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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 <巻頭言> 時間と進歩

NewsLetter No.72 1981 より

「光陰矢の如し」といい How time flies.という。いずれも年月の経過の早いことを表現した日英のことわざである。

ひとくちに20年といっても個人により思いはさまざまだが主観的には二面がある。アッという間に過ぎた一面と、大変だったという苦難に満ちた一面である。前者を主に考えれば36年前の終戦の日に天皇の玉音放送を軍隊で聴いてから数日後に帰郷したのがつい昨日のことで、一夜明けた今日この巻頭言の原稿を書いているという感覚が抜けきれないし、後者のフィーリングからいえば宿命的な何かを感じさせるものがある。 

▲デザート・センターにてコンタクト地点を撮影中の筆者。
▲デザート・センターにてコンタクト地点を撮影中の筆者。

いずれにせよ人間の一生涯ほど奇妙なものはない。というよりも人間という生物の存在すること自体が宇宙で最大のミステリーである。したがって人間のあいだで発生するあらゆる論争は群盲象をなでる式の妄論にすぎないといえるだろう。なぜなら人間が人間自体を理解しないのに、外界の事象に対して絶対公正な判断がくだせるわけがないからだ。

地球は「迷える魂の惑星」だという。これは詩人の言葉ではなく偉大な進化をとげた惑星の人々の哀れみと同情の表現であるらしい。むべなるかな、「貴殿の人生の目的は?」と尋ねても「別にない。マイホームを持って安穏な生涯をすごしたいと思うだけだ。」と大抵の人は答えるのである。人間とは何か、ワレとは何かを考える余裕は全く生じないらしい。またそのような事を考えても現実の生活に何らの利益もたらさないし、人生や世渡りとは無関係だと思っている。

こうして7〜80年の生涯を飲んで食って過ごし最後はポロ雑巾のような老体を病床に横たえて、何のために生きてきたのかと生命なるものに漠然と思考をめぐらせばまだましなほうだろうが、大半の人はそのような哲学的思惟を起こすこともなく、心身ともに疲労コンバイの極に達して、ただ息が絶えるだけなのだろう。

いま自分の実体が別な新生児の美しい肉体へ移行して新たな人生の課程に入るのだと意識しながら去る人は、40億の人間の中で0.00001パーセントぐらいのものであろう。まさにこの世界は「迷える魂の惑星」である。一生涯を終えてからの行先を認識すらできないのだ。

しかし20数年間の研鑽や努力をももってしてもさほどの進歩はなかったというのが編者のいつわらざる個人的反省である。ということは実際に研鑽や努力をしなかったということになるのだろうか。

多年にわたって繰り返した無数の失敗とへマはいつになったら無縁となるのか。試行鎗誤というようなキレイごとではなく、ドロドロとした醜悪な不可視の実体にとりつかれて、もがいては逃げもがいては逃げするだけの行動の連続の20年であったということになれば、最重要でもっとも恐るべきは年月の経過の迅速さである。

こればかりは容赦なく万人に公平に襲いかかる、待ったなしに人間を老化せしめるので、気がついたら全く無意味な生活を過ごして愚痴放出機と化した自分を見い出す。ああ世は夢か幻かとは芝居の科白ではなく現実の一般個人の心情の表現であり、無目的に地球で生涯を終える者のきまり文句である。

しかし、宇宙の法則を知る私たちはこのような戯言(たわごと)の独白で最後の眼を閉じることなく、むしろ「この世界に生まれてよかった!」と歓喜と希望に満ちたまま次なる肉体への移行に渾身の期待をこめて去り行くべきである。

だれもがいつかは現在の肉体と訣別しなければならないのだ。まだ若いから先が長いと思ってはいけない。昨日の若き美男美女は今日は老醜をさらす枯木として風に揺れているのだ。繰り返すが恐るべきは光速にも似たすさまじい年月の経過である。

してみると我々の進歩は刻一刻を争うべき問題であり、明日やあさってのことではない。現在の一瞬一瞬に自己のすべてが凝縮されカルマが秘められている。具体的に言えば、一瞬ごとに自己の想念を観察し、不純なる非宇宙的な低劣想念が押し寄せれば断固これを撃退して常住坐臥、不断に「宇宙の意識」を意識する必要があろう。これを意識的意識という。

我々は死者の棺をかつぐ死人の妄動に同調してはならないが孤立化も避けねばならぬ。死人とはセンスマインドの死せるものを意味するものであって、だれしも意識までは死滅していない。意識が死滅すればもはや転生の機会はなく、大宇宙の意識の大海へ吸収されるだけである。センスマインドは死人のそれで、魂(意識)のみが肉体を支えているのが一般的地球人であってみれば、これを無下に排除するわけにはゆかない。できれば死せるマインドを生き返らせるように何らかの援助をなすべきだろう。

しかし何よりもまず自己のマインドを生き返らせよう、怠惰かつ傲慢な四つの感覚器官を叱咤激励し、宇宙の方向へ向かわせよう。周囲から死人がやってきてあやしげな哲学やドンキホーテの狂言に惑わされるなと、したり顔で忠告しても穏やかに拒絶し、無言と微笑をもって応えよう。

万物に創造パワーが宿り、それが宇宙の英知であり意識であることは絶対否定できぬ事実である。この絶対次元を認識してその上に立った絶対人間こそ我々の到達すべき目標である。これは単なる観念論ではないし理論の遊戯でもない。実際にそのようなフィーリングを全身に起こすことによって、自己の健康状態やカルマを奇跡的に大変化せしめ得るのである。

人間個人に何の変化も生じさせぬ哲学は死人の思想にすぎない。我々は自己を変化させる宇宙哲学を学習中である。これを生かさぬということはない。

(久)

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