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 ルーマニアのUFO出現事件

第2話  UFOと宇宙 No.13 1975 より転載
 

>>第1話


 そこで1968年8月18日のクルジ事件が登場する。この事件については目撃者があまりいないことや、少数の目撃者たちが疑い深い科学者連の警官みたいな尋問で恐れおののいたことも我々にはわかっている。このようなケースにおいては普通の観測者は骨折り甲斐のないこと、センセーショナルな段階はすぐ過ぎてしまぅこと、隣人たちの嘲笑や非難に耐えねばならぬことなどを銘記する必要がある。

クルジ事件の真相

 クルジ事件について特に人を打つのは、目撃者の真実の話に対して投げかけられる疑惑である。彼らの話し方が調査をする人―この場合は科学者なのだが―を満足させないときはいつもそうなのだ。目撃者は”普通の素人”であるが、本人が科学的な教育を受けていないという事実は必ずしも常識をはずれているという意味ではない。

 知識がないというので、本人がとるにたりない人間として扱われるならば、怒ったり無関心になったりする。たとえば、クルジ付近で撮られた写真の場合においては、そこの天文台長が新聞に出た写真を見た直後に、これはインチキか、それとも特別な状況下で撮られた気象観測気球だ、と言ったのである。

  この場合、その天文学者はオリジナル写真もネガも見ず目撃者にも会っていないことは明らかであり、したがってどんな状況下で写真が撮られたかも知ってはいないはずである。

  その当時、気象観測気球は飛ばされなかったこと、写真の物体がかなり気球のように見えるということが後にわかったけれども、おもな目撃者は”大酒飲み、無学者、イカサマ師”と呼ばれ、関係した”学者”によって”素人”ときめつけられたのである。一般人がその事件を見るとき、だれが正しいだろうか?”素人”か? 学者か? 

▲バルネアの写真の2枚目

  クルジの写真はその年9月18日まではルーマニアの新聞に掲載されなかったが、新聞に出たときは短い記事がついていた。クルジの住民で熱心なUFO研究家である技術屋のフローリン・ゲオルギータは、この事件を徹底的に調査して報告を出した。これを以下に掲げるが、これは我々が1968年と70年に目撃者たちに会ったあとで訂正して完全なものにしてある。

 8月18日、日曜日の朝、技術屋のエミ−ル・パルネアとガールフレンドのザンフィラ・マテアは、クルジ近辺のバシウ森の方へ進んでいた。他に2名が同行した。男1人に女1人だが個人的な理由でこの2人の氏名は秘してある。 なぜならこの2人は4番目の写真の中に写っているために、一般に知られると困るからである。これを公表できないのは残念である。重要な資料がつまらない事で入手できないことがよくあるということを示すためにここで強調したい。UFOの存在の決定的な証拠になるばかりか、その動きについて光を投じることにもなる資料をだ。我々が再度綿密に調べたこの写真について説明することにしよう。

 天気は快晴で、一同はクルジとブカレスト間の道路から遠く離れた森の明るく広い場所ヘビクニックに行くことにきめた。エミ−ル・パルネアが火を燃やそうとして乾いた木を探していた。そのとき、ガールフレンドが奇妙な物が見えると叫ぶ声を聞いた。ピクニック用に選んだ場所へ引き返すと、大きな丸い金属のような物体が日光を受けて銀色に輝いているのが見えた。森の上空を奇妙な動き方をして、しかも全くの無音で飛んでいる。パルネアはナップサックのところへすっとんでカメラを取り出し、露出計を見て距離を合わせ、まず一枚撮った。物体がややゆっくり動いているときに、落ち着いて2枚目を撮ることができた。彼はコースの変化や輝きの度合に気づいた。すると物体が急に速く動き出したので、急いで更に2枚撮った。

 物体は急上昇して見えなくなった。時刻13時23分である。風はそよとも吹かず、聞こえるのは鳥のさえずりだけだった。4名の目撃者は物体の動きを2分間ほど無言で見つめた―驚きのあまり声も出なかったのだ。数日後、物体が彼らに与えた強烈な印象はしだいに薄れてゆき、1、2週間たってフィルムの残りを撮り終えてからパルネアはネガを現像し、コピーを作った。実際には彼はそれをどうすればよいかわからなかったし、嘲笑されるのを恐れていた。すると技術屋のゲオルギータが休暇の終わった9月の始めにクルジへ帰って来た。そこでパルネアは写真を彼に見せて詳細を話したのである。十分に調べられた後、写真の1枚が1968年9月18日に日刊紙シュンティアに掲載された。

▲バルネア撮影の3番目に写した写真中のUFO拡大写真。

 エミ−ル・パルネアは45歳で、正直な人柄のため人々から尊敬されているが、少々利己的とみられてもいる。陸軍将校としてしばらく軍務に服したあと、数年間、技師として建築会社に勤めた。これはゲオルギータが仕事上の知己として2年前に彼と知り合ったことを物語る。

 パルネアはUFO問題に全く関心がなく、そのような風評を疑いやすい性格だとゲオルギータに語った。当時クルジにはUFO関係の書物はなく、パルネアも他の目撃者のだれもそんな本を見たことはなかった。34歳になる事務員のザンフィラ・マテアは決して軽薄な人ではないが、これも人々がUFOについて話すのをほとんど聞いたことはなかった。このような事実はすべて事件の説明を信用できるものとしているのみならず、更に重要にもしているのである。

 その後の調査の結果、写真と事件に関して次のような詳細が記録された。

(1) 写真が撮影された場所はクルジの西南西4.7キロメートルの位置である。
(2) 戸外の湿度はセ氏約36度であった。
(3) 空には雲がなかったが、かなりの高度に奇妙な一種の蒸気があった。
    これは物体が高空へ飛んで消え去ったときに残った。写真4にそれが見える。
(4) カメラはFED2で、フィルムは普通のDIN170RWOであった。
(5) 目撃者のだれも物体が接近するのを見なかった。彼らの真上に来たときに見えた。
(6) 物体は最初北東からまっすぐに飛来した。
(7) 南西の方向からコースを変えたあと、地面の方へ静かに飛ぶように思われた。
(8) 推定高度は600メートルで、地平線上85度の角度にあった。
(9) 物体は垂直、水平の両飛行中、コースを保っ た。
(10) 短い最初の飛行中はコースと位置が絶えず変わった。
(11) 物体は金属製のように思われた。加速して上昇する前に、一段と激しく輝くように見えた。
(12) 物体はいかなる人工の飛行機械でもない。
(13) 物体の直径は目撃者によれば30メートルを越えていた。

▲ヘフリン撮影の写真4.円盤から雲のようなものを出している。

 ネガは最初クルジの最もよく知られたカメラマンが調査し、次にブカレストのアーゲル・ブレス社の有名な写真専門家が調べたが、インチキでないことを確かめた。両人ともネガが本物であると断言し、アーゲル・プレスの専門家はもしパルネアがインチキを意図したとすれば、彼は―しょせん素人にすぎないのだが―写真のド真ん中にUFOを置いたことだろう、という特殊な心理作用に関する発言をした。

  4番目の写真は奇妙であるが、これは物体が非常に小さくなったためである。あたかも一種の黒雲の中に見失われて、もはや見えなくなったかのようである。プロ写真家たちが調査したあと、フイルムはクルジの公共の研究所で調査され、正常なものであることが判明した。だれもいじった跡はなかった。ゲオルギータは現場で発生した事件を再現することができた。その写真をひと目見ても、最初の3枚の写真に出ている花や樹木は全く同じものであることを示しているので、飛行状況は簡単な計算で推定できる。そしてUFOの大体の高度と位置は、その3個所の位置から確認できる。パルネアのUFOの直径に関する推定が真実に近いのは驚くべきことである。

 写真類は、発表してくれという要求とともにアーゲル社へ送られた。ルーマニアのような国では、この種の資料の公開に際して何かあれば必ず弁償しなければならない。したがってパルネアが写真を偽造して利益を得ようという欲望を起こしたといって非難するのはあたらない。しかも人は、いかがわしい写真を公開してくれと新聞社に要求して新聞社をバカにするようなことはしないものである。

 写真がついに新聞に掲載されたあと、かなり長期間にわたってこのUFOは論議の的になった。パルネアとガールフレンドはルーマニアのテレビジョンの長いインタビューに出た。そしてパルネア自身は、ある雑誌社の人から数種のテストを受けて、すぐれた感知力を持っていることを示した。

 我々は今のところパルネアの写真を分析するのは時宜を得ないことだと考えている。太陽の位置と撮影された時刻を考えれば、”自然だ”とは到底考えられない影線(複数)が写真の中にあるのだ。このことはクルジ大学の科学者たちのあいだに白熱の論議を展開させた。彼らは写真を徹底的に検査したあと、模型を作ってUFOの光の反射を調べたあげく、物体はそれ自体で輝いたという結論に達した。

  フランスのUFO専門誌リュミエール・ダン・ラ・ニュイでさえ(1971年10月号)、その写真を掲載する前に2人の専門家に検査させた。ベルギーのG・デルコルプによる分析は、その結論のみならず彼が示したまじめな精密な態度によって特に注目にあたいする教訓的なものである。ただ工合のわるいことにデルコルプは最初の2枚の写真だけを検査し、写真2のUFOはパルネアが推定したような、地平線上85度の角度で写るはずはないと言明した。写真1の物体は地平線上19度の位置にあったとされ、その直径は22.3メートルと推定された。この数字は樹木や植物ばかりでなく信頼し得る計算法にもとづいている。

  彼は推測を続けて、写真2に写っている物体は、実際にはカメラから600メートル離れていたと考えた。これは可能性がある。というのは他の計算によれば物体は360メートルと484メートルのあいだの高度で動いていたことを立証したからである。デルコルプさえも素人が奇妙に思うような輝いた部分と暗部の状態に驚いたのである。彼はルーマニアの仲間たちの結論がどのようなものかを知らないで、同じ結論に達した。

すなわち

(1)  写真2の物体は写真1に見られる物体の反射像ではない。
(2)  物体はそれ自休の照明システムをそなえている。トリック写真を撮影した可能性がたしかにあると彼は考えている。

 我々はこれ以上の科学的な論議はやらないが強調したいのは、我々自身が”素人”であり、UFOの性質を説明する資格はないということである。ただ断言できるのはUFO現象は”存在する”という点である。そしてこの意味でクルジとへフリンの写真は重要な証拠となるものと我々は考えている。
(終わり)

久保田八郎訳

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