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 過去の文明

日本GAPニューズレター No.6-7      1962年より

私は最近レムリアとトリテリア民族の記事を読みなおしたので、読者がどのような興味を持たれるか知らないが、とにかくそれについてお伝えすることにしよう。他の惑星(複数)から来た友人たちが私に語ったところによると、現在彼らの惑星に住んでいる人々の多くはかつて地球上に住んだことがあるという。

よくアカシック・レコードといわれる宇宙の記憶の書には、無数の年月を通じて行なわれてきた活動の物語が収められている。絶えず活動する意識の指は、あらゆる運動と現象の明白な破壊できない型を"宇宙の基本的な実体"の上に記している。石碑や羊皮紙や紙などに書かれた人類の歴史は存在物の限りある記録にすぎず、そのため容易に失われて未来の世代の知識にならないのであるが、"宇宙の記録″は永遠の建造物であって、その必要な記録を読むことのできる人は生命の歴史におけるページを失うことはないのである。

万人に開かれるだろうと聖典が我々に語っているその"記憶の書"から、我々は太平洋の暗黒の海底に沈んだあの謎の大陸レムリアの物語を読んでいる。

レムリアは太平洋の諸島―ハワイ、イースター諸島、ニュージーランド、フィリピソ、その他小さな群島のほとんどを含む広大な大陸であった(訳註=レムリアはムー大陸と同じもの)。これらの諸島は現在沈下しているかつての大陸の最高の山々の峯であった。レムリアはかつて世界の文明国であった。その住民は高い教養を持ち、原因と結果についてすぐれた知識を有していた。彼らは自我のためでなく"全体″のために生き、万物を"宇宙の英知″の表現とみなした。各人は自分自身が宇宙の力の召使いであることを知っていた。彼らは一個人が他人よりもすぐれているとか、ある仕事が他の仕事よりも重要であるというような考えを持つことなしに、おだやかな態度で自己の義務を遂行した。彼らのあいだに嫉妬や貪欲は存在しなかった。すなわちレムリア大陸は不和を知らず、平等のゆきわたった幸福な一大家族の家であったのである。

レムリア人は褐色の皮膚をもつ人種で、その平均身長は約160センチであったが、ときには巨人もあらわれた。現代のアラスカ人は他のいかなる民族よりもレムリア人に似ている。

彼らはきわめて勤勉で活動的な人種であり、高度の感受性と直感力とを持っていた。彼らはメンタル・テレパシーの方法によって互いに会話を交わすことができたし、彼らの活動は主として自己の実体の有するより大きな英知によって導かれたので、驚くべき業績をあげることができた。また宇宙の科学において高度に進歩していた。そして活動の諸法則に関する理解によって、地球の諸元素にたいする素晴らしい支配力を持っていたのである。

彼らの鏡敏な感覚のために地中の鉱物は発見されたし、元素のすべては利用された。

彼らの建築様式と芸術作品は構造と美において素晴らしいものであった。彼らの寺院は礼拝用というよりむしろ彼らが日常の活動で奉仕した"全能の力"にたいして捧げられた美の記念碑であった。この古代の民族は中へ入って礼拝すべき寺院というものを必要としなかったためである。すなわち、彼らは自己の内部や地上の生きものすべての内部に宿る"全能の実体"を認識していたのである。当初彼らの理想主義は人間のなかにあらわれているとされた神の徳であった。そしてこの理想主義のたに彼らは現代人に知られていない力(複数)を与えられていた。レムリア人は自然の諸法則を濫用したり誤用したりはしなかった。そして彼らがその帝国を建設していたあいだ、それは地上における実際の天国であった。

しかし事実上あらゆる文明と同様に、彼らはやがて没落したのである。徳性は貪欲と利己主義のなかに失われてしまい、その末期は現代の文明と異ならなかった。ついに自然が介入してその大陸は太平洋の海底に沈んだのである。

レムリア人の黄金時代はほぼ3000年続いている。この期間中にレムリア人はエジプトおよびアジア各国のすべてと接触したが、レムリアが世界の他の国々から来た利己的な民族によって侵略されたのはその1000年単位の歴史の第四期になってからである。当時、ギリシャ、ローマとして知られている地域から来た人々がいて、レムリアに定着したのである。この人々は軽薄な種族だったが、レムリア人の信用を得て互いに結婚し合い、しだいにこの幸福な民族の清純な思想を汚していった。この異分子はゆっくりとレムリアの支配権を握ったのである。彼らは無情な恐ろしい支配者で、富と権力を求めて貪欲であった。彼らは偏好を示しはじめ、レムリア人の心に不平等の思想をしみ込ませ始めたのである。その民族がかつては活動を愛したがために互いに奉仕しあった土地で、今や彼らは少数者を富ませ、それに権力を与えることを強いられた。彼らは謀反と利己主義と貪欲の意味を知った―これらはそれまでけっして彼らのあいだ存在在しなかったものである。彼らは支配者の範を見習うことや"全体"のかわり自我のために働くことを知った。彼らは自己の創造主の導きにたいして自己を閉ざし、肉体という表現径路に方向を転じたのである。

これは数百年間続いたが、ついに自然の力は彼らのアンバランスな状態にたいして代償を要求した。苦痛という代償である。もしこのアンバランスな状態を続けるならば未来に破壊が起こるという警告を与えられたが、彼らはそれを心に留めなかった。そこで自然力は彼らにそむいたのである。大地は彼らの足元で揺れはじめた。津波は沿岸を洗い流し、最後に大地震が全レムリアを襲った。約七カ月のあいだこの地震は続いて次第に大陸は沈み始めた。 海水が押し寄せて、かつての天国のごとき王国を覆い、こうして一つの文明が失われたのである。

この地震と大陸の沈下は自然の諸原因によるものであった。地表の変化が一定の期間ごとに来たけれども、レムリアの人々は有限の結果の世界にひたりきるようになっていたため、自然界から与えられた警告に注意を払わなかったのである。もし彼らがその徴侯に気づいていたならば、安全な地帯へ移動することができたであろう。

いかなる民族のバイブルのなかにも、一つの創造の物語と人間が完全な状態で生きたという一種のエデンに関する示唆とがある。しかしそれは結局示唆にすぎず、人類はそれを現在の状態における人間の進歩に何らの影響もない一篇の美しい神話だとしか考えなかった。しかし意識という年代記のなかには、神のごとき人々とそのエデン的な国を持った、ある種族に関する事実が秘められている。

この文明人はトリテリア民族と呼ばれた。そしてこの民族の記憶から古代ギリシャのトリトン神なるものが生じたのである(訳註=ギリシャ神話に出て来る海王ポセイドンの子で、ホラ貝を吹いて波を静める半人半魚神。後には海神たちに仕える半人半魚の小神をさしていった)。このギリシャの神は半人半魚として描かれたが、それはトリテリア族を"波の人々″と語っている宇宙の記録と一致するものである。もちろん彼らは半人半魚ではなくて水と大地の両方の支配者であった。

理想主義者はときとして完全な人間を霊的な実体として描き、天上の栄光の世界にのみ住んでいて、自然の法則に打ち勝つ力を持っていると考えてきた。しかし、我々にはトリテリア族が肉体を持って地上に生きた人間で、自然の法則に完全に協力した人々であることがわかっている。

彼らは体の大きな人々で、その皮膚は我々の銅またはサビ色にたとえてよいだろう(訳註=黒人の一種)。おそらく当時地上に降り注いだ太陽光線の激烈さによってそのような色になったものと思われる。

この偉大な民族は宇宙人であった。そして彼らが地球上の体験を得ながらすごしていたあいだ、彼らは自身を"全体″から分離させなかった。彼らは現代人がやっているような地球の元素を研究したが、元素の現象化の原因を理解していた。彼らは物質の知識を得るためにこの太陽系へ派遣されて来て、"困なる英知″の指導のもとにこれをなしとげたのである。

彼らにとってこれをなすのは容易なことであった。あらゆる活動を支配する自然の法則を知っていたからであり、また悪用することなしに自らの知識を応用できるほどに賢明であったからである。"親和の法則″はこの人々に何らの神秘感をも起こさせなかった。そして諸元素は完全に彼らの命令にしたがったのである。地球はエデン的な美の完全な表現であった。

トリテリア人は現代に行なわれているような宗教を持たなかった。彼らは科学者の民族であった。想像や神話でなく事実にもとづいて活動したからである。彼らは神々を持たず、"全英知なる力″を認めて、自身をその表現者とみなした。また彼らは原因と結果を理解していたために肉体の心が創造主を裁くような誤りを犯すことはしなかった。自分たちと宇宙の意識のあいだに分裂感を起こすこともなかった。彼らは自由と成就の確信とをもって活動したのである。それゆえ生活は平安で調和に満ちていた。彼らは神々や悪魔に縛られることはなかった。彼らの一の知覚の状態は宇宙の意識と一体化した知覚状態であったからである。創造における二元性の必要性を認めたが、その力を善と悪とに分けることはしなかった。

生命力にたいする摩擦や抵抗がなかったために彼らの肉体は常に若さを保ち、我々が知っているような死は存在しなかった。

地球のこの"修士″たちのあいだには貪欲や利己主義はなかった(今日の言葉でいえば、彼らはあらゆる学科において修士の学位を得ていたといえるだろう)。彼らは宇宙の物質は制限がなく破壊もできないこと、だからあらゆる必要を満たすには常に充分であることを知っていた。物質的な富の蓄積にふける者もいなかった。

現在トリテリア人の子孫はいない。彼らはこの地球上で一定の期間奉仕した後、他の太陽系へ宇宙船で運ばれたからである。これは聖書時代に先立って地上に住んだ種族である。人類の堕落はレムリア人の出現までは起こらなかった。トリテリア人は純潔な状態で地球を去って行き、より大いなる奉仕に近づいていったが、彼らのあとに出現した各種族のすべては現在に至るも宇宙の生得権を取り返すために努力しているのである。

トリテリア人は直感力と従順さとによって宇宙を探究したが、他の種族は苦痛と結果(現象)の観察とによって自己の知覚力を得ることを選んできた。そして肉体人間としての考え方の束縛のなかに生きているのである。

我々がもう一度あらゆる生命の一体性に目覚めるならば、我々の天性への復帰はトリテリア人のそれと同様に栄光あるものとなるだろう! 異星人が私に語ったところによると、地球上の諸文明に関する記録が彼らの惑星に保存してあり、またレムリアとトリテリアに関する右の説明は正しいということである。

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