ロサンジェルス・タイムズ紙の日曜版に掲載されたアダムスキー氏に関する記事を友人が知らせてくれました。そのころ私は書物が教えてくれない知識を求めてインドへ行くつもりでいましたが、その友人はとにかくアダムスキー氏に会って彼の話を聞けば関心が起こるだろうといいます。
手紙によって私はアダムスキー氏がパサデナで講座を開いていてグループを指導していることを知りましたので、それに参加することにきめました。アダムスキー氏は、まるで無言の質問に答えるかのようにインド哲学について話し始めました。彼の講話は次のような意味のものでした。
「インドの哲学は創造者の目的と一致していない。なぜなら人間は地上におかれて”父”の庭を好むように命じられている。ところがインド人は極端に走ってしまい、霊魂を賛美し、人生のいわゆる物質的な面を無視している。これは”父”の創造の一部ではあるけれども全部ではない。自然はバランスのとれていないものをいつまでも寛大に扱いはしない」
|
▲在りし日のアリス・K・ウェルズ女史。 |
その他多くの話を開きましたが、それらは正しくて心あたたまる話のように思われましたので、まもなくインドへの旅行を忘れてしまいました。
さて人間ジョージ・アダムスキーについて少し観察してみましょう。これまで多数の人が彼はいかなる人物なのか、いかなる源泉から彼は知織を引き出すのか、といった点を不思議がっています。彼の知恵の言葉に驚嘆している人たちによって多くの意見が述べられましたが、これはさほど重要なことではありません。彼が与えようとするものは、まじめな真理の探究者が餓えて求めようとしているものです。彼の哲学は実際的なものであって、生活の助けになり、しかも進歩してゆくなにものかです。
人間が個人的な見地よりも宇宙的な見地から真理に直面するのに真剣であるならば、人間の生長には決してよどみや停滞はありません。私がここで個性というのほ人間のエゴを意味します。しかしそれは努力する価値があります。
少しずつ”因”の領域が見え始めて、永続的な価値を認める感覚が個人のエゴにとって重要だと思われたものにとってかわりつつあります。そして人間は生命のさまざまの表現のなかに生命の一層広い見解を得始め、自然のもろもろの美にかこまれて静かに座り内奥の自己は感謝の歌をうたいます。すると仕事はもはや苦しくなくなってきます。物事を行なうことと人類に奉仕することの喜びが充分になってくるからです。
アダムスキー氏の教えには”へつらい”や空想的な添え物はありません。これらは彼が弟子たちに克服させようとしているエゴに属するからです。これは弟子がさらに他人を助けるようにするためです。私が誠意をもっていえるのは、ジョージ・アダムスキー氏ほどに純粋で自分の努力に不屈な人を見たことがないということです。
私は長いあいだ彼の門弟であったことに感謝しますとともに、彼の知恵を自ら獲得しようとする人がもっとふえることを望んでいます。真理へのドアーは知識を求めるのあまり自我を忘れることのできる人すべてに開かれています。
人間はまさに”父”の国の広大さを知ろうとしています。というのは地球人はまもなく他の遊星へ到達しますし、少しずつ人間の生命にたいする制限された概念は知識によっておきかえられるからです。
古いことわざの「真理はあなたを自由にするだろう」は知恵の言葉です。偏見、自分だけの意見、利己主義などは人間の魂を束縛する罪人です。
(注:アリス・K・ウェルズ夫人は、アダムスキー氏が1952年11月20日にデザート・センターではじめて金星人と会見したときの6人の目撃証人の一人として知られています。そのとき彼女は双眼鏡で会見の模様をながめながら金星人の姿をスケッチしました。これは”空飛ぶ円盤実見記”に掲載されています。またア氏のグループがかつてパロマ1山上に住んでいた当時、”ホリデイ誌”に二度も紹介された”親切さとあたたかいふん囲気とに満ちた”山上の有名な食堂の経営者でもありました。現在はア氏の秘書として主としてタイプライティングの仕事で活躍しています) |