着陸と物的証拠
その後まもなくして、オレンジ色に似た強烈に輝く黄色のUFOがサン・ホセ・デ・ヴァルデスから一直線に4キロばかりの所のサンタモニカ郊外の空地に少時着陸したのである。ラ・ポンデローサという名のレストランの近くに降下したのだ。
このレストランの所有者はアントニオ・ムニョス氏で、着陸時にはハシゴに昇って中庭のまわりを色電球にヒモを通しており、コック長がハシゴを押さえて手伝っていた。すると突然沢山の人が中庭になだれ込んで来た。みな同じことを口走っている。つまり彼らは一個の巨大な火の玉を見たといい、特に数名などは頭上を通過してから着陸するために三本足を出しているのを見たという。
庭へ入って来た人々の最初は連れがなかったという男で、プラド・デル・レイ道を車で走っていた。かなり高地に建っているスペイン・テレビ会社(TVE)のスタジオの前に来たとき、前記の火の玉が遠くに降りるのを見た。料理店主のアントニオ・ムニョス氏はこの一番乗りの紳士の話をまじめに受けとらず、ハシゴを降りて話を聞こうとはしなかった。だれも自分に注目しないのを見て、この紳士は残念そうな額をして出て行った。
彼が出るか出ないかのうちに2人の青年と2人の少女が入って来た。少女たちは互いに抱き合って泣いている。4人が極端に興奮しているようだ。彼らがムニョス氏に語った話によると、4名はやや暗い人気のない場所にいたが、そこで円形の赤い物体を見た。それは一同の頭上を飛んでちょっと地面に接触したあとふたたび飛び去ったという。
この時までムニョス氏はハシゴを降りていた。そして2人の青年と2人の少女が話を終わったとたんに中年の男とそれより若い女が入って来たが、女は極度の恐怖を示していた。女よりは冷静な男が若者たちの話した内容とよく似た話をし、おまけに大文字のHに似たマークを下腹部につけていた物体の画を描いた。
次々と多くの目撃者に出会ったムニョス氏は始めの疑惑が薄れてきて、何か異常な事が実際に発生したことに気づいた。後にファリオルスに説明したように、このさまざまの目撃者の驚きは偽りではなかったのだ。目撃物についてはみなが確信をもって話すのである。彼は翌日、着陸したといわれる現場を見に行こうと思ったが、仕事のためにマドリードへ行く必要が生じた。それで目撃者たちから現場を見に行ったといわれる人は実は彼ではなくてその義弟である。義弟は現場で長方形の跡(複数)を発見したが(アル−チェの跡と同じ形と大きさである)、それらは一辺がメートルを少し超える正三角形の各頂点となっていた。
ニッケルのパイプとプラスチックの小片
さて、すでに多くの点でわれわれを不可解にさせるこの事件のうちで最も不可解な部分に入ることにする。着陸現場で不思議な金属製パイプ(複数)が発見されたらしいのだ。これらは長さ15センチ足らずで、見たところ機械の部品らしかった。着陸後数日してからムニョス氏とその地区の多くの実業人は"エンリ・ダグーセット"と署名された奇妙なチラシを受け取ったが、それには次のように書いてあった。UFOがサンタモニカに着陸した。
そのUFOすなわち空飛ぶ円盤が金属のパイプを落としたことをスペインの新聞で知り、そのパイプについて科学的な興味を持つので秘書のアントワーヌ・ナンシ−嬢へパイプを送ってくれた人にはダグーセット氏が代表する団体の名でもって、l万8千ペセタを差し上げる。宛先としてマドリードの或る郵便私書箱の番号が記してあり、6月15日までに送れとあった。そのチラシには1本のパイプの写真と寸法を記入した図面も添えてあった。
このチラシを受け取った人々のなかにもう一人の着陸目撃者がいた。この人はコロニア・デ・サンタモニカのセダノ通り33に住むマヌエル・リヴェロという名の実業家である。更にその隣人エウへニア・アルピオール・デ・アロンソ夫人もカンポ・フロリード通り4号のアパートの2階の窓から着陸の完全な場面を見た。
この奇妙なパイプに関する話がスペインの新聞に取り上げられた。そこで"アントニオ・パルド"はその件を調査するためにサンタモニカへやって来た。そして運のよいことに、偶然にそれを見つけてペンチでこじあけたという少年からパイプの一部を安価に入手した。
少年の話ではパイプを開いたとき液体が出て蒸発したという。パイプには見たところプラスチックの緑色の小片が入っていて、それには例のUFOの下腹部のマークに似た奇妙なマークがついていた。
"アントニオ・パルド″は小片の一つと一個の金属製パイプをリェヘットに送り、リェヘットがそれをファリオルスと私に渡した。そこでわれわれはそれをマドリードのINTA(スペイン国立航空宇宙技術院)の研究所へ送ることにした。INTAはそれを分析して詳細な報告を送ってくれたが、それによれば金属パイプは異常に高純度のニッケルで、ブラスチックの小片はポリビニール弗化物だが、まだ市場で入手できないタイプのプラスチックだという。この問題に関する技術文献を調べた結果、現在すでにこの材質はデュポン会社の米国工場だけで作られていることが判明した。これは同社の試験工場で作って米航空宇宙局へ納めていたのである。航空宇宙局はこれを人工衛星の尖頭に覆いとして用い、大気との激しい摩擦をよけるのだ。このプラスチックはすばらしい性質を持ち、ひどく長持ちし、腐食作用による損傷を受けないからだ。 以上がサン・ホセ・デ・ヴァルデラスの事件の大まかな輪郭であり、驚くべき結果である。
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▲アルーチェ着陸事件の主要位置
A:UFO着陸位置 B:空港への道 C:ホルダン氏の車のコース D:ブストスへの道 E:アルーチェC住宅 F:オルトゥーニュ氏の家 G:給水所 H:カラブンチェルへの道 |
あれは一体大気圏外から来た宇宙船だったのだろうか? "時"だけがこの疑問に答えるだろう。だが一つだけたしかなことがある。
つまり物休はまさに"そこにいた"ということだ。なぜならこれこそ目撃者たちの最も完全な正直な言葉と写真で示される驚くべき確証から引き出し得る唯−の推論であるからだ.
『FSR誌編集メンバー、パーシー・へネル注』
私は今年6月にスペインを訪問中、リベラ氏とファリオルス氏に会い、この2人の紳士に大そう好感をもってイングランドへ帰った。私が見た写真(複数)は"何物か"を撮った真正の写真であったということができる。ネガは見なかったがプリントは粒子が見えるほどに伸ばしてあり、その段階においてはインチキを隠すことは不可能である。
(終わり) |