「呼吸が落ち着いたようだ」「いよいよ最期ですぜ」
奇跡をまったく信じないMは、ぶっきらぼうに答える。カレルは担架のそばの低い柵の前に立ったまま、全身の神経を集中してマリーの顔を凝視し続けた。
「われらが神の子の聖母の御名のために―」司祭の祈りの声が響きわたり、巡礼者たちが唱和する。聖歌が流れ、ゆれるロウソクの火で人びとが照らされて、秀才カレルの知的な顔が輝く―。
「あっ、やった!」カレルの全身は驚異と興奮で爆発した。マリーの腹にかけてある茶色の毛布が少しずつへこんでゆくではないか!
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▲ルールドの大聖堂とガーブ川。ルールドの町も聖地として近代的な様相を呈してきた。 |
「おい、あれを見ろ!」カレルは毛布を指さしながらMにむかって叫んだ。
「ありや、低くなったようですな。でもこれは毛布の折り目のせいでしょう」Mはまだそんなことを言っている。
だがMも数分後に顔色を変えた。毛布は2人が見ている前で、しだいに平たくなってぺしゃんこになったのだ!その問、わずかに3、4分!
地獄からの帰還
大聖堂の鐘が3時を打った。気も狂わんばかりにカレルはマリーの顔をのぞきこんで、呼吸と心臓を調べた。脈はまだ速いが、規則正しい。顔には血の気がよみがえり、目もばっちりと開いている。
「気分は?」カレルはせきこんでたずねる。
「ずいぶんよくなったようです。まだ力が出ませんが、先生、治りました」低い声で、はっきりとマリーは答えた。
なんということだ!数分前までは危篤状態だった少女が、まるで夢からさめたように微笑を浮かべてカレルの顔をみつめている!
つきそいの女性がマリーにミルクをすすめると、彼女はおいしそうに一気に飲みほした。それから顔をもちあげて周囲を見まわし、両足を少し動かして横向きになった。楽しそうに群集を見つめている。
死者は復活した!やはり奇跡は発生したのだ!声も出ないままカレルは呆然として担架のそばに立ちつくしている。この世の次元から別な次元の世界に移行してしまったかのように、頭がボーッとして思考がまとまらない。
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▲大聖堂前広場で病人を祝福する司教。 |
若い女性は平然として黙視していた。このような奇跡を数多く見慣れているからだ。カレルは目を皿のようにして、長いあいだマリーを見続けた。
時刻は4時になろうとしていた。洞窟を出て、全身を打ちのめされたようにふちふらになったカレルが、「ロザリオの広場」を通って医務局へ着いたとき、入口のところにボワッサリー博士が立っていた。
多数の奇跡を自分の目で見ている博士は、カレルがたったいま目撃したショッキングな体験を聞いても、べつだん反応を示さない。このルールドでは、ガンや悪性の結核などが瞬時に全治した実例がたくさんあるのだと答えた。
奇跡は事実であった
だがカレルはマリーの体を精密に診察したわけではない。自分は幻覚を起こしたのかもしれないと思った彼は、夕方7時半に燃えるような好奇心をもって病院へ入って行った。
「無垢の受胎病室」のドアを開けてマリーのベッドへ近づいた彼は、驚異に満ちた目を大きく開いて立ちつくした。まぎれもなく奇跡は続いていた!清潔な白い上衣を着たマリーが、ベッドに上半身を起こして微笑しながら迎えたのだ!
顔は生気に輝き、頬には赤味がさして、長い病苦のあとだからやせてはいるものの、健康そのものの若い女性の姿があるのだ。これは夢なのか、それとも現実か―。
マリーが話しかける。「先生、すっかり治りました。歩くこともできそうですわ」
カレルはいそいでマリーの体を診察した。脈は80。呼吸もふつうで、下腹部の山のようなふくらみは悪夢のように消えて、固いぐりぐりも跡かたもなく消滅し、どこを見ても正常な体である。
他の医師2人が入ってきて診察したが、やはり完全な治癒を確認した。
「これからどうするつもりなの?」少女の顔を見つめながらカレルがかすれた声でたずねる。
「聖ビンセンシオ・ア・パウロ女子修道会に入って、病人のために奉仕します」マリーは幸せそうに力強く答えた。
カレルは外へ出た。ロザリオの広場の方へ足が向かう。夕方の宗教行事として名高い巡礼者のたいまつ行列が始まっている。無数のロウソクの火の海のなかにルールドの聖母の歌が響きわたる。
数千人の群集をかきわけて彼はガーブ川のほとりへ来た。清冽な水の流れがたいまつの光にきらめいている。3時まで死の世界に入りこんでいた少女が瞬時にして生の世界によみがえり、夕方の7時半には、うれしそうに未来の希望を語ったのだ。冷静な科学者たちはこの事実をカルテに記録した。絶対に否定できない一大奇跡がカレルの眼前で発生したのだ。あのベルナデットが聖母のまぼろしを見た洞窟の入口で―。
自分は目撃した。科学と常識を超えた驚異の事実を―。いったい肉体とは何なのか、病気とは何か? 人問とは? 神とは?
果てしない想いにかられながら、涙にぼやける星空をアレキシス・カレルはいつまでも見つめていた。
聖痕
キリストは十宰架にかけられたとき、両手両足に釘をうたれ、頭にはイバラの冠をかぶせられ、そしてわき腹をやりでつき刺された。これと同じ傷が生身の人間の身体に現れ、出血することを聖痕現象といい、これには医学的な治療はまったく効をなさない。
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■ドイツの修道女テレサ・ノイマンの両手にはっきりと現れた聖痕。血の涙も流した。 |
記銀に残るもっとも古い事例は、アッシジの聖フランチェスコである。この聖者は死の2年前、1224年に聖痕を受けた。とくに両手両足の傷口からは、色といい形状といい鉄の釘にそっくりな固い"肉の釘"がつき出ており、そのため聖者は歩くことさえままならなかったと伝えられる。
以来、欧米では数多くの聖痕現象が報告されている。聖痕は出血しない赤い小さな斑点から、肉を貫通した穴、聖フランチェスコのように突起物があるものまでさまざまである。傷の形も正方形、卵形、長方形などがあり、現代最高の聖人として名高いピオ神父のわき腹の傷は十字架状をしていた。しかもピオ神父の傷口から流れる血は凝固することがなく、かぐわしい花の香りを漂わせたという。
ドイツの修道女テレサ・ノイマン(I962年没)も、はっきりした聖痕の持ち主だった。彼女はキリスト受難の日の金曜日がくると、、きまって聖痕から出血し血の涙も流した。テレサは毎週500CCもの血を流し体重も3・6キロ減少したが、日曜日までにはすっかりもとどおりになった。
近代以前のキリスト教でば、聖痕はキリストの受難を追体験するものとして高く評価され、敬けんな信者にのみ現れるとされていた。ところが現在では、聖痕=信仰心の証とはみなされていない。そして事実、宗教とはあまりつながりのない聖痕現象もある。
19世紀前半、イタリアに住む一人の少女に聖痕が現れた。ドメ二力・ラザーリという名のその少女は、数年前に受けた外傷性ショックが原因で極度の神経過敏におちいり、光にも音にも苦痛を訴え、寝たきりの生活を送っていた。聖痕はまず少女の手や足、ついでわき腹に現れ、さらに顔にも刺し傷が現れた。少女はたえまない痛みをこらえるようにつねに両手をきつく握りしめていた。手の甲の中指と薬指の中間には、直径2・5センチほどの黒い釘のようなこぶが盛りあがり、そのちょうど裏にあたる手のひらには深い刺し傷があった。
ドメニ力もテレサと同様、毎週金曜日になると出血した。額の傷から流れ出る血で少女の顔は血だらけになったが、その血をぬぐう刺激にも耐えられないほどだったため、人びとはただ見守るだけだった。そしてふしぎなことに、少女の足から流れ出す血はシーツへは流れ落ちず、まるで十字架上のキリストが流したように、重力にさからって爪先へ向かって流れるのだった。ドメニカの苦しみは11年間続き、1848年、眠るように息を引きとった。
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第6章 著者あとがきへ続く
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