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| 第2章 黙殺の申合せ 第3話 宇宙よりの訪問者/ロイステマン | |
| この目撃報告のコピーがワシントンに送られ、空軍情報部長は直ちに調査を命じた。 | 
 これに続いて国防省でトップレベルの会議が開かれたが、出席した多数の将官は、UFOに関する調査活動が大幅こ削減されていたのを知らなかったことが判明した。プロジェクト・グラッジを復活させよとの命令が下されエドワード・ルッペルト大尉がその長に任命された。そしてこのプロジェクトはもう一度公的な威信を取り返し、1952年3月までには空中現象グループとして知られる団体になった。グラッジ(恨み)という情けない名称はブルーブックという暗号名に変えられて廃止されたのである。 ルッベルトのもとにおけるUFOの調査は、良心的で偏見がないように見えたが新聞社は隠しごとがあるのではないかという疑いを持ち続けていた。1952年7月にワシントン・ナショナル空港で異様なUFO目撃事件が発生した後、空軍は記者会見を行うはめになったが、これも秘密主義をにおわせる不幸な結果を招いてしまった。 
 円盤問題の最も不安素の一つは、初期の段階でUFO調査の方針決定にCIA(アメリカ中央情報局)が 関係していたということが判明した点である。  1950年代の初めに、CIAはUFOの研究を企てた。 これを、カルフォルニア工科大学のH・P.ロバートソン教授を議長とする5名の科学者団が援助したのである。 ロバートソン委員団の報告は1953年に完成したか、1966年に部分的に削除された。 その報告は、UFOは国家の治安に脅威を与えるものではないと結論づけているが「この危険な時代に、これらの現象を絶え間なく報告していればやがて、国家の防衛機関の整然たる機能に対して脅威となる」と述べている。 
 この委員団が恐れたのは、コミュニケーションの経路がUFO報告類で妨害されはしないかということだった。 もっと真剣に考えてみると、もし敵国がUFOによるパニックを作り出したなら、円盤にかこつけてアメリカに不意の攻撃を仕掛けるかもしれないというのである。この報告は、UFOを否定し、何かの物体を円盤と誤認しないように大衆を教育する計画を立てることをついには勧告している。 けれども、こうした勧告どおりに遂行されたという証拠はない。空軍は、公然と円盤を否定し続けたが謎のベールを問題からはぎ取ろうという企ては何もなされなかった。 UFO報告は、信願しうる目撃者によって出され続け、“不可解”のレッテルをはられた多数の目撃例は、重要性を帯びてきた。 
 必要なのは、空軍保管の記録に目を通すことを許された中立の科学者によるUFOの完全に公平な研究である。 UFOファンは、多年このような調査を要求していたが、これは当時空軍長官情報室長であった陸軍少将E.B.ルベイリーの手紙によって実現することになった。 それは1965年9月28日付で、空軍科学顧問団の軍事部長にあてたものである。 1948年から1965年半ばまでに、プロジェクト・ブルーブックによって9265例のUFO報告か調査されたけれども、663例は解明できなかったと述べた後、彼はつけ加えた。「今日まで空軍は、UFO報告のいずれもアメリカの治安に脅威を与えるという証拠を見いだしていない。 しかし、解明のできない報告の多〈は、正直だとされている知的な有能な人々から出たものである。 加うるに、空軍が公式に受け取った報告類は、多数の民間UFO研究グループによって公表された、すばらしい報告の−部分を含んでいるにすぎない。 したがって、プロジェクト・ブルーブックを再検討するために、物理学と社会学の学者から成る実利的な科学委員会の設立が要求される。 これはブルーブックの資料、方法、発見などについて、再検討するためであり、空軍の責任を遂行する計画こおいて、改善が必要となれば、その旨を勧告するためである。 その結果プロジェクト・ブルーブック再検討の特別委員会が設立された。この委員会は、「今日まで可能であった以上に、もっと詳細に、もっと徹底的に、精選された目撃例を科学的に調査する機会を与えるために」空軍のUFO調査計画が強化されるべきだと勧告した。その後、コロラド大学が有名な物理学者のエドワード・コンドン博士の指導下にUFO研究を企図することに同意したのである。 
 ここで、ついにUFOの正体を発見する機会が生じた。コロラド大学の研究は心理学、天文学、レーダー、高エネルギー物理学、気象学、数学、天体物理学、化学、その他多くの関係分野の専門家によって行われる全UFO問題の公平な調査になるはずであった。 空軍を信じていなかった多くの人は1966年11月、円盤に関する証拠をコロラド大学のチームが精査する大仕事を開始したとき、そこから真相が出てくるのを期待した。しかしその委員会の見解か1969年1月に公表されるまでに、コンドン博士と同僚科学者団も隠蔽に関係しているのだという考えが円盤研究グループ間に行き渡っていた。 コロラド・プロジェクトとの交流を、最初に喜んだ民間UFO研究団体のいくつかはさまざまの出来事で落胆し、初期の段階で協力を撤回してしまった。公式報告が、彼らの活動を正当化するように思われた。2年以上にわたる研究の後、科学者は、最も初期の円盤目撃以来空軍が主張してきたことは真実であったという結論に達した。 つまり、空飛ぶ円盤は存在しなかったというのである。 
 コロラド大学のプロジェクトは、発足してから数か月後に“信頼性”という問題に出くわした。ニューヨーク州エルミラの『スターガゼット』紙によればコンドン博士はある会合で次のように述べたという。 「政府は、この間題から手をひくほうがよいというのが、現在私の考えていることである。私にとっては何の価値もないことだが、あと1年で結論に達するわけにはいかない。UFOの謎は気象現象に関心のあるグループには研究の価値があるだろう。」 この目撃報告のコピーがワシントンに送られ、空軍情報部長は直ちに調査を命じた。 
 この声明は、プロジェクトの発足後、3か月もたたないうちに出されたものである。そしてそれから3か月後にコンドン博士は、仕事を続けるためにさらに25万ドルを要求したのである。 この声明は、UFO研究グループの多くを混乱させた。すると、公平な報告を期待していた人々に、もう一つの打撃が加えられた。このプロジェクトの管理者であるロバート・ロウの書いたメモが何者かによってひそかに持ち出されたのである。 これが書かれたのは、UFOプロジェクトを引き受けるかどうかでコロラド大学が考慮中のころで、当時ロウは、同大学の副学長と学部長の特別アシスタントであった。メモには次のように記してあった。 
 「その策略によって、プロジェクトは大衆に対しては、全く客観的な研究をやっているように見えるだろう。だか科学界に対しては、客観的であるように最善を尽くしていながらも、円盤発見の期待をほとんど持たない、不信者のグルーフであるかのようなイメージを与えるだろうと思う。」 どうやら報告の結論は、大学が仕事を引き受ける前から出されていたらしい。多年プロジェクト・ブルーブックとともに密接に研究した天文学者のアレン・ハイネック博士は、コロラド・プロジェクトの初期のころについて次のように述べている。 「私は、コンドン委員会を訪れたときに失望したのを覚えている。 プロジェクトが発足して2週間になろうとするころだった。 報告書がどのような形式になるかを、ロウが黒板に書いた。 各章の題名がどうなるか、各章にどれだけのス ペースが割り当ててあるかなどだ。 報告吉の内容や調子がどんなものになるかを、すでに決めているかのような態度だった。」 コンドン博士は、ロウのメモの重要性を否定し、それが書かれてから18ヶ月後まで見たことはないと言った。また、委員会の研究が円盤目撃の物理的な面よりも、むしろ心理的な面に主体を置くだろうという含みのあるメモの中の数ヵ所には同意できないと説明した。 それにもかかわらず、他の委員がしばしばコンドン博士をプロジェクトから押しのけたため、ハイネック博士の言葉によると「ロウが、コロラド大学UFO船の実際上の船長になった」のである。 しかしコンドン博士は、ロウのメモの暴露事件に激怒し、漏えいの責任者と見なした二人の委員を解任してしまった。この二人はUFOファンだったので、彼らを排除したコロラド大学“UFO船”は不信者の乗客たちを乗せて、円滑な航海を期待できたのである。 
 コロラドUFOプロジェクトの最終報告は、ペーパーバック本にして965ページという大冊になった。これは熱心な科学者やUFOファン以外の人には、おじけづかせるような記事になっている。見たところ参考になるように、この報告書は目頭に結論を出しているので、大量の活字を骨折って読破する素養のない読者は40ページそこらで内容を知った気になる。 しかし、その部分であきらめる読者はひどく誤解するだろう。 というのは、コンドン博士の概要はコロラド・プロジェクトの科学者団による徹底的な研究後もなお未解決になっている、顕著な事件のどれにも言及していないからである。 報告書全休を精細に吟味してみると、その研究結果は、委員会が入手できたはずの2万5000件の中から、わずか90件の目撃の研究に基づいていることがわかる。しかもこの90件は、最上または最も不可解なものではない。 
 それらは奇妙な一断面にすぎず、その中には、特定の時間と場所に着陸するかもしれない円盤とのコンタクトをねらった例も含まれている。 そんな円盤が出てくるわけはないのだ!そのほかにも、慣れた研究者ならすぐに解決できるような、光点や物体の例などが含まれている。実際14例は、すでにプロジェクト・ブルーブックにより誤認と片づけられているものであった。 空飛ぶ円盤が大気圏外から来るということを信じないハイネック博士は、コロラド大学の研究結果について次のように述べている。 「この報告書はコンドン博士による異常にゆがめられた概要で始まっている。報告書の中にはまだ謎が残っているということ、巧妙に避けたものだ。要するに、委員会は調査された事件の4分の1以上に対して、十分な解決を与えることができなかったのである。」 新聞社はこの報告書を、UFOマニアが期待したものとして歓迎した。記事の見出しを、コンドン博士の概要に基づいて次のように報じた―「空飛ぶ円盤は存在しない―公式声明」。 
 真剣な円盤研究者たちは、報告書の言外の意味を読み取って期待どおりのものを発見した。つまりUFOは存在するという確証である。また多数の人は報告書中の矛盾や提示の方法を、UFO問題の真相が一般大衆から隠されている証拠になるものだと見なした。 一般的に言って、コロラド大学の調査は、UFOのジレンマを解決するために何もやらなかった。しかし空軍の見地では、それは有益な体験となった。コロラドチームの勧告に従って、アメリカ空軍はプロジェクト・ブルーブックの終結とともに1969年12月に円盤の公式調査を中止したのである。 それ以来、大衆は新しいジレンマに直面している。円盤を目撃した場合だれに報告すればよいのか?プロジェクト・ブルーブックの解散後間もなく、1通の書簡が国防省から出た。 次のとおりである。 
 「ADC(宇宙航空防衛司令部)は、アメリカの宇宙防衛の責任を帯びている。‥‥‥その結果、ADCは報告される未知の空中現象に対して責任を帯びており、陸海空合同発表の規定により(JANAP第146条)、非軍事筋から寄せられる報告類の処理を行うものである。」 したがって、空軍の目には円盤は存在しないけれども、大衆が円盤が目撃すれば空軍はやはり知りたいのである。しかし上記の規定によると、未確認物体について寄せられた情報をもらした者は、厳罰に処せられることになっている。だからUFOは、依然として秘密のマントに包まれているかーまたは、黙殺の申合せの対象になっているのである。 第2話 黙殺の申し合わせ(終わり)  | 
  
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