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  神々の戦車 エーリッヒ・フォン・デニケン

第7章(2) 古代の驚異的遺跡は宇宙旅行センターか  UFOと宇宙 No.3
 

古代のエジプト人が太陽をあがめる宗教をもっていたことはよく知られている。彼らの太陽神であるラーは船に乗って天空を飛んだ。

ビラミッドにまつわる奇跡

▲ギザのクフ王の大ピラミッド

古王国時代のビラミッドの碑文には王による天空の旅が述べてあるが、これはどうやら神々とその空艇の援助によって行なわれたらしい。

つまりエジプトの神々や王たちも"空中を飛ぶこと"に関係があったのだ。ケオプスのビラミッドの高さを十億倍すると、地球と太陽間の距離にほぼ等しいということは単なる偶然の一致なのだろうか? 各ビラミッドをつらぬいて走る子午線が諸大陸と海洋(複数)を正確に二分するのも偶然だろうか? ビラミッドの底面積を高さの二倍で割ると、あの有名な数字π(3.14159)になるのも偶然か? 地球の質量の計算結果が発見され、またビラミッドの立っている岩盤が注意深く正確に水平になっているのも偶然だろうか? ケオプスのビラミッドの建設者クフ王がなぜ建設敷地として砂漠の特殊な岩盤地帯を選んだかを説明する手がかりはただの一つもない。

この巨大な建造物のために王が利用した岩盤の中に自然の割れ目があったのだとも考えられる。一方、根拠は薄いけれども別な説明としては、王が避暑用別邸から工事の進行状況を見たがっていたのかもしれないと思われる。このいずれにしても常識に反するものだ。まず考えられるのは輸送距離を短くするために東方の石切場になるべく近い建設用地を設定する方が便利だったのかもしれない。次に考えられるのは、当時といえども日夜建設現場に響いていた騒音で悩まされることを王が望んでいたとは想像しがたい。用地の選定に関する教科書的説明には多くの矛盾があるので、神官団を通じたにしても、ここでも"神々"が口をはさんだのではないかという人があるかもしれない。だがその解釈を認めるならば、人類にユートピア的過去があったという私の説にはもうーつ重要な証拠があるのだ。というのは、このビラミッドは諸大陸と海洋を均等に二分するばかりではなく、諸大陸の重心部に位置するのである。

ここにあげた事実が偶然でないとすれば---偶然だとは到底思えないことだが---地球が球体であることや諸大陸や海洋の分布などについてすべてを知っていた"人々"によって建設用地が選ばれたということになる。これに関してはピリ・レイスの地図を思い出していただきたい!(本誌七−八月号参照)それはまったく偶然ではないし、おとぎ話としてかたづけられるものではないのだ。

誰がビラミッドを建てたか

いかなる力をもって、いかなる"機械"を用いて、いかなる技術によって、岩盤が水平にされたのか? どのようにして主力技術陣はトンネル(複数)を下方へ掘っていったのだろうか? ケオプスのビラミッドにも、岩をくり抜いて作った"王家の谷"の墳墓群にも、たいまつやそれに類似した物は使用されなかった。天井や壁などは黒くすすけてはいないし、すすの跡を取り除いた形跡も全然ない。いかなる方法で、何を用いて石のブロックが石切場から切り出されたのか? ブロックの角が鋭くて、表面がなめらかなのは? どのようにして運ばれて、一ミりの狂いもなしに組み合わせたのか?またもやここにはさまざまの解釈がある。道に傾斜をつけて石を押したとか、足場を組んだり傾斜路を設けたとか、当然のことながら数十万のエジプトのドレイを使ったとか、農夫、土工、職人の群れなど。

▲ピラミッドの前に立つ訳者。

こんな説明のどれも手きびしい調査の相手にはならない。この大ビラミッド(その他のものも)は、まったく理解できないある技術の現存する証拠物件なのだ。今日、この二十世紀でも全世界の技術資源を結集させたところでケオプスのビラミッドと同じ物が作れる建築家はいない。

二百六十万個の巨大な石ブロックが石切場から切り出されて運ばれた上、一ミりの狂いもなしに建設現場で組み合わされたのだ。しかも内部の奥深く廊下の壁などは彩色されている。

  • ビラミッドの敷地は王の気まぐれだ。
  • ビラミッドの無類の"古典的"容積は設計者の偶然の思いつきだ。
  • 数十万の労働者が(ありもしない)ローラー上で(ありもしない)ロープを用いて、傾斜路を十二トンもあるブロックを押したり引っばったりした。
  • この労働者の大群は(ありもしない)穀物を食って生きていた。
  • 彼らは王が避暑用別邸の外に建てた(ありもしない)小屋で眠った。
  • 労働者たちは(ありもしない)メガホンでどなる「よーいと巻けー」の声でせきたてられて十二トンの石ブロックが空中高く押し上げられた。

かりに勤勉な労働者たちが毎日十個のブロックをつみ重ねるというすばらしい仕事をやったとしても、二百六十万個のブロックをつみ重ねて二十五万日!---すなわち六百六十四年かかるのだ。しかもこの大事業のすべてが、自分の息のかかった建造物の完成を生存中に決して見ることのできなかった風変りな王の気まぐれで実現したとされていることを忘れてはならない。

もちろん我々は、大まじめで出されたこのような説をバカげていると考えるわけにはゆかない。しかしビラミッドは王の墓にすぎないと信ずるほどに単純であるわけにもゆかないのだ。これから先も、ビラミッドのもつ数学的、天文学的な記号類を単なる偶然と考える者はいないだろう。

クフ王以前にビラミッドは存在した?

今日はその大ビラミッドの建造を思いついて建設したのは間違いなくクフ王であるとされている。なぜか? あらゆる碑文や平板がクフの名を伝えているからである。私にはっきりとわかるのは、一個人の生涯中にビラミッドが建造されるはずがないということである。しかしクフが自分の名誉を伝えたとされている碑文や平板をでっちあげて作ったとしたらどうだろう? そんなことは古代ではざらに行なわれていた。多くの建造物がそれを証明しているからだ。独裁者が名誉を独占したいときはいつもそうせよと命令をくだしたのである。この場合もそうだとすれば、クフがこの世に出現するずっと以前からビラミッドは存在したことになる。

オックスフォードのボドレイアン図書館には古代エジプトの文筆家マス・ウディが、エジプトの王スリドがケオプスの大ビラミッドを建てさせたと主張している稿本がある。奇妙なことにこのスリドは大洪水以前にエジプトを支配していた。この賢明なスリド王は神官団に命じて彼らの知識すべてを書かせ、その文書を大ビラミッドの中に隠させた。したがって古代エジプトの伝説によると、そのビラミッドは大洪水以前に建造されたということになるのである。

ヘロドトスはその著「歴史」の第二巻でこの推測を確証している。テーべの神官団は彼に三百四十一体の巨大な彫像を見せた。そのいずれもー万一千三百四十年の期間にわたる神官の各世代をあらわしているという。するとわかるのは、どの神官も存命中に自分の像を作らせたということである。ヘロドトスは次のようにも述べている。彼がテーべに滞在中、息子が常に父親をまねた証拠として神官が次々と自分の像を見せた。神官たちは自分らのいうことはきわめて正確だと保証した。彼らは多くの世代にわたってあらゆることを書き記してきたからだというのだ。また彼らはこの三百四十一体の像のいずれもそれぞれ一世代をあらわしていると説明した。この三百四十一世代より以前には神々が人間たちの中に住んだが、それ以来神はふたたび人間の姿をして人間たちを訪れなかった。

エジプトの歴史上の期間は一般に約六千五百年と見つもられている。そうするとなぜ神官たちは旅行者のヘロドトスに憶面もなく一万一千三石四十年だとウソをついたのか? またなぜ彼らは神々が三百四十一世代のあいだ人間たちのなかに住まなかったと強調したのか?"神々"が遠い過去に本当に人間たちのなかで住まなかったとすれば、こうした正確な内容はまったく意味をもたないことになる。

ビラミッド建設の方法、理由、時期についてはほとんど何もわかっていない。四百九十フィートの高さがあり、六百五十万トンの重量をもつ人工の山が、信じられないような業績の証拠としてそこに立っている。しかもこの記念碑が途方もない一人の王の墓にすぎないと考えられているのだ! この説を信じられる者は信じていればよい………。

>>第7章(3)へ続く

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