知識ということになれば、地球人がこれから学ばねばならない宇宙の事象について彼らは我々をはるかに凌駕しています。したがって誰かに話しかけてみさえすれば、その人がこの世界の人かそれとも他の世界から来た人かはわかります。しかしそのときできえも、我々といえども宇宙についてはきわめて多くを学びつつありますので、断を下すことは困難です。もし人が理解力をもたず、自分や自分の創造者にたいして誠実でなく、この世界の人々の幸福や改善に関心がないとすれば、当人は文句なしにバカにされるでしよう。ここに一例があります。
私がパロマ一山に住んでいた頃の或る夕方、一同が夕食のテーブルを囲んで座っていたとき、ドアーを軽くノックする音をみなは聞きました。(そのときはひどく雨が降っていました) そこでドアーをあけると、私を訪ねて来た一人の背の高いきれいな男が立っているのです。彼は地球人となんら異なるところはないように見えました。なかへ入って一同のテーブルへ一緒につくようにとみなはすすめました。車は見当らず、どうしてここへ来たのか私にはわかりません。彼の質問は誰もが発するような性質のものでしたから、そこで一同は宇宙問題の話に入ってゆきましたがこれは少なくとも一時間続きました。ところが彼の話しぶりからみて、私たちはこの人は地球人ではないと断定しました。というのは、彼の答えは宇宙に関する地球上の如何なる文献にも見当たらないような内容のものであったからです。
会話のなかば頃になってその人が絶対に宇宙人であると私は感じましたが、居合わせた人のなかには後になって疑惑を表明した者もありました。しかし"ブラザーズ″との最近の会合で私ははからずもその人に会い、実は本人が当時土星の宇宙船の着陸スケジュールの責任者であったことを知ったのです。彼はあの夕方のことを私に思い出させましたが、以下は彼が語った話です。
「あなたがあのとき私の正体を見抜いた動機は、私の語った内容からみればさほど大切なことではなかったのですが、あなたの魂と心は一体となっていたために、あなたの魂が私の魂に気づいたのです。これは意識に気づく意識なのであって、心に気づく心なのではありません。居合わせた他の人たちは自分の心でもって私を判断し、私の正体と目的とに疑問をもちました。こうして真相を知るために私の魂と融合することをしなかったのです。人々のなかには私たちがブラザーズであることを直接、私たちから聞きたがる人もありますが、それはできません。たとえ私たちが正体を洩らしても人々はそれを信じないでしょう。私たちはこれこれの遊星から来た人間だと言葉で語ったりしながら、あなたが期待する方法で自分の正体を明かすことは許されていないのです。
洩らしたところで教育のある人々は私たちの正体を信じようとはしないでしょうし、結局自我の好奇心を満足させるだけのことでしょう。そんなことをするために私たちは地球へ来るのではありません。
奇蹟的な現象を見たがる人々もありますが、それは魔術師がやって見せてくれます。一体どうしたら私たちの正体を見抜くことができるのかという質問にたいしては、一つだけ回答があります。
それは、あの夕方あなたが私にたいしてやったように、意識を融合させることなのです。なぜなら意識のなかに私たちは真理を見出すのであって、心のなかに見出すのではないからです。
私たちの宇宙船に地球の人々を同乗させる件ですが、これは地球では人々が真理についての知識を得ようというまじめな願いよりもむしろ好奇心から乗りたがっています。これは私たちが必要とする奉仕にとっては価値のないことです。ただし特定の人たちだけは多くの理由によって同乗の資格が与えられています。地球の殆どの人の肉体は長途の宇宙旅行に耐えることはできないでしょう。自分の意識を"宇宙の意識"と融合させることのできる人がきわめて少ないからです。快適な宇宙旅行を行なうのにはこのことが必要なのです。しかし喜んで自分の意識を"全体の意識″と融合させようとする人が一体どれほどいるでしょう。ごく少数です。なぜなら、これは意識の命令にたいして個人の個性または自我(センス・マインド)をいけにえに捧げることを意味するからです。そこでは心がその創造者にたいして召し使いになるのです。あなたの世界ではそうではないのですが、心は心自体のためにあり得るのではないのです。あなた自身のグループのなかにはそのよい例がありました。
人々は私たちとの個人的なコンタクトを求めており、人類の改善運動にのり出すまえに私たちから指示を得たがっています。しかし人々はまず自分の魂の意識を"宇宙の意識″と融合させることを知る必要があります。あなたは私たちと同様にそれを信念によってやりました。この地球へ来るたびごとに私たちは信念をもつ必要があるのです。宇宙には多くの危険があるからです。信念がなければ真理は決してあらわれないでしよう。信念をもたない人は真実の生命または幸福を知ることはありません。意識が真実の人間なのであって、心ではないのです。意識は心を含む万物の父母です。肉体の心が自らの利益のためにのみ働くならば、それは"至上なる意識″に対抗していることになります。
"至上なる意識"は肉体の心が知っているようには恐怖というものを知りません。なぜなら真理があるところには恐怖はないからです。そして存在する唯一の真理は意識のなかにあるのです。
私たちのために役立とうと望んでいる人は、少しつつでもよいのですから自分の魂の意識を宇宙の"全体の魂"のなかに溶け込ませる必要があります。そうすればその人は私たちと会ったときにこちらの正体に気づくでしょう。地球では多数の人々が気づかないで私たちに会っているのです。」
以上が一人のブラザーから直接に与えられた回答です。この内容を忘れないようにして下さい。かかる教えは直接に示されないことには自分でこのことを学びとることはできないからです。
(終わり)
|