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 海外UFO情報 第2部

UFOと宇宙 No.21 1976 より転載

海外から多くのUFO目撃情報が寄せられ続けている。

▲アレンハイネック博士
■閃光で警官が気絶

エルムウッドに着陸したUFO 

 アレン・ハイネック博士のUFO研究センターには、各地から情報がよせられているが、1976年4月22日にウィスコンシン州エルムウッドで起きた事件は、その中でも特に奇妙なものの一つである。

 当地のある警官は、勤務中に近くの丘の頂上で光っているものを発見した。彼は警察本部に、それを調査しにいくと無線連絡してきた。次の無線連絡は、彼が丘の上に着いたときにあり、その物体がUFOであると報告された。そして彼がUFOの説明を始めようとしたとたん、無線はバッタリとだえてしまった。

 直ちに別の警官が、調査のため派遣された。彼は最初の警官が、パトロ−ルカーのフロントシートに気を失って倒れているのを発見した。車のライトは消え、モーターも停止していた。気絶した警官は車からはこび出され、病院にはこばれた。

 数日後の4月27日に退院した警官は、彼の体験を次のように語っている。

 「私がタトル・ヒルの頂上に着くと、そこには巨大な物体がありました。2階建ての家ほどの高さが あり、さしわたし76メートルほどでした。私から152メートルぐらい離れていて、地上から30メートルほど空中に浮かんだまま静止していました。

 その頂部には白みがかったオレンジ色のライトが、そして側面には6つの青みがかったライトがついていました。影が見えましたが、まるで内部で何か、もしくは誰かが動いでいるようでした。

 脚か着陸装置のようなものがその物体の底部から部分的に伸びていました。突然、その物体はものすごい速さで上昇し、閃光が輝いたかと思うと自動車のライトが消え、モーターも停止してしまいました。その他のことについては誰かが安否を気づかっている声が聞こえるまで、全く記憶がありません」
(1976年9月16日付、クロスカウソティ・ニューズ紙)

■UFOが米空軍ジェットに敵対行動

米空軍の元軍曹が語る

アメリカの有人宇宙計画に関係している空軍ジェット機が、敵対的なUFOに追いかけられ、悩まされており、ジェット棟の乗組員は、UFOが戦闘をしかけようとしているのだと確信している。

 こう語るのは、米空軍の元軍曹でそのジェット機に乗り組んでいたデュアン・ピキアニである。

 「突然、機の後尾に現れて、そっと追跡してくる空飛ぶ円盤を避けねばならなかったことが、しばしばあった。その円盤の一つは、宇宙船にしかできないような動きをし、間違いなく敵対的行動をとった」

 ピキアニの発言は、ジェット機の他の乗組員たちによって裏付けられた。空軍システム司令部の情報将校ジェームズ・B・フィリップス大尉は、ジェット機が数回のフライトで「未知の空中現象」に遭遇したことを確言した。

 ピキアニは最近、空軍を退役したが、彼によるとUFOとの接触が始まったのは1971年7月20日からである。その日、アポロ計画用の超高感度電子機器を搭載してパトリック空軍基地から飛び立ったジェット機の乗組員は、はじめて挑戦的な空飛ぶ円盤をはっきりと認めた。

 「円盤状の機体が、我々の機の翼のすぐそばまで近づいてきた。それは丸く平たい形で、直径は12メートル程度。中央部は乗組員の居住部分にあたるのか、高くなっていた。周縁には、窓のような小さい四角のくぼみが認められた」

 また別のフライトで、「3機のUFOが45分間にわたってジェットの異端や尾部のまわりにつきまとった」とピキアニは語る。

 「他にも、1機のUFOが1時間近くも我々の飛行進路に平行して飛び、ジェット機の前方に突っ込もうとしつづけたことがある。こういうことが何度も繰り返されたので、我々はUFOが戦闘を挑もうとしていると思ったのだ」

 ピキアニと共に飛行したマイケル・ロビンソン一等軍曹は、彼らが見たものについて公表を禁じられたと語っている。また、現在同ジェット機に乗り組んでいる大尉も、乗組員たちがUFOを見たことを確言しているが、1969年以降、米空軍がUFOの目撃やそれとの接触を認めない方針なので匿名にしてほしいと語っている。
(1976年9月21日付、スター紙)

■フランス・アルプスの怪

円盤が残した巨大な二条の溝?

 フランス・ニース山中の渓谷で先日、謎の溝が地面に発見された、その後、付近で円盤を目撃している人がいることがわかり、この謎を解く鍵になるのではないかと期待されている。

 円盤を目撃したのはイギリスのジェームズ・ワットさん一家で、ワット氏(49) は8月1日に次のように語った。

 「私たちは、ニースから40キロ離れたシェピエールの山中で休日を過ごしました。7月13日の夜10時ごろ、遠くに飛行機の灯らしいものが見えました。その光は海岸ぞいに近づくにつれ急角度で視野をよぎったので、飛行機ではないことがわかりました。どんな飛行機よりも大きく、丸い形をしていてオレンジ色の光をはなっていました」 

  夫人のノーマさん(41)も「それは、ヘリコプターや飛行機とは違っていました。丸い形で空中に浮かんでいるようでした。それに全く無音でした。風向きのせいではありません。風は吹いていなかったのですから。ほんとうに不思議な体験でした」

 夫妻と子供たちは、その奇妙な物体を2分間見つめていた。飛行物体は山を越えて、不思議な溝のみつかった場所の方へぼぼ一直線に消え去ったという。

 ワット氏ほ、言葉が通じにくいので、この目撃をフランスの警察には報告しなかったと語る。なお、山中で羊飼いが発見した謎の溝については、フランス警察が調査し、写真撮影をしている。

 警察によると、2本の溝はそれぞれ幅18センチ、深さ25センチで正確に1.8メートルの間隔を保って平行に続いているという。しかもその溝のある谷間に行くには、歩くか、ヘリコプターを使わないと無理なのである。

 また、警察の調査は、さらに謎をもたらした。この溝の中の丸石、岩石、小石は「ほとんど粉々になっていた」のである。フランスの科学者たちは、この問題に頭を悩ませているという。
 (1976年8月2日付、スコティッシュ・.デイリー・エクスプレス紙)

■フランスのナンシーにUFOが何度も出現

奇妙な発光現象の目撃者たち

 フランスのケルト・エ・モーゼル県、特にその主都ナンシーは宇宙人にとって戦略的要所になったのだろうか。ナンシーから30キロメートルの範囲で、信頼できる複数の人々が不思議な発光現象を目撃したのである。

 事件の発端は、7月22日の午前3時すぎ、ナンシーFR局の夜警バットさんが受けた電話だった。

 「異常なことが起きている。恐ろしい。南墓地の上空に発光体が停止している」 

  バットさんはたちの悪い冗談と思って電話を切ったが、好奇心にかられ、庭に出て空を見上げた。何も見えないので帰ろうとしたとき、パヌーブビルの方向にオレンジ色の奇妙な月のようなものを認め、バットさんはその場に立ちすくんだ。その物体は45度傾き、空中に静止していた。無音で放射もなかった。

 2〜3分間もみつめていただろうか。その物体は同じ傾きのまま突然上昇し、底部は三角形に形を変え、信じがたいスピードで姿を消してしまった。

 物体が消え去った後も空を見上げていたバットさんは、アンテナ塔の頂部に目を止めたとき、奇妙な事実に気づいた。そこのドアが開き、内部に2つの緑のランプがついていたのである。

 「ここで4年間働いているが、あの開いたドアにはじめて気がつきました。それに、緑のランプなど塔の上にありはしなかった」

 彼は、4時ごろ出勤してきた2人の掃除婦に「あれを見てくれ」と熱心にたのんだ。2人は異口同音に答えたのである。「緑色のランプ!」

 そのほぼ一週間後、次の不思議な出来事が起きた。7月27日の午後11時半すぎ、客を乗せてウードモンに向かっていたタクシー運転手ベルナール・ダウトさんは、道をふさいでいる謎の物体に気づき、あわてて急ブレーキを踏んだ。

 「目の前に、2つの巨大なオレンジ色の円盤が無音で静止していた。やや楕円形で、自動車2〜3台ぐらいの大きさだった」

 数分後、赤い色をした第3の円盤がイナズマのような速さで姿を現した。3つの円盤を目撃して、ダウトさんは無線で他のタクシー運転手に呼びかけた。彼自身もしだいに不安となったが、乗客はパニック状態になり、これ以上タクシーに乗るのを拒否した。

 1時間後、グウトさんが車庫に帰り、同僚に不思議な体験を話しているところに、ダニエル・キリンさんが全速力で戻ってきた。彼も少し前に奇妙な物体を見たというのである。

 「客を降ろしてナンシーへ帰る途中、密集地域をぬけて広い野原に出たとき、突然、2つの火の球が現れ私の目をくらました。オレンジ色で、その周囲を白っぽい光がとりまいていた」 

  近くにいたベルギー人のトラック運転手とドイツ人観光客もこの現象を目撃した。みんな押し黙って火球を見つめていた。2×1・5メートルの大きさの2つの火の球は「全然動かないで、突然、火が消えるように消滅してしまった」

 この事件が起きたのは、ダウトさんの目撃した事件の10分後、7月28日午前0時25分ごろである。 2つの事件の場所は30キロメートル離れていた。ダウトさんとキリンさんの2人共、彼らの見た物体を詳しく説明することはできなかった。

「ぼう然と立ちすくみ、夢を見ているものと思った」のである。

 しかし、タクシー運転手2名は夢を見たのではないと言う。また30キロメートル離れているので、集団幻覚でもない。7月27〜28日の夜中、オシェイ基地のレーダーは夜間飛行がないので作動していなかった。また、気象台も異常な観測を行っておらず、気象条件は遠くの光の反射をひき起こすものではなかった。フランスで、これほど短期間のうちに詳しくUFOが観察されたというのは、絶えてなかったことである。
(1976年8月11日付、ノストラ紙)

■ホンコンに出現したUFO

輝く物体が数秒間空中を移動

 香港の王立天文台は、8月30日の夜にUFOを目撃したという報告を40人以上から受け取った。

 目撃されたUFOほ、「後向きに飛ぶサーチライト」とか「月のように輝き、白い光を放つ尾部が扇状に広がっていた」とか、様々に描写されている。

 天文台では2つの説明が考えられるが、いずれも完全に納得のいくものではないと発表している。一つは気球を見聞違えたのではないかというもので、報告されたUFOの運動によくあてはまっている。しかし、気球にしては明るすぎると考えられる。もう一つは、宇宙ロケットの破
片などが大気圏に再突入して然えたというものである。しかし目撃者の1人は、UFOが最後に急上昇していったと語っており、この説明も満足できるものではない。

 結局、8月30日のUFOは、いまのところ未確認のままである。
(1976年9月1日付、サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙)

■怪光線で左脚が麻痺

ブラジルでUFOが青年を襲撃 

  ブラジルのサンタ・カタリーナ州ブルメナウに住むジョン・ロメウ・クレインさん(17)は、8月28日の午後7時半ごろ、友人の家を訪ねるといって外出した後、友人の家の近くで倒れているところを発見された。

 「友だちの家に行く途中、明るく光る物が私に追いついてくるのに気がついた。この物体は自動車より大きく、円形で赤みを発していた。私の前に止まると、その中から身長1メートルそこそこの3人の男がとび出してきた。マスクのようなものをかぶっていたので顔は見えず、全く理解できない言葉を話していた」 

  この3人の乗組員のうちの1人が怪光線を発射し、クレインさんは左足がマヒしてしまった。光線を当てられたクレインさんの左脚はすっかり固くなっていて看護婦や友人がヒザを曲げようとしても曲がらない。左脚は全く感覚を失い、神経がマヒしていて、何も感じないという。

 最初にかつぎこまれたプルスケ病院でほ原因がわからず、クレインさんは9月2日にフロリアノポリス市の病院に移された。クレインさんは「とにかく、これだけの犠牲で生命が助かったのは幸いだった」と語っている。
(1976年9月6日付、サンパウロ新聞)

(終わり)

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