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  神々の戦車 エーリッヒ・フォン・デニケン

第4章(1) 神は宇宙飛行人であったか  UFOと宇宙 No.2 より 
 

旧約聖書のソドムとゴモラは太古に原爆で破壊された!?
そしてエゼキエルは円盤とコンタクトした!?

聖書の不思議な記述

聖書は多くの秘密と矛盾に満ちている。例えば創世紀は地の創造で始まるが、これは完ぺきな地質学的正確さをもって書かれている。しかし無機物が植物に先立ち、植物が動物に先立ったことを聖書の記述者はどうして知ったのだろう?

「神はまたいわれた。我々の形にかたどって人間を作ることにしよう」と創世記の一・二六に書いてある。

なぜ神は「我々」と複数形で語るのか?個人または神のみが複数形でなしに単数形で人類に呼びかけるはずだと人は思うだろう。

「人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生まれたとき、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった」(創世記六・一〜二) 

どんな神の子たちが人々の娘たちを妻にめとったかを知っている人があるだろうか。古代イスラエルは唯一の神聖でおかすことのできない神をもっていた。すると"神の子たち"はいずこの出身なのか?

「そのころ、またその後にも、地に巨人族がいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに生ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった」(創世紀六・四)

ここにも人間とまざり合った神の子たちが出てくる。そしてはじめて巨人族という言葉に出くわすのである。"巨人"というのは世界中で現われてくる。東西の神話に、ティアウアナコの伝説に、エスキモーの叙事詩にだ。"巨人"はほとんどあらゆる古代の書物のページに出現する。だから実在したにちがいない。この"巨人"とはいかなる種類の生物だったのだろう。彼らは巨大な建物をたてたり一枚石を簡単に動かした我々の祖先なのだろうか。それとも別な星からきた科学的に発達した宇宙旅行者なのだろうか。たしかな事が一つある。聖書は"巨人族"について述べており、それを"神の子"とあらわしていて、この "神の子たち"が人の娘たちと結婚していることだ。

ロトに警告した天使とは誰か

父親のロトが町の門の近くにすわっていた夕方、二人の天使がソドムヘヤってきた。どうやらロトはこの天使を待っていたらしい。天使たちはまもなく人間であることがわかった。というのはロトはすぐに二人を認めて、二人を親切に招待して自分の家で夜をすごさせたからである。町の人々はその客人を"知り"たがった。しかし二人の客は簡単な動作によって町のプレイボーイたちの色欲を追い払うことができた。二人は町の人々を打って目をくらまさせたのである。

創世記一九・十二〜十四によれば、その天使はロトにむかってその妻、息子、娘、むこ、身内の者などを町からつれ出せといった。これは町がまもなく破壊されるのだと警告したのである。家族はこの奇妙な警告を信じようとせず、ロトの冗談だと思った。そこで創世記は次のように続けている。

「夜が明けて天使たちはロトをうながしていった。『立って、ここにいるあなたの妻と二人の娘とをつれ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう』

彼はためらっていたが、二人の天使は彼の手とその妻の手と二人の娘の手をとってつれ出し、町の外に置いた。彼らを外につれ出したとき天使の一人はいった。『のがれて自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはいけません。山に逃げなさい。そうしなければあなたはほろびます‥‥急いでそこへ逃げなさい。あなたがそこへ着くまでには、わたしは何事もすることができません』

この記録によれば二人の天使が住民たちにとって不可解な力をもっていたことはたしかである。急げとすすめたことや二人が家族をつれ出したスピードなども我々に考えさせるものがある。父親のロトがためらったとき、二人は彼の手をひっぱった。彼らは数分間で逃げねばならなかった。ロトは山中へ行くこと、そしてふりかえってはいけないと命じられた。それにもかかわらずロトは反対し続けた天使たちに対して限りない尊敬感をいだいたとは思えない。

「……わたしは山まではのがれることができません。わざわいが身に追いせまってわたしは死ぬでしょう」そのあとで天使はロトがいっしょに行かなければ何事もできないといっている。

ソドムとゴモラは原爆で破壊された?

一体ソドムで何が起こったのだろう? 全能の神が時間表に束縛されていたとは思えない。そうするとなぜ"天使たち"がこんなに急いだのだろう? 何かの力によるこの町の破壊は寸前にせまっていたのだろうか。秒読みはすでに始まっていて、"天使たち"はそのことを知っていたのだろうか。そうだとすれば破壊の瞬間は切迫していたにちがいない。ロトの家族を安全な場所へつれて行くのにもっと簡単な方法はなかったのだろうか。なぜ彼らは山中へ逃げねばならなかったのか。一体なぜ彼らはうしろをふりむくことを禁じられたのか。

明らかにこれらは重要な問題に対するむつかしい疑問である。だが日本に二個の原爆が落とされて以来、我々にはこのような爆弾がひき起こす惨状や、直接放射能にさらされた生きものが死んだり不治の病になったりすることを知っている。ソドムとゴモラは核爆発によって故意に計画どおりに破壌されたと想像してみよぅ。たぶん---もう少し想像をたくましくして---"天使たち″はなにかの危険な核分裂物質を破壊することを望んだだけで、同時に彼らがおもしろくないと思った一群の人間の抹殺をたしかめようとしたのかもしれない。

破壊の時期はきまっていた。ロトの家族のように逃げることになっていた人々は、山中の爆発の中心部から数マイル離れた所にいる必要があった。岩面が強力な危険な放射能を自然に吸収するからである。そして---我々はみなこの物語を知っているが---ロトの妻はうしろをふりかえって、原爆の火をまともに見たのである。今日ならその妻がその場で死んだことに驚く人はいない。

「主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて‥‥‥」 以上がカタストロフィーの最後の様子である。(創世記一九・二七)

「アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた」

旧約聖書の"神々″とは天空を飛ぶ人間

我々は先祖と同じほどに宗教的になってもよいが、先祖ほどに物事を信じなくなっている。時代のあらゆる概念を越えていながら、しかも何が起こるかを知らないような、全能の、無限に遍在する絶対的に善なる神というものを我々はどうしても想像することはできない。神は人間を創造してその仕事に満足した。

しかし神はあとで自己の行為を後悔したようだ。というのはこの同じ神が人類を破壊しようときめたからだ。他の無数の人々よりもロトの家族のような"お気に入りの子供たち"にひいきするような絶対者の"父"を現代の知識をもつ子供たちが考えることもむつかしい。旧約聖書によれば神またはその天使たちがすさまじい音をたてて煙の雲を吐きながら天空から飛んでくる印象的な説明がある。このような出来事の最も古い記述の一つは予言者エゼキエルから与えられている。

「第三十年四月五日にわたしがケパル川のほとりで捕囚の人々の内にいたとき、天が開けて‥‥わたしが見ていると、見よ、激しい風と大いなる雲が北からきて、その周囲に輝きがあり、たえず火を吹き出していた。その火の中に青銅のように輝くものがあった。またその中から四つの生きものの形が出てきた。その様子はこうである。彼らは人の姿をしていた。おのおの四つの顔を持ち、またそのおのおのに四つの繋があった。その足はまっすぐで、足のうらは子牛のようであり、みがいた青銅のように光っていた」 (エゼキエル書一・一、四−七)

エゼキエルのすばらしい宇宙船目撃記録

エゼキエルはこの乗物の着陸について正確な詳細を伝えている。彼は北方からやってきて光線を放射しながら輝く砂漠の砂を巻き起こした一機の宇宙船のことを述べているのである。ところで旧約聖書に出てくる神は全能だと考えられていた。そうするとなぜこの全能の神は一定の方向から音をたててやってこなければならなかったか? 物音をたてないで自分の望みの場所に行くことはできないのだろうか。

▲ 旧約聖書の記述にもとづいて忠実に再現した物。翼を持つ4つの生き物は人間、ライオン、雄牛、ワシなどの顔をあらわす。戦車には人間が乗っている。

エゼキエルの目撃報告をもう少し調べてみよう。「わたしが生きものを見ていると、生きもののかたわら、地の上に輪があった。もろもろの輪の形と作りは光る緑柱石のようである。四つのものは同じ形で、その作りはあたかも輪の中に輪があるようである。その行くとき彼らは四方のいずれかに行き、行くときは回らない。四つの輪には輪縁と幅とがあり、その輪縁の周囲は目をもって満たされていた。生きものが行くときには輪もそのかたわらに行き、生きものが地から上がるときには輪も上がる」 (同書一・十五〜十九)

この説明は驚くほどすばらしい。エゼキエルは各輪が別な輪のまん中にあったといっている。これは錯覚なのだ!現代の考え方からすれば彼が見た物はアメリカ人が不毛地や沼沢地で用いる特殊な乗物の一つであった。エゼキエルは各輪が翼をもった生きものと同時に地面から上昇したと述べているが、これはまったく正しかったのである。当然のことながらこれは多目的乗物の車輪で、例えば水陸両用のヘリコプターならば離陸するときに地面に接地していない。

もう少しエゼキエル書から引用しよう。「人の子よ、立ち上がれ。わたしはあなたに語ろう」(同書二・一)エゼキエルはこの声を聞いて恐怖に霹えながら地面に顔を伏せた。不思議な生きものはエゼキエルに「人の子」と呼びかけて話そうとした。

記述は続く。「…‥わたしのうしろに大いなる地震の響きを聞いた。それはたがいに相触れる生きものの翼の音と、そのかたわらの輪の音で、大いなる地震のように響いた」

エゼキエルは使命を与えられた

乗物の正確な記述に加えて、エゼキエルはこの奇怪な物体が地面を離れるときにたてた音に注目している。彼は翼と輪によって発せられた騒音を"大いなる地震"にたとえている。間違いなくこれが目撃者の説明であることを暗示しているだろうか。

▲イギリスの航空画家でパイロットのキース・モスリーが描いたもので、エゼキエルの「4つの生き物」を独自に解釈して、実際にはこのようなヘリコプター式の人間運搬機ではなかったかと推測しいる。

"神々"はエゼキエルに話しかけて、国の法と秩序を回復させることがおまえの仕事だと命じている。神々は彼をその乗物に乗せてつれて行き、彼らがその国をまだ見捨てていないことを確証した。この体験はエゼキエルに強い印象を与えた。彼はあくことなく奇怪な乗物の説明を続けているからだ。

更に三度にわたって彼は各輪が別な輪のまん中にあり、四つの輪が"四方に行き‥‥‥行くときには回転しない"と述べている。しかも彼は乗物の機体全体、背中、手、翼、それに輪に"目がいっぱいあった"ことなどに特に印象を受けている。"神々"はのちにエゼキエルに対してその旅の目的と目標とを洩らした。そのとき神々は見る目をもちながら見ようとせず、聞く耳をもちながら聞こうとしない"反逆の家"のまっただ中にエゼキエルが住んでいることを告げている。ひとたび彼が同胞のことについて啓発されるや、法と秩序の回復のための忠告と方法や正しい文明を作り出すためのヒントなどが続いて出てくる。エゼキエルはその仕事をきわめて重大なものと考えて、"神々"の教えを後世に伝えたのである。

>>第4章(2)へ続く

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