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 第3章 神々の戦車 第2話 宇宙よりの訪問者/ロイステマン
 

デニケンが取り上げたものとして、南アメリカにはもう1つティアワナコの驚異がある。 そこは、高さ約4000メートルの台地に古代の大都市が存在した場所である。酸素か希薄で仕事をするのはきわめて国難である。

▲アルジェリア・サハラ、タシリ高原中の岩壁に描かれた絵。 デニケンによれば、空間に無重力状態で浮かんでいるように見える人物は大昔、地球を訪れた火星人であるという。

▲アルジェリア・サハラ、タシリ高原中の岩壁に描かれた絵。 デニケンによれば、空間に無重力状態で浮かんでいるように見える人物は大昔、地球を訪れた火星人であるという。

そこは、高さ約4000メートルの台地に古代の大部市が存在した場所である。酸素が希薄で、仕事をするのはきわめて国難である。それにもかかわらず、ある種の大建築物が建てられたのだ。デニケンによれば、壁は数百トンもある砂岩の大ブロックから成っている。 この壁の上には、さらに60トンの重量を持つブロックが載せられている。滑らかな表面の広い一牧石が、きちんと組み合わせてあり銅の留め金で留めてある。 南アメリカ最大の考古学的驚異の−つが、ティアワナコでも見られる。 それは“太陽の門”である。 一枚岩から刻み出された10トンもあるこの巨大な彫刻は、星々から飛来した黄金の宇宙船の物語を伝えている。 それは“地球の偉大な母”となった女性、オリヤナを運んだ。 彼女は両手に、4本の水かきのある指を持っていた。 70人の子どもを産んだ後、星へ帰ったという。

▲古代メキシコの石の浮彫。この像は、現代の宇宙飛行士の科学装置をすべて持っているとデニケンは考える。この古代文明は、かなりの技術を持つ優秀な人類と接触していたのだろうか。
▲古代メキシコの石の浮彫。この像は、現代の宇宙飛行士の科学装置をすべて持っているとデニケンは考える。この古代文明は、かなりの技術を持つ優秀な人類と接触していたのだろうか。

さらにティアワナコで見られるのは暦である。これをテニケンは、1時間ごとに月の位置を示すもので、地球の回転を考慮しているのだと説明している。もう一つの驚くべき発見物は、7メートル以上の長さをもつ赤砂岩の一枚石でできた“大偶像”であった。 それには数百個の記号が刻まれこれは、H.S. ベラミーとP.アラン共著の『ティアワナコの大偶像』によれば、丸い地球に基づく膨大な天文学的知識か記録されているという。こんな知識がどこからもたらされたのか?

不思議なことにこの記号は1952年カリフォルニアの砂漠でジョージ・アダムスキーが金星人と会見したときに与えられたという象形文字と同じである。

デニケンは自説を裏づけるために、中国の魅惑的な発見物を引用している。

1938年、中国の考古学者チー・プー・ティは、中国とチベットの国境地帯の山岳どうくつ中に、列をなして並んでいる一連の墓を発見した。どうくつの壁面は、丸いヘルメットを着けた人物群像と、数グループの小さな点の集合体でつながれた太陽、月、星々などで飾られていた。チー・プー・ティとその助手たちは、厚さ約2センチメートルの花コウ岩の石板716枚を墓から取り出した。 デニケンによると、これらはLPレコードによく似ているという。 石板の中心部には穴があり、そこから二重のみぞに刻まれた書体がらせん状に縁のほうへの伸びていた。

▲オーストラリア原住民にウォンジナと呼ばれている人物像。 彼らはこうした画像を珍重する。 これは岩壁に描かれ、直立して壁から外部を見つめている。頭に載せた奇妙な飾りはヘルメットだろうか。
▲オーストラリア原住民にウォンジナと呼ばれている人物像。 彼らはこうした画像を珍重する。 これは岩壁に描かれ、直立して壁から外部を見つめている。頭に載せた奇妙な飾りはヘルメットだろうか。

その墓について迷わされるのは、がい骨は身長が低いのに、頭骨が大きくて幅広いという事実であった。チー・プー・ティによると、これらは絶滅した山岳地帯のサルの遺骸であるという。サルが墓を作ったり、特にきちんと並べたりすることは知られていないのに−。 明らかにこの種族は、石板とは関係ない。 考古学者ティは、「石板は後の時代に、異なる文化を持つ他の種族が残したものだろう」と言っている。

20年間、専門家連は、この石板の謎を解こうと努力した。すると1962年に、北京の先史研究アカデミーのツム・ウム・ニュイ教授が書体の一部を解読できたと声明した。 しかしアカデミーは、その文字やそれが伝えた驚くべき物語に疑惑を抱いたので、その発見を公表することを拒絶した。 1963年、ツム・ウム・ニュイは、他の4名の科学者の支持を得て、自分でその成果を発表した。彼がもらしたところによると、その石板類は1万2000年前に、第三惑星(地球)に墜落した宇宙船について語っているという。 それは再度地球を脱出する力を持たなかったし、乗船者たちは新しい宇宙船を建造する手段を持たなかったため、山岳地帯の住民と友人になろうとしたが、その幾人かが追いつめられて殺され、生き残った人がどうくつ内に隠れたというのである。

もし宇宙からの訪問者が、妨害を受けずに地球を探検したければ、自然のどうくつ内に隠れるか、または彼ら自身の地下の世界を建設するだろう。南アメリカ大陸の地下の巨大な迷路やホールなどの発見者に会おうとして、デニケンがエクアドルへ行ったのは、この考えがあったからである。

▲ケオプスのピラミッド。
世界中に古代の巨石記念碑があるが、その建造方法は現代の科学でもよくわかっていあない。建造した理由は全く不明か部分的に説明しうるにちがいない。
▲ケオプスのピラミッド。なぜファラオはそこにそれを建造したのか?

アルゼンチン人のフワン・モリスは、この不思議な地下世界の一部分を法的に所有していると主張する。しかし彼は、自分の発見物の計り知れない文化的価値に自信があるため、エクアドルに対して管理してくれと要求し、その地域を調査するための科学委員会を設けよと主張した。 モリスが、自分の法的権利証書を供託した後も、当局からは何の反応はかった。

それで遺跡は、詳細な調査の手を待っている。しかし、モリスはデニケンを地下迷路へ案内して、その宝物の一部を見せることに同意した。この体験は『神々の黄金』に述べてある。

地下の迷路は、荒っぽい自然の状態にあるのではない。 壁や天井は滑らかで、すべてが完全な直角をなしている。このトンネルを掘るのに、いかなる道具が用いられたのか。これらのトンネルは、地下を数千キロメートルも走っているとモリスは言う。 彼はデニケンを通路に沿って案内し、「ジャンボジェットの格納庫ほどの大きさ」もある巨大なホールの中へ連れこんだ。このホールから、さらに廊下が四方に分かれている。二人は別な通路を通り抜けて、完ぺきに均衡のとれた巨大なホールに入った。 中央には、テーブルと数個のいすがある。 それらは一種のプラスチックでできているように見えたが、鋼鉄のように強くて重かった。

「いすの後ろには動物がいた。トカゲ、ゾウ、ライオン、ワニ、ジャガー、ラクダ、クマ、サル、ヤギュウ、オオカミなどでそれらの間をヘビやカニなどがはい回っていた。明らかにそれらは鋳型で作られたもので、その配置は乱雑であった。…・全体が幻想的な動物園みたいで、しかもあらゆる動物は黄金で作られていた。」

▲イースター島の石像。いったいどのような方法で、なぜ、これらが建てられたのか?
▲イースター島の石像。いったいどのような方法で、なぜ、これらが建てられたのか?

最も驚くべき宝物が、同じ動物ホールに秘められていた。それは金属の飾り板から成る図書館で、各飾り枚の厚さはわずか数ミリメートルである。 それを調べたデニケンは、それらのほとんどが96×48センチメートルあったと言っている。

各金属板は、異様であった。留め金がないのに、それだけの大きさや厚さがあるにもかかわらず、どれも直立しているからだ。 巨大な書物のとじられたページのように隣接して立っており、どの板も、機械で刻印されたかのような文字で埋まっていた。 未知の文字が記された、この金属枚のページは、2000〜3000杖だという。デニケンは断言する−「この金属の図書館は、長持ちさせて永久に読めるようにするために作られたものだ。」

その文字もこの惑星で現存する最古のもので、おそらく最初の時代からの人類の歴史を含み−しかも、地球上の生命の発達に介入した大気圏外人類の訪問を記したものであろうと、デニケンは信じている。

『神々の戦車 』でデニケンは、未知の宇宙船側か惑星を発見したときに発生したと思われる次のような考えを表明している。

「宇宙船の乗員たちは、知的生命が発達するのに必要な条件のすべてを地球が備えていることをすぐに発見した。 明らかに、当時の“人間”はホモ・サピエンスではなく、かなり違ったものだった。 宇宙人たちは、この種族の女たちに人工的に受精させ、深い眠りに陥らせてから去って行ったと古代からの伝説は語っている。 数千年後に再び宇宙人がやって来てホモ・サピエンスの標本が散在しているのを見た。 彼らは繁殖実験を数度くり返し、やがてついに社会の規則が維持できるほどの知的な生物を造ったのである。」

デニケンはアダムとイブの物語の中に自分の説の裏づけを見いだしている。男は存在していたが、女を造り出す必要があった。これは、男たちが地球へやって来て一種族を造り出したという説の象徴的な説明になるのではないか。 なぜ男たちは、アダムのろっ骨を使用したのか。 骨の生物学的な免疫反応について知っているほど、高度に進歩した科学を持つ大気圏外の優れた人間がなぜアダムの髄を培養基としてその中に男の精液を注入しなかったのかとデニケンは疑問を投げかけている。

イースター島の謎

南太平洋イースター島の巨石群像は、数百年間、探検家や人類学者や旅行者などを驚かせいぶからせてきた。

イースター島の群像は宇宙よりの来訪者たちの作品

こんな巨大な石像が、島の遠い1ヶ所しかない石切場からどのようにして運ばれて来たのか、だれにも説明はできない。 またこの火山岩が、島で発見された1種類の小さな原始的な道具でどうして刻まれたのか、これもわからない。 もっと不可解なのは、これらの石像がなぜ長くてまっすぐな鼻や薄いくちびるをしているのかということである。島の住民やその祖先もこんな顔つきではないからだ。

エーリヒ・フォン・デニケンは、世界じゅうの謎の彫像、絵画、記念碑などに適合する説を打ち出しているが、イースター島の群像は宇宙よりの来訪者たちの作品だという。

デニケンによれば、宇宙人たちは何かの事故でその島に不時着した。救肋を待つ間−また救助者に対する目印として−彼らは巨像を作り、遠くからでも見える場所に並べた。進歩した技術により、この作業はすべて容易にできたというのである。

神々にも見まがう宇宙人たちは、突然イースター島を離れた。 だから石像の中には未完成なのもあるのだとデニケンは示唆している。

第3章第3話へ続く

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