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 UFO目撃を妨害するFBI  

UFOと宇宙 No25  より転載

 常套文句のように「UFO事件を捜査する権限はない」と繰り返しながらFBI(米連邦捜査局)は、UFOの目撃や着陸事件に何十年も前から介入してきた。FBI暗躍の黒い背景!
ラリー・W・ブライアント

もし、FBIが軍と協力して市民のUFO目撃報告を調査し、その市民たちの信用を失わせるため職員と施設を使用して組織的な秘密活動を続けていると知ったら、皆さんはいったいどうしますか?

この発見に関して私がしようとしているのは、証拠を明らかにして、法律でこの積年の活動を阻止できるかどうか、皆さんにも心を決めてもらうことである。

もちろん、証拠といっても不完全なものだ。入手できるものが少ないわけではないが、FBIの活動の性質からいって、入手しにくいのである。何人かのUFO研究家たちのしつこいまでの努力と、情報自由法が最近改正されたおかげで、情報の入手もだいぶらくになった。事実が次第に明るみに出てくれば、UFOという名のパイにFBIがどんなに指を深く食い込ませていたかがわかるだろう。

UFOの公式調査に果したFBIの役割に私が関心を抱きはじめたのは、かなり前の1959年2月1日のことである。私はJ・エドガー・フーバーに手紙を書き、「1952年1月1日以後、異常空中現象の写真や映画を含めどのくらいのUFO目撃報告を収集・評価・分析しましたか?」と質問したのだ。「FBIはUFOの運動の分析に関する情報を入手したことがありますか?」とも聞いてやった。

フーバーは2月9日、いかにも彼らしい温情主義的な調子の返事をよこした。「・・・・・・FBIの保管する情報はすべて秘密であり、政府しか利用できないものであることをご通知します。その理由はおわかりでしょうし、貴殿が必要とされる情報をわれわれが持っているとも持っていないとも推測しないようにして頂きたい。しかしながら、未確認飛行物体の調査はFBIの権限外にあることだけはお知らせします。本件はまず空軍省の管轄であり、したがって貴殿のご書面の写しを特別調査官、(空軍)憲兵司令官あて送付しておきます・・・・・」

UFO論争には連邦政府も一役加わっている。フーバーにあてた私の手紙も、その政府とつながっている連邦・州・地方の各官庁にあてて毎日のように殺到する沢山の質問状の一通にすぎなかった。

▲ソコロにて。UFOために焼け焦げた茂みを空軍技術者がガイガー探知機で調査するのを見ているニューメキシコ州警察のロニー・ザモラ。背後の背広姿はFBIアルバカーキ事務所の職員だろうか?

60年代に入ると払は、警察署長、保安官、民間防衛軍司令官など、バージニア州の法務執行官たちの調査に演じている役割を研究し決定する活動に入った。ピックアップした官吏たちを何ヶ月もかかって綿密に調査したのち私は、その調査結果を記事にまとめて発表した。(フェート誌1964年2月号)。

私がピックアップした官吏の中に、バージニア州サセックス郡の保安官がいた。彼は1963年7月23日付の私の手紙に対しては返事をくれなかったが、私の質問は重大であると考えたらしくてFBIに通報した。同様に、バージニア州ノーフォーク海軍基地司令官にあてた1963年8月8日付の私の手紙ー その中で私は「もし貴隊が民間官庁に、UFO目撃の報告手続を配付しておられるなら、その写しを1部お送り頂けませんか?」と書いた ー も、直接回答されるかわりにFBIの書類整理棚に直行してしまったことも確かである。

どうして私にそれがわかったか?

■訪ねてきたFBIの手先

それを確認したのは、1963年9月17日、バージニア州ニューポート・ニュースのジョン・S・キャッスルズを通してだった。彼はFBIの手先だったのである。その日私はフォート・ユースティスの事務所で昼食の準備をしていた。会社の保安係から電話があり、キャッスルズという人が私に面会にくるところだということだった。UFO研究に精力的に取組んできたこの数年間、自分の活動がバージニア州内の地方官憲、たとえばフォート・モンロ−陸軍対抗情報部隊やヨークタウン海軍武器集積所の諜報員、また時には仕事に熱心すぎる上役などから監視されるのには馴れっこになっていた。それに相当あけっぴろげな活動でかなりの悪名をとどろかせているのだから、FBIの手先が突然たずねてきてもそう大したことではない。

とはいうものの、役人から自分の私生活に踏み込まれることには、幾分かの不安もあったことは確かである。それに、調査の原因となった手紙を書いた自宅でなく、事務所にやってきたことにも、私は怒りの念を覚えた。

約10分ほど彼の質問にできるだけていねいに答えてから、私は自分からも2、3質問してやった。「UFOに関心を表明する者はだれでもFBIの調査を受けるのですか?」

キャッスルズは、そうではない、と答えた。だが、私の場合は必要なのだそうだ。私の手紙を受取った人たちからの質問状がFBIに殺到しているので、彼は「保管書類のための」メモを書いているのだという。

「それはつまり、FBIのUFO関係の書類の1部としてですか?」私の質問に対して彼は答えた。「FBIがたとえ(UFO目撃について)そのようなデータを持っているとしても、それは性質上秘密情報であり一般民衆にも個人にも公表されることはないのです」

13年も前のその訪問を今になって考えてみても、やはり、私にとってそれは相当なショックだったと思う。うまいことをするものだ。別に私が悪いことをしていると露骨に言われたわけではないが、話を聞いていると、理由は知らないがFBIは私の個人的なUFO研究から目を離さないのだなという気がしてくる。うるさいというか、法の権威の濫用というか、プライバシーの不当な侵害というか、表現はどうであれ、法律で明白に裁定されない以上、私だけではなくフリーのUFO研究者ならだれでもこのような目にあう危険があることを忘れてはならない。

1つにはUFO報告の調査と評価にFBIが閑係していることに、また1つには私のような平凡なUFO研究者の調査報告を作成したりして納税者のお金をFBIが浪費していることに腹を立てた私はすぐさま、キャッスルズのいう「保管書類のためのメモ」の写しをフーバー氏に請求した。その返事は、フーバー秘書へレン・W・キャンディからの1963年9月訂日付の手紙となってきた。「…当局の書類はその性質上秘密扱いですのであなたの要求に応じることができません」

それから11年後の1974年3月31日、私はふたたび同じ請求をした。今度はフーバーの後任のクラレンス・M・ケリーが、キャッスルズのメモの写しを入手したいという私の要求を拒絶した。だが、それから間もなく、情報自由法の修正案が、議会手続の複雑な迷路と大統領の拒否権という難関を通過して、1975年2月19日に発効し、沈黙のFBIとの押問答を可能にしてくれた。最初にバッター・ボックスに立ったのは、経験に富むUFO研究家のリチヤード・H・ホールだった。そして、情報自由法の有効性をテストするにも、UFO調査に深いつながりを持っていることをFBI自身に認めさせるにも、私のケースが理想的だということになった。

ホール自身も空中現象調査委員会(NICAP)の職員だった1965年に、CIAの取調べを受けたことがある。彼は、アラバマ州マクスウェル空軍基地に保管されていた空軍のプロジェクト・ブルー・ブックの書類の中に、FBIがUFOと関係があることを示す興味深い証拠を発見していたので、いわゆる「プライアント調査報告書」なるものがFBIか軍の情報機関に保管されているとすれば、それを研究することにはかなりの価値があることをよく知っていた。

情報自由法を跳躍台として、ホールは1975年5月14日、次のような回答をケリー長官から引き出した。

「我々は最近、この情報を貴殿に発表してもよいというプライアント氏の書面を受取りましたので、ご請求の記録の写しを同封します。本記録は、米国規則552条(b)の(5)、(b)の(6)、(b)の(7)、(c),(d)の規定により、削除した個所があります。これらの削除は、他の政府機関と訴訟中の政府機関以外の団体には発表されない情報、個人プライバシーの不法侵害となる情報、秘密情報源の正体とその提供になる情報等が一般に公開されないよう、抑制するためのものです」

このインタピユー記録には、(私がキャッスルズの姓名をちゃんと書いておいたにもかかわらず)私自身の名前以外は何も書かれていないばかりではなく、FBIがこのインタビューを計画、記録した目的についても何も触れられてはいなかった。事実、削除された部分と手を入れてない部分との境界は一目瞭然で、空白は3分の1べ−ジ以上にわたる個所もあり、手を入れてない部分はインタビューに関する私のメモをただ繰り返しているにすぎなかった。


■FBIのひそやかな違法活動

▲前FBI長官J・エドガー・フーバー ▲現FBI長官クラレンス・M・ケリー

政府によるいかなるUFO調査とも関係なしにFBIが行ったと思われる調査に、いわゆる国務省のR・E・ストレイス事件がある。

簡単に述べると、このデッチあげ事件は、1957年12月、UFOコンタクティーのジョージ・アダムスキーに関係して起こった。彼は、宇宙人が地球を訪れているという自分の主張を国務省が支持するという手紙を受け取ったのだ。しかもその手紙はちゃんと「米国国務省」というレターヘッド入りの国務省用箋を使用し、文化交流委員会の「R・E・ストレイス」という存在しない人物の署名が入っていた。
>>ストレイス書簡のコピー

言うまでもないことだが、アダムスキーがこの手紙をマスコミに発表したため、UFOファンの飛入り自由大論戦が始まり、その1人が、有名なUFO関係書物の出版社がこのニセ手紙をデッチあげた疑いがあるとして、FBIの調査を要求した。調査の一部としてFBIは、1人の職員をNICAPに派遣して、容疑者たる出版社の手紙を借り出し、そのタイブされた印字がストルイス書簡と一致するかどうかを調べたのである。その結果を知りたい方はー私が1976年1月18日にしたようにーこのデッチあげ事件に関する全調査内容を知りたい旨、情報自由法に基づいて同局あて請求されるとよい(本稿印刷の時点では、私はまだ回答を得ていない)。

あのウォーターゲート事件でFBIの悪名高い活動ぶりがなお有名になったので、皆さんも(私と同じように)いっそうストレイス事件の詳細を知りたいとお思いのことだろう。FBIの悪名高い活動には、にせの政治的報告を発表したり、さしさわりのある意見を持つ団体や個人を混乱させたり信用を失わせたりするために差出人不明の手紙を送ったりすることも含まれていることを、私たちは知っている。F B Iが、空軍やCIAの対UFO政策立案者たちと歩調をそろえ(または彼らの指令により)、そのような破壊活動を続けているのではないかと疑われても仕方がないのではなかろうか。

それについて、もう少しFBIのひそやかな違法活動について推測を続けるなら、予告もなしにUFO研究者の家庭に定期的に姿を現し、身の安全のために活動を中止するよう説得を続ける、あの正体不明の怪しい「黒服の男たち」はどうなのだろう?また、ニュージャージー州ワナクのときのような、1960年代のUFO事件のさいに出現し、政府職員になりすまして、UFO目撃者を悩ましたりUFOの写真を没収しようとした、あの峻厳な男たちはどうだったのだろうか?

■記録が示すUFO事件への関心度

推測はしばらくさておいて、FBIがUFO事件に対して抱く関心が単なる気まぐれでないことを示す証拠を、記録の中から再調査してみょう。

● 1947年7月7日のウィリアム・ロ−ズの事件。空軍の情報将校とFBIの手先が彼を説得して、アリゾナ州フェニックスにある彼の家の近くで目撃した物体の写真(ネガも含めて)を提出させようとした。

● 空軍の特別調査部とFBIの問にはかなり以前から連絡があったらしいことは、次の例からも明らかである。

  1. 1954年4月8日にイリノイ州シカゴのヨット・クラブに着陸したというUFOに関する、陸軍・海軍・空軍・FBI間の往復書簡。以前は丸秘扱いされていた。
  2. 1957年11月5日にネプラスカ州カーネイに着陸したというUFOの調査報告。ネプラスカ州オマハのFBI事務所の特別主任ジョゼフ・E・ソーントンが11月6日に起案したものである。シカゴの事件はプロジェクト・ブルー・ブックも解決不能として処理したので、興味を感じた私は、FBIのシカゴ特別主任リチヤード・G・ヘルドに質問状を送ってみた。以下は彼の回答(1974年10月10日)である。
「遺憾ながらFBIは、貴簡で述べられたような UFO目撃報告に関する情報は保有しておhません。事実、FBIは一般のUFO目撃に関する情報は収集しないのです。ご承知と思いますが、FBIは米国法務省の調査機関であり、議会が特に委託した問題のみを調査する権限を持っておりますが、UFO目撃事件はそのような問題ではないのです」

● ニューヨーク州プラッツバーグ付近で起きた一連のUFO目撃事件を公文書化するのに、同市に住むFBIの手先エドワード・A・マックシェーンが関係していること。

● 1959年9月7日のウォルター・オグデン件。彼の言葉によれば、彼は、空軍とFBIの調査官から2時間にわたって厳しい尋問を受けた。彼らはまた、ケンタッキー州ウォーリングスフォードの彼の農場の牧草地に接地したUFOの影響を調査するため、土と牧草をサンプルとして採取した。

●1964年4月24日ニューメキシコ州ソコロで起こったUFO着陸事件の現場にFBIの職員D・アーサー・バーンズが急派された真の理由。FBIのアルバカーキ事務所特別主任ウィリアム・A・マインケによれは「ソコロ事件は権限外であったため、FBIとしては何の調査も実施しておりません。係官が臨席したのは単に、FBIに関係ある違反事実があったかどうかを確かめるためでした」 「調査権限」とは、公式のUFO調査に決して関係していないことを明言するために、FBIがいつも使う逃げ口上である。さしさわりがあったらお許し頂きたい。

▲レックス・ヘフリンは、空軍将校と偽った何者かに有名なUFO写真のネガを詐取されたと主張している。

■バーニー・ヒル事件も表向きは無視

FBIは機会ある度に権限といういいわけを口にしたがるようだ。たとえは、有名なUFO研究者J・アレン・ハイネックの「UFOホットライン」と題する記事(FBI法律施行報1975年2月号所載)について質問したワシントン・ポスト紙のマイケル・F・コンラン記者は、匿名のFBIスポークスマンから「私の知る限りFBIは、(UFOに関する)調査を行ったことはありません。それはわれわれの責任の範囲外です」という回答を得ている。

あるUFO事件には、FBIが公式調査に乗り出してよい正当な理由があった。1961年9月のバーニーとべティー・ヒル夫妻誘拐事件である。誘拐は(それが正体不明の生物によるものであっても)FBIの調査に価する犯罪であり、ヒル夫妻の場合もFBIが何らかの努力をしたことだろうとはだれでも考えることだ。ところが、1976年4月9日のケリー氏のことばによれば「・・・・‥本部のファイルに、この(ヒル夫妻)事件がFBIの手で調査されたという記録はない」

あれほど有名になったヒル事件をも外見上は無視することでFBIは、UFO報告に対する政治的態度を偶然にも確認してみせたのだろうか? 他の(政府と州双方の)官庁の陰にかくれて裏面工作だけで関係するというあのやりかたを?

この疑問は、情報自由法の助けを借りてケリー株式会社からもっと沢山のUFOに関するデータを引出そうという私の活動 − 1975年8月21日から開始され、ケリーが決心も新たにいっそう口を閉じて沈黙を守るようになった以外はまだほとんど収穫のない運動 − にとって良い刺激剤となってくれる。手始めに私は、「1947年から現在に至るUFOの米国領土着陸事件でFBIによる何らかの調査活動が行われたものについて、その日時、地理的位置、物的証拠、それに情報関係の軍高官が介在した証拠があれはその氏名などの一覧表」をケリーに請求したのである。

その後私は特殊なケースを2、3追加した ー そのどれもまだ、手続の壁に阻まれて中ぶらりんのままである。ケリーはハリー・F・バード上院議員(インディアナ州バージニア州選出)に書簡を送り、私の要求が単なる気まぐれであと回しにされているのではないこと、この2年間FBIには情報自由法に基づいた請求が殺到しているため、文書の取戻し、複写などの要求をスムースに処理するには番号による整理法を採用せざるを得なくなったことをほとんど悲愴とも言える調子で訴え、同議員の理解を求めている。おまけに長官は1976年4月9日付の私宛ての手紙で、「UFOに関係した事柄はFBIの調査権限内にないことをご通知申上げます」と述べ、「UFO着陸事件は当局の権限外であるため、いかなる時期のものでもそのような事件の調査に当局がどの程度介入しているかをお知らせすることは不可能です。どれかある特定の事件についての説明をお求めであれば、記録を調査してご回答申上げます」と付け加えている。

私の要求は情報自由法に基づくものであり、この程度の説明では拒否されたも同じことだと考えた私は、自分の意図をはっきり伝えるため、ふたたびケリーに宛てて手紙を書いた。

「権限はないとおっしゃるが、それにもかかわらずFBIは、そのような活動の記録を保管しており、結局はそれを公表したこともあります。 したがって、米国地方裁判所の判事なら、貴殿の権限外であるという抗弁は、1975年9月24日の私の請求の内容については当てはまらないと判断するでしょうし、現存する記録は、それがいかなる理由で作成されたものであろうと、(情報自由法に)規定された公表基準に一致するものであれは、私の要求に応じて公表されるべきだと裁定するでしょう」

私は更に、空軍の「プロジェクト・サイン」のUFOテクニカル・レポート1949年2月号所載の次の声明を、ケリーに思い出させてやった。

「FBIは、多くの場合において、事件の関係人物の人柄や信頼度の調査をしてくれたり、その他の調査手段を提供したりして、プロジェクト・サインを援助してくれた」

今度はケリーも異例の速さで(1976年5月4日)返書をよこした。

「1976年4月15日付の貴殿のご書面の写しを法務省情報自由部個人請願課に転送致しました・・・」

これでもまだケリーの拒否的な態度がまかり通るようであれは、次の手として私は、情報自由法に基づいて訴訟を起こすつもりである。そうなれはケリーも、冷厳な連邦判事の眼の前で自分の行いを弁護しなければならない羽目になることだろう。

さしあたり、私の計画を援助するため読者の皆さんにもしてもらいたいことがある。情報自由法に基づいてFBIに、現在まで公表されていない(たぶん)膨大なUFO調査資料を請求する手紙を書いて頂きたい。どれでもいい、特定の事件を取上げてください。詳しいことがわからなくても気にしないことだ。質問の大体の意味がわかればいい。質問状が沢山舞い込むほど圧力は大きくなり、FBIがうんざりして降伏の手を上げるのも早かろうというものである。そうなれは、研究・分析のための材料が十分に入手できる。

その結果、この20世紀の現象を解決する手がかりが、いくつか発見できるかもしれないのである。

(終わり)

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