彼らは月面では何もしなかった!
月の引力は地球の引力の6分の1であるということになっている。この引力ならあらゆる物体は地球上の重量の6分の1、すなわち16.7パーセントになるはずだ。体重82キロの人はわずか13キロに減るだろう。アメリカの宇宙開発計画やアポロ計画が始まる前から、評論家たちは月面上の人間の運動能力についてあれこれと考えており、その計算は6分の1の引力を基にしていた。大衆も宇宙飛行士が月を探険するときのすごい運動能力による離れ業を期待していたが、しかし何も演じられなかった。読者は月面を動きまわる宇宙飛行士がテレビの画面に映ったのを覚えておられるだろう。覚えておられるならば、筆者は読者が何か異常を離れ業を見たのを思い出して頂きたいと言おう。実際には何もなかったのだ。
サイエンス.ダイジェスト詰の1967年11月号には、『月面での歩き方』と題するジェームズ.R.ペリーの記事が出ている。その中でペリーは、人間は月面で4.2メートルにも及ぶスローモーション跳躍や後ろ飛びができるだろうし、プロのような運動もできるだろう。また両腕でハシゴやポールなどを容易に持ち上げることができるだろうと予測している。
別な予測が『月に関するアメリカのニューズ.アンド.ワールド.レポート』の執筆者たちによってなされた。
「地球の6分の1の強さしかない月の引力なら、月で野球をやればホームラン打者は800メートル以上もボールを飛ばせるだろう。ティーから打ち出すゴルファーのタマは地平線上を超えて飛ぶかもしれない」
引力の場の中で1つの物体が飛び上がる高さは初速にかかっている。もし物体が6分の1の引力の場で地球と同じ初速をもっていたとすれば、6倍の高さにまで上昇するはずである。その物体の初速が地球の速度の2倍になれば、24倍の高さに達するし、3倍になれば地球での高さの54倍になる。
人は自分の膝を曲げてから腿の筋肉をいっぱいに伸ばして垂直にジャンプする。そうすると一定の初速で地上から飛び上がれる。もし宇宙飛行士が地球で行うのと同じ勢いで6分の1の引力を受けながら垂直に飛び上がるとすれば、初速は地球上よりもはるかに大となるだろう。したがって宇宙飛行士は6倍以上も高く飛べるはずである。
ヤングの演技?
このような例を持ち出そうとして、今ここに6分の1の引力と地球の引力でジャンプカを比較するために控えめな手がかりを引き出した。面倒な要素は飛行士が身につけている宇宙服と背のうの重量である。NASAの発表によれば服装一式は84キログラムの重さがあるという。
これを地球上で着て歩くのは身震いするほどの重量だが、6分の1の引力なら問題はない。いま宇宙飛行士の体重が84キロあり、服装一式が同じ重量としても、6分の1の引力ならば28キロにすぎない。これは地球における宇宙飛行士の体重のわずか3分の1である。したがって飛行士は重い物を身につけないで地球上で飛ぶよりも、はるかに高く垂直に飛び上がることができたはずだ。
多くのプロスポーツマンは、バスケットボールのレイアップみたいに体ないっぱいに伸ばすと地上1メートルを超えてジャンプできる。こうしたスポーツマンは例外だが、コンディションのよいときの一般人でも垂直飛びで45センチは容易に飛べる。宇宙飛行士も地球上で普通に飛んでこの程度は可能だろう。アポロ16号が月に着陸したとき、ジョン.ヤングの垂直飛びを筆者は何度もフィルムで見たが、宇宙服の機動性と飛んだ高さについては問題がある。
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▲アポロ16号のジョン・ヤング横長が月面で飛んだ瞬間。 |
地球上で少なくとも45センチの垂直飛びをするには、84キロの体重の人による約227キロの上向きの力を出すことによって可能になる。巻末の付録Fに方程式が載っているが、それには6分の1の引力で宇宙飛行士が飛んだ高さと、(背中に体重と同じ重量の荷物を背負っている)、地球で荷物なしに同じ飛行士が飛んだ高さの比較が出してある。いずれの場合でも上向きの力は同じだと考えられる。直立したままの垂直飛びでは両膝をわずかに曲げるだけだから、宇宙服は飛行士にたいしてほとんど妨げにはなるまい。月面のジョン.ヤングのテレビに映った姿は、正常な飛び方で飛ぶのに両腕と両足を用いることができたことを示している。
付録Fで計算された比較ジャンプカの比は結局四以上であることがわかった。これが意味するところは、宇宙服を着ていても、もし月の引力が地球の引力の6分の1だとすれば、ヤングは月面で1.8メートル以上をジャンプできたはずだということだ。だが実際には彼のジャンプは地面からせいぜい45センチ離れたにすぎない。筆者が観察したところによると、ヤングは数度、できるだけ高く飛ぼうとしたけれども、45センチ以上の高さに達することはできなかった。ヤングは本書(原書)の写真2にジャンプの1つでピークに達した光景を見せている。旗竿に比較して彼のヘルメットの上部の位置に注目されたい。批判する人は、彼が本当に飛んでいるのではなく、わざと最小限度の高さを保っているのだと言うかもしれない。しかし、もしそうだとすれば、背中の荷物や宇宙服なしに地球で同じようなジャンプをやれば、わずか12センチそこらしか浮き上がれないだろ。したがって、これはおそらく月には弱い表面引力しかないことを見せかけようとするヤングの最後のチャンスだったのだろう。なぜ彼は1.2メートルも飛んで世界に印象づけようと納得のゆく動作をしなかったのか? だが筋の通ったジャンプをやれば、月には弱い引力しかないという決定的を証拠となるだろう。しかも弱い引力ならば、荷物を背負い、宇宙服を着ていてもケガをする危険はほとんどないということになるのだ。
宇宙服は障害にならぬ
宇宙飛行士が月面で約45センチしか飛び上がることができなかったという知識をもって、さらに宇宙服の重量がNASAの言うとおりだとすれば、月の引力はひかえめにみても地球の引力の50パーセントはあると付録Gで計算されている。もしNASAが宇宙飛行士の服の重量を大げさに言ったとすれば、月の引力は少し強くなるはずだ。続く証拠は宇宙服の重量が34キロほどであったことを暗示している。付録Hでは月の引力は地球の引力の71パーセントあると計算されているが、これは次の仮定にもとづいている。
「ジョン.ヤングは月面で45センチ飛び上がった。彼の宇宙服と背中の荷物は地球でなら各34キロの重量がある。そして彼は地球でなら身に何も着けないで45センチ飛び上がれるだろう」
多くの評論家は、アポロ11号の宇宙飛行士が着用した宇宙服は極端に窮屈であるという印象を与えているようであった。
だがウィルフォード著の 『われわれは月に到着する』から引用する次の情報は、これは必ずしも当を得ていないことを示している。ウィルフォードの述べるところによると、ニール・アームストロングは地球の6分の1の引力のもとで、かさばった宇宙服と重い荷物を身につけながら容易に動きまわれることがわかったという。その服は地球でなら84キロもあるものだが、中にいる人間は歩いたり土を堀ったり登ったり月面に装置をおいたりできるほどに柔軟であった。またウィルフォードは、宇宙飛行士たちは月面で予想したほどに歩行や仕事に難儀を感じなかったし、カンガルーが飛ぶように容易に飛び上がったと述べている。
6分の1引力説は、「宇宙飛行士たちはどのように行動すべきであったか」 にくらべて「彼らが実際にはどのように行動したか」を説明するほうに問題をひき起こすのである。ジャンプするときの困難さは宇宙服のかさばりのせいではない。しかし実質上の月の引力は各種の問題を生じるだろう。
厳重な秘密保持
これまで出された情報に照らしてみると、秘密漏洩防止策が管制センターばかりでなく月面の宇宙飛行士の会話にまで及んでいたということは読者にとって驚くにあたらないだろう。宇宙飛行士がしゃべった望ましくないコメントを削除して編集し直す能力を当局は大衆へ伝達する前にいつも身につけていた。地上の管制センターが月から情報を受けて、それが一般のテレビに流されるまでには遅れがあったのだ。
以下はルイス著の『アポロの航行』からとった情報の要約である。これはアポロの使命活動に行使されたコントロールの度合を指摘している。それによると、宇宙飛行士の仕事はすべて前もって慎重に筋書きが書かれていた。宇宙飛行士たちは予定どおりに滞在するために、芝居の俳優のように忠実に筋書きに従うようにきめられていた。あらゆる行動が計画され、時機が定められ、記録されていたし、計画からどのように脱線しても、うまく説明し、正当化されたのだ。事実上、あらゆる出来事や行動は飛行計画によって左右されていた。この計画書なるものは電話番号帳ほどもある大きな台本である。
飛行士たちの会話でさえも慎重にコントロールされたらしい。特に飛行士たちが映画に振られているか、またはテレビ用に録画されていることを知ったときは、なおさらであった。飛行士たちの1人が緊急連絡をすると、これは当局によってあとから説明されるのである。
アポロ12号は11号による最初の月着陸よりももっと広範囲を使命を帯びていた。アームストロングとオルドリンは月面に2時間半しかいなかったのに、コンラッドとビーンは宇宙船から8000メートルも離れて、合計7時間以上もついやしている。この月飛行は多くの科学実験を含んでいたが、そのなかにはアルミニウム箔シートによる太陽風粒子収集の実験もある。これは後述の大気に関する章で述べることにしよう。
月の引力は6分の1ではない!はるかに強いのだ!
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▲月面に降りるニール・アームストロング |
月の引力が強いことを暴露したアポロ12号の最初の重大な矛盾は、コンラッドが月面に向かってハシゴの最下段から最後の90センチを飛び降りた直後に起こった。以下の情報はルイスによるその事件の記事を要約である。
「コンラッドが月着陸船の着陸パッドの上に立ったとき、彼は、その最後の1歩はニ−ルには小さな1歩であったかもしれないが自分には長い1歩だったと述べた。続いて彼はパッドを離れて、かなりうまく歩けると言ったが、落ち着いて自分のやっていることを見つめる必要があるとも言った。コンラッドが石のサンプルを拾い上げようとしたとき、ビーンが『倒れるな』と注意した。コンラッドが前方へかがみすぎているように見えたからだ。もし倒れたら宇宙服を着ているために起き上がるのが困難なのだろう。そこでコンラッドは、ビーンが自分で思うほどに早く敏速に動けるとは思わなかったと言った」
右の出来事ではどうやらコンラッドは最後の90センチのジャンプのことを言っていたらしい。というのは彼はニール・アームストロングの地面への飛び降りに言及したのであって、ハシゴの最下段への1歩のことを言ったのではないからだ。6分の1の引力で90センチの高さから飛び降りるのは、地球で15センチの高さから飛び降りるのと同じだろう。重い生命維持装置を背中につけていてさえも、90センチの飛び降りは宇宙飛行士にとってほとんど何ということはないだろう。彼らは自分の腕の力だけで体を降ろすことができたはずだ。いかなる困難をも感じる余地はないことななる。
コンラッドが地面を動き始めたとき、彼は重量のトラブルを体験したにちがいない。しかし重い宇宙服を着ていてさえ、宇宙飛行士たちは6分の1の引力で倒れたにしても立ち上がるのに問題はなかったはずである。彼らは自分の腕の力だけで地面を押して立ち上がれるだろう。彼らの月面での体重はわずか27キロしかないからだ。しかし出てきた証拠は6分の1引力説を裏付けていない。月の引力は地球の表面でみられる引力に近いことを示しているのである。
ライフ誌1969年12月12日号に掲載された写真には、アポロ12号の宇宙飛行士アラン・ビーンが重量86キロもあるというバーベル型の荷物を運ぶ姿を示している。この荷物は月の引力下で13キロしかないという写真説明は、その写真と矛盾している。なぜをらその写真では径約2.5センチの横棒が曲がって見えているからだ。この写真は本書(原書)では写真3として掲載されている。
この光景を撮影した映画ならばもっとはっきりする。ビーンが月面上をこの荷物をかかえて動くにつれて、両端の重い荷物により横棒が上下にたわむのだ。またその荷物はビーンの動きからみると相当に重いことは明らかだった。
残りのアポロ飛行について述べる前に、月旅行のために宇宙飛行士がどのような訓練を受けたのかを調べるのは価値のあることだ。84キロの体重の飛行士が、84キロもある生命維持装置や宇宙服を身に着けたとすれば、その合計は地球では168キロにもなるが、もし6分の1の引力なら28キロにすぎない。したがって、6分の1引力の条件を作り出した地球のシミュレーション(模擬実験)では宇宙飛行士とその荷物を地球での正常を重量の3分の1にまで減らす必要があろう。地球上で6分の1の引力を作り出そうとすれば、水中か、または人間が上下のいずれに動こうとも実際に人間と荷物を軽くするのに役立つような特殊を装置を用いる必要があるだろう。この方法のいずれもNASAが採用した。しかし1964年の初めに宇宙開発科学者は、水または特殊な装置を用いなくても月の仕事場の代用ななる場所としてオレゴン州を発見したのである。
オレゴン州でのバカらしい演習
宇宙飛行士たちは"月面上の脚をつくるためにオレゴン州ベンドヘ派遣された。まずウォルター・カニンガムが、月面でアームストロングとオルドリンによって使用されることになっていたある道具と、宇宙服、背にかつぐ生命維持装置などを徹底的に試してみた。ところが最初のテストのとき溶岩の上でカニンガムは体のバランスを失って親指をくじいて、服の手袋に小さを穴をあけたので、そのために服の内部の気圧が減ってしまった。
ここでは明らかに完全シミュレーションが試されたのだ。そうだとすればNASAの人々は重量の問題をどのようにして合理化できるだろう。こんなやり方で6分の1の引力の条件が作り出せるわけがない。たとえ背中の荷物がかなり軽くされたとしても、84キロの宇宙飛行士と宇宙服の合計重量は、要求される月面での重量の3倍をはるかに超えるだろう。
どちらかといえば、そのテストの本当の目的は月の引力が地球の引力とほとんど同じであると想定して実験を行うことにあったにちがいない。
オレゴン州ベンド地域で宇宙飛行士たちが宇宙服を着て全く自由に動きまわれたということは、宇宙服が84キロよりもはるかに軽かったということを暗示している。この演習のバカらしさはNASAの隠蔽策をきわめてはっきりさせている。1963年の初めにそのテストが始まっているので、月の強い引力が少なくとも1962年の初め頃に発見されていたことは明らかである。このことは本書の第3章で出された結論、すなわちレインジャー月ロケットが1962年までかそれとももっと早く月の引力を決定する情報をNASAに与えたということを裏付けている。
第5章(2)へ続く |