ここに述べるのもそのーつ。身長10フィート、輝く赤い目をして、鼻も口もない"人間の一団"を、メキシコ市の南部郊外を散歩中の3人の婦人が目撃したという。
この化け物たちはきらめく灰色の服と長グツを穿いていて、マンガに出てくる宇宙人のような格好をしていた。
記者団とインタビューした掃人たちは、最初は恐ろしくて逃げ出したが、結局勇気を出して元の場所へ引き返したところ、その"生きもの"はすでにいなくなっていたと語った。
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1994年の夏、メキシコのヌエバ・レオン州のモンテモレ一口スで、ベベ・マルティネス氏が山のキャンプ地でバーベキューの準備をしていたとき、上空に閃光がきらめいたので、振り向くと、低空にドームのある円盤がいた。すぐにカメラで2枚撮影した。これは連続撮影した写真の2枚目。 |
空中を飛ぶ光る物体の目撃報告がこの"訪問"と関係があるようだ。ほとんどが夜間に目盤される未確認飛行体の報告によれば、これは赤色の光を帯びた円盤型から、ちらつくような光を発する回転コマのような型に至るまで種々のものがある。なかには空中に停止するのもあるし、あるいは航空機よりもはるかに早く超高速で動くのもあるし、複雑な旋回運動をするのもある。
或る夕方、メキシコ市の美術館のドームや尖塔のまわりを2つの物体がジグザグに飛ぶのを12人が目撃した。断続的な閃光を放つこの巨大な輝く物体は、しまいには垂直運動に写って上昇し、ついに小さな点となって消えた。
この報告で氏名を明らか配した5名のうちの2人は次のように主張している。「我々はこの話をデッチあげたのではないし、酔っ払っていたのでもない。だが、どんんあ風に説明してよいかよくわからない。」外国から来た外交官がこの目撃者の中に加わっているのだが、彼は氏名を明らかにすることを拒んだ。
メキシコ湾付近のハラパやヴィリャ・エルモサから、さらにまたメキシコ市から30マイル離れたテポトスランからも目撃報告が来ているが、 それらによると、青い光を放つバスケットポール大の物体が着陸しかけてから再び上昇したり、空中に停止した物体がその表面のすきまから黄青色やオレンジ色の光を放ったり、ネコの目のような輝く目つきの黒い服を着た男が、光る金属棒を手にしてたというような例がある。この"人間"はこの”人間はハラバの街路で記者とタクシー運転手、闘牛士によって目撃された直後、突然消滅してしまった。
一方こにれに負けじとばから、メキシコ市のタクシー運転手が夜明け前に円盤を見たと報告した。この円盤は回転しなgら色光が変化したが、市の上空を西から東へゆっくり飛び去った。
メキシコ市の空港管制塔の係員(複数)の話によると彼らはその朝"きわめてきれない輝く星”をみたという。これに続いて円盤の劇的な光景が展開し、そのため独立祭にぎわっていた同市の目抜き通りは1時間にわたって大混乱を引き起こした。
空を見上げて大騒ぎしている群集のために自動車はみな停止して警笛をやかましく鳴らしたが、群衆は目もくれずに騒ぎ立てるだけだった。無数の自動革がひしめきっているあいだ、興奮した群集は首を伸ばして、晴れた夕空に無音のまま停止している6磯の円盤を見上げていたが、円盤はやがてすさまじいスピードで上昇して行った。
これと同時に西方の郊外地区上空に1個の輝く物体が断続的な光を放ちながら30分間、無音のまま停止していたが、そのうち奇妙な消滅をしてしまった。
メキシコ市で円盤目撃があたりまえのことになってから空港の係員がUFOを見たと初めて発表した。空港の監督官ホセ・ルイス・エンリケの話では、彼は双眼鏡で2個の輝く物体を観察したという。1個は直線コースを移動したが、日没後や日の出前には、しばしば多数の人工衛星が飛ふのが見られると語った。だが二番目の物体はコースを変えて加速し、消えたが、別な方向に再び現われた。これについて正体を説明することは避けた。
同市の西方にあるタグバヤ天文台台長イグナシオ・エリアス博士はこれらの円盤目撃を"単なる幻想"だと片付けた。定期的に両天文台から打ち上げられる気象観測気球を見たのだろうという。しかし、毎日日没2時間前に打ち上げられる気球が、65年夏の円盤騒ぎ以前になぜ騒動の原因にならなかったかは説明しなかったし、風のまにまにただよう2個の機械箱をぶらさげた気球がなぜすさまじいスピードを出すのかも説明しなかった。
(レジスター紙、1965年10月20日付)
(終わり) |