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 第3章 神々の戦車 第1話 宇宙よりの訪問者/ロイステマン
 

南米ペルーのアンデス山脈中にナスカという乾燥した平原がある。 長さ60キロメートル、幅1.6キロメートルほどの細長い土地である。この地帯の著しい特徴は、黄色い底土をさらけ出した深い直線のみぞによって、奇妙な幾何図形が形成され、それが土地を覆っているという点にある。 この直線模様の中には、数キロメートルにわたって平行に走っているのもあるし、交差して巨大な台形になっているのもある。 また各線の間に、多数の動物の絵が刻まれており、その最大のものは横幅が250メートルにも及んでいる。

なぜインカは複雑な道路を必要としたのか?

▲歴史に関する見解を講演しているデニケン。

▲歴史に関する見解を講演しているデニケン。この世の人間は 大気圏内外を矢のように飛んで地球人の進歩を観察している宇宙人の行った、繁殖実験のモルモットなのだろうか?  スイスの文筆家エーリヒ・フォン・デニケンによれば、それは十分考えられるという。

しかし、これらの絵や幾何模様で奇妙なのは、高空からでないとよく見えないという事実である。 たとえば、飛行機に乗って飛んでいる人でないとだめなのだ。 しかし、この線形模様や動物の絵を大昔に計画した人々は、空中を飛ぶことができなかったはずである。そうすると、何故このデザインは地上からみてそんなに不明瞭なのか?何のために作られたのか?そして何を意味するのか?

ある考古学上の説によれは これらの線形模様はインカの道路であるという。 そうすると、なぜインカは、このように複雑な構造の平行線や交差した道路を必要としたのか? そのすべては平原の端で終わっているのだ。別な憶測によると、これらはかんがい用のみぞだという。 そうだとすれば、巨大な動物の図形はみぞの間にあって、何の目的に役立ったのだろう?

▲南米で見られる奇妙な陶製人形。
▲南米で見られる奇妙な陶製人形。 太古に宇宙人が地球へ来訪したことを説明するために、デニケンはこれを証拠としてあげている。

おそらく最も納得のゆく考え方として、この線形模様は何らかの方法で暦と関連させるように、何かの天文学的な計画を表したものではないかというのがある。しかし、これまでのところ、最も大胆な考え方で、しかも最も一般人の空想をかき立てる説が、スイスの文筆家エーリヒ・フォン・デニケンから出されている。彼の信ずるところによると、ナスカの平原は、空港として企画されたため、空中から見られるように設計されたというのである。

彼の説では、遠い大昔、別な惑星の住民がナスカ平原に彼らの宇宙船を着陸させて、そこを一時的に空港として使用したというのだ。

デニケンは、このような大胆な推測を発表して世界的に有名になった。 独学した彼は、オーソドックスな学問のせいで型にはまった人々を悩ませている多くのミステり−を、驚くべき説によって解釈している。 大気圏外から来た人間が地球上を歩き、地球の人間と話し合ったことを示す証拠は、世界じゅうに見つけられると彼は信じている。ナスカは、彼のジグソーパズルの一部分にすぎない。彼の著書には、ほかにも謎解きがたくさん掲載されている。そして決定的な証拠を出そうとして、世界をまたにかけた彼の調査活動はまだ続いているのである。

▲ペルー、ナスカ付近の不思議な台地。 デニケンによれば、宇宙船の発着場であるらしい。
▲ペルー、ナスカ付近の不思議な台地。 デニケンによれば、宇宙船の発着場であるらしい。 空中からでないとよく見えぬため航空機の指導に従って建設されたのだ と彼は信じている。 だが、数キロメートルもの滑走路を要する飛行機だとすれば、ひどく粗末なブレーキなのだろう、と彼を非難する者は言う。

彼の著書『神々の戦車』『星々へ帰る』『神々の黄金』『古代の神々の探求』などは、1975年に3000万部に及ぶ世界的なべストセラーになった。 彼の諸説は非常に魅力的だが、それは懐疑論者によって“デニケン炎”と診断されてきた。 しかし、権威者がい〈ら強く非難しても、これまで彼の説の人気はほとんど衰えていない。

デニケンは、我々の遠い過去の神話や伝説を、もっと文字どおりに解釈するべきだと主張する。その点において、彼は多くの正統的な学者とは異なっている。 地球人は宇宙探検で実験的な歩みを進め、我々の過去に新しい次元を加えてきたので、我々は今や新しい体験に照らして最古の物語類を調査できる、とかれ彼は考えているのである。たとえば、たいていの文化に出てくる神話が、空中からやって来る神々に言及しているのはなぜか?

▲コロンビア出土の金の工芸品。
▲コロンビア出土の金の工芸品。 これは三角翼の航空機のモデルで、操縦席、風防ガラス、フランジつきの尾部、昇降舵などもついていると言う理論家もいる。

デニケンが自説を打ち出すまでは、この観念は象徴的なものと見なされていた。しかし、このスイス人の著者によると、過去に大気圏外の人類が地球に着陸したと考えれば、彼らの訪問の様子は、これらの神話に出てくる物語とぴったりと一致するという。 こうした訪問に関する潜在記憶があるからこそ、我々は再びコンタクトしようとして、大がかりな宇宙計画を推進しようとするのだと彼は信じている。

大気圏外へ進出しようという我々の根深い衝動について、この著者はもっとセンセーショナルな理由をつけ加えている。 宇宙からの訪問者は、地球人の祖先だというのだ。 ホモ・サピエンス(人類)は古代の“神々”が当時地球に住んでいた人間に近いサルと神々との間に人工的な変異によって造り出したものだと。

 

神々のための飛行場?

過去に宇宙人によって建設された飛行場だったのだろうか?1930年代にペルー・ナスカ付近の平原で謎の痕跡が発見された。それは、幾何学模様を描いた長い直線から成っており、それらの間には巨大な動物の姿も描いてあった。 そして不思議なことに、全景写真を撮るには空中からでないとだめだったのである。しかしこの線形模様は、飛行機のないずっと大昔に作られたことを、考古学着たちは認めている。 これは古代の道路だったのか、それとも多くの科学者が言うように、かんがい用の水路だったのか?あるいは、過去に宇宙人によって建設された飛行場だったのだろうか?エーリヒ・フォン・デニケンは最後の見解を取っているが、古代に宇宙船が着陸したという彼の著作頬は一大ベストセラーとなった。

▲メキシコ、バレンケの確文の神殿。 ここには、宇宙飛行士を描いたものだとデニケンの言う有名な石の浮彫がある。
▲メキシコ、バレンケの確文の神殿。 ここには、宇宙飛行士を描いたものだとデニケンの言う有名な石の浮彫がある。

デニケンは、優秀な知能を持った人類が大気圏外からやって来て、ナスカ付近に着陸し未来に使用するために空港を建設したのだと信じている。 この『神々』は、それを見た原住民から尊敬された。 原住民は神々が帰って来るのを望んだが帰って来ないとなるや、空港を延長して神々をおびき寄せようとした。 まず彼らは線を増やし、次に別な世代が星々に従って線をつけ加えた。 さらに後の世代が特殊な着陸用マークとして絵をかいた。 これこそ、神々のためにナスカが空港になったいきさつだとデニケンは主張している。

デニケンの仮説は、1935年にメキシコのパレンケで発見された、古代の石浮き彫りのような証拠物に基づいている。 このことは『神々の戦車』で次のように述べられている。

 「そこには1人の人間が座っている。上半身はオートバイ・レーサーみたいに前方に曲げている。 現代ならどんな子どもでも、この乗物をロケットと見るだろう。 それは先端がとがっており、次に吸入口に似た奇妙なみぞのあるギサギザに変化し、外側にふくらみ、尾部に噴出する炎で終わっている。

▲石の浮彫。この彫刻は非常に狭い場所にあるので、正面からは全体を撮影できない。 したがってどの写真も、被写体がゆがんで写っている。
▲石の浮彫。この彫刻は非常に狭い場所にあるので、正面からは全体を撮影できない。 したがってどの写真も、被写体がゆがんで写っている。

うずくまっている人間は、多くの不明りょうな制御装置を操作しており左足のかかとは一種のペダルを踏んでいる。 人間の衣類はその場にふさわしい。幅の広いベルトをつけた短いズボン、首の所がモダンな日本式に開いたジャケツ、腕と足にぴったりと巻きついたバント…・刻み目と管のついたヘルメット、そして頂上部のアンテナらしきもの。 わが宇宙旅行者はーこの人物は明らかにそれらしく描かれているー緊張して前かがみになっているばかりでなく、顔の前につリ下がった装置を熱心に見ているのである。」 

デニケンは、過去の他の遺跡類も同じ光に当てている。奇妙なヘルメットをかぶったように描かれているほとんどの古代の人物像は、アンテナをつけた宇宙人だと彼は述べている。専門家が、それは儀式用のマスクか頭飾りにすぎないのだと言っても、デニケンの考えが変わることはない。 もしそうだとすれば、そのマスクや頭飾りが、なぜ最初にそんなふうに形つくられたのかと彼は反論する。 それは、宇宙からの訪問者に関する人類の記憶をとどめるために、特別に作られた習慣的な伝統なのだと彼は言っている。

自説を裏づけるために、デニケンは世界じゅうの岩壁画を引用した。 たとえば、アルジェリア、サハラのタシリ高原には頭にアンテナつきの丸いヘルメットをかぶり、空間を無重力状態で浮いているように見える人物像が数百もある。 ある特殊な絵は、彼にとってはもっと特別な意味を持つ。 それは、4個の同心円を持つ1個の球体である。 その円の頂上には、アンテナの突き出たハッチがあり、横からは2本の手が伸びている。 その球体にはぴたりと身についたヘルメット着用の5人の人物が浮き上がってつきそっている。これらの絵画は大気圏外から来た人間による地球訪問の記憶が長い時代にわたって云えられたことを表しているのだとデニケンは結論づけている。

▲バレンケの浮彫の図。
▲バレンケの浮彫の図。先端がとがっている乗物はロケットで、これを操作している人間は宇宙服を着ているとデニケンは言う。

もし、わが惑星が、別な惑星から来た優れた人頬の仮の庵であったとすれば、岩壁画よりも実質的な証拠の発見を期待できるだろう。ナスカの遺跡が証拠として示されたが、チリのエル・エンラドリリャドの謎の平原もそうである。これは1968年に再発見され考古学者の別な悩みの種となった。 長さ約3キロメートルのこの平原はウマに乗って3時間ほどの旅でやっと到達できる。 見学者が現地へ着くと、そこに驚くべき光景が展開する。地面は200個以上の巨大な長方形の石で覆われ、各石の表面は極端に滑らかなのである。 それらの石は、高さ3.5〜5メートル、長さは6〜9メートルに及び、ちょうど233個が一緒になって、−見円形劇場に似た状態を形成している。 いったいだれがこの巨大な石ブロックを切り出Lて、こうし正確に形づくったのか、こんな人跡未踏の他にどのような方法で石を運んだのか? なぜここにあるのか? そして何のために?

考古学者は、まだ解決の糸口をつかんでいない。 デニケンは、巨大な石群間にある約900メートルの細長い土地は、着陸場だったのだと言う。 チリの新聞『エル・メルクリオ』紙によると、1968年にこの台地を調査した科学探検隊の隊長ウンベルト・サルナタロ・ボウナウドは、「この右群は進歩した科学技術を持つ古代の未知の文化による建造物である。なぜなら、その地域の土着民には、こんな仕判まできないからだ」と言っている。 また彼は、「だれがやったにしても、その人問たちはこの平原があらゆる種類の航空機にとって、第一級の着陸場になることを知っていたのだ」と述べている。そうだとすれば、対称的に並べられた土石のブロック群は、円形劇場というよりも航空機用の目印であったのかもしれない。

航空機用の目印にするために、あるいは他の理由で、空飛ぶ機械を持つ優れた人類がブロックを作って並べたのだろうか? わが惑星には、奇妙かつ巨大な構築物や一枚石が散在している。 どうしてそれらか建てられたのか、なぜ特定の場所に置かれたのかを理解するのは困難である。 チリの沿岸から3600キロメートル離れた小さなイースター島には、高さ10ないし20メートルもある数百の石像がある。これは大きな謎た。 だれが刻んだのか? この遠隔の他に、なせ建てられたのだろうか?こうした疑問は、エジプトやマヤのピラミッドの建造方法についても残っているL、イングラント南部のストーンヘンジのような巨大なストーンサークル意義も、我々にはわかっていない。

デニケンか暗示するように、もし大気圏外の人類がこれらの記念碑を建造したとすれば、謎はある程度解けるだろう。 彼らは、自分たちにとって特に重要な場所となるか、または着陸場所として役立つような位置を選んだのであろう。

第3章第2話へ続く

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