古代シュメール人の驚くべき天文学
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▲古代アッシリアの首府ニネベの遺跡。ここからシュメール人の15桁の数字が発見された。 |
今を去る二千年前にシュメール人たち(古代バビロニアの南部、ユーフラテス川下流地方に居住した種族)は彼らの栄光ある過去について記録し始めた。今日我々はこの種族がどこからきたものかを知らないが、彼らが半未開人のセム人に優秀な文化をもたらしたことはわかっている。また彼らは山頂などで常に自分たちの神々を探し求めたこと、居住地域に山頂がない場合は平原に人工の"山"を築いたこともわかっている。
彼らの天文学は信じられないほど高度に発達していた。彼らの天文台は現代の観測にくらべて月の回転をわずか、0.4秒の誤差で計算している。伝説的なギルガメッシュ(バビロニアの伝説の王)の叙事詩のことはあとで述べるが、これ以外に彼らはまったくセンセーショナルな事を一つ残している。クユンジク(古代アッシリアの首府ニネべ)の丘に195,955,200,000,000という計算の跡が発見されたのだ。 実に十五桁の数字である! わ我々の西欧文化の祖先であるギリシャ人でさえもその文明の最盛期に10,000という数字以上を出たことはない。
シュメール人の長寿
古いくさび形文字の記録によれば、シュメール人は信じられないはどの寿命を保っていたらしい。そのために十人の王が合計四十五万六千年間統治し、大洪水以後の国土再建という困難な仕事をかかえていた三人の王は、計二万四千五日十年と三日半のあいだ統治を保っていた。
我々の考え方ではまったく理解できないような長年月にわたる各時代がシールやコインなどの表面にきちんと記録されているのである。ここで、我々が色メガネをはずして現代の新鮮な目で昔の事物を見るならば、どういうことになるだろうか。
宇宙飛行人がシュメール人を訪問した?
数千年前に別な世界から来た宇宙飛行人がシュメール人の国を訪れたと考えてみたらどうだろう。この宇宙飛行人がシュメール人の文明と文化の基礎を与えたあとで自分たちの惑星へ帰ってしまったと推測したらどうだろう。そして百年ごとに彼らの実験の結果を見るためにその先駆的な仕事の現場へ好奇心にかられてやってきたと仮定したらどうだろうか。
我々の現代の平均寿命の標準からみて、同じ宇宙飛行人が地上の五百年間を容易に生きのびることはできるだろう。相対性理論によれば、この宇宙飛行人は宇宙船に乗って光速に近いスピードで宇宙飛行をやっているあいだも四十歳ぐらいしか年をとらないことになる。数世紀にわたってシュメール人は塔、ビラミッド、快適な家などを作り、それを彼らの神々への捧げ物とし、神々の帰りを待っていたのだろう。そして数百年後に神々は実際に帰ってきた。「それから大洪水が発生し、それがおさまってからふたたび王位が天からくだってきた」とシュメール人のくさび形文字銘板に記してある。
シュメール人の"神々"は星に関係があった
シュメール人は彼らの"神々"をどんなふうに考え、描いたのだろうか。これについてはシュメール人の神話やアッカド人の銘板、絵画などが知識を伝えている。
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▲半神半人の伝説の英雄ギルガメッシュ。 |
シュメール人の"神々"は神人同形的なものではなく、また神のシンボルは星と関連づけられていた。アッカド人の絵画には星々が描かれている。特にいちじるしいのは、この星がいろいろな大きさの惑星によって取り巻かれている点である。天体を観測するのに我々の技術をもたなかったシュメール人が、一体どうやって恒星が惑星をもつことを知ったのだろう?
人間の頭上に星をつけたスケッチがあるし、翼のはえた球の上に乗った人の絵もある。ある絵などは原子の模型を思い出させる。つまり円形になった球体群があって、それが互いに接近して放射状になっているのである。しかし放射線でかこまれてはいない。我々が"宇宙的な目"でシュメール人の遺産を見るならば、それは大海の恐怖や天空の驚異などを問題としないほどの疑問とナゾに満ちているのである。
以下は同じ地域から出た奇妙な実例である。
(1)ケオイ・テぺにおける六千年前の渦線の絵。
(2)三万年前と推定されるバラドスチャンの同様な発見物。
(3)一万三千年にさかのぼるテぺ・アシアブの人像、墓、石器類。
(4)同じ場所で発見された地球の人間のものではないと思われる排せつ物の化石。
(5)カリム・シャヒールで発見された石器や石の彫刻器。パルダ・パルカで発掘された石の武器と石器類。シャンディアールの洞窟でみつかった成人と子供のがい骨。これはC14の探査法によって紀元前四万五千年頃のものであることがわかった。
右の例は少数にすぎないが、どの事実をとってみても約四万年前にシュメール人の住んでいた地域に太古の混合人種が居住したという主張を強めることになるだろう。そして不可解な理由よって突然シュメール人が天文学、文化、技術などをもってそこへきたのである。
各地の不思議な遺物
宇宙からきた未知の訪問者が地上にかねてから存在したという説から引き出される結論はまだまったく推論の域を出ていない。しかし想像できるのは、"神々"がシュメール人の地域に半未開人を集めて、それらに知識を伝えたということである。今日博物館のガラスケースの中から我々を見つめている小立像や彫像などは、種族の混合を示している。ぎょろ目をしたのや、ひたいがドーム型のもの、せまいくちびる、長くてまっすぐな鼻など、さまざまだ。こうした物を太古の地球人類という考え方にあてはめるのはきわめて困難である。遠い昔に宇宙からの訪問者がきたのだろうか?
レバノンにはテクタイトと呼ばれるガラス状の岩のかたまりがあり、その中に放射性アルミニウム同位元素が発見されている。
エジプトとイラクにはカット・クリスタルのレンズが見つかっているが、これは現代ならセシウム酸化物を用いなければできないものである。いいかえれば電気化学的な処理によって作らねばならない酸化物なのである。
ヘルワンでは布が発見されたが、きわめて上等な織り物なので、今ならさしずめ高度な技術と経験を持つ特殊な工場でないと作れないだろう。
バグダッドの博物館には動電気の原理で作間する乾電池が展示されているし、また銅の電極と未知の電解物のついた電気的な物もある。
コーヒスタンのアジア地域の山岳地帯には洞窟の壁画があり、それにはまさしく一万年前の星図の正確な位置が描かれている。金星と地球が線で結ばれているのだ。
溶解されたプラチナの装飾品がペルーの高原で発見された。
アルミニウムでできたベルトの一部分が中国のユンジュンの墳墓から出土した。
デリーには燐、硫黄、天候の影響などを受けない鉄でできた古代の柱がある。
有史以前の高度な文化
こうした不思議な多くの"ありそうもない"物は、我々を好奇的に不安にさせる。一体いかなる方法によって、またいかなる直感によって太古の洞窟の人々は星の位置を正確に描いたのだろうか。どのような精密作業からカット・クリスタルのレンズができたのだろう。一体どうしてプラチナを溶解して品物を作ることができたのだろう。プラチナは摂氏千八百度でやっと溶け始めるのだ。また古代の中国人はどのようにしてアルミニウムを作ったのだろうか。この金属は非常に困難な化学技術を応用してボーキサイトから作られるものなのだ。
たしかに解答不可能な質問ばかりだが、これは質問してはならないということを意味するだろうか。我々の歴史以前にもっと高度な文化または完ぺきな技術があったということを我々は認める用意ができていないために、残されているのはただ"宇宙からの訪問"という推測だけである!
これまでのように考古学が指導権をとる限り、我々の暗い過去が本当に暗かったかどうかを見出すチャンスはこないだろうし、おそらくまったく明るみに出されることもないだろう。
考古学的研究年を設けよ
理想的な考古学的研究年というものを設けるとよい。その間は考古学者、物理学者、化学者、地質学者、冶金学者など、あらゆる関連科学者が次の一つの疑問の解明に努力を集中するのである。「我々の祖先は大気圏外からの訪問を受けたか?」
例えば冶金学者はアルミニウムの生産がどんなに複雑であるかを手短かに考古学者に話すことができる。物理学者は岩石に描かれた絵の中に公式をすぐ見つけることは考えられることである。高度に発達した装置を持つ化学者は、オベリスクは木のくさびをぬらすか未知の酸を用いることによって岩石から取り出されたという推測を確証することができるかもしれない。
地質学者はある種の氷河時代の重要な物に関する疑問の解答を出す義務がある。"理想的な考古学的研究年"のチームは当然のことながらダイバーのグループも加えることになるだろう。これは死海にもぐって、ソドムとゴモラに落ちたと思われる原爆の放射能を探知するためである。
世界最古の図書館はなぜ秘密の図書館になっているのだろう。人々は実際には何を恐れているのか? 数万年ものあいだ隠されてきた真実がついに明るみに出ることを恐れているのだろうか。
探求や進歩は逆行してはならない。四千年間エジプト人は自分たちの"神々″を実在するものと考えた。中世において人々は熱烈な観念論の炎の中に"女魔法使い"を殺した。ガ鳥の内臓から未来を予知できると考えた古代ギリシャ人の信念は、国家主義はやはり少しでも重要だと考える極端な保守主義者の信念と同じほどに時代遅れである。
我々には訂正しなければならない過去の誤りが無数にある。見せかけの自信は古くさく、それは実際には強い頑固さにほかならない。オーソドックスな科学者の会議の席上では、物事というものは"真剣な″人が関心を持つようになる前に立証されねばならないというようなたわごとが述べられたりする。
進歩的な考えは否定されやすい
過去において革新的なアイデアを促進した人は軽べつされ、教会や仲間たちから迫害されねばならなかった。いろいろな物事が楽になってきたにちがいないと人は考える。呪いはもう存在しないし、火刑柱に火が燃やされることもない。現代のいろいろな方法があまり見ものでなくなったのは工合がわるいが、進歩にとって障害になるほどでもない。今やあらゆる物が"文明化"されており、騒ぎは少なくなっている。
さまざまの説や途方もなく大胆な考え方などは、次のようなおどし文句によって影をひそめてしまった。
「それは規則に反する!」
「あまり古典的ではない!」
「革命的すぎる!」
「大学はそんなことをやらないよ!」
「ほかの者がもうそれをやってしまった!」
「何の意味もない!」
「それはまだ立証されていない!」
五百年前に一科学者が法廷で叫んだ。「常識からみて地球が球体であるわけがない。さもなければ下半分にいる人間は空間の中へ落ちてしまうだろう!」「地球が太陽のまわりをまわっているとは聖書のどこにも書いてない。こんな説は悪魔のしわざだ!」と別な科学者は主張した。
>>第3章(4)へ続く |