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  ルールドの奇跡 久保田 八郎
 

第1章1部 ベルナデットだけが見た高貴な女性

世界で奇跡が発生する場所が3ヶ所ある。フランスのルールド、ポルトガルのファチマ、メキシコのグァダルーぺで、いずれも聖母マリアのまぼろしが出現した聖地として有名である。

はじめに

これらの聖地へ参拝した難病患者で、奇跡的に治ったという人がいまもってあとをたたないのだが、このなかでとくに名高くて巡礼者の多いのがルールドである。

筆者 久保田八郎
▲サンジルダール修道院の礼拝堂前に立つ筆者。この礼拝堂の中にベルナデットの遺体がある。

いまから126年前(明治初年より10年前)に、この地で生まれ育った少女ベルナデットが体験した奇跡により、ルールドのマッサビエユ洞窟のそばにわき出た泉の水を飲んだり浴びたりすると、医者が見離した難病が即座に治るという例が続出して人びとを驚かせ、以来、世界のカトリック信者や難病患者のあこがれの土地となってきた。

参拝する人の全部に奇跡が起こるとは限らないが、なかにはがンにおかされた入が即座に治ったり、松葉杖をついてやってきた足のわるい入がすぐに全快して、喜び勇んで帰ってゆく。こうした人たちが置いていった松葉杖がルールドに山積みされている。

筆者は戦前の少年時代からルールドのことを本で読んで知っており、この奇跡にひどくひかれていた。後にカトリックで列聖されて"聖女"とたたえられるようになったベルナデットについても外国で数本の劇映画がつくられて日本でも公開されたことがある。しかしキリスト教国でない日本では、ベルナデットの伝記は少なかった。

だが世界のカトリック国で、聖女ベルナデットといえばたいへん有名で、カトリック信者でこの名を知らぬ人はいない。聖母マリアのまぼろしを見たり、聖泉をわき出させたりした無学な少女は、いまや神のごとくあがめられている。そして現代にいたるまで信じられないような奇跡が発生し続けているのだ。

1978年8月にルールドを訪れた筆者は現地のあらゆる遺跡をたんねんに見学し、ベルナデットにまつわる奇跡的出来事の数かずを調査した。またルールド医務塙を訪問してマンジャパン博士の詳細な説明を問いたが、奇跡が起こる理由については科学的に不明だということだった。治ってしまった患者の体を調べても意味がないというのだ。だが博士によると、現代でもルールドへ来る病人のうち数十パーセントは病気が治るという。

たしかに医務局の壁には顔面の下部ががンにおかされて世にむ醜悪な形相をした婦人の顔と、ルールドへ来て瞬間的に治ったという同一人物のきれいな顔の写真が並べて掲げてあった。

また筆者が約20年前に友人のスペイン入宣教師から開いた話によると、腹膜炎で死にかかっていた島根県の中学生に、ルールドから取りよせた聖泉の水を飲ませたところ、数日間で奇跡的に治って元気になったという。

聖女ベルナデットの遺体
▲ガラスケースに安置された聖女ベルナデットの遺体。1925年、ローマ法王ピオ13世によって聖列に加えられた。

ただしルールドへ行く病人のすべてが必ず治るとは限らない。なかには治らないで失望して帰ってゆく人もある。だが医師から見離されたひん死の病人が1人でも治れば、それはやはり奇跡なのである。そして治った人はこの上ない幸福感を味わうことになる。つまり治る事よりも"事実"が重要なのだ。

これについてはさまざまの説が学者から出されてきたけれども、治る理由はいまもってわからない。おそらく永久に不明だろう。

謎に満ちたルールド!それはいまもー大宗教センターと化して、にぎわっているが、日本のようなお祭り気分はみられない。たいそう厳しゅくで、崇高な雰囲気に満ちている。そこで何が起こったのか? これからくわしく語ることにしよう。

3人の薪拾いの少女

18588年2月11日の本曜日、肌寒い風の吹くどんよりした空模様のなかを、3人の少女が町はずれのガーブ川にそそぐ水路にそって進みながら、草原のあちこちにころがっている枯木を拾っていた。

霧がたちこめて、遠くがよく見えない。あたりは荒涼たる風景で、雪こそないけれども、南部フランス特有のうらさびしい冬景色である。

ここはイベリア半島のスペインとの境をなすピレネー山朕のふもと、ルールドという村の東側にある丘陵地帯である。花の都パリを速く離れた田舎なので、ことばはフランス語というよりラテン語の残ったルールド方言である。だから、パリから来た人がこの3人の娘がはしゃぎながら語り合うことばを開いても、よくは理解できないだろう。

この娘たちというのはベルナデット・スビルーという14歳の少女と、その妹のトワネット・スピルー、それにとなりの家の娘ジャンヌ・アパティーである。きょうは学校が休みなので、ベルナデットの母親ルイードが燃料の薪をきらせたのを見て、長女のベルナデットが拾いに行くことを思いつき、それに妹と、おりよく入ってきたジャンヌが話に乗ったのだ。

だが母親はベルナデットの外出をとめた。ゼンソクもちのため、寒い外気にさらすのをおそれたのである。しかしベルナデットはがんとしてゆずらず、ついに母親も折れたので、彼女はピレネー地方独特のカビュレという頭巾をかぶって、喜びいさんで出ていった。

■ラテン語
古代ローマ帝国で使用されていたことば。ローマの周辺にいた他民族の言葉を吸収しながら、ローマ帝国の勢力が広がるにつれてその口語は当時のヨーロッパの南部を東西にわたって広く使われ、イタリア、スペイン、ルーマニアなどの言葉のもとになった。

マッサピエユの洞窟

「あまり骨が見あたらないわよ」

トワネットか呼びかける。身をかがめて枯木を拾っているジャンヌが答えた。

「もっと遠くへ行こうか。どうする?」

「そうね。薪だけではつまらないし―」

ベルナデットもきょうの少ない収穫に不満なようだった。動物の骨を拾うのは、小遣いをかせぐためにこの土地の娘たちがやっているアルバイトで、これは細工物の材料になるのだ。

3人の娘がボンビュー橋のところへ来たとき、ブタのはらわたを洗っているピグおばさんに出会った。

「こんにちは、おばさん。薪や骨がたくさん落ちている場所を知らない?」

「ああ、それならマッサビエユへ行ったらいいよ。あそこにはたくさんあると思うよ」

「ありがとう」

紀元前3世紀ころから多くの文字をもち、古典ラテン語として近代のはじめまで知識人がまずだいいちに身につけるべき言葉であった。

7つの丘があるティベル河畔のラティウムの地にちなんでこの名が生まれた。

3人は水路の橋をわたってマッサビエユに向かった。

前方には水路がダープ川と合流する地点があり、そばには高い岩壁がそびえて、その下に大きな洞窟がポッカリとロをあけている。この川向かいの草原には枯木や骨がたくさんありそうだ。

「川をわたろうよ!」 ジャンヌが叫ぶ。川といっても水深10センチばかりの浅瀬なので、はだしになれば子どもでもわたれるのだ。何がなんでもまっ先に川をわたって多くの枯木と骨を拾いたい欲ばりのジャンヌは、いきなり靴をぬぐと、それを向こう岸へ投げてから水の中を歩き始めた。トワネットも続いてわたって行く。

当時の靴は木靴で重量があるから、投げれば子どもでもかなり遠くへ飛ばせる。だがベルナデットはためらった。ゼンソクという持病があるので、2月の冷たい水に足をつけるのがこわいのだ。

「ねえ、お願い。水の中に大きな石を投げ入れてちょうだい。そうすれば石つたいにわたれるから―」

ベルナデットは向こう岸の2人に呼びかけたが、すでに枯木を拾うのに夢中に残っている2人はよい返事をしない。

「靴をぬいでくればいいじゃないの」

ジャンヌはそっけなく答えた。ベルナデットがおうちゃくをしていると思っているらしい。川のふちまで来ていたベルナデットは、しかたなく洞窟のそばまで引き返し、かがんで両足の木靴をぬいだ。彼女はさらに右足の靴下もぬいだ。

高貴な女性が出現!

そのとき、あたり一面に風が吹くような音がひびいた。ゴーッともサーッとも聞こえる。だが、まわりを見まわしても草や木はまったく動いていない。

▲高貴な女性のまぼろしを見た直後のベルナデット。
▲高貴な女性のまぼろしを見た直後のベルナデット。14歳のころ。(1858年4月撮影)。

オヤッと一瞬思ったものの、ベルナデットは気にせずに、またかがみこんで左足の靴下をぬごうとした。するとふたたび音が聞こえる。風もないのに何の音だろうといぶかりながら、ふと洞窟の上の方を見上げたベルナデットは、アッと驚いた。

入口の横幅が12メートルもある大きな洞窟の右上にもう1つの小さなほら穴があをのだが、そこに生えているバラの木だけが少しゆれている。そしてほら穴の少し奥のあたりに、ものすごくきれいな顔をした女性が徽笑を浮かべているではないか!

全身まっ白な長いがウンを着てこの美女はほほえみ続けながら、両手を広げてベルナデットを招いている。こんなへんぴな場所の、しかも地上3メートルもある岩壁のくぼみの中に女性が立っていることじたいふしぎなことだ。しかもこの女性は、ベルナデットがいままで見たこともないような絶世の美女なのだ!幽霊か、オパケか―。

だが奇妙なことに、ベルナデットには逃げようという気持ちがおこらず、むしろひきつけられそうな感じがした。夢ではないかとたびたび目をこすったけれども、美女はあいかわらずほほえみながらベルナデットを見おろしている。夢ではない―。

▲ベルナデットが身に着けていたロザリオと十字架
▲ベルナデットが身に着けていたロザリオと十字架

ベルナデットはポケットからロザリオをとり出した。いまでもそうだが、120年以上も昔のフランスはカトリックの信仰に固められた国で、子どもたちもお祈りに用いるロザリオという数珠を持っている。

ベルナデットはそれを手にして十字を切ろうとしたけれども、全身がふるえてうまくいかない。すると美女もロザリオを持っていて、ゆっくりと十字を切る。これを見てベルナデットも十字を切ることができた。

彼女はいきなり地面にひざまずいて、美女の方を見上げたままロザリオの祈りのことばをとなえはじめた。これも当時のフランスでは子どもがみな暗記していたのだ。

ベルナデットの祈りが続くあいだ、美女は無言のまま自分のロザリオを繰っていたが、祈りが終わると、ベルナデットにむかって、こちらへいらっしゃいというふうに手招きした。まばたきもせずにべルナデットは見つめている。

なんという神々しい姿だろう!純白の長いドレスの下から素足がわずかに出て、足元の黄色いバラの花を踏んでいる。腰には青色の帯をし満ており、その両端は前に長くたれている。頭をおおう白いベールは両腕を包むようにして腰まで下がっている。右腕にかけてある長いロザリオは、金の鎖に白い大きな玉をつないだものだ。

年齢はベルナデットより1、2歳年長のように見える。体の周囲には光り輝くオーラが放射されて、まぶしいぼどだ。

ベルナデットは相手の招きに応じなかった。すると、美女の姿はバッと消えて、あとには暗いほら穴とバラの木だけが残った。

■オーラ ■洗礼
人体の皮膚の表面上に発している生体エネルギー。精神状態や健康状態に応じてさまざまな色に変化する。宗教人物画の頭の後ろに描かれている"光背"も才−ラであるとされている。超能力者や霊能者が見ることができる。 信仰告白をしてキリスト教徒となることを公にする定めの教会の礼典で、水による浄めの儀式を指す。イエス・キリストもバブテスマのヨハネによってヨルダン川で洗礼を受けた。

第1章2部へ続く

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