地球の人間は二重人格者として生きています。すなわち"心"である現世の結果をより多く語り、"魂"である宇宙を云々することは少ないのです。そのために自分を現在の混乱の状態においています。これは長いあいだ"心"によってつくり出された慣習と因襲に人間が従う場合、特に真実なのであり、それらは"心"それ自体と同じほどに誤ったものです。要因を支配している恐怖が個人の魂に魂自体をあらわす機会を殆ど与えていません。
あらゆる生命はその残存を宇宙に頼っていて、その報酬として供給"を受けてきました。ところが人間は供給を人間に頼っており、その結果恐怖が欠乏と疾病を通じて人間の生活を支配しています。"魂"は神なる"父"に奉仕をしようと大声で叫び続けています。それは"父"を知っているからです。しかし"心"は"心"自体に奉仕をしたがっています。それはまだ"父"を見たことがないからです。慣習は"心"の知らない物事を恐怖するようにと"心"に教えてきています。
万人が創造された目的を達成するように要求されているのですけれども、奉仕することを選んでいる人は少数です。この少数者でさえも自らの運命の完遂にむかって前進する人はまれです。放らがもっている信念は魂のそれではなくて大抵は心の信念です。
その証拠は存在しています。というのは"心"は自らがなす物事のすべてに功績を帰したがるからです。もし名誉を与えられないならば心"は自身の安全性が存在していると自ら感じている慣習的・因襲的な生き方に立ち返ってゆきます。いいかえれば、"心"は人間を信じているのであって神を信じているのではないのです。しかし神なる"父"が万物の贈与者なのであって、人間ではありません。そこで人間は額に拝していわゆる"安全性"を獲得し続け、自身と同じような他人の心"の奴隷になっているわけです。
絶滅の危険が我々すべてをおびやかしていた最も危険なときに"ブラザース"が来訪して、多くの人がそれにこたえましたが、悲しいことにそれに関心をとどめた人は少数でした。多数の人はこの世の報酬と安全とに立ち返って、これまでは人間の手のなかにおかれた最も輝かしい宝石を捨ててしまったのでした。
これら暗黒の時代にキリストから"啓示“を受けたと称する人たちでさえも、心の意志というあのムチひもによって"心"の栄光と安全を求めて横道にそれています。このために、本来の目的を固守している我々は、それを遂行するのに必要な援助を得ることができないような状態にたち至っています。
それゆえ再び申しますと"ブラザーズ″を通じてもたらされた神なる"父″の教えは、この世の黄金と一時的な心の満足とのために売られてしまったのです。
71年の生涯を通じて私は地球人が富と考えている物を集めたことはないのですが、べつに困ったこともありません。私には毎日供給がありました。私は地上の如何なる富や安全よりも偉大な永遠の知識を得ています。私は自分を生み出してくれた"父"にたいする確固たる信念をもっております。そして、"父"も私を無視したことはありませんし、私のあらんかぎりの力をもって"父"の目的に奉仕するかぎり、これからさきも"父"は私を見捨て給うこともないでしょう。人間の"心″は失望以外の何物をももたらしませんが、"父"は私を決して失望させたことはありません。
あなたがたはいうかもしれません。「しかし、神は自らを助ける者を助けるのだ」と。これもセンス・マインド(感覚器官の心)を守るために用いられている曲解なのです。ほんとうの意味は、「神は、神の意志を行なおうとして自らを助ける者を助ける」ということにあります。」あなたの(神の)意志がなされるのであって、私の意志がなされるのではない」というのが真実の意味です。これを企てるまえにキリストから啓示を受けたと称している人々にひとつ質問をしてみましよう。「啓示を受けたというのが真実であるならば、一体なぜあなたがたは地上の報酬または他人の意見とひきかえにその啓示を投げ捨ててしまうのですか?」実際にはこの種の啓示以上に大きな真理はありません。それは"宇宙の意識″によって与えられるからです。
(終わり)
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