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  神々の戦車 エーリッヒ・フォン・デニケン

第10章(3) 地球人の宇宙開発の意義 UFOと宇宙 No.5 より 
 

さて、まじめにとり上げられないかもしれないが、そんなことは無視して、大胆にUFO問題にタックルしてみよう。たといバカにされても私は特殊な仲間といっしょにいるのだという意識で自分を慰めることができるのだ!

UFOは出現する!

UFOはアメリカ、フィリピン、西ドイツ、その他の国で目撃されてきた。私の憶測では、UFOを見たと称する人々の九十八パーセントは、実際には球電、気象観測気球、奇妙な雲のかたまり、新型の飛行機、薄明の空に現われる奇妙な光と影による現象などを見たと思う。たしかに多数の人々が集団ヒステリーにかかったこともある。彼らはまったく存在しない物を見たと主張している。もちろんなかには自分が見たという物体のことを利用して、新聞の夏枯れどきに全段抜きの大見出しを出させようとする売名屋もいた。しかし狂人、ウソつき、ヒステリー患者、センセーション屋などを除いても、やはり多数のまじめな目撃者が残るし、そのなかには空中の諸現象に精通している人々もいるのである。

▲1963年5月15日に打ち上げられたクーパー少佐の乗る有人衛星マーキュリー7号が、34時間20分で地球を22回まわった間にUFOを発見して撮影した。右上の光体は太陽。

単純な家庭の主婦ならば開拓時代の米国西部の農民と同じ誤りをおかすかもしれない。だが、たとえばUFOの目撃がベテランパイロットによってなされたら、それを大ウソと片づけるのはむづかしい。旅客機のパイロットは蜃気楼、球電、気象観測気球などを見なれているからである。パイロットのあらゆる感覚器官の反応や第一級の視力などは、定期的に検査されるし、離陸の何時開か前と飛行中は酒を飲むことが禁じられているのである。またパイロットは大体にパカげたことをしゃべったりしない。そんなことをすれば高給のすてきな仕事を簡単に失うからだ。しかも一人だけでなく多数のパイロットが(空軍の軍人も含む)同じ話をすれば、いやでも聞かずにいられない。

私自身はUFOが何であるかを知らない。私はUFOが未知の知性体の有する飛行物体として証明されているというのではない。もっともこのような推測にほとんど異議はないのだが―。

残念ながら私は世界旅行のあいだに自分の目でUFOを見たことはなかった。だがここ信用のおける確証された事件をあげることはできる。

一九六五年二月五目に、米国防省は、UFO特別調査機関が二人のレーダー・オペレーターの報告を調査するように指令を受けたと言明した。一九六五年一月二十九日、この二人はメリーランド州の海軍航空基地でレーダースクリーンに二個の未確認飛行体が現われたのを見たのである。この物体は時速四千三百五十マイルというものすごいスピードで南方から基地へ接近した。基地上空三十マイルの高度で物体は急角度のターンをやったあと急速にスクリーンから消えてしまったのだ。

一九六四年五月三日には、オーストラリア、キャンベラの三人の気象学者を含むさまざまの人々が、北東の朝の空に飛んだ大きな輝く飛行体を目撃した。米航空宇宙局の派遣員から質問された目撃者たちは、その"物体"が奇妙な動作で空中を乱舞し、一個の小さい物体が大きな物体の方へ急接近した様子などを述べた。小物体は赤い輝きを放ってから消えたが、大きな物体は北西の方向に消えていったという。気象学者の一人があきらめたような調子でいった。

「私はいつもUFOの話をバカにして笑っていたのですが、こうなれば何といったらいいんでしょうか」

一九五三年十一月二十三日にミシガン州キンロス空軍基地のレーダー・スクリーンに一個の未確認飛行体がキャッチされた。たまたまそのときF−八六ジェット機で訓練飛行をやっていたR・ウィルソン空軍中尉は、その物体を追跡する許可が与えられた。地上のレーダー員たちはウィルソンが百六十マイルも未確認飛行体を追跡する様子を見ている。すると突然両方ともスクリーン上で互いに一体化してしまったのである。無電でウィルソンに呼びかけても応答がない。続く数日間、この不可解な事件が起こった地域一帯に捜索隊が出動して機体の破片を探したり、近くのシューペリアー湖にオイルの跡が残っていないかと捜索網を張りめぐらしたが、何も発見されなかった。ウィルソンの遺体も機体もまったく手がかりはなかったのである。

一九六五年九月十三日、朝一時少し前に、エージン・バートランド巡査部長はニューハンブシャー州ユダゼクーのバイパス上で、車のハンドルをにぎって狂気のようになっている女に出会った。女性はこれから先へ行きたくないといい、巨大な赤く光る飛行物体が百一号線の所まで十マイルも車を追いかけて、森の中へ消えたという。

中年の分別のある警官は相手が少し狂っているのかなと思ったが、無線で別なパトロールからも同じような内容の報告をしてきたのである。署からの連絡で、同僚のジーン・トーランドがすぐに帰れという。署へ帰ってみると一人の若い男が女性の場合と同じ話をするのだ。その男も例の赤く光る物体からのがれてミゾの中に隠れたという。

いやいやながら警官たちは車でパトロールに出かけた。このバカげた話のすべてに筋のとおったものがあるかもしれないと思ったのだ。彼らは二時間ほどその地域を捜索して帰途についた。パトロールカーがある野原を通過すると、そこにいた六頭の馬が突然狂ったようにそこから走り出した。すると、ほとんど同時にそのあたりが赤い光で照らし出された。「おい、あれを見ろ!」と若い警官が叫ぶ。見ると火のような赤い物体が一個、警官たちの方へゆっくりと無音で近づいて、林の上空に浮かんでいる。興奮したバートランドは無線で同僚のトーランドに連絡し、自分の目で今あの気味のわるい物を見たんだと話した。道路近くの畑も丘も赤い光で照らされている。二台目のパトロールカーがブレーキ音をたてながら彼らのそばに急停止した。

「ち…‥ちきしょう!」と警官デーヴがどもりながらいう。「あんたとトーランドが無線で話し合っているのを聞いたんだ。あんたらが狂ったのかと思ったぜ。あの物体を見ろ!」 

▲1952年7月16日、米国マサチューセッツ州セーレム沿岸警備隊のカメラマン、S・R・アルパートが撮影した4個のUFO。

後に行なわれたこのナゾの事件の調査で、結局五十八人の信頼すべき目撃証人が出てきた。そのなかには気象関係者や沿岸警備隊員も含まれている。いいかえれば信頼にあたいする観測者として、気象観測気球とヘリコプター、落下する人工衛星と飛行機の標識灯の区別がつかないような人々ではないのだ。だがそれらの報告は事実であるにしても、例の未確認飛行体のナゾを解く手がかりは含まれていなかった。

一九六七年五月五日にフランス、コートドール県のマルリエンの市長マリヨット氏は、道路から六百八十ヤード離れたクローバー畑の中に奇妙な穴があるのを発見した。その穴の直径は十五フィート半あり、深さは一フット(約三十センチ)ある。しかもその穴から放射状に四インチの深さのミゾが伸びている。なにか重い金属製の格子のような物が地面を押しつけた感じがする。放射状の各ミゾの端には一フットニインチの深さの穴があるが、これは金属の格子らしき物の端についている"脚"によって地面にあけられたようだ。特に奇妙なのは、各ミゾや穴の中に紫白色の粉末がたまっていたことだ。私はみずからこの現場を調査したが、幽霊がこんな跡を残したとは思えなかった!

これをどう説明すればよいのか。多くの人々が―ときには神秘主義団体が―表向きに月撃したと称してやっていることは、うんざりさせるようなものである。それは我々の真実の考察をくもらせ、まじめな学者が確証された現実をとり上げるのを妨げているのである。学者たちが笑いものにされるのを恐れているからだ。

一九六七年十一月六日、ドイツのテレビが、「宇宙からの侵略」と題する番組を放映したとき、ルフトハンザの一機長が本人と四名の乗員といっしょに目撃した事件について語った。同年の二月十五日にサンフランシスコへ着陸する十分ないし十五分前に、彼らは機体のすぐ近くに飛行物体を見たのである。その直径は約三十三フィートで、強烈に輝いていて、しばらく旅客機と平行して飛んだという。彼らばその目撃事件をコロラド大学へ報告したが、大学ではうまい説明がつかぬまま、それは打ち上げられたロケットの一部分だろうと答えた。ところが機長の説明によれば、百万マイル以上の飛行経験のある彼が、落下する金属片が十五分間も空中にとどまって、しかもそれほどの容積をもちながら旅客機と平行して飛ぶとは考えられないという。他の同僚にしてもそうである。この未確認飛行体は地上からも四分の三時間近く観察されたので、大学の説明はなおさら信じられないという。このドイツ人パイロットが与える印象によればたしかに夢想家ではない。

ミユンヘンの南ドイツ新聞、一九六七年十一月二十一日及び二十三日付に次のような二つの記事が掲載されている。

「ベオグラード(特派員発)。この数日間、南東ヨーロッパの各地域で未確認飛行体(UFO)が目撃された。週末にはアグラム(ユーゴー)でアマチュア天文家が三個の輝く飛行体を撮影した。しかしユーゴースラビアの各新聞に掲載されたこの写真について専門家たちが意見を述べ合っているうちに、モンテネグロの山岳地帯から別なUFO事件が報告されてきたのである。このUFOにより数カ所の山火事が発生したと考えられている。この報告は主にイワングラードという村から出たもので、そこの住民たちはこの数日間毎夜強く輝く飛行物体(複数)を目撃したと頑強に主張している。この地域で数度山火事があったことは当局も認めているが、今までのところその原因は不明である」

「ソフィア発(UPI)。ブルガリアの首都であるソフィアの上空に、一機のUFOが出現した。ブルガリアの通信社BTAの報告によれば、このUFOは肉眼でも見えるという。BTAはこの飛ぶ物体が太陽よりも大きくて、そのあと梯形になったといっている。この飛行体は強烈な光を放っているように見えた。これはソフィアの望遠鏡でも観察された。ブルガリア水理・気象研究所の科学者はこの飛行体は見たところ自力で運動していたと述べた。空中を十八マイルも飛んだのである」

ヘルマン・オーベルトは支持する

一九六七年の秋に開催された第七回国際UFO研究者会議の席上で、「宇宙旅行の父」と呼ばれ、またヴュルナー・フォン・ブラウンの師であったヘルマン・オーベルト教授は、UFOはまだ"科学外の問題"であるが、たぶん"未知の惑星からくる宇宙船"かもしれないと語っている。彼自身の言葉を引用してみよう。

「UFOを操縦する生物はどうも文化的には我々よりもはるかに進歩しているようだ。物事を正しくやれば、彼らから多くの事を学べるかもしれない」 

地球上のロケットの発達を正確に予言したオーベルトは、太陽系の他の諸惑星にも生物の自然発生の前提条件が存在するのではないかと考えている。自身が研究家であるオーベルトは、まじめな科学者たちも最初はファンタスティックと思われる問題に取り組むべきだといっているのである。

「学者たちは、食べすぎてそれ以上は腹に入れようとしないガチョウのように振舞っている。彼らは新しいアイデアをナンセンスとして拒絶しているだけだ」

一九六七年十一月十七日にツァイト氏は、「再考」と超する次のような記事を掲げた。

「何年ものあいだソ連は空飛ぶ円盤に関する西欧側のヒステリーを嘲笑してきた。ついに先般、プラウダ紙はこのような奇妙な飛行体の存在に対する政府の公式否定を載せたが、今は空軍のアナトリー・ストルヤコフ将軍が、UFOに関するあらゆる報告を調査する委員会の長に任命されている。」

これに関してロンドン・タイムスは次のように書いている。

「UFOが集団幻覚の産物であろうと、金星人のものであろうと、または神の啓示として理解すべきものであろうと、何かの説明がつくはずだ。さもなければソ連が調査委員会を設けるはずがない」

第10章(4)へ続く

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