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新アダムスキー全集

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中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 真実であったアダムスキーの体験 第1話

UFO Contactee No.134 1996 より

 クレイトン氏はイギリスの名高いUFO専門誌「フライング・ソーサー・レビュー」の患部であった。昔アダムスキーを支持して、アダムスキー派編集長チャールズ・ボウエン氏らとともに論陣を展開していたが、後に編集長が交代してから同紙は反アダムスキー的になった。この記事は昔の同紙に掲載されていたもの。編者(久保田)も昔クレイトン氏やボウエン氏らと文通していたが両名とも世を去った。

ペルーにアダムスキー型円盤が出現!!

この素晴らしい目撃事件の新聞記事を送ってくれたのは、かつてパナグラ航空に属していたペルー、リマのジョージ・ミルバーグで、彼の旧友であるデレク・デンプスター(訳注=1955年から56年にかけてイギリスのフライング・ソーサー・レビュー誌の編集長であった人)を通じて私に回送されてきたものである。

▲ウーゴ・ルヨ・ベガが撮影したアダムスキー型円盤。

事件は1973年10月19日に発生した。この日、ペルー人技師であるウーゴ・ルヨ・ベガという人が、空中に静止している正体不明の物体をポラロイドカメラで撮影したというもので、これはどう見ても1952年12月13日に米カリフォルニア州パロマーガーデンズで、不運な、しかもひどく悪く言われていると思われるあのジョージ・アダムスキーによって撮影されたという「金星の円盤」にそっくりなのである。

ジョージ・ミルバーグ機長には、このペルー人技師を知っている友人がいるという。そのためにもっと詳細な報告とその写真のコピーがいずれ入手できる可能性があるので、そのことをミルバーグ機長に依頼しておいた。

手元にあるリマの新聞「エル・コメルシオ」の1973年10月23日付に掲載されたその記事によると次のとおりだ。

1973年10月19日、金曜日の午後3時頃、ウーゴ・ルヨ・ベガ氏はリマに向かって車を走らせていた。これにはマトゥカナの事業関係の客が同乗している。この客は路傍の露店でマンダリン・オレンジを少し買ったばかりで、ちょっと停車して、そのオレンジを食べようではないかと誘いかけてきた。

▲ベガ氏が新聞社のために提供したスケッチ

ベガ氏の言葉によると、「そのあと、われわれはほんの数メートルの所に空飛ぶ円盤を見た。息がはずんでくる。二人とも無言のままだ。 一連の考えが心をかすめた。私は騒がずに車へ走りもどってカメラを取り出した。そして細心の注意を払って写真の撮影をした」

氏はたった一枚だけを写せたという。 話は続く。

「最初、円盤はたいそうゆっくり動いていたが、次に上昇を始めて急速に視界から消えてしまった。このため一枚しか写せなかったのだ。その瞬間、私は写真がうまく写っているとは思わなかった。写真の技術は下手だと自認していたからだ。だが像が現われるのを見たときは驚喜した。その物体の形が写っているのだ。とにかくこの一枚の写真はそれが本物のUFOで、心の産物ではないことを証明しているよ」

ベガ氏の説明によれば、初めに2人が円盤を見たときは、それが 「目の高さ」 にあったという。その場所はペルー中央ハイウェーの約54キロの地点、ラ・カルレテラ・セントラルである。氏は新聞記者に次のように語っている。

「それは輝く銀色を帯びていた。上部は丸屋根のように見え、頂上には一定の青い光があった。 (ゴードン注1:アダムスキーは彼のスカウトシップ(俗に円盤といわれる)が半透明のガラス状の釣鐘のように見え、その頂上には「一種の重いレンズのように見える丸い球」があって、それが光っていたと述べている。他の多数のUFO報告も、物体の頂上に必ずしも青色とは限らないが、きらめく光があったことを特筆している)

その下に小さな窓群のついた小塔があったが、これはよく見ることができた。さらにその下方には円盤が大きな台状に広がって、その直径は約10メートルだった。 (ゴードン注2:約10メートルというのはUFOを間近に目撃したという人々の話に共通した目測値である。アダムスキーは自分の見た円盤が約20フィートあると考えたが、彼は目撃して呆然となったために、正確な大きさを注意して測れなかったと言っている)

円盤の底部の中心にはコーン型の物があり、そこには非常に明るい暗赤色の輝きがあった」 (ゴードン注3:アダムスキーは円盤の底部が光っていたとは言っていないが、彼の写真はたしかにべガ氏のスケッチに見える 『コーン』 と同じ物を示している。しかも他の多くの目撃者もまったくこれと同じコーンについて語っており、多数の円盤写真もはっきりとそれを示しているか、それらしい物を見せている。その上、アダムスキー写真とベガのスケッチはドームの下部の側壁を取り巻いているリングまたはどっしりしたコイルに関してまったく一致している。丸窓のすぐ上のキャビンを取り巻く『リング』 といわれるものや、フランジ(スカート状の外縁)、それに半分のぞいた3個の球型着陸装置などもそうである。その他にも私が見逃したものがあるかもしれない)

2人が呆然自失の状態から元へもどるのに20分ほどかかったが、その後もドライブを続けるまでに、しばらく円盤のことを話し合っていた。一緒に目撃した客が誰であるかは新聞社が伏せている。「その人は名を知られたくないある金持ちだ」としかベガ氏は言わない。

ベガ氏は新聞社のためにスケッチを提供した。ごらんのようにこれは典型的な『アダムスキー型円盤』を示している。しかもこのスケッチには見たところ4個ずつの丸窓があるが、これによってある興味深い話がよみがえってくるのである。多数の読者はご存じあるまいから、ここでひとつ紹介しよう。

ステイーヴン・ダービシャー少年の驚くべき体験

アダムスキーがパロマーガーデンズの上空に飛来した『スカウトシップ』(偵察用小型円盤) を撮影したと称してから1年2カ月ほどの後、医師の息子である当時13歳のステイーヴン・ダービシャーというイギリスの少年が、1954年2月15日の午前11時に、ランカシャー州レーク地方のコニストン湖の上手にある丘の上で、アダムスキー型の円盤と酷似した2枚の写真を撮影したのである。

▲かめらをかまえたステヒーブン・ダービシャー。右はいとこのエイドリアン・マイヤー。

この日、ステイーヴンと従弟のエイドリアン・マイヤーの2人は、コニストン・オールドマン山の頂上へ登った。小鳥の観察が2人の趣味だったので、鳥の写真を撮るつもりで安物の小型カメラをさげていた。

そして頂上で地面近くの空中に瞬間的に滞空した物体を目撃し、ステイーヴンは2枚ほど写した。うまく撮れてはいなかったが、ともかく形と大きさはなんとか示していた。ステイーヴンによれば、その物体は銀色のざらざらした表面を見せており、「光線が透るけれども、中まで見通すことはできないような物」であったという。

最初それは、じかに太陽の光を受けていたが、上昇し始めるにつれて雲が直射日光をさえぎったため、少年達はもっと明瞭に見ることができた。

「それは固い金属状の物体で、ドームと丸窓(複数)があり、底には3つの球体があった。底の中心部は黒くて、コーンのようにとがっていた。キャビン・ドームの頂上にはハッチのような物があった」と言っている。  (ゴードン注4:これについては1955年3月、ロンドンのフレデリック・ミューラー社刊・ウェイヴニー・ガーバン著『空飛ぶ円盤と常識』を参照)

▲1954年2月15日、イギリス・ランカシャー州のコニストンで、当時13歳のスティーブン・ダービシャーが撮影したアダムスキー型円盤

数日後にステイーヴン・ダービシャーが4名の新聞記者の質問攻めにあったとき、記者連は少年に心変わりを起こさせようとしたり、些細な点で言葉の食い違いを起こさせようと躍起になったがだめだった。また彼らはアダムスキーとレスリー共著の『Flying Saucers Have Landed』 を読んだと言わせようとしたが、これも少年は否定した。両親も否定している。

(久保田注=この書の初版は1953年9月にロンドンのワーナー・ローリー社から出た。久保田は1954年刊の第8版原書を所有している。日本語版は中央アート出版社刊・新アダムスキー全集第一巻『第二惑星からの地球訪問者』 の第一部に収録)
(ゴードン注5:初版はアメリカではなくてイギリス・ロンドンのワーナー・ローリー社から出た。この出版社の社長はウェイヴニー・ガーバンであった。というわけは、最初アメリカの各出版社はアダムスキーの原稿を断ったからである。それでデスモンド・レスリーの原稿と一緒にウェイヴニー・ガーバンが編集して出版したのである) 

しかしステイーヴンはアダムスキーのスカウトシップ(偵察用円盤) の写真を見たことはあるという。これはロンドンの雑誌『イラストレーテッド』誌の1953年9月30日号に掲載されたものである。

しかしステイーヴンは記者連を困惑させるような少年らしい論理をふりかざして、自分が見た物とアダムスキーが見たと称している物とは「まったく同じ種類の物ではない」と主張した。

説明せよとせまられて彼は 『イラストレーテッド』誌に出ている写真の円盤には3個の丸窓が一列に並んでいるが、自分が見た物体には4個の丸窓が一列に並んでいたのだという。

物体が降下してほとんど地面に触れそうになったときは丸窓が3個しか見えなかった。これは2人の少年が最初に見た数だったのである。だが、続いて物体が回転したために4つの丸窓があるのを認めた。3個ではなかったのだ。

(第2話へ続く)

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