宇宙開発の必要性
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▲アポロ15号の発射風景。©NASA |
宇宙旅行に何らかの利益があるかという疑問は今もって議論の的となっている。宇宙開発はある程度またはまったく無意味だという説は、地球上に多くの未解決の問題がある限り宇宙空間をつつきまわすべきではないという古くさい主張によって裏付されるのが普通である。素人にはわからない科学的な論議の分野にはいりたくはないので、私は宇宙開発が絶対に必要であるという明確な根拠のある理由だけを述べてみたい。
遠い昔から好奇心と知識を求めようという渇望が、人間のたえまのない探求心の原動力となっている。二つの疑問、「ある物事が"なぜ"起こったのか?」「それは"どのようにして"起こったか?」が、常に進歩発達の拍車となっていた。我々の現代の生活水準はこれらの疑問がもたらす永遠の不安感が原因となっている。現代の快適な輸送手段は我々の祖父たちが体験した旅行の難儀さをなくしてしまった。
つらい仕事は機械によっていちじるしく楽になっている。新しいエネルギー源、化学薬品、冷蔵庫、さまざまの家庭用品などが、かつては人間の手だけでやっていた多くの仕事から我々を完全に解放したのである。科学による創造物は人類の呪いでなく祝福となっている。科学の最も恐るべき産物である原子爆弾さえも結局は人類の福祉に貢献するだろう。
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▲NASA(米航空宇宙局)開発のOAO(天体観測衛星)。重量約2トン、巾6.3メートルのこの宇宙空間天文台には11個の望遠鏡が積み込まれて天体を観測する。 |
今日は科学が急速に多くの目標に到達している。写真術においては鮮明な写真を仕上げる段階に発達するのに百十二年かかった。電話は五十六年で実用化し、ラジオが完全な受信機となるにはわずか三十五年の科学的研究を必要としただけである。しかしレーダーの完成には十五年しか必要としなかった。画期的な発見や発明の所要期間はますます短縮されている。白黒のテレビジョンは十二年の研究後に市場に出た。
最初の原子爆弾の製造にはわずか六年を要しただけである。これらは五十年間の技術的進歩のほんの数例にすぎない。すばらしい進歩だが少々恐ろしくもある。今後もいろいろな開発がますます急速に行なわれ続けるだろう。これから百年間に人類の永遠の夢の大部分が実現するだろう。
抵抗や警告に直面しながらも人間の精神は道を切り開いてきた。水は魚の領分、空気は鳥の領分だと壁に記した古代の言葉にもかかわらず、人間は本来自分のものでない領域を征服した。人間は自然の諸法別に反して空を飛び、原子力潜水艦に乗って数ヶ月も水中で暮らしたりする。自分の英知を用いることによって人間は創造主が与えてくれなかった翼や鰓(えら)を身につけてしまったのだ。
チャールズ・リンドバーグがあの途方もない飛行を始めたとき、その目的地はパリだった。もちろん実際にはパリへ着くことに関心はなくて、人間はただ一人で無事に大西洋を飛ぶことができるということを見せたかったのである。
宇宙旅行の最初の目標は月であった。だがこの新しい科学技術計画がほんとうに立証しようとしているのは、人間も宇宙を征服できるということなのである。ではなぜ宇宙旅行をやるのか?
なぜ宇宙開発をやるか
あと数世紀もたてばこの地球は手の打ちようがないほどに人口過剰になるだろう。統計によれば紀元二〇五〇年には世界の人口が八十七億になると計算されている。わずか二百年後には五百億となり、一平方キロメートルの土地に三百三十五人が住むことになる。到底考えられないことである!
海から食糧をとるとか海底に都市を建設するという気安めの理論は、楽観的な支持者が考えるよりももっと早く、人口爆発の策として不十分であることがわかってくるだろう。一九六六年の上半期には、カタツムリや草を食って必死に生きのびようとしたインドネシアのロンボク島の一万人をこえる住民が餓死したのである。
国連事務総長のウ・タントはインドで餓死の危機にさらされている子供の数を二千万と見積もっているが、これは世界は飢餓がせまっているというチューリッヒのヘルマン・モーラー博士の説を裏づける数字である。
次のことがわかっている。つまり最新の技術や大規模な化学肥料の使用にもかかわらず、世界の食糧生産は人口の増加に追いつけないのである。化学のおかげで現代は自由に避妊薬もつくり出しているが、低開発国の婦人たちがこれを使用しなければ何の役にもたたないのだ。今後十年間すなわち一九八〇年までに出生率を半減できれば、食糧生産は人口の増加と釣合いがとれるだろう。だが残念ながら私はこの理性的な解決法を信ずることができない。なぜなら表面的な道徳的動機や宗教的慣習による偏見という"堅固な壁"を打ち破るよりも、人口増加にともなう悲惨さが増大する方が速いからだ。資しい人間を生ませないようにすることよりも数百万の人々を餓死させる方がより人間的で神の道にかなっているのだろうか?
しかしいつの日か産児制限が一般化され、耕地面積が増加して今は未知の何かの方法で収穫がふえ、漁業がもっと多くの食糧を提供し、海底の海草類から滋養物がとれるようになったとしても、みな遅すぎるだろう。破滅の日を百年ほど延ばすだけである。
いつか人類が火星に移住して、エスキモーがエジプトへ移動したとしてもうまくやってゆくかもしれないように、人間も火星の気候条件に順応するだろうと私は確信する。巨大な宇宙船に乗った我々の子孫が各惑星に移住するだろう。そう遠くはない過去にアメリカやオース トラリアへ移住したように、彼らも新しい世界へ住みつくだろう。だからこそ我々は宇宙開発を急がなくてはならないのである。
我々は子孫に生き残るチャンスを与えなければならない。この義務を無視している各世代は未来のいつか全人類が餓死するという宣告をくだしているのである。
科学者にだけ関心を起こさせるような抽象的な研究だけではもう問題にならない。未来に対して責任はないと感じる人に強調したい。宇宙開発の賂果はすでに第三次大戦の発生を防いだのだと。完全な破壊という脅威があるからこそ多くの意見の相違、挑戦、闘争などを大戦争によって決着をつけさせないようにしているのではなかろうか。
米国を荒廃させるのにロシアの兵士が米国の土地を踏む必要はなく、またアメリカの兵士がロシアで死ぬ必要もない。なぜなら核爆弾で攻撃すれば相手国は無人の不毛の土地になるからだ。不合理に聞こえるかもしれないが、最初にできた大陸間ミサイルが相対的な平和を保証したのである。
宇宙開発に投資される数十億ドルを低開発国の援助にもっとうまく使えるだろうという見解がよく出されることもある。この見解は間違っている。産業国は純粋に慈善的または政治的に低開発国を援助しているのではない。十分にわかることだが自国の産業の新しい市場を開くためにも援助しているのである。低関発国が必要とする援助は、長い目で見れば不適切である。
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▲飢えたインドの子供たち。 |
一九六六年にはインドに約十六億匹のネズミがいた。そのどれも一年間に約十ポンドの食糧を横取りした。しかし敬けんなインド人はネズミを保護しているので、国はこの厄介ものをあえて撲滅しないのである。またインドには八千万頭の雌牛がいるが、乳を供給せず、荷車を引いたりもしないし、屠殺もできない。多くの宗教的なタブーや慣習で開発が妨げられている後進国では、生命を危くするような儀式、習慣、迷信などを一掃するのにまだ多くの年月を要するだろう。
ここでもまた宇宙旅行時代のコミユニケーションの方法―新聞、ラジオ、テレビジョン―などが進歩の啓蒙に役立っている。世界はますますせまくなってきたのだ。我々はより以上に互いに知り合っている。しかし国境などは過去の遺物であるという究極の悟りに到達するには宇宙旅行が必要である。
それによって科学技術が進歩すれば、広大な宇宙の中で民族や大陸の分裂の無意味さを知って、これがもっぱら宇宙開発の共同作業の刺激となるという認識が広まるだろう。いかなる時代にも人間を勇気づける合言葉が必要であった。それによって難問題を乗りこえて一見不可能と思われる事を実現させたのである。
第10章(2)へ続く |