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▲アグニュー・バンソン氏夫妻と訳者。1961年11月17日、京都にて。 |
バンスン氏はアメリカのある大会社の社長で、当最46歳の少壮実業家である。ノースキャロライナ州立大学で英文学を学んだのち家業の会社を継いだとのことで、数カ国を歴訪したついでに日本に立ち寄った。きわめて豪放磊落(らいらく)で実に愉快な人物であり、夫人は気立てのやさしい方。2人ともたいそう親切な人という印象が強く残った。バンスン氏夫妻に会ったことは私にとって重要な意義をもつもので、訳者はこれによってUFO研究に一段と強い自信と勇気を与えられたのである。 、
久「私はアダムスキーを今世紀最大の人物であると考えている。あなたはどう思っているか」
バ「私も同感である。私自身は円盤を見たこともないし、また目撃体験の如何をあまり問題にしていない。私が彼を尊敬するのは彼の洞察力と写実性である。彼は聖人ではない。人間だ。しかし偉大な指導者であり、また実に賢明な人である。古来偉人というものは他人の思想を焼き直すのでなく、全く新しい概念をもたらすものだ。イエス、仏陀などがそうであった。アダムスキーもそのとおりで、彼の宇宙哲学は偉大な知恵で獲得したものである」
久「アメリカ人一般はアダムスキーをどのように考えているか」
バ「アメリカ人は一般にUFOについてあまり興味をもたないので、アダムスキーをよく知らない」
久「彼は教授″と自称しているといわれるが、この点は?」
バ「彼は絶対にプロフェッサーと自称したことはない。ただ彼を敬慕する人たちがプロフェッサーの称号をつけて呼んでいるだけのことで、それが自称したかのごとく誤まり伝えられたのだろう。私自身も彼をプロフェッサー・アダムスキーと呼んでいる。しかし彼は非常な賢者なので、プロフェッサーと呼ぶだけではとても物足りないぼどだ」
久「ジョージ・ウィリアムスンをどう思うか」
バ「彼のことはよく知らない。しかし例の砂漠における6人の目撃者についてはあまり気にしないほうがよい。問題は物的証拠や目撃証人などではなくて個人の直感力である。私自身の感覚で彼を偉大だと思うのだ」
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▲ドナルド・キーホー少佐 |
久「キーホー少佐をどう思うか」
バ「キーホーは必ずしもわるい人間ではないが、ただここのところが(と言って頭を指しながら)制限されていて狭いのだ」
久「ルーシー・マクギニスはなぜ別れたか」
バ 「それは知らない。しかし彼女も立派な婦人だった」
久「何歳ぐらいか」
バ「五四、五歳ぐらいだ」
久「日本の自称コンタクトマンMの体験をどう考えるか」
(ここでその体験やらアダムスキーにたいする攻撃などについて詳細を話す)
バ「そんなものは忘れちまえ」
久「旅行の途中で他の国のGAP協力者に会ったか」
バ「インドでマイトラ博士に会った。彼は七〇歳で哲学者だ」
久「あなたはアダムスキーを経済的に援助しているか」
バ「ときどきしている」
久「アダムスキーの何を偉大だと思うか」
バ「彼の体験の描写の写実性だ。しかも霊界通信とハッキリ区別している。そして実に偉大な勇気を持っていることだ」
久「アメリカの大統領はアダムスキーのことを知っているか」
バ「それについては知らない。しかしアメリカの政府高官、政治家、科学者などでアダムスキーを支持する人がかなりいることは確かだが、アメリカの社会ではそのことを公然と言明することはできない。これは各国ともおそらく同様だろう」
その他多くを語り合って非常に楽しい一夜をすごしたしだいである。彼の英語は相当な早口であり、しかも発音が少々不明瞭なドラ声であるために、私はたびたび聞き返さねばならなかった。彼は日本女性の優雅さを讃え、給仕の女性をしきりに忍耐強い″とほめては感心し、また日本婦人の肌の滑らかさがとても気に入ったようであった。日本の風景、特に京都の素晴らしさを強調していた。パソスン氏の18歳になるお嬢さんは名門校として名高いスミス女子大学に在学中で、飛行機の操縦が得意だとのことであった。
(付記=その後バンスン氏は飛行機事故で亡くなった。)
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