ホーム ライブラリー レターズ ピクチャーズ ufo 掲示板 お問い合わせ リンク

GA Site -UFO Contactee-

articles

過去更新記事

 ├ 2009年度
 ├ 2008年度
 ├ 2007年度
 ├ 2006年度
 ├ 2005年度
 ├ 2004年度
 ├ 2003年度

最新更新記事

サイト内検索



GA Site内を

新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 MOON GATE by William L. Brian
 

第9章(2) 人工衛星による写真 UFO Contactee No.88 1985より

地磁気の地図は南北磁極の位置と思われる部分のまわりに集中した磁力線の傾きな示している。重要なのは、先に示された応用技術衛星3号による地球の写真は、北極の陥没地帯の位置が、地磁気の地図に見られる磁北極の大体の位置に相当するかもしれないことを示している点である。

バード少将の奇妙な体験

どうやら磁北極として決められた位置は、この北極の陥没地帯の端近くで行われた各種の測定を平均することによって導き出されたのかもしれないのだ。

また、オーロラは磁力線の傾きとほぼ同心であるというのも重要である。最大のオーロラの出現は地理上の極のまわりに集中するのではなくて、磁極のまわりに現れるのだ。

『ナショナル・ジュオグラフィック』詰1947年10月号で、故バード少将が書いた『わが海軍、南極大陸を探険す』と題する記事によると、バレニー諸島付近から吹いてきた温かい風のことを述べている(訳注=リチャード・バード少将はアメリカの海軍軍人で極地探険家。1957年没)。

バレニー諸島は磁針の傾きが90度に近い磁力線のカーブ付近にある。磁南極の位置から見ると、南極の陥没地帯は地理上の極から約1,600kmの所になければならない。バードが語った温かい風というのは、この内部地域から来た気流であったかもしれない。ひどく温かいと仮定すればだ。

またバードは茶褐色の不毛の岩山地帯のドまん中にある淡水湖(複数)と共に見られる多くの無氷地域のことも述べている。ウィルクス島のクィーン・メリー沿岸付近の地域は少なくとも480平方マイルにわたって完全に無氷だった!

赤・青・緑の藻が南氷洋よりも温かい水の湖中に発見されたのだ。その記事によると、火山または温泉活動の跡は発見されなかったという。したがって、この温かい地域は夏の数カ月の間、雪や氷を寄せつけなかった温かい風または太陽熱のせいだったとされた。この特殊な地域で発生する温かい風の原因については述べてなかった。

極地探険家たちの奇怪な証言

バード提督が北極と南極の探険を始めるずっと前に、いろいろな探険家が北極に到達しようとして、頭を悩ますような現象に遭遇している。

ウィリアム・リードは『極地の怪奇現象』と越して自分の体験を1906年に書物を書いた。それによると高緯度の地域にいる多くの鳥は、南のかわりに北へ移住する傾向があることや、北極探険家がしばしば温かい風を体験したことがわかったという。しかしこの探険家たちは地球の空洞説に関する書物を読んだ形跡はない。地球に関するこうした論争はまじめに取り上げられなかった。この考え方は(空洞説は)基本的な物理学の基礎と相いれないからだ。

北極探険家たちが極地に到達しようとして、急速に曲がっている陥没地帯へ入って行った証拠は、彼らの進行度で割り出されている。フレデリック・クックの主張によると、彼は1908年4月21日に極へ達し、ロバート・ピアリーは1909年4月6日に達したという。ところがこのいずれも相手は極へ絶対に達していないと断言している。しかし両者には食い違いがある。クックには正当な証人がいなかったし、ピアリーにもいなかった。クックは1日24km進行したと公表したときに疑われた。一方ピアリーは1日に32km進行したと称している。

ピアリーは北緯88度線に近づいた後、初日に40km、2日目に32km、3日目に32km、4日目に40km、5日目に64km進行した。この旅行の状態はピアリーが平均わずか1日に32kmしか進行できなかったもっと南の状態よりも困難であったと思われている。たしかにピアリーすらもひどい条件のために犬ゾリによる徒歩速度を保つときの困難さについて述べている。

不思議な"水空"現象

ピアリーが北緯87度47分の位置から極地まで432kmを旅して7日間で帰って来たとは信じがたいことである。彼が発見にたいして手柄を認められた後に、国家の調査委貞会は後に彼の業績は"証明されなかった"ということに決めた。

ピアリーとクックがこのような驚くべき距離を踏破したと思われる理由は、北極地域の湾曲が考えられるならば理解できることである。もし彼らがなおも6,400kmの湾曲の半径をもつ表面を歩いていると信じていたならば、実際に進行していたよりもはるかに前方を歩いているのだということが星や太陽に関する位置測定の結果わかるだろう。

他の探険家たちは自分たちが予測したよりも地平線がもっと急速に変わるように思われたと言っている。たとえば『極地の怪奇現象』の中でリードは、この現象に関して探険家のグリーリーの言葉を次のように引用している。

「高い岬の各突出部に我々が近づくにつれて、その先に存在するものを見ようという我々の欲求はときとして苦痛なほどに高まってきた。新しい地点に到達し、新たな風景が見えるたびに、我々は心から喜べなかった。というのはいつも前もって地平線の一部を切り取った地点があり、そのために失望したからである」

また探険家たちは"水空"と名付けた現象のことを述べている。これは地表で彼らの前方の風景を空中に正確に反射したものである。彼らはただ空中を見るだけでよく、それを旅の進路を計画するための地図として用いた。この奇妙な状態は、地球がかなりするどく湾曲しているとすれば、たぶん発生するだろう。さもなければ空中の反射水蒸気があまりに達すぎて、探険家たちが反射を見ることはできなかっただろう。

ナンセンの航行の謎

ナンセンは北極の陥没地帯までかなりの距離を進行した初期の探険家の1人であった。彼の航海のある地点でナンセンは15日間絶えず北へ航海し、極地を1900km以上も過ぎたはずの地点で、ただ1個の星が見えて、一定の期間中、それが頭上にそのままとどまっていた。たぶんナンセンとそのグループは他の星のほとんどが見えなくなるほどに内部へ入り込んだのだろう。『最も遠い北』の中でナンセンはこれについて次のように述べている。

「太陽は海の背後に沈んでから長くたった。そして夢のような夕方の空は黄色で金色であった……。1個の星だけが見えていた。それはチェリュースキン岬の上空にとどまって、薄い空中にはっきりと悲しそうに輝いていた。我々が航行を続けて岬を右手にするにつれて、星も一緒に移動した。それはいつも真上にいたので、それを見るために座らないわけにはゆかなかった。憂うつな夜をフラム号が骨折って前進し、旧世界の北端地点を通過するにつれて、多くの思いが私の内部にわき起こってきた」

北極地域の大規模な航海の多くを通じてナンセンは自分が混乱し、根本的に我を忘れている。彼は次のように述べている。

「我々は北方への前進をしていなかったということが、私にとってますます謎になってきた。私は計算をし続けて、進行するにつれて進路を加算していったが、結果はいつも同じだった。つまり、依然として氷だけが見えるなかを、我々は北緯86度線よりもはるかに北にいるにちがいないのだ」

探険者たちはその後、温かい泥水に遭遇したが、これをナンセンはシベリアのレナ川から来たものと考えた。しかし彼らはなおも北西の方向に向かっていたのである。

一行はきれいな水の中をかなりのスピードで北へ航行したが、極地へは近づかず、2週間前と同じ状態だった。甲板を洗うために水を汲み上げてみると、水は燐光で輝いており、甲殻類の生物が捕らえられて、燃えさしの薪のように光っているのにナンセンは気づいた。彼はある出来事を次のように述べている。

「調理室でランプの明かりで私が網の中味をあけたところ、燃えさしの薪のように見える強烈な燐光で輝く小甲殻類や他の小さな動物などが……」

またナンセン探険隊は絶えず船の甲板を覆う大量のチリに見舞われた。リードの結論によると、このチリは地球内部の火山から来たという。炭素と鉄からできていることがわかったからだ。

加うるにフラム号は絶えず南へ流れる海流にさからって航行したが、これは乗組員たちを悩ませた。彼らは北へ流れる海流があるものと思っていたからである。

ナンセンは北緯81度の北方で12月の中旬に体験した信じられないほどの暖かさについて述べているし、85度では温血動物を発見したとさえ言っている。

こうした発見事は、ナンセンが北極地帯には存在しない地域へ踏み込んだことを示唆しているようだ。ただし地球の形に関する従来の説が正しいとすればだ。

みずからの体験の結果、ナンセンは、北極は非常に深い無氷の窪地または陥没地にあるのだと確信したのである。

地球の内部から川が流出?

他の北極探険家で同じような現象を観測した人々がいたけれども彼らには理解できなかった。グリーリーは、北極海との境をなすある北の海岸で大きな針葉樹を部下が発見したときには混乱してしまった。あたり全体に流木が見られたのだ。

リードの結論によれば、この流木は地球の内部から流れ出る川(複数)から北極海へ送り出されるものだという。

極北の海洋に氷がないということになれば氷山というものが別な謎の原因となる。1つの結論は次のとおりである。つまり海洋の水は北端付近で体験される広範囲な寒気を避けるために、地球の内部にまで伸びているのだと。リードも北極の氷山は地球内部から流れ出る川のためだと主張している。この川(複数)が地球の外部表面付近の寒冷地帯に到達すると、それが凍って氷山になるのだという。夏の数カ月間、氷山は解けて海洋に流れ込むのである。

近代のバード少将の極地探険は壮大なスケールの軍事行動であり、莫大な努力が払われた。バードはもともと無制限の財力と、彼を助けるための近代的な技術を持っていた。飛行機は短期間に遠距離をカバーできたし、初期の探険で体験した困難な条件を避けることもできた。

レイモンド・バーナード博士は1969年に出版された『中空の地球』と題する本を書いているが、その中で彼は『空飛ぶ円盤』誌の編集者であった故レイ・パーマーの記事を次のように引用している。

「バード少将の南北両極への2回にわたる飛行によって、両極地帯における地球の形に"奇妙なもの"があることを証している。バードは北極地点へ飛んだが、そこへ着陸したり引き返したりしないで、なおもそこを越えて2,720kmも飛んだ。それからもと来たコースをたどって北極の基地へ帰ってきた。これは燃料が少なくなったからである。」

「北極地点を越えて前進するにつれて、氷のない土地や湖、樹木で覆われた山々、ヤプの中を動く太古のマンモスに似た巨大な動物などが見られた。そしてこの光景のすべては飛行機の乗員によって無線で報告された。2,720kmのほとんどすべてを飛行機は陸地、山々、樹木、湖(複数)、川(複数)などの上空を飛んだのである」

右の記事が事実であるとすれば、バード少将とその部下たちは、大衆の全く知らない場所を探険したことになる。

どうやら海軍は1958年の探険中に"北極"に到達しようとして"氷"の下で、地球の内部を探険したらしい。しかし何かの謎の理由により、この探険は極秘にされて、原子力潜水艦ノーティラス号が帰る途中にアイスランドの沿岸沖で浮上するまでは、大衆はそれについて何も知らされなかったのである。

こうした極地の陥没地帯の存在について指摘する別な情報もある。たとえば、1960年にトロントの新聞『ザ・グローブ・アンド・メイル』に1枚の写真が掲載された。これは北極地帯で飛行士が撮ったもので、起伏する丘のある緑の谷を写している。

ソ連は明らかに極地の状況に気づいていた。なぜならソ連のスプートニク衛星と人工ロケットのすべては、かなりな距離で両極を見失うような軌道を飛んで、ついに、極の上空を飛ぶ多くの初期の衛星は、北極地帯の上空で謎の失跡をとげたという噂が流れた。当然のことながら、たとえ衛星が地球上空数千マイルを飛んでいたとしても、引力の食い違いは恐ろしいものとなる。高度160kmの軌道で衛星は陥没地帯へ入り込んだか、またはその一方の側に落ち込んだのかもしれない。

月は薄い地殻の空洞の天体か

この章を要約すると、北極と南極の陥没地または穴のある中空の地球にたいする証拠は出てきたのである。人工衛星が撮った写真は北極の大きな陥没地または穴と思われるものを示している。しかし筆者は南極の陥没地の写真の保管場所をつきとめることはできなかった。たしかにすぐれた極地写真を入手するのは困難である。

筆者が手に入れた北極の写真類は、赤道面付近の軌道に乗っている人工衛星または他の宇宙船によって絶えず撮影されたものだが、いずれも大写しの細部を写してはいない。

過去百年にわたる探険家たちの記事は、北極の陥没地存在の証拠を提供してきた。NASAが行った月面の地震実験の結果、月はかなり薄い地殻を持つ中空の天体かもしれないという証拠が出ている。かわってこのことは地震擾乱(じょうらん)や北極地帯を揺影した人工衛星の写真類が示すかもしれないように、地球も空洞だということを意味するのである。地磁気による根拠すらもこのことを裏付けている。

最後に言うと、本章であげた証拠は、月の強い引力と充分な大気に関するもとの論点を裏付けるものである。しかし、これまでに得られた証拠類はまだ決定的でないので、極地の穴や陥没地は存在しないかもしれない。もし存在しないとすればオーソドックス科学で説明できなかった多くの謎が残ることになる。月の強い引力や充分な大気の存在は、極地の穴や陥没地と関係はないとまたも強調して間違いはない。これまでにあげた他の根拠は、月の本当の性質に関してNASAと軍部が隠蔽しているという論点の裏付けに独自な役割を果たしている。

第10章(1)へ続く
home artcles letters pictures ufo bbs お問い合わせ link