど直感カが向上するのであって、きわめて豊富な語彙をもちながらもテレパシックな感受力がなければ、結局は語彙をもたない人と実質的に異なりません。自分の行動の結果を適確に予知できず、やはり迷いに満ちているからです。ここにおいて知識と感性とは別物であることがわかります。もちろん知識はなくてもよいという意味ではありません。ただ従来の人間の生き方が知識本位であって、感受カの開発に主体をおいていない点を指摘したにすぎません。

自分自身とのたたかい

インスピレーショソが泉の如くたえずわき起こって失敗のない生活ができるようになればどんなにすばらしいことでしょう。これは決して不可能事ではありません。そのような人が現実に存在するからには、万人にその可能性が潜在しています。必要なのは、必ず可能になるという鉄のような信念とすさまじい忍耐カを基盤にした自己訓練です。忍耐とはオケラ道徳だという人がありますが、私の経験によれば貧弱な語学カを身につけるだけでも数十年にわたる相当な忍耐力を要したことを思えば、一般人の思いもよらぬ超能力的感知カを開発するのが生やさしくはないことがわかります。

そうなると一つのたたかいが始まります。光の子(ソウルマインド)と闇の子(センスマインド)とのたたかいです。怠惰なセンスマインドを何とかしてソウルマインドのもとへつれもどそうとするたたかいであり、これは自分自身とのたたかいでもあります。もちろん公害その他の社会悪を是正するための具体的活動も必要ですが、これぷセンスマインドから出る感情的な行動になっては、かえつて悪しきカルマを作ることになり、悪循環をくり返すことになります。その場合にいかなる行動に出るかは内部の意識からもたらされる知恵に従うことが大切です。

一体にこの世では何をやっても生やさしくはありません。他人からの援助だけを頼りにしていては失望をまねくだけです。むしろ他に対する援助の方向に動いてこそ救いがあります。

質疑応答

私は現在大学にかよっていますが、アダムスキー氏の深遠な哲学に触れてから学校の授業がいやになり、勉強をするのがばからしくなって気がすすみません。これについて意見を聞かせて下さい。(一学生)
今までこれに類した質問を何度も受けましたが、その場合私の答はきまっています。「学問を無視してはいけません。通学できる経済的余裕があるのなら勉強を続けなさい」地球では種々の複雑なシステムにより、何かの職を得て働かなければ生活できない仕組になっています。いくら高度な思想を身につけても働かないでジッとしていれば、しょせんメシが食えません。その意味でもなるべく高度な知識と技術を身につけることが必要で、そうでないと就職しても職場で役に立たないことになり、対社会的な奉仕活動を行なうのも不十分になり、成果があがりません。特技をもたぬ何もできないドンキホーテにならないことが肝要です。私がささやかながらも多年GAP活動を続けてこられたのは、会員の方々のご援助は別として、基本的には語学その他の勉強を猛烈にやったからであり、また本誌のような本来ならば高い費用のかかる高級なオフセット印刷物をわりに費用をかけないで刊行できるのも私がみずから和文タイブライターを操作してオフセットの版下(はんした)を作るからです。つまり私は翻訳者とタイピストと版下製作職人をかねて本誌を作っているのです。タイブ打ちの技術などはまったくの独習によるものですが、このささやかな技術がGAP活動で絶大な役割を果たしています。ですからせっかく学校へ行ける恵まれた環境にあるのなら、しっかり勉強して専門家になることを心がけて下さい。まず大地に足を着けた上での宇宙哲学であって、この世界を生き抜くカをもたないで深遠な思想ばかりに熱中してもはじまりません。特に若いうちは猛勉強を続けるべきだと思います。大いにがんばって下さい。
私は半年ばかり宇宙哲学の勉強を続けていますが、どうも意味がわからないのか、これまでどおりと変化がないように思います。また想念観察の意味もよくわからず、実行ができません。それでもなぜかアダムスキー氏の著書を読まねばおられない衝動にかられます。何とかしてこれらすべてを理解して実行したいのですが、よい方法を教えて下さい。また、想念観察をすれば狂人になるという人がありますが、ほんとうにそうなるのでしょうか。 (一会員)

アダムスキーの哲学(哲学というより法則と呼ぶ方が適切ですが)を実行する際に根本的に重要なのは、万物一体感を腹の底から感じるように自分の目につくあらゆる物を自分の肉体の一部分であるかのように見る訓練をすることにあります。生物、無生物を問わず、およそ物体を存在せしめているのは宇宙の意識ですから、すべての物は本来分離しておらず、"意識"によってつながっています。このことをただ頭の先だけで考えないで、腹の底からフィーリング(感覚)でもって感じるように自己訓練をするのです。あせらないで、ときどき分離感が起こっても失望することなく忍耐強く訓練すれば、いつかパッと目が覚めて、あらゆる物に対して何ともいえない親近感がわき起こる時がきます。その瞬間こそフィーリングによって一体性を感じた瞬間です。これを持続させますとインスピレーションがわき起こり始めて、自分の内部に大きな変化が発生しつつあることがわかります。

想念観察は良きカルマを作るためにも非常に重要な方法です。つまり分裂感情(憎悪、怒り、悲しみ、失望等)をハリでついたほども起こさないようにたえず自分の想念印象を監視するのです。そのためには小型ノートを常時携帯して、宇宙的想念と非宇宙的想念(エゴ)の二種類に大別し、自分の心中にわき起こる想念をかたっぱしから記録していって、それを分析と反省の資料にするのです。このようにして記録をとらないと進歩はむつかしく、ただ漠然と人間は神の子なのだと考えているだけでは発達は望めません。決して楽な方法ではありませんが、現実の人生がきびしいのと同様に、こうした精神的自己訓練にもきびしさが要求されるのであって、それに耐えるカが必要です。

想念観察をやれば気違いになるとか自分を一定の状態に縛りつけることになるという人もありますが、これは完全に理解を誤っています。ヴントやジェームズらによる初期の内観心理学もやはり想念の観察から出発しており、これがあらゆる心理学の基盤をなしています。むしろ想念観察法を知らない、または心理学のシの字も知らない一般人がセンスマインドによる何かの概念にとらわれて自分を縛りつけているのであって、だからこそだれもが"自由"に対する憧憬をもつのであり、それゆえに"解脱"を求めようとするのです。しかし一般人は自由になれません。なぜか? それはテレパシックな感受刀をもたないからです。したがって「一寸先は闇」という盲目の状態で不安なままに生きています。たとえば動物ー特にネズミ、小鳥、ウナギなどは大地震を事前に感知する予知能力をもっていますが、少数の特殊な人を除いて一般人はこんな能力をもちませんので、みずから悪しきカルマを作つて大災害に巻き込まれたりします。これこそ自縄自縛でなくて何でしょう。

しかし地球上の人間全体が一種の狂った状態にあるとよく識者がいったりします。これはセンスマインドだけで生きているからにはかなりません。そのセンスマインドによる生き方が正常だと思い込んでいれば、有史以来あまり多くの人が試みなかったと思われる想念観察という方法はひどく困難に思えて、少しでも続ければわずらわしくて気が狂ったような状態になるでしょうから(そういう報告もあります)、想念観察は人間を狂人にすると考えるのも無理からぬことです。これはちょうど鋭敏な感覚をもつ野性の動物を人間が家で飼いならすと次第に能力を失い、あとで原野へもどされると狂った状態になるのと同様です。

ですからセンスマインドに安易な生き方だけを選ばせている人の言説にまどわされないで、偉大な哲人の真理の言葉だけを読み、雑音に耳をかたむけることなく自己訓練を続けることが大切です。言葉で語られたことを言葉でけなすのはだれにもできることで三文の価値もありません。だれにも容易にできないことをみずから実行してこそ価値があり、そして報われるのです。鉄のような強固な意志をもって続けて下さい。

近い将来世界的な大変動が発生して大部分の人類が死滅するけれども、目覚めている人は事前にスペースプラザーズから円盤や母船によって救出されるという情報があります。これについては?(一会員)
この場合の大変動というのは諸大陸の沈下などを意味するものと解してのことですが、局地的な大地震、大洪水などは起こるかもしれませんが、大部分の人類が死滅するほどの大変動が遠からず発生するとは考えられません。しかも万人に対して公平なはずのスペースプラザーズが一部の人だけを救出して他を見殺しにするとは「自分たちのいうことを聞く者は助けてやるが、開かない者は勝手にしろ」という地球人のエコヒイキと同じことになり、何のことはない地球式センスマインドを一歩も出ないことになります。世の終滅説は昔からあったことで、めずらしくはありません。人間の恐怖心を巧みに利用したニセ情報に注意する必要があります。
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