これはきわめて重要な記事だということがわかるだろう。というのはこれはアルゼンチンの隣国ポリビヤから出た最初の宇宙人記事であるのみならず、イタリアのエンジニアたるジャン・ピエトロ・モングッチによって1952年7月31日にべルニナ氷河で撮影された人間らしきものに、いろいろな点で著しくよく似ているからである。
遭 遇
ポリビヤ南西部のヴュニの近くの小村オトコで、夕方6時にバレンチナ・フローレスというおかみさんが、羊とラマの群を家畜囲いへつれ帰ろうとして外へ出た。このラマは農場から1キロ離れた場所にいた。
彼女はすでに囲いの中へ羊を入れたので、ラマたちをつれて再度帰途についていた。その時羊囲いがプラスチックに似た材料の奇妙な網で覆われているのを見て飛び上がらんばかりに驚いた。しかも囲いの中で身長1メーナル10センチ位の不思議な人間が動きまわっているのだ。この者は端にカギのつい管状の道具で羊を殺していた。
羊ドロボーに違いないと思った彼女は怪人に石を投げつけ始めた。すると怪人はラジオに似た小型器具の方へ歩み寄り、その上部の輪を廻して急速に網全体を引き寄せた。
このときまでフローレスおかみさんはコン棒を手にして囲いに近づき、打ちのめしてやろうと思っていた。すると怪人は羊を殺したあの鋭い道具をもって彼女の方にたちむかってきた。相手は数度おかみさんをめがけて道具を投げつけたが、そのたびに道具は典型的なブーメラン運動を行ない、彼女の腕を切りつけては急速に相手の手許へ帰ってゆく。だが切り傷のどれもひどいものではなかった。
やがて怪人は網を吸い寄せた例の機械と、多数の羊の臓器を入れていたプラスチックのような袋を急いで寄せ集めた。怪人のリュックサックの両側から2本の延長物が飛び出る。しこれは地面にとどいた。するとただちに怪人は空中へまっすぐに上昇を始めて、すさせじい音響を発しながら消えて行った。
調 査
この事件が近隣に知られるや大騒ぎになった。特に極端に恐れてこの話の中に未来の惨事の前兆を感じた田舎の人々の騒ぎは大きかった。
ロヘリオ・アヤラ陸軍大佐、その息子のパブロ、アルフレド・アンプエロ中尉、カルロス・コソ中尉、ホアン・セア博士、地元警察署のヘスス・ペレイラ氏らは、即刻公式夜調査を開始して、目撃証人に対して徹底的かつ詳細な尋問を開始した。
一同は34頭の羊が殺されて、そのどれも消化器官の或る部分がなくなっている事実をつきとめたのである。みんなの意見によると、プローンスおかみさんは正直な人で、確かに異常な物を見たのだということになった。アヤラ大佐の息子が怪人に関する彼女の説明を聞いてすぐれたスケッチをし、それが地方新報クリテイカの記事中に載った(右図)。
モングッチ事件との類似点
パブロ・アヤヲのスケッチと、モングッチが撮影した宇宙人写実とを比較してみると、次の5ヶ所の類似点があることがわかった。 (注:モングッチ事件についてはあとの付記を参照)
1. |
どちらの怪人も背中に長方形の物休を背負っている。 |
2. |
両方とも背中のその部分から"アンテナ"が突き出ている。 |
3. |
両方とも衣服が厚くてかさばっており、特に足はそうである。 |
4. |
両方とも右手に小さい管型の道具を持っている。 |
5. |
両方とも頭部は一種のヘルメットをかぶっているように見える。(ただしモングッチ事件の怪人は海底探険の際に使用する水中メガネに似たメガネを着用している) |
以上の類似点は明白であり注目に価すると言っていい。
セニョーラ・フローレスは初等教育を受けただけの人で、ゆえにUFO関係の文献を通じてモングッチ事件を知るようになったとは殆ど考えられない。(UFO文献もポリビヤでは殆ど見当らない)
それでもなお彼女はインチキ物語をでっちあげて、自分の羊を34頭も殺すことによって物語の裏付をしたと考えられるだろうか? 私の考えではそういうことはあり得なかったと思う。というのは、このような小農家の主婦の如き下層階級の人が、束の間の売名のために唯一の生計の資源である羊を犠牲にすると考えるだけでも全然問題外であるからだ。当然羊は羊ドロボーによって殺されたにちがいなく、そのあとの話は彼女がねつ造したと考えられぬこともない。
だがそうすると、動物そのものを盗まないで、ただ臓物だけを引き出した奴らというのは何と奇妙なドロボーだろう? とすると何かの野獣によってなされたのだろうか? しかし野獣が他の動物の腹をあのようにきれいに切り開くことができるだろうか? それはナイフのような鋭利を道具で切られたかの如き印象を与えているのだ。
それとも近隣の農民による報復行為だったのか? しかし凶悪な下手人を逮捕させようとして当局へ訴えるのならともかく、とんでもない事件をでっちあげるというのは、このような報復行為の被害者として合点のゆく行為ではなさそうだ。
最後に一つ。以上の可能性のどれかをわれわれが認めたとしてもやはり次の事を認める必要があるだろう。つまり初等教育と、文明からの実質的な隔絶にもかかわらず、フローレスは現代の空想科学小説の最も大胆な空想のレベルに充分に達しているような材料を作り出すことが可能な豊かな頭脳を持っているということである。
注 釈(ゴードン・クレイトンによる)
私はモングッチの円盤写真が机上のトリック撮影による下手な作品だということに全く納得しなかった人にまだ出会ったことがない。みんながその写真をインチキだと思っているばかりでなく、そのことがわかっているのだ。
しかし個人的に私はモングッチ写真をどうもホンモノのようにいつも感じていた。それで今非常な関心をもってジョン・キールがFSR(フライング・ソーサー・レビュー)誌1969年9・10月号の"すぐれた科学技術"と題する記事の脚注で次のように述べている部分を引用する。
「殆どの研究家と同様、私も最初はモングッチの円盤写真をトリックと片づけたが、ヨーロッパの消息筋から多量の情報を集めたり、写真をプロ写真家に慎重に検査させたりした後、その写真がホンモノであったかもしれないというチャンスがあると思っている。雑誌"トゥルー"の臆病な編集者連も独自にこのことに同意して写真の一枚を掲載した」
類似点にはたしかに注目すべき点もあるが、ポリビヤの怪人が身長1メートル10センチ位と述べられているのに、モングッチはベルニナ氷河で見た怪人は見たところ普通の人間の大きさであると判断したと断言している。ゆえにどうやらこの2つの事件は同じタイプの人間とは関係ない。
モングッチ事件
ジャン・ピエトロ・モングッチはモンツァ製鉄所の30才(当時)になる技師で、イタリヤ・エジソン協会の会員でもある。彼の話によると次のとおりである。
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▲モングッチ撮影の円盤写真。 |
1952年7月31日に彼は妻と2人でアルプスのベルニナ山峰(イクリヤ側)のケルケン氷河付近を登山していた。突然2人は約100メートル離れた氷河の支流の縁の所に空飛ぶ円盤が着陸するのを目撃した。夫人はひどく恐怖して、夫にむかって物体へ近寄るなと言ってしきりに引き止めたので、彼は近づくかわりに写真を撮り始めた。2枚の写真を撮ってから1人のパイロットが出現して、歩いて機体の周囲を1周した。どうやら機体を調べているようだった。モングッチは更に3枚撮影した。すると間もなく円盤は無音で上昇して飛び去ったが、その時更に2枚を撮った。
モングッチはその写真類を現像焼付した。1952年7月27日にワシントン市で発生した有名な円盤騒ぎはこの頃のことである。それでモングッチの物語が広まるや彼はイタリヤや外国の記者から取り巻かれた。彼の写真を売ってくれというすさまじい申出があったが、その結果みんなが写真の信憑性に疑惑を表明した。しかも私立探偵たちまでが彼の私生活を詮索し始めた。あるアメリカ人はベルサッリェロ (イタリヤの或る有名な連隊の隊員)として変装し、モングッチを洗脳して矛盾によってその事件を破壊しようとした。
このようなやり口のためにこりたモングッチはだれにも会わないことにした。その後熟考した末、彼は写真の権利をローマの権威ある雑誌"エポカ″に売った。同誌の経営陣はモングッチの手記を掲載する際は写真もー緒に載せると確約したのである。ところが写真は発表されたけれども手記は載せられず、しかも写真の説明に、これはモングッチがミルク鉢とオモチャの兵隊を使用したトリック写真だとあるのを見てショックを受けた。
1957年にモングッチはこのひどい"いたずら"のために自分の職を失ったことをアルベルト・ベレゴ博士に語った(注=ペレゴ博士はイクリヤGAPリーダー)。モングッチの上司はエジソン協会の会長であり、その協会からも除名された。
彼の円盤写真のデータは次のとおりである。カメラ:コダック・レチナ1型、レンズ:シュナイダーF35、絞り:8 500分の1、フィルム:フェルラニヤ21
編者注:モングッチの円盤写真はローマの"エポカ"誌が買い取る前にすでにスイスGAPリーダー、ルウ・チンシュターク女史が入手して各国GAPへ発表していた。その公式な紹介記事はFSR誌1958年9・10月号に"モングッチ、世紀の円盤写真を撮影"と題して掲載されている。しかし当時これはインチキだという見方が強く、円盤研究界では殆ど問題にされなかった。ただルウ女史だけが各方面へ弁護記事を送っていた。同女史の調査によると絶対に真実だというが、円盤の中央部とパイロットの背中からアンテナ様の棒が突き出ているのが如何にもトリック然としており、それが大方の疑惑を招く原因となったようである。しかしベテランのゴードン・クレイトンも注釈でホンモノらしいと述べており、ジョン・キールもそのように言っているのは興味深い。
(終わり)
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