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  火星人に出会った男 第1話

UFO Contactee No.138 より

A Man Who Encounterd a Martian

第二次大戦後に世界的に発生したいわゆるUFO問題は、今世紀後半に突入してから俄然乗員との コンタクトや同乗ガ頻発する時代と なった。1950年7月の米国人ダ二工ル・フライによるUFO乗船事 件、 53年2月のジョージ・アダムスキーによる金星のスカウトシップと大母船同乗事件、さらに54 年2月18日のイギリス人、セドリック・アリンガムの火星人との遭遇事件その他である。

みな古い出来事のためアダムスキーを除いて文献や資料の絶版等でUFO研究界から忘却の彼方へ追いやられ てしまったのは残念である。筆者はここにアリンガムの貴重な体験を発掘して読者に供したい。


愚かな批判で重要な事件が葬られる

セドリック・アリンガムは54年当時、30歳を少し出たばかりのアマチュア天文家で、またバードウォッチヤーでもあった。彼の原著「Flying Saucer fromMars(火星から来た空飛ぶ円盤)」によれば、住所、経歴、職業等はすべて伏せてある。これは後難をおそれて明記しなかったと思われるが、イギリス国民であったことは間違いない。

ご多分にもれず、火星人に出会ったという彼の体験記はアダムスキーをまねた捏造記事とされてひどい非難を浴びたけれども、後年アダムスキーが講演中の質疑応答で、アリンガムの体験をどう思うかとたずねられて、あれは真実の事件だったのだと答えた記録を筆者は入手している。

こうした重要な大事件が、信じない批判者によって簡単に葬り去られた例は枚挙にいとまがない。

▲セドリック・アリンガムと愛用の10インチ反射望遠鏡。
▲セドリック・アリンガムと愛用の10インチ反射望遠鏡。

たとえば1986年11月、パリからアメリカのアンカレッジ経由で日航の貨物ジャンボ機を操縦していた寺内健二機長は、17日の夕方、アンカレッジ上空で3機の巨大なUFOがジャンボ機と並行して飛ぶのを実に50分間も目撃したのである。しかも副操縦士と機関士の2名も目撃しているのだ。これは後に各新聞に大々的に報道されて世界的にニューズが流れた。筆者は英字紙ジャパンタイムズに掲載された当時の記事を今も保存している。

ところがUFOを信じないアメリカのある科学雑誌の編集長が、あれは木星を見聞違えたのだと批判して、この間題は葬り去られたのである。なぜか?「科学」というコトバに弱い大衆は、こちらの放言が正しいと思い込んだのだ!

わが国の代表的なUFO研究家で筆者の友人である荒井欣一氏は、寺内機長の目撃談録音テープを所持しているというが、氏もアメリカの科学誌編集長の愚かなコメントに憤慨しておられたことがある。卑劣なUFO否定論者に惑わされてはいけない。彼らは無知であるだけのことなのだ。

突如、円般が出現!

「将来、宇宙旅行の歴史を最初から書き記す時が来るとすれば、ジョージ・アダムスキーは間違いなくその歴史の中で重要な位置を占めることになるだろう。だが私(セドリック・アリンガム)はそうはならないだろう。私が火星の円盤と出会ったのは、アダムスキーやスティーヴン・ダービシャーと違って、全く偶然のたまものであったと信じているからだ」

この謙虚な文章で体験記を始めているアリンガムは、1954年の始めにスコットランドヘ向かって旅行中であった。彼は仕事のためにロンドンに少し滞在してから、旅行用のトレーラーを引っ張りながらスコットランドヘの旅に出たのである。

2月18日の朝、彼はスコットランドの東側に突き出た半島状の北岸に沿った寒村ロシーマウスとバッキーのあいだの海岸を歩いていた。鳥を観察するためである。ここは北緯58度に近 い 所だから、寒気の強い時期だったのだろう。 数時間ぶらぶらと歩いているうちに1人の男に出会った。服装から見れば、土地の漁師らしい。先方もアリンガムに気づいていたようだ。

その後10分ほど経過してから、彼は突然ヒューツという風を切る音を聞いた。最初は大きな鳥かと思ったのだが、見上げると鳥とは違う物らしい。急いで双眼鏡を引っ張り出してのぞくと、驚いたことに空飛ぶ円盤としか言いようのない物体が見えるのだ!

写真撮影に成功

それは太陽光を反射して輝いており、金属製のように見える。少し傾いたので上部にあるドームと球型着陸装置がはっきりと確認できた。大きさはわからない。雲の高さを1500メートルとみて、それから判断すれば爆撃機と同じぐらいだという。

 

▲1954年2月18日、アリンガムが最初に撮影した円盤。午後12時35分に発見。高度は約1,500メートルと推測。
▲1954年2月18日、アリンガムが最初に撮影した円盤。午後12時35分に発見。高度は約1,500メートルと推測。

たしかに、空中の物体の大きさを判断する場合、比較する物が他にない場合は困るのである。雲でも引き合いにだす以外に方法はないだろう。

アリンガムが放心状態になって見つめていると、少し停止していた物体は再度動き始めて急速に北の方向へ上昇して行った。彼はすぐにカメラを取り出して写真を3枚撮影した。このカメラ名を明記していないが、安物の折りたたみ式と言っている。たぶんコダックのベストポケットあたりだろう。

写真は見事に写っていた。ただし小さな点状でだ (左の写真)。

アリンガムは経緯台ながら一〇インチ反射望遠鏡を所持するアマチュア天文家である。したがって天体観測の知識はあるし、科学的な素養もあった。そこでノートブックを取り出して、時刻その他の記録を取り始めた。

彼は体験記の中で天文学関係その他の科学的な事柄について相当な知識を披露している。ただの素人ではない。本職は伏せているものの、英文の文章はきわめて論理的で、教養の高さをうかがわせるのに充分な雰囲気がただよっている。

彼は30分ほどそこにいて空を眺めまわしたけれども何も出ないので、座って弁当を食べ始めた。もう鳥などはどうでもよい。円盤にとりつかれてしまった彼は、2時15分に場所を変えることにして、ロシーマウスから海岸沿いに歩き始めた。視界は全く平穏そのもので、つい先程の円盤の出現がウソみたいな気がする。

3時5分すぎ、またも円盤が出た!今度は高空を、さっきよりも速く飛んでいる。すぐ双眼鏡で見ると、気象観測気球や飛行機ではない。彼は興奮して、またもカメラを構えたが、今度は写真にはならなかった。

この時点で彼はアダムスキーのデザートセンターのコンタクト事件を知っていたが、つい最近の2月15日にイングランド北部のアイリッシユ海岸に近いコニストンで、スティーヴン・ダービシャーがアダムスキー型の円盤を撮影した事件については何も知らなかったのである。旅行中のために新聞を読まなかったからだ。したがって彼はさっき見た円盤は金星のものだと思っていた。

彼はまたもロシーマウスから遠ざかる方向にむかって歩き始めた。心は円盤のことで占められている。また出るのではないか?

第2話へ続く

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