質素な暮しをしているジャルマン・ティシ−氏は初等教育しか受けない人だが、それにもかかわらず心中にきわめて鮮明に残っている体験の思い出について実に正確な説明を楽々としてくれた。彼は人生において何度も危険に遭遇した人である。彼のすぐれた肉休的なカが大変なものであるのと同じほどに大変な危険に遭遇したのだ(彼が1940年に、8名の将校と2名の下士官兵から成るフランス空軍の特殊小隊の隊長として選ばれたのは、この個人的特徴のためである)。
こういうわけでティシー氏はがっちりした恐れを知らぬタイプの人である。
彼の率直さと正直は自明であり、また自分を正確に表現する注意力が相当なものであることも自明である。話をでっちあげるような人でないことは全く明らかで、彼の望みは目撃した事件を見たとおりに正確に簡単に率直に述べることにある。そのことで有名になろうとは決して思わなかった。周囲のだれに体験を話しても信じてくれないだろうし、至る所で嘲笑の的になるだけだということを本能的に感じたので、実際は10年間にその体験については4名の人(妻、息子、息子の嫁、職場の同僚)に話しただけである。
狂人の夢想家とみなされるのを極端にいやがっていたが、それでもだれかまじめな研究者が見つかれば、その不思議な休験は相手の興味を引くだろうと確信し続けていた。何年ものあいだ、誰に頼ればよぃか迷っていたが、ついに或る日GEPA(注=フランスの円盤研究会の略称)の存在について新聞で読んだのである。
事件は1960年の4月または5月上旬の夜間に発生した。ティシー氏はその当時フランスのビュイドドーム県の或る村で製パン屋をやっていた。問題の夜は毎夜のとおり村の高台近くにあるパン製造所で生パンをこねる仕事をしていた。その場所の最も高い建築物 - 村の教会 - が近くにあり、以前には定期市に用いられた大きな坂の広場をへだててパン製造所と離れている(目撃者のちょっとしたプライバシ−を保つために、村の名は洩らさぬことにしよう)。
事 件
朝の2時頃だった。彼が生パンの仕事で働き続けていたとき、突然異様な音を聞くと共にあらゆる種類の色光が窓越しに製パン所の中へ輝いた。数秒後に彼は外へ出た。ドアーはすでにあけてあったからだ。すると前方、古い定期市広場のまん中に、彼の所からは上り坂で教会の下の所に、一個の巨大な物体が地上に立っていた。
この物体の下に機台があったが、これを彼はアコーディオンのジャバラにたとえている。この物が左側に(坂の下り側を主にして)伸び始めたので、その大きな物体は - 最初は坂の地面と同じく傾いた姿勢で横たわっていたが - 今や水平な姿勢になった。彼は物体から出てくる強い騒音の中に或る金属的な音が鋭く割り込んでくるのを聞いた。するとハシゴが物体の右手から降ろされた。
きわめてからだの小さな人間らしい姿をした生きものがハシゴの三段を降りて地面におり立ち、パン工場よりも目撃者の少し右よりの方向へ歩き始めた。一方、一種のホンモノの竜巻が物体から吹いてくる。いわば強烈な風で、温かくて刺激の強い風であることが主として彼の左ほおで感じられる。どうやら物体かその一部が反時計方向に廻っていることを示すらしい。
ジャルマン・ティシーはすぐに大変な物を見ていることに気づいて、直ちに空飛ぶ円盤に関する有名な話を思い出した。それについては数年前に新聞に多くの記事が載っていたのだ。どういう態度をとるかをきめるのに全くためらうことはなく、物体からの強風にもめげず - それは全く障害となったが - 相手を捕えてやろうという強い意志を起こして侵入者の方へまっすぐに歩き始めた。
「その小僧を捕えようと思ったんだ」
怪人の様子
彼が小人だというその生きものは、よく均整がとれて、実際すてきな身なりだった。小さ夜長グツ、ぴったりと身についたズボン、前側でボタンのかかった一種の薄緑色のジャケット、同色のヘルメットなどを身に着ている。怪人の右端にはまがった剣のサヤの如き物がつり下がっていて、そのツカははっきりと見える。
この細部は(大気圏外からの訪問者といってもあまり安心はできない - だが地球の宇宙飛行士だってほとんどみな軍人ではないか) ティシー氏を全然おびやかしはせず、小人の方へ進み続けた。ところが小人が彼を認めるやいなや、長いチューブを彼の方に向けた・・・。
「消防士のトーチのようなチューブだ」とティシー氏はいう。このチューブが強烈な光線を放射してティシー氏の胸と頭にあたったら、突然彼は全く呼吸困難になった。すでに左ほおを打つ熱い風でめまいがしているのに、今度はこの光線で目がくらみ、両肺がほとんどマヒしたように感じるのだ。思わず顔に両手をあてて頭を下げたまま怪人の方へ前進を続けた。
このときパン屋が顔や両腕を紛だらけにしてまっすぐに前進する光景に相手は恐れをなしたのだろうか。とにかく怪人は廻れ右をしてハシゴの方へもどり、円盤の内部へ消えてしまった。アッという間に小さをハシゴも消えて、"金属のドア一に大きな太矢が放たれると発するドカンという音" のような金属的な音をたてた。急速に物体は30メートルばかりの高さに垂直に上昇してヒューという音を出し始めると、やや波状の水平飛行で南方へ急スピードで飛び去った。月光によってティシー氏はこの物体が空中にいた似たような物体群と合流して、その後全機が一緒に飛び去るのを見た。
物 体
ティシー氏の話は全く正確である。物体の全体的な形は子供の回転コマに似ていて、幅は10ないし15メートル、高さは5メートルあり、コマの心棒にあたる所に一連のジャバラ装置があった。物体から少し下り坂の所にいたため、目撃者はその上部がよく見えなかったが、上半分と下半分は全く異なることを完全に知ることができた。上半分は透明な面で成っているらしく、急回転しており、その表面に4列の固定された光る管があって、各管は約50センチの長さで、ネオン管に似て、互いに長さと等しい距離をおいて取り付けてある。一列は黄色で、次が赤、三列目は青だ。この光る管の配列によって機体の周囲に多彩の光の波ができてぃた。
怪人の外観
小人の顔は人間の顔付きをしていたが、機体から出る強い風と光線のために妨げられて、顔の細部またはその表情を見ることはできなかった。
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▲フランスの円盤誌"フェノメス・スパシオ"に掲載されたスケッチの写し。 |
小人のヘルメットはツバとアゴヒモの付いた消防士のヘルメットのようだという。小さな怪人は表面に4つの箱のついたベルトをしめていたが、その箱をティシー氏は弾薬ごうとみた。彼はこの"弾薬ごう″に符合する鉄砲を見なかったことに驚きさえした。もっとも、拳銃を携帯する円盤パイロットが出現するとしたら、ちょっとしたオドロキだ。ただしその意味ですでに一つの報告があるけれども - (1954年のユジヴァリ氏の目撃談)。その他、宇宙人がベルト上に小箱を着けていたと数例が報じている。
小人に関するティシー氏の話で最も奇怪かつ可愛らしくない部分は、怪人の右腰につられていた、ツ力付きのとがった剣のサヤである。だが目撃者が考えるようにほんとに剣だったのだろうか?
今日われわれにとってコン棒や古代の投石器や17、8世紀の筒先の太い銃が役に立たないのと同様に、剣はもはやさほどの軍事価値を持たないものだが、それでもまだ世界中の軍隊で象徴的な - 人は飾り物だというかもしれない - 価値を持っている。あるいは小人は正装の軍服を着ていたのだろうか?
注 釈
実際に剣だったとしても、奇怪な小人軍人はティシー氏の接近から自分を守るためにそれを使用する必要はなかった(ティシー氏の意図は必ずしも親切この上ないものではなかった!)。なぜならその地球人の接近を妨げるには、右手に持っているチューブを用いればよかったからだ。白色の光線は輪郭が鋭くて目がくらむほどで、目ぎわりだったという。ここでもしばしば報告されてきた非分散性光線と関係があるようだ。
「その光線は完全な直線だった。光は散らなかった」と氏はいう。この光は彼を窒息させたが、ほんとうのマヒを起こしたのではない。彼は両手で顔を防ぎ、歩き続けることさえできたからだ。
この事件の或る特徴(複数)は他の円盤目撃を思い出させる。物体周囲の旋風効果は特にプレマノンで見られた跡を思い起こさせる。そこでは革が円形状にべシャンコになっていた。怪人の様子はドゥシュー夫人が伝えた話と比較してよい。彼女は1953年9月4日にフランスのヨンヌ県のトネルにおける着陸事件の唯一の目撃者であった。
騒音や光線があったにもかかわらず、着陸の目強者がただ一人しかなかったという事実を語るに足る短時間(3、4分間)。それに地方の、同県中で人口の希薄な地帯であること。夜の遅い時刻であること等々。
物体が発した騒音に関しては - 地上にいたときでさえ - 的確な意見を出すのはむつかしい。ティシー氏はそれを説明するのに困惑したが、列車が出発するときに出る音に似た「ゴーッ」という言葉を用いて話し終えた。だがその昔は切れ目のない連続的なものに思われたという。
翌朝彼は着陸地点を検査したが、重要なシルシは見あたらなかった。そこの草がただわずかにつぶれているだけだった。
彼は奇怪な体験のために不快感をもよおすことはなかった。現在はきわめて健康である。ただ一つ残念なのは"小人野郎を捕える"ことができなかったことだ。
(終わり) |