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 宇宙人の死体はこうして回収された

by グレイ・バーカー/久保田八郎訳 UFOと宇宙 No.50 より転載

1940年代から50年代にかけて、ニューメキシコでUFOが墜落、船体と宇宙人の死体を米軍がひそかに処理したという事件はやはり事実であった。

墜落したUFOに関する記事がついにUFOレポート誌に掲載されたが、私は数ヶ月前にこれについて追跡調査を行なった。そして調査中にロバート・スペンサー・カー博士と短時間会う機会を得た。博士は当時南フロリダ大学のコミュニケーション科の教授だった人である。 

この人との会見の大部分は、彼が主宰したあるシンポジウムに私が出席して実現したので、彼が精通している問題についてゆっくり話す時間はあまりなかった。その問題というのは、米国南西部地方にUFOが墜落して、円盤と乗員の死体を軍が押収した、という公然の秘密となっている事件である。

▲ロバート・カー教授。彼は"政府は公表したこと以外にも多くを知っており、1機以上の墜落したUFOの残がいを保管している"と考えている。

当時、この間題に関して彼が沈黙を守ろうとした理由を私は理解できた。その年は彼の退職前の最後の年で、保守的な大学で大きな騒ぎを起こしたくなかったのだ。 

私が初めて彼の名を知ったのはドナルド・キーホー退役少佐の著書『Aliens From Space(邦訳"未知なるUFO")』を読んだときで、その中でカーはキーホーが"誘い出し作戦"と呼んでいる計画の立案者として紹介されていた。 これはニューメキシコ州の奥地の山頂に設置されることになっていた、あるユニークなコミュニケーション計画で、これによってUFOとの友好関係を確立しようというものだった。 

この計画は南太平洋の原住民のあいだに残っているカーゴ・カルトを思わせたが、カーという人物がよくわかるにつれて、私は名案だと思った (訳者注カーゴ・カルトとは、先祖がよみがえって近代的な武器を船に積んで帰り、白人に復しゅうするという土民の信仰)。 

この学者は"言語を使用しないで意志伝達を行なう方法"を研究する、すぐれた専門家であった。第二次大戦中、彼はウォルト・ディズニーのスタジオで働いて、動画の訓練用映画の開発を援肋していた。この映画は理解をスピードアップし、言語の障壁をとり除くために、コトバを用いないで動作だけに頼る方法を教えるものである。 

戦後、彼はいろいろな科学機関で働いたり、その広報企画を扱う大会社に勤めたりした。 彼が退職したことを知った私は、またも連絡したが、今度は電話によるものだった。正式なインタビュー披を引っ張り出すのはむずかしいことがわかっていたけれども、この電話による話し合いや、その後の対談などで、私たちはしだいに友人になったのである。

専門家200人が現地調査

最近、ついに私の努力はむわれた。カーはわれわれの対談の録音を許可してくれたばかりか、その中の一部分をUFOレビュー誌に掲載してよいといったのだ。 90分に及ぶ電話インタビューには多くの話題が含まれており、それらも公表したいのだが―最近のUFO事件類やカーの現在の政府との関係などー、ここに載せる対談は録音中でもっとも興味深い部分だと思う。 

この部分こそは現代のUFO 時代の始まりについて新しい理解を与えてくれるし、しかも米政府が大気圏外から来た機械と小人たちの死体を押収したという驚異的な確証を与えるものであるからだ。それは次のとおりである。

パーカー:政府がその機械(宇宙船)を押収しているのかね。

カー:(言葉をさえぎって)そうだ!

パーカー:円盤と乗員の死体を押収した。

▲CIAの本部。矢印のドーム型建物に円盤と宇宙人の死体が―。

カー:そのとおり!学界から少なくとも200名のトップクラスの人たちがやって来た。医学界、海軍病院、国防省、もちろん空軍情報部、CIAなどからだ。みんな調査に没頭した。だが今は活動を抑えられている。披らは秘密の場所に隠してしまった。一部分はバージニア州ラングレーのCIA本部のうしろにあるドーム状の建物の中にあるよ。

墜落した二機のUFOはひどく損傷していた。焼けこげて、一種の腐食性の液体が流れ出てそのためにメチャメナャだったね。二機とも撃ち落とされたんじゃないんだ。アメリカ人が発見したんだ。 だがドームの部分に人間のこぶし大の穴があいているだけでほぼ完全なUFOが1機、今もライトパターソン基地に保存してあるよ。 私が第18号格納庫に関する噂を話していたときのことをあんたは覚えているだろう。約100人の新聞記者やテレビ局の人がゲートに殺到した。そしてみんなは第18号格納庫の中をからっぼにしてしまった。完全なからっぼで、床に数本のパイプがころがっているだけだった。

パーカー:ボブ、話をもとにもどすことにしよう。まず私は次の事をはっきりさせたいんだ。フランク・スカリーが円盤墜落事件について語った当時、あんたはニューメキシコ州に住んでいたんじゃないかね?

カー:私はニューメキシコの南部に住んで、アズテックの円盤不時着事件が起こったときは、小さな牧場を所有していたよ。あれは"死人"の着陸だった。船体は自動的に降下したんだ。当時ミューロック乾湖空軍基地といわれた場所から最初のヘリコプター群が来たとき、円盤は三本脚の着陸装置を出して立っていたよ。(この基地は数年後にエドワーズ空軍基地と改称された)

パーカー:(電話にピーという音がはいったので)何か邪魔がはいったようだ。でもまだあんたの声は聞こえるよ。この事件はフランク・スカリーが書いた本『空飛ぶ円盤の背後にあるもの』の中で述べてある事件のことかね?

カー:そうだ。スカリーも報告している。というのは、電子工学の専門家でオランダ人だったレオ・ゲバウル博士がトップクラスの人で、これも空軍のコンサルタントをやっていたんだが、彼がスカリーの本の中に出てくる、例の事件についてしゃべったオイル関係の実業家に、事件を伝えたんだ。この百万長者の実業家はコロラド大学の教授団や学生を相手に講演をやった人なんだ。(訳者注=フランク・スカリーの著書をインチキ視する人が国内外に多いが、彼は円盤墜落事件に関する驚異的な事実を洩らしたため、あわてた米空軍やCIAが猛烈な圧力をかけてインチキとして葬り去ったのである。実情を知らないトゥルー誌までが彼を山師扱いにしたけれども、この辺の事情は日本では全く知られていない)

パーカー:(さえぎって)もちろん私たちはスカリーの書物でその事件のことは読んでいるんだが、あんたは独自な確証をもっているのかね?

カー:私が最初に確証を得たのはある生物学者からだ。(これは1952年のことで宇宙人の死体の解剖はすでに行なわれていた)その人はもっと部厚いレポートの中の生物学的調査の部分を持っていたんだが、それはギザギザのエッジのついたパインディングからむりやりにむしり取られたものだった。カーポンのコピーだったね。当時はゼロックスはなかったからね。当時、私はフォートマイヤズビーチにあったある科学財団の広報部長だった。それで全国から科学者がやって来た。これはロバート・L・ジェームズ博士が理事長だったジェームズ財団だ。

パーカー:あんたは実際の目撃者である人たちから直接に報告を聞いたんだろう?

カー:彼は公式の報告書を持っていたよ。ただし彼は解剖には立ち合わなかった。でもその報告書を見ることは許されたもんだから、生物学的調査の部分だけをむしり取ったんだ。それ以外の事には関心はなかったんだ。たとえば航空工学関係など。全く残念なのは、彼がレポートの全部を取って来なかったということだ!はかりしれない価値があったと思うんだがなあ。どこかにあると思うよ。

パーカー:あんたは彼がむしり取ったレポートを実際に見たの?

カー:彼はそれを手から離そうとはしなかったが、私に読んでくれたよ。

レーダー波が円盤を墜落させた?

パーカー:墜落したUFOはどこから運ばれたのかね?

力ー:ニューメキシコ州アズテックの北西12マイルの地点から運ばれた。ハートキャニオンという地域の近くだがね。ハードキャニオンと呼ぶ人もいるが、入植している人たちはハートといっているよ。

▲筆者グレイ・バーカー

パーカー:それで、この円盤がライトパターソン基地へ運ばれたんだねー?間違いないかい?

力ー:ちがうよ!円盤はミューロック乾湖基地へ持って行かれたんだ。ライトパターソンヘ運ばれたのは解剖がすんで、CIAが指揮をするようになってからだ。

1947年から52年にかけて大きな混乱期があったのを覚えているだろう。新聞は第1面にUFOのニュースを載せたし、だれもが自由に話せた頃だ。

するとCIAによってロバートソン委員会が任命されて、1952年の秋に会合を開いた。それはワシントン市のホワイハウスの上空をUFOが三角形の編隊で飛んで大騒ぎになったあとだ。あの三角形編隊が何を意味するのかわからないな。異星人の文化で平和をあらわす記号かもしれないよ。だが何を意味するのかはわからない。

しかし、われわれは彼らにチャンスを全然与えなかった!それどころかジェット戦闘機を緊急発進させたり、レーダーでとらえたりした。これがわるかったんだ。というのは、レーダーの電波が円盤の電磁シールドを突き抜けて装置類をだめにしたんだ。たしかにこれがニューメキシコ州アズテックの円盤墜落事件の原因かもしれないな。あるいは別な何かの直撃を受けたのだろう。内部の小人宇宙人は減圧で死んだんだ。

別な円盤の残がいがその年の夏にアリゾナの砂漠で発見された。目撃者がいるんだ。この円盤は燃えて、長いあいだ砂漠に放置されていた。そこには生物が残されていたんだが捕食動物と砂漠の熱気のおかげで乗員たちはうまく助かった。だが人々はそれをさらって持って行ったんだ。すると約2年後に、CIAが完全に掌握したんだ・・・ね、ワシントンの大騒動の後、だれかが処理を引き受けねばならなかったんだ。当時はCIAがもっとも強力で有能で団結した組織だった。

そこで大統領の支持によりCIAが民衆の利益のために責任を負うことになったんだ。

1953年頃に1機の物体がアメリカの国境に近いメキシコの東海岸の山腹に墜落したことがあったCIAとメキシコ陸軍は密接な関係にあったから、CIAの要員がメキシコ陸軍といっしょに墜落現場へ登った。私は目撃証人を得ることはできなかったが、メナャメチャになった円盤と、その中にいた生物はCIAが持って行ったということだ。

パーカー:この情報を伝えてくれた人の名前がいえるかね?

カー:だめだ、いえない。だが多くの情報提供者がいて、それらが同じ事を話してくれたということは覚えていてくれ。

私にとりもっともたしかな決め手の1つは、こういうことだ。1974年から75年にかけての冬の期間に、私は唯一の講演旅行に出かけたんだ。ジョージア工科大学の超満員の講堂が最後だったが、どこの大学へ行っても、いつも1人か2人の白髪の、地位の高そうな、おとなしい男が私をじっと見つめていて、あとをつけまわすんだ。ただついて来るだけなのだろうと思って、相手に向かって微笑したんだ。

ところが昼食と記者会見のあいだにトイレへ入ったところ、相手の1人が中へ入って、そばへ立つんだ。そしていった。「ね、私は退役した高位の軍人です。私は北アフリカにいました。あなたにいいたいのです。どしどしやりなさいと。私は北アフリカでUFO(複数)が地上にいるのを見ました。直径は90フィートもありました。

あなたはUFO研究ではズブの素人ではない。カーさん、ああ、あなたといっしょに演壇に上がりたいですなあ!でも私に会ったことは忘れて下さい!さよなら!」とね。

宇宙人の死体を解剖したパーカー 

その人たちはあんたのいう事実に公然と確証を与えたと思うかね

カー:いやいや。でも彼らは正直だ。他人に話すことによって心の重みをとりたかったんだ。 似たような人がまだいるよ。オハイオ州の72歳になる引退した看護婦がそうだ。彼女は秘密を保つように宣誓させられた。なぜなら外科手術の婦長として宇宙人の死体の解剖を手伝ったからだ。

パーカー:それはどこかねー?ライトパターソン、それともミューロック?

カー: ミューロックだ。遺体がライトパターソンに送られたときには冷凍されていた。ミューロックには保有設備がなかったし気温も高すぎたんだ。おまけに治安もよくなかったしね。

ジェームズ・モスレーという男が書いた書物"ライト基地物語"で、ライトパターソンでは空襲警報と解除報が出たと述べているが、あれは事実をごたまぜにしているよ。警報と解除報はミューロック乾湖基地で出たんだ。なぜかというとそのUFOは内部に小さな無線機を持っていて、各時間の約11分すぎにカン高いヒューという音を出して、それが約15秒続いたんだ。

ミユーロック基地の司令は筋のとおった決定をくだした。つまり、その物は他のUFOに自動的に信号を送る装置で、基地は攻撃されるかもしれないと。

だが12日ほどたってからパワーはおとろえて小型無線機は音を出さなくなった。空軍の技術屋がお土産としてそれを持って帰ったよ。こうまで軍がたるんていたとは信じられないほどで、いかに真相がゆがめられるかということは恐ろしいぐらいだ。

パーカー:その技術屋はまだ無線機を持っていると思うかね?

カー:持っているだろう。本人の名前がわかりさえすればね。だがCIAはそれ以来、ワシントン市では異星の宇宙船が飛来する危険があるとみて活動を展開した。ひじょうに巧みに外交上の術策を用いて、三つの大きな通信社の編集者たちに対して記事を小さく扱うようにと説得したんだ。だがローカル新聞がこうした記事を扱うことまではとめなかった。たとえば、あんたの所のクラークスバーグ通信社が第一面全部で事件を報道してもCIAは気にしないだろう。彼らは事件が海外に流れることをいやがっただけだ。

CIAは陸軍の高官を大通信社の首脳部と会見させて、次のようにいわせたんだ。「こんなでたらめな報告を広めることは国益に反する。なぜなら、これはソ連に米国を攻撃する機会を与えるかもしれないような重大な瞬間に、情報径路をふさぐことになるからだ。

次に、あなた方がこうした地方の事件の一つを流せば、インチキやでっちあげやヒステリカルな目撃報告類を追跡するために、政府はばく大な金をかけることになる。あなた方がUFO 報告を流したりしなければ、すべては無事におさまるんだ」 

CIAはブルッキングズ研究所に委嘱して、社会心理学的な研究をやらせた。そしてこの研究所は有害な信条を平易な英語で発表したが、それは今も流れている。オーソン・ウェルズの"宇宙戦争"がラジオで放送された夜の民衆の振舞いは、米国民が宇宙人とのコンタクーに対して心がまえができていないことを立証しているというのだ。これは米国民の成長度と知性に対するいまわしい名誉穀損だと思うよ!

1979年は30年代後半とはちがうんだ。われわれは月に人間を送り込んでいる。火星にもロボットをおいたし、木星を撮影する探査機も持っている。世代全体が"スター・トレック"で成長したんだ。私は退職する月まで、学生の上級クラスのすべてからアンケートをとった。もし空飛ぶ円盤が大学のキャンパスに着陸したら、君たちはどうするかと。すると彼らは答えるんだ。

「われわれは花を投げ上げながら円盤に接近し、両手を上げて"いらっしゃい、兄弟たち!"という」とね。

O型の血液をもっていた宇宙人

パーカー:小人宇宙人の解剖の話に返ることにしよう。宇宙人は大体に人間らしく見えたのかね?

力ー:"大体に人間らしく"どころじゃないよ。完全な人間だったんだ。

パーカー:墜落した円盤の中にいた乗員たちは、人間の血液を持っていなかったという別な報告があるんだ。なにかの液体があったのかい?

力ー:彼らはO型の血液を持っているよ。彼らは今夜にでもあんたや私に輸血をしてーれるぜ!肉体内の各器官はみな正しい位置にあった。乗員はすごく健康体だったな。ショックと驚異をひき起こした唯一の肉体的特徴は、脳外科医が頭がい骨を切開して脳を見たときだ。体のわりに頭が少し大きいんだ。少々巨大な頭の人種だ。だがわれわれの仲間でも大頭の小人はいるからね。多くの背の低い人は頭が大きすぎるよ。この円盤の乗員たちが子供用の服を与えられたとすれば、ニューヨークのような大都市の街路を見破られることなしに歩けるだろう。お互いに顔見知りの人ばかりの小さな町ならば気づかれるだろうが、ニューヨークなら人から振り向かれることもないよ。

ところで、頭がい骨を切開したときのことだが、もちろん、あんたはその話を知っているだろうな。

パーカー:いや、知らないよ。

力ー:彼らが発見した脳は、その渦巻状態や構成やシワの深さなどからみて、数百歳の人間の脳を見ているような印象を与えたというんだ!しかもその宇宙人は地球式にいって20歳から30歳の中間ぐらいにしか見えないほどに強壮な若者だったんだ。オリンピックの選手になれるほどで、ただ体が小さいだけなんだ。

パーカー:でも、その脳は・・・・いやまあ話をあ話を続けてくれ。

力ー:その脳。だが、あんたはチャールズ・ダーウィンの脳がロンドンの医学博物館に保存してあることを知ってるだろう。それはもっとも深く渦を巻いた脳として知られている(白痴の脳はなめらかなのだ)。

その宇宙人の脳は医師団がかつて見たことのないほどの深い渦を巻いたもので、一同はのぞき込んでから、驚きでのけぞった。宇宙人の寿命はわれわれよりも長いにちがいない。だから惑星間の宇宙旅行ができるんだ。

パーカー:そうすると、この宇宙人はわれわれの太陽系以外の場所から来たというんだね?

力ー:そうだ。それがもとの状況報告書に述べられた空軍情報部の一致した意見だった。これは空軍スタッフの責任者が要求した報告書だ。その人はトワイニング少将で、空軍スタッフの長だった。その報告書には実際には次のように述べてあった。「UFOは実在する。それは金属の物体であり、高度に進歩した推進装置により推進し、疑いなく、われわれの太陽系以外の場所から来たものである。その宇宙船は知性ある、人間に似た生物により操縦されている」

パーカー:その報告書に対するトワイニングの反応はどうだった?

力ー:トワイニングは頭にきて、報告書をこなごなに引き裂いてしまい、あらゆるコピーを焼いてしまえと命じた!わずかに二つのコピーだけが肋かったといわれている。それがどこにあるかを知っている者が民間のUFO研究グループにいるとすれば、それはドナルド・キーホーだ。まだ確言はできないけれどね。 

(終わり)

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