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  ルールドの奇跡 久保田 八郎
 

第6章 筆者あとがき

現代でもルールドでは奇跡が発生している。

イギリス・グラスゴーに住む3歳の幼女が全身をガンでおかされ、病院で見放されたあと、両親につれられてルールドへ行き、聖泉につけられたり水を飲んだりした。そのときは何の変化も起こらなかったが、帰宅後3日たって急速にガンが消滅し、完全な健康体になった。これはスコットランドの医学界で大評判となり、アメリカの『ニューズウィーク』誌の1971年8月9日号に本人の写真入りで大きく掲載された。


現在のルールドと奇跡

このルールドの聖泉の水は腐らないので、プラスチックの小ピンにつめて売られている。戦後、わが国でも島根県の一中学生が腹膜炎で死にかかっていたとき、カトリックの外人宣教師からこのピンを与えられて飲んだところ、奇跡的に数日後には全快したという話をその宣教師から聞いたことがある。

ルールドで奇跡的な治癒が発生するのほ、病人の「治る!」という自己暗示によるのだという説もあるが、これは妥当ではない。なぜなら3歳の幼女や危篤状態であった中学生に自己暗示などできるはずがないからだ。

この水にゲルマニウムが含まれているからだという説もある。だがアレキシス・カレル博士が目撃したマリー・フェランの奇跡的治癒は、一般に伝えられるような泉水を飲ませた結果ではなく、洞窟の入口のところで発生しているのである。水とは無関係なのだ。

そうすると、なぜルールドで奇跡が発生するのか? これは永遠の謎である。科学的にはまったく解明できず、また、治ってしまった病人の体を調べてみてもどうしようもないのだと、ルールド医務局のマンジャパン博士が語ってくれた。

▲ベルナデットの家族が住んでいた元牢屋であった部屋の中で祈りの言葉を読む筆者。
▲ベルナデットの家族が住んでいた元牢屋であった部屋の中で祈りの言葉を読む筆者。

この医務局の壁には奇跡が発生した人の写真がいくつか掲げてある。そのなかに、顔の下半分がガンでつぶされて、見るも恐ろしい形相になった中年の婦人が、ルールドの聖泉をあびてたちまちにして美しい顔に変化した実例を示す写真がかけてあった。治る前と治ったあとの2枚の顔写真を見ると、同一人物だとは信じられないほどだ。

医務局で厳密な調査の結果、奇跡と確認された治癒例は、ベルナデット在世当時以来1978年(昭和53年)までに全部で64件であり、第1号として本書で述べたカトリーヌ・ラタピ・シュアという39歳の婦人の奇跡が、1858年3月1日付で記載されているけれども、筆者がマンジャパン博士からいただいたこの奇跡発生名簿を見ると、アレキシス・カレル博士が目撃したマリーの氏名は出ていない。マリー・フェランというのは仮名で、本名はマリー・ベイユだといわれているが、その名も見あたらない。いろいろ調べたが、この理由は不明である。もちろんこの名簿以外にも治った人は無数にいる。

マッサビエユの洞窟の入口の岩壁は100年以上にわたって数千万人の人にさわられたせいか、なめらかになって、人工的な映画のセットみたいになっている。そしてさまざまのグループのボランティアが病人の世話で大活躍しているので、ここではベルナデットの奇跡よりも奉仕する人びとの献身的な活動に胸を打たれる。

洞窟の人口の右上の小さい洞穴には、かつて美女が出現した位置に、ファピッシュが制作した大理石のマリア像がいまも立っている。そして台石の正面には横文字で、「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・コンセプシアウ(私は無垢の受胎です)」ということばが取りこんである。

この像をしばらく見つめていた筆者は、ふと疑問が起こってきた。

ベルナデットの眼前に出現した"美しい女性"のまぼろしは聖母マリアだったと万人が信じて疑わないが、ほんとうに聖母の霊姿だったのだろうか。2000年前にイエスを生んだといわれるマリアは、はたしてそれほどの美女だったのか。

「インマクラダ・コンセプシアウ」は標準フランス語に直せば「インマキュレ・コンセブスィオン」となり、これは「純潔な受胎」または「無垢受胎」の意味にとられて、処女のまま懐妊した聖母マリアの別名みたいになっている。

だが「コンセブスィオン」ということばは「受胎」という意味以外に「理解、悟り」という意味もある。そうすると、「純粋な(完全な)悟り」という意味にもなる。そうだとすれば美女は聖母マリアとは無関係な意味で発言したということになる。だいいち美女はベルナデットに向かって「自分はイエスの母親のマリアだ」とはひとことも言っていない。聖母マリアにしてしまったのは周囲の人たちなのだ。美女のまぼろしについて筆者はある推測をしているのだが、ここでは省略しよう。

あれこれと推理をめぐらしながら筆者自身も聖泉の浴室へ入って水を浴びた。ここでは全裸にさせられる。ただし男女別棟になっており、無料である。

フランス人の奉仕員2人に両腕をとられて浴槽へ入り、アッというまに仰向けに水につけられて、すぐひき起こされる。その間数秒。水はにごってきたなく、義理にも聖泉のイメージは起こらないが、冷たくて爽快だ。浴びたあとは体をふいてはいけない。ぬれたままで下着を着るのだが、ふしぎにまもなく乾いてしまった。

聖泉の飲み水は、別なところに石壁があって、そこに蛇口がたくさんとりつけてあるので、いくらでも飲める。生水だからおいしい。

人間は病気が治らないから信仰心を起こし、このような水につかったり飲んだりして超自然な方向に足るのかというと、そうでもないようだ。ベルナデットを苦しめた肺結核などは、現代なら杭結核薬のINH、RFP、カナマイシンなどで容易に治るし、ゼンソクもすぐれた治療薬が発達している。だがベルナデットがこうした科学的な治療を受けて健康体になったとしても、やはり聖母信仰を捨てなかっただろう。

ある特殊なカルマ(宿命)をもつ人びとは、いかなる科学の恩恵に浴しても、自己の思想傾向を変えることはない。一方、ルールドでどんなにすごい奇跡を見せつけられても、信じようとしない人は信じないだろう。

こうして人間の精神にさまざまのタイプが存在することのほうが、もっと神秘的に思われる。だからアレキシス・カレルは名著『人間この未知なるもの』で、人間そのものの不可思議性を説いているのである。

▲聖地ルールドの全景図
▲聖地ルールドの全景図
1:聖母マリアのまぼろしが出現したマッサビエユの洞窟。 2:聖泉の水浴場。 3:病人のための十字架の道。 4:洞窟の反対側の草原。 5:病人巡礼者のためのセンター。 6:聖泉の飲用水蛇口のある場所。 7:大聖堂。 8:医務局。 9:地下聖堂。10:聖ベルナデットの祭壇。 11:巡礼者事務所。 12:集会室。 13:冠をつけた聖母マリア像。 14:病院。 15:聖ヨセフ教会。 16:聖ミシェル館。 17:ピオ10世記念地下大聖堂。 18:博物館。 19:カトリック展示館。

ルールドにはベルナデットが生まれたポリの水車小屋も残っており、内部には当時使用された家具類も残されているが、外観は原型をとどめぬほどに修復してある。ベルナデットは美女とコンタクトした1858年ごろには、もと牢屋であった部屋に住んでいたのだが、この6畳ほどの広さの部屋もむかしどおりに保存されている。陽のあたらぬこんな狭い場所に一家6人がつめこまれていたのでは、病気になるのが当然だ。

ベルナデットが幼児のころに預けられ、コンタクトを始める前にも一時的に住んでいた隣村のバルトレスの叔母の家も残っており、室内の壁には当時使用した大きなフライパンなどがかけてある。また彼女が羊たちをつれて登ったでこぼこの坂道もまったくむかしどおりであり、牧場の羊小屋も往時のままだ。

▲安らかに眠る聖女ベルナデット。筆者撮影。
▲安らかに眠る聖女ベルナデット。筆者撮影。

ヌベールのサンジルダール修道院でベルナデットの遺体を拝観した。礼拝堂の奥のきれいなガラスケースの中に横たわっている体は意外に小柄だ。彼女が年齢不相応に子どもっぼく見えたというのもうなずける。ただし、ケースの手前約3メートルの位置に柵があって近よれないから、細部を観察するには双眼鏡を要する。しかし顔と手の部分には薄いロウマスタがかぶせてあるので、遺体といってもミイラそのものは見えない。

彼女が死ぬまで使用した病室もベッドとともに残してあるし、息を引きとったひじかけ椅子も足台とともに保存してある。ここはかなり広い部屋で、板敷きの床はたびたび修復したのだろうが、建物全体はベルナデットがいた当時のままである。百数十年前にこのような建築物があり、現代とあまり変わらぬ生活様式をもっていたヨーロッパ社会の生活文化と、わが国の幕末時代のそれとを比較しないわけにはゆかなかった。

筆者はカトリック信者ではないし、キリスト教とはいっさい無関係なノンフィクションミステリー研究家にすぎないが、多くの資料を調べて言えるのは、ベルナデットが美女のまぼろしを見たのはまさしく事実であったということである。をしてルールドが無数の病人を救ったこともまちがいない。宗教をぬきにして考えてもこの事実は否定できないのである。ぞして、科学で解明できないふしぎな現象がこの世界にまだ山のようにあることを考えれば、謙虚さとオープンマインド(広い心)の必要を痛感するものである。

なお、本書の執筆にあたっては一覧表に掲げた著書を参考にした。その他現地で入手した多数の写真集や解説書も参考にした。

またベルナデットや関係者の写真を豊富に残してくれた当時のフランスの写真家たちのすぐれた技術に賛嘆の念を禁じ得ない。千万言をついやすよりも1枚の顔写真が本人そのものを雄弁に物語るので、これらの写真がなかったならばベルナデットはもっと伝説化され、神秘視されるようになったかもしれない。

最後にルールドで丁寧にご案内いただいた現地在住のルールド研究家、鈴鹿恵美子女史にあらためて感謝するしだいである。

1984年8月 久保田八郎

【参考資料】

ルネ・ローランタン著『ベルナデッタ』 (ミルサン・五十嵐茂雄訳、ドンボスコ社)、志村辰弥編著『ルルドの出来事』(中央出版社)、アレキシス・カレル著『ルルドへの旅』 (稲垣良典訳、エンデルレ書店)、フランシス・トロシュ著『聖女ベルナデット』 (ダスタレ・ド・ブルワ社)、ジャン・パブティスト・エストラード著『ルールドの出現』 (アンプリムリ・ド・ラ・グロット発行)、ルネ・ローランタン著『ベルナデットは語る』全2巻 (ウーブル・ド・ラ・グロット発行)、その他。

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