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 バック・ネルソンの驚くべきコンタクト

ー私は火星・月・金星へ行ったー  NewsLetter No.73 より

この記事は去る3月7日に東京月例会で行われた久保田会長の講演を収録したもので、27年前にアメリカで発生したパック・ネルソンのコンタクト実話の紹介である。この事件は闇から闇に葬られて一般化しなかったので知る人が少なく、本篇はUFO研究家にとって貴重な資料となるものである。

今日は宇宙哲学よりも少し話を変えましてUFO問題の非常に興味深い素晴らしい話をいたしましょう。ほとんど知られていない昔の話ですが、アダムスキー問題と重要な関係があります。

▲パック・ネルソン。 彼は常にこの作業服姿で通した。

アメリカにバック・ネルソンというコンタクトマン(異星人と接触した人)がいました.この名前をお聞きになった方は多いと思いますが、どういうわけかこの人のこまかい体験談は一般に知られていません。聞から闇に葬られたという感じがします。しかしこの内容は素晴らしいものでして、しかもアダムスキーが、「バック・ネルソンの体験は真実だったのだ」と語ったということをフレッド・ステックリング氏(アメリカGAP本部代表)が数年前東京へ来ましたとき私に話してくれたことがあります。私はそれまでネルソンの体験に関心がなかったものですから「えっ、そうだったのか!」というわけで、あらためて見直したのですが、かなり古い事件ですから資料が出まわっていないんですけれども、最近ネルソンの体験記を入手しましたので、これからお話ししましょう。

 

■パック・ネルソンとは いかなる人物か

ネルソンの体験記の原題はMy Trip to Mars,the Moon and Venus( 火星、月、金星への私の旅)となっています。てっとり早く申しますと、彼は自分の所へやって来た円盤に乗せられて火星、月金星へまる3日間かかって行って来たという話です。

いつ頃のことかといいますと、かなり古い事件で、1954年の7月30日でして、これが事件の発端です。ネルソンというのはどんな人かということを簡単に説明しますと、小学枚へ6年間しか行かなかったという、あまり教育を受けなかった人で、大体に農業関係のいわば小作人としてあちこちの農場を転々としてほとんどアメリカ全土を歩きまわったという人です。いっときは鉄道員や警官などもやったということですが、後にトシをとってからミズーリ州のオザーク高原に32ヘクタールの土地を買って住みついたのです。 生まれはコロラド州のデンバーの近くとなっていますから、ミズーリ州は出生地ではありません。

生まれたのは1954年4月9日ですから、いま健在なら86歳になるはずですが、名前がアメリカのUFO研究界にほとんど出てきませんから、おそらく亡くなったのではないかと思います。

そのネルソンはほとんど教育を受けない人であったけれども、非常に正直で誠実であったそうで、この点はずば抜けていたらしいですね。ここが問題です。こういう人に異星人はコンタクトするのであるということがまずわかります。そして最初のコンタクトが発生したのは1954年で、アダムスキーが最初にデザートセンターの砂漠でコンタクトしたのは1952年の11月20日ですから、すでに2年近く経過していますので、アダムスキーの体験記などを読んでネルソんがでっちあげたのではないかと言う人があって非常に非難されたのですが、彼は最初のコンタクトが発生するまで、およそ円盤という言葉を − 英語ではフライソグ・ソーサーと言いますが − まるきり知らなかったということです。

■―最初の円盤の飛来―持病を癒やされる

ネルソンは広い農場で牧畜をやったり製材の仕事などをやっていたのですが、寄る年波で体力も衰えたというところから引退した頃の1954年の7月30日の午後4時頃、ラジオを聴いていたところ、突然、飼っていた犬が吠えだしたので、驚いて外へ飛び出たら大きな円盤が3機空中に停止していました。そこですぐにカメラを取りに家の中へ入って、外で3回ほど撮影したのですが、あとで現像してみたら一枚だけが2つの物体を写していました。

カメラを取りに屋内へ入ったとき、懐中電灯を取り出してそれを照らしながら合図をしたのです。そうしたら1機の円盤から強烈な放射線が放射されて、そのために彼は打ち倒されたんです。しばらくひっくり返って、やがて起きようとしたところ、不思議なことには、それまで彼は腰痛と手の神経痛の持病があって、このため長年悩まされていたのですが、起き上がったときにそれがきれいに治っていたのです。つまり強烈な放射線で治されたわけです。それから眼もわるくて眼鏡を必要としていたけれども眼も治って、それ以来眼鏡もいらなくなったということです。円盤は飛び去って行きました。

■―2回目の飛来―あなたは友好的なりや?

約6カ月後の1955年2月1日、昼の12時頃、また円盤がやって来て、家の上空を低く旋回しながらスピーカーのようなもので大きな声で呼びかけました。「あなたは我々に対して友好的であるか」と尋ねたので、ネルソンはそうだと答えたのてすが、このときも着陸はせずに「また会おう」と言って去って行きました。

■―3回日の飛来―ついに着陸してコンタクト

それから約1カ月過ぎて、3月5日の真夜中にまた円盤がやって来て−円盤というのは忘れた頃にやって来るんですね(笑)。2〜3日後に来ればよさそうなものなのに、どういうわけですかね−真夜中に来て、今度は家の付近に着陸したんです。32ヘクタールもある広い土地ですから、着陸も楽でしょう。

3人の男が円盤から出て来て、すごい大きな犬を2匹つれてネルソンの家へ来ました。その3人の男といいますのは、そのうち2人は地球人で、1人は金星人です。2人の地球人のうち、1人の若い男がいて、これはバッキーと呼ばれ、19歳で、2年前に金星へつれて行かれてむこうで学習をしたり金星人に英語を教えたりしていたそうで、金星から一時的に円盤で地球へ帰ってきたわけです。

もう1人は地球人のかなりな年寄りで名前を全然言わなかったけれども、顔にシワの寄った人で、円盤の操縦法を習う練習生みたいなものでした。

もう一人の男が金星人で、ボブ・ソロモンという地球式の名前で名乗りました。本当は名前がないのでしょうが、便宜上名前をつけていたのでしょう。

そのときに本人が話したところによりますと、本人の年齢は地球式にかぞえて200歳だということですが、見たところ19歳のバッキーにくらべて2〜3歳しか違わないような若さに見えたというんです。だから21〜22歳にしか見えなかったわけです。 それと、金星から大きな犬を一匹つれて来たのですが、これはポーという名のすごい大犬で−これも本当は名前がないんでしょうが、やはり便宜上つけたのでしょう−体重が170キロ、あと足で立ち上がったらネルソンより背が高かったそうです。

彼ら3人はネルソンの家に1時間ほどいて家の中のいろいろな物に興味をおぼえたらしいのです。なにせ高原地帯ですから電線が張ってあるような所ではありませんので、あのような場所では発電機を持っていて自家発電をやっているわけです。いまでもアメリカの奥地へ行きますとそういうふうにやっています。その自家発電機やラジオなどの装置類に非常に興味をもって金星人はいろいろ尋ねたり珍しがったりしました。

そして彼らは金星の生活様式を話してくれて、彼らのベッドは半分壁の中に埋め込まれたように作られており、敷いてある布団のような物は非常に柔らかいふわふわしたフォームラバーのようなもので、体圧を感じさせないものだということです。毛布やシーツなどは洗わず、、何らかの方法で処置するらしい。そうした物を出し入れもしない。すべてボタンで操作します。ベッドが不必要なときは天蓋みたいなものがかぷさってきて、ベッドが見えなくなります。床を敷くにはダイアルがあって、それを操作して自動的にやってしまう。一種の自動制御装置を使っているわけです。不精者にはもってこいですね (笑)。

それから家の中にあったストープに火をつけたり暖をとったりすることにも彼らは興味をもちました。ラジオについている蓄電器にも興味をもって、「これは何をするものか」と聞くので、「これはパワーをとるためのものだ」とネルソンが説明すると、「パワーなどはこの空間にいくらでもあるじゃないか」と金星人が言うのです。これは素晴らしい言葉です。静電気のことを言っているのでしょう。

壁にイエス・キリストの絵がかけてあったので、そのことについて逆にネルソンが「どう思うか」と聞いたところ、「みんな知っています。自分たち金星人にはみなわかっているのですが、本当はあなたがた地球人が何も知らないでいるんです」と答えました。

こうして約1時間ほどいてから彼らは出て行って、ふたたぴ円盤に乗って飛び去ったわけです。

■―4回目のコンタクト―宇宙旅行の準備をせよ

4回目のコンタクトは1955年3月22日の真夜中に発生します。夜の12時頃にやって釆て低く旋回はしましたが、着陸しないで上空から「宇宙旅行の準備をせよ」と呼びかけてきました。

以前彼らが来たときに家の裏手にあった3つの泉の水をくれと言っていたんです。彼らも肉体を持つ人間ですからやはり水が要るわけです。それで彼らが、水を取りにそこへやって来たとき、いつのまにか石を12個ほど円形に並べていたことにネルソンは気づいたもんですから、あとで「なぜ石を12個並べたのか」と聞いたら「あれは創造主の12の法則をあらわすのだ」と金星人が答えたそうです。これも非常に意味深長ですね。じや12の法則とはどんなものかということになりますが、これはあとで出てきますからもう少しお待ち下さい。

創造主の12の法則

それからまもない1955年の4月24日の真夜中に彼らが飛来して来ました。彼らが着陸するのは大体に真夜中です。これはいくら人里離れているとはいっても地球人に見られたくないということと、ほかにも理由があってのことでしょう。(注=この頃アメリカではひんばんに円盤の目撃や着陸事件が発生して米空軍は神経をとがらせていた)

今度はいよいよ宇宙旅行につれて行くというので、ネルソンはその準備をし、クリーニングからおろしたばかりの1着の上衣が部屋にかけてあったのを見た金星人からこれを着て行けと言われたので、それを着ます。「ポケットの中には何もないでしょうね」と言われたので、「何もありません」と答えます。もし金属製の物をポケットに入れていると円盤に乗り込んだときに磁気を帯びて具合が悪いらしいのです。

ネルソンはネコを一匹飼っていました。この名前はクレイジー(気違い)といいますが、これに、ミルクをたっぷり飲ませました。いつ帰って来るかわかりませんからね。トリクシー(いたずら坊主)という名の馬には牧場からエサがとれるようにしておいて出発しました。愛犬のテッドはネルソンに同行することになりました。

宇宙船に乗る前に、ネルソンは創造主の12の法則を書きとれと命じられたので、手帳と鉛筆は携行してよいと言われていた彼はそれをポケットから取り出して、円盤のそばの岩に腰をおろし、円盤の開いたドアーから洩れる明かりを頼りに、言われるとおりに書き記したのです。

それは次のような内容です。(原文ではGodとなっていますが「神」としたのでは宗教臭くなりますから「創造主」としました)

「金星における創造主の12の法則 」

以下の12ヵ条の法則は1955年4月24日、ミズーリ州オザークの農場で金星人からバック・ネルソンに与えられた。この法則を忠実に守るべきであって、時折、口で唱えるだけではいけない。

愛 =創造主、両親、隣人、地上のすべての鳥と動物、海中と空中のあらゆるものを愛すること。

専敬=創造主と両親を尊敬すること。創造主の法則に従うこと。それは人間の法則でもある。

服従=創造主と両親、その他の正しいものに従うこと。

 −  法  則 −

1. あなたの創造主を愛すること。
2. 殺してはいけない。事故でも戦いでも。
3. あなたの光を人々の前に照らすこと。あなたの立派な働きを人々に見せること。それは創造主の栄誉である。
4. 隣人を愛すること。
5. 姦淫してはいけない。
6. 盗んではいけない。
7. 他人からしてもらいたいと思うことを他人にもすること。
8. 創造主以外に神は存在しない。
9. むやみに創造主の名を呼んではいけない。
10. 父母を敬うこと。、
11. 自分の体は創造主のものである。どんな事にも誤用してはいけない。食物でないものを飲食してほいけない。体に害のあるものを使用しないこと。 体を損なうものや無益なものを身にまとわないこと。
12. 創造主が天地を作った。人間は創造主が与えた物に感謝すること。

以上の12法則は非常に何かに似ています。何に似ているかといいますと、モーセの十戒です。全く同じ部分が何個所かあります。 こういうふうに言いますと、こりゃあもう旧約聖書を読んで、でっちあげたんだろうと言う人があるかも知れませんが、実際にはバック・ネルソンは旧約のことをよく知らなかったようです。

またモーセがエジプトを脱出する途中、実際はスぺ−ス・ピープルに援助され指導されながら脱出したのです。そして途中シナイ山で 「十成」なるものを与えられたのですが、これはスぺ−ス・ピープルから与えられたもので、これが宇宙の法則として永遠に不変なものならば、モーセが与えられた法則も三千数百年後にネルソンが与えられた法則も同じでなくてはならないはずで、違っていたらおかしいですね。そういうふうに考えますと、これはやはり金星人が宇苗の法則として日常応用しているものでしょう。

金星人の話によると、金星はどういう状態かといいますと、この惑星ではこれだけ12の法則でもって大勢の人が生活しており、軍隊や警察もなく、タバコ、コーヒー、お茶のような嗜好物は何もない、酒や有害な薬もない。自然の食物を加工せずに食べているから病気はきわめて稀で、したがって病院もない、刑務所もサナトリウムもないし、したがって人血間の寿命が非常に長いというような説明をしたということです。

■火星へ行く! 

こうして12の法則を書き記したあとネルソンは犬をつれて円盤の中へ入ります。この円盤の見取図は非常に興味深いもので、普通の家庭の設備や配置とあまり変わりません。やはりトイレもあり、水を入れる倉庫やシャワーその他のものがちゃんと備えてあります。

円盤の中へ入ったネルソンは、金星人から「あなたはひとつ円盤を操縦してみないか」と言われて操縦盤の所へつれて行かれて、いろんなボタンを押して円盤を操縦させられます。ネルソンはさっばりわけがわからないけれども、次々とボタンを押したところ、円盤が自由自在に動くので大犬のポーが大喜びします。

そのうち次第にネルソンは方法がのみこめて、どういうふうにやればよいかがわかってきたのです。そしてこの体験は非常に愉快だったと語っています。

この円盤は母船に入らないで火星に直行します。宇宙空間は真黒いインキを流したような暗黒の世界だったと述べています。そして火星に着陸しますが、やはり運河があり、着陸した場所の付近の野原に馬や家畜がいるのが見えたんです。

そのあと統治者の家につれて行かれますが、これは地球でいえば政府みたいなものがあって、これが全体を治めているわけで、この中に最高青任者がやはりいるのです。ここへ行って上等なご馳走を出されてそれを食べます。

この建物は外側が石でできていたけれども、この石は地球の月から持って行ったものです。内部はある種の鋼鉄で覆われているように見えたと言っています。人々はネルソンが地球から来た人間であることを知らされていなかったようなので、子供たちがまわりにやって来て質問をし始めました。

火星にはさまざまの皮膚の色の違う人種がいて、ネルソンは自分と同じような皮膚をした人種の所へつれて行かれたとありますから、やはり白人みたいな人もいるわけです。そして火星は非常に色彩に溢れた惑星だとネルソンは語っています。

■月へ着陸する

火星に関してネルソンは以上の事柄を述べているだけで、今度はふたたぴ円盤に乗って、地球の衛星である月へ行きます。月に降りる前に円盤の内部の気圧を月の気圧と同じにするための減圧処置がとられます。だから月には多少とも空気があって、減圧処置を受けておればヘルメットなどかぶらなくても月の地面へ降りられるということがこれでわかります。

ネルソンの乗った円盤は月の表側に着陸し、また統治者の家に行って食事をしたのですが、この統治者の家はクレーターの中に建てられており、最初に入った部屋は統治者のいる部屋の隣にあって、ここには望遠鏡があったんです。そこにはガラス戸のついた棚があり、岩石の標本等を並べたテーブルがあったということです。

月面の採石場は別な惑星の非常に古い建物のために石を供給します。たしかに月面は岩石が非常に豊富ですから、これが資源の場所になっているようですね。月の表面には植物は生えておらず、家庭用の水は山の雪からとられ、人々の住む家は基地として使われている大きな格納庫のまわりに建ててあるということで、太陽系のなかで別な惑星と行き来をしないのは地球だけだと語っています。

月の裏側には川と湖があるとネルソンは教えられて、あとからその側へ円盤でまわって着陸したけれども、あまりにかすんで非常に高い山が見えただけでした。この月への二回目の着陸のときにまた食事をしています。どうもメシばかり食っていますね(笑)。今度の食事も腹l杯食べたそうですが、なにか宇宙旅行には充分な食事と睡眠が必要なように思われたとネルソンは言っています。

彼は外へ出て歩いてみることを許されたので、迷子にならないように建物をよく見て歩き、犬が二匹彼にくっついて来ます。月に住む家族子供たちがいろんな大きさの犬と遊んでおり、、大犬のポーの上に小馬のように乗ったりし、ポーも子供たちと楽しそうに遊んでいたということです。

ここまでが月の説明でして、これからふたたび円盤に乗ったネルソンは金星へ行きます。

■金星に到着

金星に着いたときネルソンは全く時間の感覚を失ってしまい、地球を出てからどれぐらい時間が経過したかわからなくなりました。

金星でも2度ほど着陸して、また統治者の家へ行きます。そして3つの月を見ました。これは金星の衛星ですね。外は地球の昼間のように明るかったが、霧がかかって曇っており、家は石で建てられ、内部は金属みたいなもので作られていました。

それから地球の自動車に似た乗物があったけれども、車輪がなくて、地上から数フィート離れて空間に浮かび上がっており、これは宇宙船と同じパワーで滑空するのです。したがって地球のような大きな道路はありません。もちろん警察もなければ監獄もないし、政府の建物や戦争などもありません。病気もないから病院もない。

金星人が一日でどれぐらい働くかといいますと、1時間です。1日の長さというのが大体に地球より長いのです。

ここで時間の問題が起こってきます。先月(2月)の東京月例会における私の講演の中で「時間は本来ないのである」とお話ししましたところ、俄然大反響が起こったんです。さすがにGÅPの会員の方々は哲学的な深みがありますから、こんな面でも真剣にお考えになるようで、大変喜ばしく思います。時間というものは物理的時間と哲学的時間の2通りに分けて考えられますが、私が話しますのは哲学的時間でして、あるような、ないような、あると思えばあるし、ないと思えばない、というような、そんなものなんです。

時間の観念というのは、人間には現象の持続感、たとえば自分の体が生まれてから長いあいだ保たれてきているというような持続感がありますから、ある程度は時間のフィーリングが起こってきます。

そのためにむかしから、特にギリシア哲学のアリストテレスやプロティノス以来、時間が論じられ、近代ではカントが「時間とは直観の形式」 と説いています。これはむつかしい表現ですが、なんのことはない、時間というのは人間のフィーリングできまるもので、あるような、ないようなものだということです。

それで本当は、時間というものは、ないと思えばないと言えると思うのですが、しかしこれでは世の中の統制がとれません。「時間というものは存在しない」というので、昼頃会社へ行って1時間ぐらいいて、「時間は存在しないんだから帰るよ」と言って帰れは、いっペんにクビになるでしょう(笑)。これではいけないので地球では一日を24時間と分けて、それに従って生活をしているわけです。これは物理的な時間です。

金星ではどうかといいますと、金星人は地球人とはまるきり時間の観念が違うようですが(注=だから地球人のように早く老いない)、しかしやはり人間の行動の統制を保つ上で必要なのでしょうか、一応時間はきめてあるんです。つまり金星では一日のうち昼を17時間、夜を17時間とし、一昼夜を34時間として、1時間は地球の1時間と同じ程度だとネルソンは説明しています。(注=金星の自転については金星を覆っている雲のために地表が見えないので、1964年までは不明であったが、この年レーダーによる観測をシャピロが行い、69年にはカーぺンターがレーダー観測により自転周期を242.98+-0.04日と算定した。しかしこれでは224.70日という公転周期よりも長いことになり、非常に奇妙な自転をやっていることになる)

地球式に言って金星人は1日に1時間しか働かないのならば、あとの時間は何もしないで寝ころんでいるのかといいますと、そうではなくて、いろいろ学習をしたり宇宙旅行に出かけるようですね。巨大な宇宙船を持っていますからね。

これはネルソンの話ではなくて、最近ステックリング氏から来ました手紙によりますと、なんでも進歩した別な惑星では長さ30マイルの大母船を建造しているというのです。30マイルといいますと48キロメートルで、50キロメートル近い長さです。50キロメートルといいますと東京駅から直線距離で千葉県の成田駅あたりまでになります。ものすごい長さです。想像のつかない巨大な母船で、もちろんその内部は宇宙都市になっていて、この中で生活しながら太陽系から太陽系を旅をするのです。旅というものを重視しているわけですね。

さてネルソンの話に返りますが、彼は金星に2度着陸しました。それぞれの着陸時間は20分ぐらいだったろうということです。また彼は17時間に刻んだ時計の文字板のようなものを見ました。これには数字のかわりに奇妙な文字みたいなものが記してあったけれども、これは中国の漢字よりももっとわけのわからないものだったと語っています。

金星で出された食事は内、ミルク、タマゴ、魚、各種のサラダと調理された野菜などですが、地球のものとはだいぶ質が違うのでしょう。トウモロコシのようなものが混ざっていたのがわかったということです。

こうしてバック・ネルソンは金星から帰ってきまして、1955年4月27日の真夜中に自分の家のそばに着陸して無事に自宅へ帰ったわけですが、そのときは何月何日かさっばりわからなかったけれども、ラジオを聞いたリカレソダーを見たりして、自分がまる3日間留守をしていたことがわかったんです。

■ネルソンの宇宙旅行の補足 

火星や月や金星にいる人間は地球の人間と非常によく似ているけれども、一般には地球人よりも美しい顔をしています。 彼らは非常に簡単な物を着ていて、ネクタイ、バックル、首飾り、腕輪、耳飾りのような物は一切使わない。装身具を使用しないんです。体を革縛するような物は何も使わない。これは創造主の十二の法則に従っているからです。男はモモヒキに似たゆるやかなズボンをはいており、バックルや飾りボタンなどは全然なく、生地は地球のものとは養りています。

異星人も多少は肉食をしますが、彼らの食物はおもに果物や野菜から成っているようです。病気はきわめて稀で、見た限りでは彼らの歯は非常にきれいです。

病気の治療法について彼らに尋ねてみたら、「自分たちはただ創造主の法則に従って生活しているだけです」と答えました。もちろん医者はいません。彼らは自分自身が一種の医者なのであり、必要なときには大自然の薬を使うと言っています。これは具体的にどういう物かよくわかりません。それで金星へ行ってから水が変わったためにネルソンの体に湿疹みたいなものができたので、むこうの人がローションのような乳液をくれたのでそれを体に塗ったということです。

激しいスポーツや競技は決してやりません。あまり激しいことをやると心臓に緊張を起こして体のためにょくないからです。ネルソンが会って話し合った相手は上手に英語を話しました。彼らはいずれ交際すると思われる地球の人種の言語を勉強しているようです。そして地球人のあいだにも彼らの多くの仲間が混ざり込んでいると教えてくれたし、地球の政治家のうち何人かが彼らの宇宙船に案内されたことがあるそうですが、そういうことをおおやけにすると、その政治家たちは非常に危険になるので、みな黙り込んで言わないのだということです。

ネルソンは山中の1軒家に1人で住んでいる独り者ですから、彼の身に何が起ころうと悲しむ家族はいません。だから彼が自分の宇宙旅行についてしゃべったところでなんともないというわけです。

これが重要な点です。異星人は、こういうような、あまり教養が高くなくて、しかも非常に誠実で正直で実直で、何物をも恐れない、百パーセント異星人を信じて喜んでついて行くというような人、しかも山の中に独り者として住んでいて、周囲は広い、というような人がなにか非常によい条件を満たすようでして、うらやましいことですね。東点のド真ん中ではどうしようもない。

で、ネルソンは脅迫されたわけではないが、もし披が宇宙旅行について二度と話をしないのなら、といって千ドルの小切手を差し出した人があるのですが 一つまり金で沈黙させようとしたわけですが、この千ドルは山の中では相当に価値のあるものだったけれども彼は受け取らなかったのです。

もう一つ非常に重要なことは、なぜ異星人が、ネルソンのごとき貧しい一凡人の所にやって来るかということが地球人に理解できないだろうというのです。彼は山中の淋しい場所に住んでいるのですが、なぜそんな所へやって来るのか、という点が地球人にはわからないけれども、このことは異里人のほうからこうした必要が起こるのだとネルソンは言っています。これはコンタクトするような条件を満たす人でないとダメなのです。地球人は異星人と知ると、まず撃ち殺してしまうでしょうが、そういうことをしない友好的な人間であることが最も重宴なのだと彼は述べています。

もう一つはネルソンの住んでいた場所が円盤が来るのに磁力の関係で都合のよい場所だったらしいのです。円盤の大きさは、幅が15メートル、高さ2.4メートルぐらいのもので、あまり大きくはありません。離着陸は真夜中がよく、ネルソンの乗った円盤は、彼が自分の体験以後に読んで知った巨大な母船の中には入らなかったということで、円盤が自力で惑星間旅行をやったのです。 円盤は三層になっており、頂上のドームの部分はガラス状になっていて、これは透明で、この部分だけが回転するために方向転換が楽に行われるのです。しかも円盤は自動操縦装置により安全に操縦されます。

■異星人はだれを助けるか

別な惑星の住民の生活は全くわずらわしさから解放された楽しいもので、彼ら創造主の12の法則によって生活をし、戦争、軍隊、警察、刑務所などをなくしています。

地球上で用いられているお金は別な惑星では絶対に受け入れられないものだとネルソンは強調しています。貨幣制度がないんです。貴金属としての金の振動は体のためによいので、家の内外にふんだに使っているということです。

もし地球に大変動が起こるとすれば、その1つは、地球の聖書の"大洪水"に相当するものだと言っています。言い換えれば島や大陸が海中に沈下したり隆起したりするのでしょう。それで異星人は、地球人のなかで後らを兄弟として受け入れる人々を助けてくれるだろうということで、こうした友好的な地球人が、だれであるかは異星人にわかっているようだとネルソンは語っています。

彼らはたしかにテレパシーを応用しますが、ある限度以上になると声を出して彼らの言葉を用いるのです。

最初にやって来た3人の男の1人の地球人バッキーですが、この少年はコロラド州に生まれて17歳のときに金星につれていかれたのです。したがってネルソンの家に来たのはそれから2年後のことです。そのパッキーが4歳のときに金星人がバッキーの家にやって来て、家族を金星に案内しようとしたんですが、両親はことわったので、金星人はのちにバッキーだけを金星につれて行ったわけです。

大体にコンタクトするような人は生活が非常に正しくて、誠実で正直でなくてはならないようですが、もっと深く考えればカルミックなものがあるのでしょう。どんなにコンタクトを望んでも、どうしてもそれができないという人は、カルマという点で無理があるのではないでしょうか。あるいはコンタクトしたばかりに、かえって本人に災いが生じるということを異星人から見透されているのかもしれません。

さて、ネルソンが最初に円盤の内部を見せてくれないかと頼んだとき、相手は何も言わなかった。返事をしようとしなかったんです。それでネルソンが別な惑星へつれて行ってもらえるかと尋ねたとき、彼らは気持を動かされたらしく、あとで大衆に体験を発表するのなら、つれて行ってもよいと答えたんです。どうやら「尋ねてみる」ということが必要のようだとネルソンは言っています。結局ネルソンという人は体験を発表するほどの勇気ある人物だったということがコンタクトの資格となっていたようです。

ネルソンは体験を発表して、あちこちで講演をやって歩いたんです。そしてずいぷん多くの料学者から質問を受けて月の状況や別な惑星の状況などを聞かれたんです。かなり真剣な態度で質問した科学者もいるらしいですから、科学者のあいだで相当に月や別な惑星に対する関心が高まっていたと言えるようです。

いまでは一般人はそんなことは(太陽系の別な惑星に偉大な人類がいて、空挺を駆使ながら地球へ来るというようなことは)全くあり得ないことで、まるで子供だましなことだと言うのがオチですが、実際はこうしたコンタクト実話はある力によりねじ伏せられてしまって、真相は一切隠されてしまったという状態ですね いまは!。

■ビラミツドの謎を解き明す 

ネルソンの話に返りましょう。彼が月へ行ったときに、あるクレーターから別なクレーターまで巨大な長い橋がかかっているのを見ました。これもむかしニューヨークのオニールという科学記者が望遠鏡で月を観測しているときに"橋"を発見して有名になった事件がありますが、なにかそれを裏付けるような目撃報告で(注=ただしオニールの"橋"の目撃は1953年7月29日の夜のことでネルソンの目撃よりも1年8カ月前のことである。しかしネルソンは、オニールの"橋”のことは全く知らなかった)、この橋は宇宙人が建設したもので、この橋の低い空間を例の"乗物"がゆっくりと滑空するのだとネルソンは言っています。

更にネルソンは、地球で核兵器を作らないことや核戦争をやってはならないことを強調しています。彼が円盤に乗っているときに、ドームの頂上にピラミッドの紋章がついていたので、これはどういうものなかと尋ねたところ、金星人は、自分たちは地球の文明が何度も低下したのを見て知っていると答えました。

昔、エジプトのピラミッドを建てた人々の何人かは、のちに火星や金星につれて行かれて、そこで生涯を終えたのだということです。ピラミッドを建てるのに使われた石をどうして持ち上げたかは謎になっていますが、これは宇宙船に用いられているのと同じ磁力によって持ち上げられたと述べています。

■アトランティスの大文明

次にアトランティス大陸のこともネルソンが語っています。それによりますとアトランティスの氏族は非常に事績の法則を重んじた民族で、賢明で力強くて、学術を究めたのですが、次第に創造主を忘れてしまって、娯楽のために時間をつぷすようになり、結局、堕落したというのです。

戦争好きな民族ではなかったけれども彼らは原子力以上のある強力なエネルギーを研究し、その実験のために大都市の地下にいくつも巨大なトンネルを作っていたのですが、この新しいエネルギーが次第にコントロールできなくなり、みずから作り出したエネルギーによってアトランティスは滅亡したのです。そして海中に沈下したのですが、これは大洪水が起こったことを意味するわけで、これがいわゆる聖書に出てくる"大洪水"のことだと言っています。このときに北アメリカ大陸が海から隆起したそうです。金星にはアトランティスが沈んだときの記録があるそうで、アトランティスから脱出して助かった人たちが北アメリカ大陸の洞穴に住んで原始的な状態にもどったのです。この地球上の人々が太古から増減するのを火星や金星の人々は見ているのですが、ついには多くの惑星から好ましくない人間たちを地球へつれて来て、働かせ、自分たちの問題を自分で処理させたので、それで人口が増加したいということです。

1956年6月21日にネルソンがワシントン市のドレッセルホームの部屋でラジオを聴いていると、突然番組が中断してパッキーの声が響いてきました。オザーク高原のネルソンの家の庭に大勢の人が集まっており、馬や家畜などの世話をしているから安心せよという内容です。特にネルソンを支持したシャーマン・ラレリーの家族も留守中の面倒をよく見ていました。ラウエリー夫人はネルソンを心から尊敬した婦人で、ネルソンの体験記の序文を書いています。

現在(1956年) アメリカには1500人ほどの、火星と金星から来た人々がひそかに住んでいて、地球人を援助しているとネルソンは言っています。もちろんこれは25年もむかしのことですから、いまの人数はもっと違うでしょう。

米政府の官吏で別な惑星につれて行かれた人が何人かいて、その人たちがネルソンにそのことを告白したということです。そしてネルソンにむかって、講演では別な惑星の実態をもっと思いきり話してほしかったと残念がっていたそうです。1956年7月にネルソンは、ミシガン州グランドラピッズに住むロドニー・バージェス一家に招待されたとき、デトロイトからリー・チルダーという人も来ていたのです。ところがこのチルダー氏も実はコンタクトマンであって、巨大な宇宙船に乗せられた人で、この人が異星人から聞いた話はネルソンが語った話とほとんど同じだったということです。したがってコンタクトマンというのはわりとあちこちに潜在しているようです。

ネルソンは別な惑星へ行くときに小さなアメリカの国旗を持って行って、月に1枚、火星に1枚、金星にl枚ずつ置いて来ました。それにはネルソンの名前が記してありますから、後にだれか地球人がその惑星を訪れたときにその旗を発見するだろうと言っています。

以上でバック・ネルソンのコンタクトについて概要をお話ししましたが、彼が発表した当時、円盤雑誌類を読んでストーリーをでっちあげたのだと非難する人がかなりいたのですけれども、ネルソンは生活が苦しくて、そんな雑誌を買う金はなかったし、円盤のことは何も知らず、病身のために自分の農場以外の世界を歩きまわることは不可能であったことや、アダムスキーの 「宇宙船の内部」 (俗に「同乗記」 といわれる本) はネルソンが体験を発表した当時、まだ原稿が印刷所に行っていて書物になっていなかったのだとラウェリー夫人が証言しています。

なぜネルソンのような人がコンタクトマンとして選ばれたかといいますと、その頃アダムスキーの体験を知らないで、しかも無学ではあっても正直で誠実で、その他のあらゆる条件を満たす人を選んでコンタクトし、更に体験記を発表させることによって、アダムスキーの体験の傍証を出すために、このような事件が持ち上がったのではないかと考えられます。時間がありませんので、これでおくことにしましょう。

■  付  記

バックネルソンの家へ円盤が飛来したとき、付近の民家の住民でこれを目撃した証人が数名いる。その他、ネルソンは別惑星から物的証拠を持ち帰ったけれども、人々から全く相手にされなかったらしい。彼が撮影した円盤写真は入手不可能である。

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