こうした資料のすべてから、一つの印象的な面白いモザイクが作られたが、それは先入観の産物であって、その中に各部分が常にはめ込まれるのである。ただし、ときには明瞭すぎるほどのセメントでもって貼りつけられることもある。こんなふうにして事件が発生したにちがいない。まさしくそのとおりである。そして、見よ---たといそれが学者たちの望むところであるにしても---そんなふうにして事件が起こったのだ。
我々は一般に認められている考え方や実際的な憶測を疑う権利があるし、実際には疑うべきなのだ。というのは既成の考え方が疑問視されないならば探究は終りとなるからだ。だから我々の歴史的な過去は相対的に真実であるにすぎないのである。もし新しい局面が現われるならば、古くからの実際的な憶測は、たといそれがどんなになじみ深いものになっていても、新しい憶測と取り変えられねばならない。そして今や新しい憶測を導入して、過去の探求のまっただ中にそれを置かねばならない。
太陽系、宇宙、マクロコズム、マイクロコズム、科学技術と医学のすばらしい進歩、生物学と地質学、宇宙旅行の始まりなどに関する新知識---これらやその他多くの物事は、五十年もたたぬうちに我々の世界像を完全に変えてしまった。
今日、我々は極端な寒暑に耐える宇宙服が作れることを知っているし、宇宙旅行がもはやユートピア的なアイデアでないことも知っている。我々はカラーテレビの奇跡になれているが、同様に光のスピードを測定したり相対性理論の結果を計算することもできるのである。
すでにほとんど凍結して静止してしまった我々の世界像は溶け始めている。生きた新しい憶測は新しい基準を必要とするのだ。たとえば未来においては考古学はもはや単なる発掘仕事ではない。発見物の単なる蒐集と分類だけではもう十分ではない。我々の過去の信頼すべき実態を引き出そうとするのなら、科学の他の分野にも出てもらってそれを応用しなければならない。
さあ、オープンマインドと溢れるばかりの好奇心をもって、新しい、ありそうもない世界にはいり込もうではないか!
ピリ・レイスの不思議な地図
十八世紀の初頭に、トルコ海軍の将校であるピリ・レイス大将の所有物であった古代の地図がトプカピ宮殿内で発見された。また地中海と死海沿岸一帯の正確な複製が収めてある二冊の地図帳で、もとベルりン国立図書館に保存されていたものが、ピリ・レイスから出された。
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▲ピリ・レイスの不思議な地図。これには南北アメリカ、西アフリカ、南極大陸などがつながったように描かれている。 |
これらの地図はみな検査のためにアメリカの地図製作家アーリントン・H・マラレ一に手渡された。するとマラレーは注目すべき事実をたしかめた。つまりあらゆる地理学的なデータが載っているのだが、正しい位置に描かれていないのである。そこで彼は米海軍水路測量局の地図専門家ウォルターズ氏の援助を求めた。マラレーとウォルターズはグリッドを組み立ててその地図類を球体にしたところ、驚くべき発見をしたのである。その地図類は完全に正確であったのだ。しかも地中海や死海に関するばかりではなく、北及び南アメリカの沿岸と、南極の輪郭さえもピリ・レイスの地図に正確に措かれていたのである。諸大陸の輪郭が再現しているばかりでなく内陸の地形まで示されているのだ!
山脈、山頂、島々、河川、高原などがおそろしく正確に描かれていたのである。
地球観測年である一九五七年には、この地図類がウエストン天文台長で米海軍の地図専門家であるジェスイット派神父ライナムに手渡された。入念な検査の後、ライナム神父も地図が信じられないほど正確であることを確証した.現代でもまだほとんど探険されていないような地帯である。しかもレイスの地図に描かれている南極の山脈は一九五二年までは発見されなかった場所である。そこは数百年間氷で覆われていたし、現代の地図は反響装置の助けをかりて措かれたものである。
チャールズ・H・ハブグッド教授と数学者のリチャード・W・ストレーチャンの最新の研究の結果は驚くべき情報をもたらした。人工衛星から撮影されたわが地球の写真と比較したところ、ピリ・レイスの地図のオリジナルは非常な高空から撮影された空中写真であったにちがいないことを示したのである! これはどのように説明したらよいだろう。
カイロ上空にいる人工衛星がそのカメラをまっすぐ下に向けるとする。フイルムが現像されると次のような写真が現われるだろう。すなわちカイロから約五百マイルの半径内にあるあらゆる物が正確に再現するのであるが、これはそれらがレンズの真下にあるからである。
しかし写真の隅の方へ行くにしたがって地形は次第にゆがんでくる。
これはなぜだろう。地球が球体であるために、中心から離れている大陸の地形は"下方へ沈む"からである。たとえば南アメリカは縦方向へ奇妙なふうにゆがんでくるが、まったくこれと同じ事がピリ・レイスの地図にも現われているのだ! しかもアメリカの月ロケットから撮られた写真類にもまったく同じ状態が写っているのである。
だれがこの地図を作ったか
ここで一、二の疑問が出てくるが、これはすぐに解答が得られる。たしかに我々の先祖がピリ・レイスの地図を作ったのではない。しかもこれはたしかに最新の科学技術を用いて空中から作られた地図にちがいないのだ。
これはどう説明すればよいだろう? 神がその地図を高僧に与えたという伝説に満足すべきか。それともその地図が我々の心にあるこの世のイメージに合わないというので無視して、その"奇跡"を冷笑するべきか。それとも大胆にハチの巣をつついて、地球を描いたこの地図が高空を飛ぶ航空機または宇宙船によって作られたのだと主張するべきだろうか。
明らかにこのトルコの将軍の地図はオリジナルではない。それは何度もコピーされた結果、描かれたものである。しかしたといそれが発見された十八世紀から伝えられたものであるとしても、この事実はまったく説明のつかないことである。それをだれが作ったにしても空中を飛んで写真を撮ることができたにちがいないのだ!
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▲ナスカに残る巨大な鳥の図形。 |
ナスカの不可解な線形模様
ペルーのアンデス山脈中の海岸からほど遠からぬ所に、ナスカという古代の都市がある。パルパ渓谷には約三十七マイルの長さと一マイルの幅の細長い平坦な土地があり、さびた鉄の破片に似た石ころが散らばっている。住民たちはこの地域を草原と呼んでいるが、いかなる植物もまったく生長しない。この地域の上空を飛行機で飛ぶと、幾何模様を描いた巨大な線(複数)が引かれているのが見える。互いに平行になった線もあるし、交叉したのもあり、大きな台形の面積によって囲まれているのもある。
考古学者はこれをインカの道路といっている。何というバカげた考えだろう! 互いに平行にしかれたり交叉した道路がインカにとって一体何の役に立つだろう。しかも草原の中に設けられて途中で切れている道路なのだ。
当然のことながら典型的なナスカの陶器類もここで発見されている。しかし幾何模様を描いた線(複数)をその理由だけでナスカの文化のせいにするのはあまりに単純にゆがめた考えである。
古代の宇宙船発着場?
一九五二年まではこの地域で本格的な発掘は行なわれなかった。発見された物すべての正式な年表は作られていない。現在その線(複数)や幾何模様が測定されているにすぎない。その結果、各線は天文学的な計画にもとづいて設計されたという仮説をはっきりと証明した。ペルーの古代遺跡の専門家であるアルデン・マノン教授は一種の宗教のシルシが線形であらわされたのではないかと考えており、またおそらくカレンダーを意味しているとも推測している。
空中から見て筆者が受けた三十七マイルの長さを有するナスカの草原の明快な印象は、飛行場という感じであった!この考えはひどく不自然だろうか? 調査されねばならぬ物が実際に発見されるまでは、研究(知識)は可能とはならない。だがひとたび発見されると、それはうむことなく磨かれ整えられて、現在のモザイクにぴったりとあてはまる一個の石になるだろう。正統的な考古学はインカ以前の人々が完全な測量技術を持っていたことを認めない。そして古代において飛行機が存在したかもしれないという説は彼らにとっては単なるたわごとにすぎないのである。
その場合、ナスカの線形模様はいかなる目的に役立ったのだろう。私の考え方にしたがえば、それはあるモデルをもとにして座標システムを用いることによって、巨大なスケールにもとづいて設計されたものであろう。あるいはある航空機からの指示にしたがって作られたものかもしれない。ナスカの平原が飛行場であったかどうかを断言することはまだできない。もし鉄が使用されたとしても発見されることはあるまい。というのは先史時代の鉄は存在しないからだ。金属は数年間で腐蝕するが、石は腐蝕しない。その線形模様は"神々"に知らせるために敷設されたという考え方が何が悪いだろう。
「ここへ着陸して下さい!あなたがたが命じられたとおり万事準備できています」
その幾何模様の建設者は自分たちが何をやっているかを知らなかったのかもしれない。しかしたぶん"神々″が着陸するために何を必要としたかはよくわかっていたことだろう。
巨大な線画
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▲ペルー、ピスコ湾の山腹の絶壁に刻まれた古代の奇妙な模様。上下の長さが240mある。 |
空中を飛ぶ人間のためのシグナルとしか思えない巨大な線画がペルーの各地の山腹に見られる。これらのなかで最も奇妙な線画の一つは、ビスコ湾の絶壁の高い赤い壁に刻まれたものである。船でそこへ到着すると十二マイル以上の距離から八百二十フィート近くもある画像が見える。読者が「…のように見える」という言葉が好きならば、この彫刻師の作品は巨大な三叉の鉾または三本の枝のついたローソク台のように見える。そしてこの石のサインの中央の柱に一本の長いローブが見られるのである。これは過去の振り子として役立ったのだろうか?
正直にいうと、これを説明しようとすれば、我々は暗黒の中で手探りしている状態であることを認めねばならない。これを意味深長なものとして現行の各ドグマの中に含めることはできない。しかもこれは、学者がこのような現象をも一般の考古学的な考え方の大きなモザイクの中に巧みにはめ込んでしまうようなトリックが存在しないという意味ではない。やはりトリックはあるかもしれないのである。
しかし一体何者がインカ以前の人々にナスカのこのファンタスティックな線形模様すなわち着陸地を建設させたのだろう? いかなる狂気によって彼らはリマの南の赤い崖に八百フィートの高さの石のサインを作ったのだろう?
>>第3章(2)へ続く |