1969年8月の或る夕方、私はフランスの西中央地帯に位置するポワチエの北東数マイルのビニューにあるシャトー・ド・マルタンに住んでいる義兄を訪問中であった。2人は全体的に異常な現象、特にUFOについて話し込んだ。ところが話しているうちに私の姉が次のように語り出すのてある。それより数ヶ月前の或る夜、彼女はシャトー(アパートか?)の管理人メンゴー氏が公園内に入り込んで、馬を追いかけている何か光る物を見たのだとその妻君が言ったという。
これを聞いて私は即刻管理人に詳細を聞きだした。まず始めに、私は破から正確な日時を聞き出すのにいささか困難を感じた。メンゴー氏は日時の記憶をまるで持たないのだ。しかし徹底的な質問によって、それは義兄とシャトーの所有者が両方共不在であった或る夜に起こったことが確かめられた。こうして問題の事件は冬の終り頃、多分、2月中に発生したと決定することができた。それは月のない夜で、1969年の2月16日頃に起こったと思われる。
闇夜だったその夜、管理人は自宅の台所にいた。そのとき馬たちが(正しく言うと牝馬3頭と子馬2頭である)公園の中で走りまわっている音を聞いた。そこで外へ出て、シャトーの階段の頂上の所を数歩歩いたあと馬達が全速力で走り過ぎるのを見た。すると、すると彼の注意は激しく輝く一対の目に引かれた。それはヤプと馬囲いの垣の間にいるのだ(図を参照)。
馬をおびやかしている奴の正体を見きわめようとして彼はシャトーへ引き返して銃を持ち出し、それから(暗黒のためにかなりな困難があったが) シャトーの周囲を一巡した。次に再び走り廻っている馬たちを見たが、馬たちは狂ったよう夜サーカスを続けている。そのとき馬は普段なら脚を傷つける危険のために入らないようなヤプを突き抜けた。ちょっとのあいだ彼は(ほんの瞬間的だったが)馬たちを追いかけている或る影が存在するという印象を受けた。そこで彼はもし襲撃者がいるのならば、それをおどして追い払おうと空中へ数発発射した。しかし動物たちがまだ落ち着かないのを見て、彼はついにべッドへ帰ることにした。
翌朝(姉がこのことを確証したのだが)馬たちはまだ騒いでいた。馬囲いの垣にかなりの損傷があったのに管理人が気づいたのはその時である。問題の垣は太いクイて出来たきわめて頑丈なものである。私がそこへ行った時はまだこわれたまままだった。そこで私は10個所以上も打ちこわされたことを自分で確かめることができた。それでメンゴー氏に詳細を続けるように頼んだ。
彼が見た"目"というのは非常に青白くて、特に輝く緑色で、その距離から見えたとすればかなり大きかったに違いない。フランス植民地部隊にいたことのあるメンゴー氏はこの目"を「トラの眼のようだが、非常に輝いていた」と述べている。
我々がかなり正確にたしかめ得たことは、その"眼″は地上約1メートル15センチ位の高さにあったということ、すなわち私のベルトの高さ位である。惜しいことにメンゴー氏はその"目″を持つ"未確認"怪物の顔の特徴を述べることができない。というのは、すでに述べたようにその夜は特に暗い夜で、加うるにその"目″は公園全体の中で最も暗い場所と思われる所にいた。
私は足跡を求めて公園を探索したがだめだった。もちろん次の事が銘記されねばならない。すなわち、問題の場所は通常人が殆ど歩かない所で、事件は数ヶ月前に起こったのだから、足跡その他の痕跡は雨や雪でとっくの昔に消されてしまったのかもしれない。
メンゴー氏はきわめて自然な口調で事件を述べた。「そうですな、私は自分が見た物をそのままお話しているんです。その正体を知っているかのご質問については・・・そうですな、全然わかりませんね」。そうは言うものの彼はそれが道に迷った犬だという説にははっきり反対する。あの場合の馬の反応としてはむしろ侵入者をけとばすかもしれない(管理人の犬も最近このひどい経験をした)か、またはこの種の危険から静かに逃走するだろう。
メンゴー氏にUFO関係文献に対する特別な偏好があったとは思えない。我々の話中に彼の息子がわり込んで言った。「多分火星人だったんだ!」だが父親は耳をかたむけたようには見えず、常識人にふさわしく手を振ってその憶測を無視した。
この調査を始めてから数日後、地方紙の"サントルプレス(1969年8月22日付)に出た或る記事が偶然目についた。それはポワチエの古い伝説を扱ったもので、"ムーリエールの森の怪物″と題してある(シャ卜ー・ド・マルタンはこの大きな森の南西端のすぐ内側にある)
次にその全文を掲げることにする。
ムーリエールの森の怪物
むかしはポワチエ地方では多数の住民が、夜間、特に一年の或る時期に雲の上を奇怪な動物がスイと飛ぶのを聴いたり見たりできると考えていた。彼らはそれを"狩猟ギャラリー"と呼んでいた。
1830年頃、ムーリエ−ルの森の猟場番人が特別に成功したオオカミ狩りのあとで、数名の友人と共に一夜楽しく祝っていた。真夜中に、この愉快な"たんまり飲めた"宴会のあとの余力をかって猟場番人はこころよい気分で森の中を家路についていた。空には星々がきらめき、二月の夜は寒さもひとしおきびしい。
リコション(これが彼の名前である)は弾丸をつめた銃を肩にしていた。そして歩きながら、近くに現われるかもしれない有害な動物を警戒して目を開き続けていた。一時的な一杯きげんの状態にあっても、生まれつきのハンターの感覚を失うようなことはなかった。
森の中の小さな自宅から遠からぬ地点にさしかかったとき、突然コーモリが飛ぶのに似たはばたきの音を聞いた。「ははあ、狩猟ギャラリーだな!」 とひとりごとを言う。
したたか飲んだ上等なワインで大胆になった彼は言った。「魔王のシカならいい標的になるぞ。とどのつまりは近づいて見とどけてやるからな」
突然、濃い黒雲が星明りを消すと同時に奇妙な耳をつんざくような音が聞こえた。銃を肩にあてて彼は黒いかたまりをめがけて発射した。恐ろしい悲鳴が響きわたると、力を失ったかたまりが足下に落下した。恐れおののいたリコシュンは一目散に家へ逃げ帰り、戸をバタンとしめてかんぬきをかけた。
生涯でこんなにこわかったことはい。完全にわれに返ってから彼は一体何がどうなったのか思い出せない。ただ悪魔が放った怪物一匹を射っただけだ。その復讐は恐ろしいことになるだろう。森の中でただ一人、何の助けもなく一体どうして危険をのがれることかできたのだろう。彼は言った。「ようし、もしおれが今夜を全く安全に切り抜けられれば、聖水やキリストはりつけ像や聖母像や聖ラデゴンド像などを買いに、明日はまっすぐ町へ行こう・・・」
この固い決意によっていくらか勇気が出てきた。彼は祈りの言語をとなえたが、些細な物音にも震えて、あの恐ろしい怪物、すなわち悪魔が眼前に現われるのを待ちかまえた。
こうして心底からの苦しみのなかで夜明けを待ったが、夜が明けるまでに飛び出そうとはせず、明るくなったら自分が射った怪物を見つけることが実際にはできなくなることを望んでいた。
しかし家を数歩出たとたんに全身が震え出した。今や血の海の中に横たわっている恐怖の怪物を見たからである。
やっと平静さを取りもどしてから彼は怪物が結局完全に死んでいるのがわかったが、やはりびくびくしながら注意深く近寄っていった。手足が震える。たしかにこいつは黙示録のケモノにちがいない!
さてこの怪物をどう処置すればよいか。これは実際大きな問題だ。地中へ埋めてだれにも内緒にしておこうか。だが残念だ!おれの手柄は人に聞かせるほどの価値があるのに・・・。
間題をしばらく考えてから彼は自分の最も大きな荷車に馬を着けて、獲物を荷車上に載せるために持ち上げようとした。この難事はちょっと頭を働かせて一種のウインチを使って完了した。
この骨折り仕事が終わってから彼はケモノの死体をワラて覆い、ポワチエに向かって出発した。
最初馬の脚はひどく震えたので殆ど動けなかったが、数回強くムチをあてると、まるで何か危険な状態から脱出しようとするかのように全速力で走力始めた。
やっとリコシュンは目的地たる警察へ到着した。警察署長は怪物を見て猟場番人にだれにもしゃべるなと命じた。その結果半分ほど自信ありげに彼は、だれに対してもこの"ケモノ"が恐ろしい人間の顔をして巨大をツノをはやしていたと述べたてた。
この怪物はどうなったか? ミステリーである! しかしそうだとしても、噂がポワチエの町に広がって次のようなことわざが生まれた。「リコシュンのケモノのように醜い」
以上の話からどのように結論づければよいか?この不思議な事件にはただ一つの確かな点がある。すなわちシャトー・ド・マルタンの地所の馬は何物かに恐怖したということである。少なくとも馬に関する限りでは普通ではなかった。この"何物か"はあの不思議な緑の目の"所有者であったと推測するのが妥当と思われる。
この怪物″とポワチエの伝説の怪物とに関連があるかどうかも疑問である。しかしそれは別として、私に言わせれば、そうだと答えることに疑問もない。ゆえにただありのままを伝えておくだけにとどめよう。
(終わり)
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