自分が意識的な知覚力において拡大しようとするならば、偏見とか不和などの古い習慣的想念を忘れて、人間は無限の存在であることを理解するようにしなけれはならない。この種の想念は肉体内の誤った諸状態(病気)を消滅させるのに役立つのである。こうした感覚は自分自身を理解し始めるにつれてわき起こるのである。それ以外の機会にわき起こることはない。人間の意識は巨大な変圧器のようなもので、だからこそわれわれは望むとおりの力を取り入れて、それを肉体の内部から別な部分へ移すことができるのである。
われわれが想念の中にひそむ意識的な力に気づくならば、完全に肉体を支配することができる。これが十分に行なわれないときは如何なる治療を試みてもだめである。ゆえに想念の意識的な力を理解することが如何に重要であるかがわかる。(注:想念の意識的なカとは”想念の物理的、機械的なカと対比し、て用いられた語のように思われる)われわれの心の意識(注:肉体人間の意識)が宇宙の意識と完全に一致するならばそれは無限となる。自分が何であるかを知ったならば、次に自分の望む物または状態をしっかりと心の中に描き、望まない物事を排除しなければならない。
自分の望む物事がそのとき正しいものであるならば必ずそれは実現する。もしそのとき実現しなくても、いつか適当なときにその望みの物を得るのである。ただし本人は永遠の宇宙の法則の働きを信じてそれを確信しなければならない。
これを言いかえると、あなたが自分の生活の状態を改良しようとするならば、あなたは自分の心を持ち変えて、望ましい結果が必ず生じるという信念を持つ必要がある。もしあなたの心の中に少しでも疑惑が起こるならば、望ましい状態の実現をさまたげることになる。一粒のカラシ種ほどの小さな疑惑が生じても実現をさまたげるが、一方何の疑惑もなく一粒のカラシ種ほどの大きさの信念があるならば、やがて望ましい状態が実現するのである。
「自分は立ちあがることができる。だから立ちあがろう。そしてよき物事が起こるのである!」という確固たる信念を想念の中に持たねばならない。人間はよき物事を望み、それが得られることがわかっているがゆえに野蛮人の状態から現代の文明人へと進歩してきたのである。不幸にして現代の人間は神の摂理を信じないで、あらゆる物やあらゆる人間を利用しようとしているのである。
人間の生活がこうまで複雑になる前は、人間は一定期間使用できる量以上に物をたくわえなかったが、今日は多数の人がおよそ使用できる物すべてを得ようとし、同胞の欠乏については何も考えない。昔の素朴な人々はわれわれがいま持っているような知識は持たなかったであろうが、大抵の場合もっと公正であった。この人々は自分の想念を支配することができたが、現代人はそんな支配はできないという強い肉体人間的概念にとらわれてしまっている。ゆえに人間は想念を支配できるのにそれをやらないで特性を低下させている。想念に自分自身を支配させてはいけないのだ。
神なる創造者にたいする信頼にとってかわって恐怖が主座を占めた。現代人は確信するよりも混乱の状態で生きている。今日の人間はあらゆる人やあらゆる物を恐れている。人間はだれしも他人を傷つけるほどのカをそなえていることがわかっているので、これと同じ力を用いて他人が自分を傷つけはしないかと恐れるのである。人間が時間をかけて自分がとってきたあらゆる手段を分析したならば、自分の想念や周囲のすべての物を現在支配下においていることだろう。
われわれは電気について同じ原理を見出すことができる。電気が誤って用いられると人間を殺すけれども、適当に用いられるならば役立つのである。意識的な想念も同様である。それは人を殺すほどのカを持っている。
われわれがこのカの用い方を知るならばそれは自分の召使いとなる。誤って用いると人間を破壊するが、正しく用いるならば生活に調和ある状態をもたらす。永続的な喜びはわれわれが肉体人間の心の主人になることを知ったときにやってくる。人間は自由意志を与えられているので選択は個人次第である。われわれが幸福と永遠の生命の理解を願うならば、自分の内部にひそんでいる自分を導いている”父の意志(神の意志)” に自分の意志を服従させることが必要である。”父”は決してわれわれ人間を他人や何物かに支配されることを望んではいない。
いわゆる心が正しい支配下におかれると、それは適当な場所で適当なときに適当な物事をなし、人間の利益のために働くのである。これがなされれは人間は創造主の目的にかなっていることになる。これが理解されなければ肉体人間の心は人間をあやつり、本人は恐怖につきまとわれるのだ。暗い裏通りにいる人はあたりが恐ろしくなってきて前方が見えないために自分の足どりに用心深くなる。いわゆる肉体人間の心もこの暗黒の中にいて、自分を傷つけたり行事をさまたげたりするものがいるのではないかと心配して、自分の足どりをたえず恐れているのである。
だが或る人々は、導きの神の手綱を投げ出してしまい、今やその結果として多くの悲しみや苦痛に悩んでおり、結局何かが間違っているという事実に目覚めようとしている。あなたはその一人で、援助を求めて宇宙をのぞきこもうとしている。自分をよく理解するためにより高い英知のほうへ帰ろうとしている。あなたは父のもとへ帰ってゆく息子である。あなたは世の中へ出かけて自分の道を切り開くことができると考えたが、生活の諸状態をコントロールできないことを知って、自分の肉体のセンスマインド(心)を支配する方法を知るために父のもとへ帰ろうとしている。
言いかえれば、あなたは自分が住んでいる世界を理解するには、”因”のもとへ帰らねばならないこと、結果(現象)の中に生きてはならないことを知り始めているのである。 |