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 UFOの秘密 第2話

日本GAPニューズレター 第54号 より

「アメリカの軍人たちが不思議な物体を見たんだが、軍部の治安上の理由で、この事件全体が完全に極秘にされてしまったんだ」  翌日ディミックは軍部が 「あらかじめ準備された事件」 と言っている或る出来事について話した。彼は個人的に円盤を見たことはないが、2人の重要な人物と話し合ったという。1人はメキシコ人で、もう1人はエクアドル人だが、この2人は円盤を見たのである。前者は円盤の1部分だという金属のかたまりを彼にくれた。それはアルミニウムのように見えたが、この地球で知られている金属ではなかったとディミックはつけ加えた。よくある話である。私もこれに似たような話を扱ったことがある。

「政府は態度をはっきりさせるべきだ。治安という理由でこうした問題を論じたくないというのなら、なぜそのように言明しないのだろう?」とディミックはぼやく。

だが空軍は何も言わなかった。空軍によれば円盤は群集ヒステリー≠フ1種であるのだ。メキシコ航空兵団長ロドリゲス・カルデネスは否定的な言葉をつけ加えて、この種の新聞記事に対する相互の同意ということになれば良き隣人%Iやり方はまだ生きていると言う (注:米空軍が否定すればメキシコ側も同調して否定するの意)。実際そのようになっていたので、空中に物体を観測するように訓練されたパイロット、ナビゲーター、その他の要員たちは、もはや空軍情報部へ観測結果を報告することに熱心でなくなってしまった。荒っぽい返事が多すぎたのだ。観測することは疑いをかけられることであり、知ることは罪であった。アメリカという国がみずからそんな状態にあるということは狂った状態だけれども、やはりそうなのである。

責任ある地位についているほとんどの人が、まるで自分が指導者としての力を持っているかのように、公的な態度をとるようになったのである。もし米国防省がそんなふうにやってゆくとすれば、読者は肯定的な面を強調するような人を頼りにするとよいだろう。

 あちこちから出てくる肯定的な報告類のさなかにあって、シカゴ大学の天文学教授、ジュラルド・P・カイパー博士は、メキシコで報告された円盤の乗員が小人であったという説を一笑に付したけれども、いわゆる空飛ぶ円盤のパイロットなるものは利口な虫か、または小さな植物かもしれないとほのめかした。これは火星で現在生きているものはその程度だろうという理由のためである。

この種の否定は当時その筋から否定されることはないだろう。それが”正しい”方向にそっているからだ。しかもこの考え方は他の天文学者のそれと同じなのである。

ところがカイパー博士と同じほどの高い地位にある天文学者達は、これとは異なる意見を持っているのである。多数の学者はこの問題に関してオープン・マインドを維持してきた。あの物体(複数) は空飛ぶ円盤だと信じていた人々もあるが、それがどこから来るかは不可解であった。少数の人はたぶんどこかの惑星から来るのではないかと考えていた。しかしカイパーの気まぐれな発言に乗せられて、大抵の人は円盤が火星から来ると考えていたと読者は思うだろう。一体円盤が火星から来るとだれが言っただろうか。オーソン・ウェルズ? (注:タコのような姿をしした火星人が地球を侵略したというSFを書いて米国にセンセーションをまき起こした男)。とっくの昔に死んだR・A・ロックの亡霊か? それとも軍部の策略なのか?

空軍の将官がこの円盤問題について何かを書いたことは知られていな・いが、トゥルー誌は何とかして当時の家畜囲いから2人の海軍軍人を脱出せしめた。元海兵隊パイロットのドナルド・E・キーホー、それにまだ現役の司令官ロバート・E・マックローリンは、みずから見聞した空飛ぶ円盤について記事を書いたのである。それは冗長な、くだらないものだった。それらの記事は意味のないものだったと言えば酷に聞こえるかもしれないが、貧弱な材料だったというよりもむしろ拙い文章だったために、よけいにそうだったのである。とにかくトゥルー誌は円盤の分野では最初のものではなく、私はバラエティー誌に書いた記事によってトゥルー詰よりも10週間ほど先を行っていたが、フェート誌は更に私を1年も引き離していた。しかし私の記事は何かの焼直しではない。それまでだれも書いたことのない材料を用いたのである。

その記事の大部分はボストン、バッファロー、カンザス・シティー、ロサンゼルスに及ぶ広範囲の各種新聞に転載されたし、1、2のラジオ局からも放送された。

こうしたすっぱ抜きが続いているあいだ、空軍情報部は空中の観測物を前にして不気味な沈黙を保っていた。だがこの出現物のために全世界の人々は冷戦の議論から空飛ぶ円盤に関する熱心な推測へと方向を変えたのである。

科学者の名前はエドガー・B・デービスだ!

ところでデンバーといえば、1950年3月8日のあのナゾの講演者についての騒ぎが広がっていった。あの科学者の講演がテープに録音されたことや、それがキーラーの働いていたKMYR局で隠されたらしいということをだれかがおぼえていた。そしてキーラーの部下がデンバー市の実業家たちにそのテープを聞かせたために、デンバー大学のスパイ行為や逆スパイ行為説のバカらしさをよく理解できたのである。

その頃までには、講演が行なわれたとき町にいなかった学長がいや味たっぶりに発言し始めていて、教授団に指令を発した。これからはもっと慎重に講演者を選べというのである。デンバー・ポスト続開係の匿名の一筆者がこの間題を取り上げようとした。そして論評の中で、訪れて来る講演者のなかで匿名を用いる者を拒絶せよと書きたてたが、これは自分のことを棚に上げて他人を批判するものであった。

ラジオ放送を聞いた市民たちのなかに、同じデンバー・ポスト紙の記者がいた。彼は大学事件をあらためて日曜版に載せたが、これは陸軍航空隊情報部をふたたび刺激することになった。そこでキーラーはたまりかねて、これ以上拷問の材料を受け入れるわけにはゆかないと言った。

「あのナゾの科学者の名前はエドガー・B・デービスだ!」 と叫んだのである。

これを聞いた人はみな、どうやらほんとうらしいと思った。しかしエドガー・B・デービスとはだれなのか?ここで新たにその探索が始せったのである。

デンバー市民が講演のテープ録音を聞いていた、ちょうどその時間に、ハリウッドで数名の人が同じ講演のテープ録音を聞いていた。これはオリジナル録音をコピーしたものである。これはハリウッドの或る医師の自宅で聞かれた。そこの夫人は大学卒の看護婦で、以前は旅客機のホステスであった。この録音テープは或る地球物理学者が保管していたもので、私はこの人を長く知っていた。

このテープを聞いた人たちは驚いてしまった。しかもテープの声と地球物理学者の声がほぼ同1であるという事実によけいに驚いたのである。 もちろんデンバーとロサンゼルス間の飛行時間はわずか6時間だから、同じ日に両方の場所にいることは無理なことではない。

ところが3月17日にデンバー大学教授団、学生たち、新聞社、空軍情報将校連は、廊下の壁に 「初心者のための空飛ぶ円盤講座」と題するポスターを貼らせた例の科学者の正体をつきとめたのである。

4名の学生とタイムライフ社デンバー支局長バロン・ベシャー(この男は招待状なしに講演会場に押し入った)は、デンバーのポスト紙に掲載された写真類から判断して、その科学者はサイラス・メーソン・ニュートンだと確信したのである。この人はニュートン・オイル・カンパニーの社長で、1942年度コロラド州アマチュア・ゴルフ選手権保持者、ベイラー大学とエール大学卒、ベルリン大学大学院修了、レンジリー油田の再発見者、美術界の後援者、そして大体に世事にたけた人で、いうなれば科学者で資産家であり、どこにもいるような典型的アメリカ人なのである。

一学生がこの講演者をおぼえていると言い出した。この学生はレークウッドのゴルフ場で何度も彼のキャディーをつとめたことがあったために以前からずっとその正体を知っていたのである。だが評判にはならないことがわかっていたので、それまでは話さなかったのだ。この間題は秘密だということになっていなかったのだろうか。

合衆国政府は円盤を調査していた!  

控え目に行なわれたことをスキャンダラスに見えるようにゆがめられてしまった一大学内のコップの嵐は、3月17日の午後、ニューメキシコ州ファーミントンから出た大事件によって影が薄れてしまった。その町の空が3日間空飛ぶ円盤の乱舞場となったのである。特にセント・パトリック・デーの朝は、その町の半数の人が円盤を見たと報告した。数百機見たという人もあるし、最少9機は見られている。

ファーミントンは人口5千のオイルの町である。住民は空を見上げることよりも下を見る方に緑が深かった。彼らの生活区域はニューメキシコ州北部のサンホァン盆地の地の底である。意味ありそうなことだが、これはあの講演者の述べた「デンバーから500マイル以内」になる。

この町にはただ1種類の新聞、ファーミントン・デーリー・タイムズがある。その第1面の上部の片側に「われらの使命−真実。われらの信義−ニューメキシコ」と書いてある。創刊は1884年、空軍情報部の開設よりもはるか以前のことで、社会の真実を報道するという点で評判はよい。

3月18日の朝、この新聞は 「円盤の大船隊、ファーミントンをゆるがす」 という大見出しとともに、同新聞社のスタッフ全員や住民の大半が目撃したという記事を掲げた。これには同社の営業部長クレイトン・J・ボディーと副主筆のオーヴィル・リケッツも名をつらねたが、実際に記事を書いたのは主筆のウォルター・ローガルである。

住民の半分は数百機の不思議な飛行体が前日に空中を飛ぶのを見たと報道され、その数は数機から500機以上にも及んだという。「その物体が何であるにしても、とにかくこの町で大センセーションをまき起こした」 と書いてある。

物体群は空中で鬼ごっこをしているように見えた。ときには信じられないようなスピードで矢のように飛んだりする。三角測量によればそのスピードは時速1千マイルに及び、円盤の大きさはB−29 (注:第2次大戦で活躍した米空軍の爆撃機) の約2倍くらいだったという。

新聞社のデスクは物体を見た人たちの電話が殺到し、どこから来たのか教えてくれとせきたてた。目撃者のほとんどは物体群が銀色の円盤型のもので、1機だけは赤色であったと言っている。

イタリアに駐屯していた米陸軍の元工兵大尉であるクレイトン・J・ボディーが目撃者の1人であった。彼は約5百機いたと考えている人たちの1人である。この推定はコロラド州アントニオから来ていた食料品店経営者ジョーゼフ・C・キャリオフとフランセス・C・キャリオフが確証した。この2人は新しいチェーン店の敷地を見るためにファーミントンに釆ていたのである。2人の意見によると、円盤群は編隊を組んで飛んでいるように見えたという。

円盤のスピードの三角測定をやったのは米国土地保護局ファーミントン支局長ハロルド・F・サッチャーである。彼は技術屋ではなかったが、部下に技術陣をかかえていたので、大ざっぱな3角測量法を心得ていた。空中に沢山の綿毛がただよっていたのではないかという説を笑いとばして彼は言った。「おれは綿を見たんじゃないよ」。綿説はアンディー・アンドリューズという州のパトロールマンが出したものである。

空飛ぶ円盤が現われたという最初の報告は午前10時15分に出た。それから1時間のあいだに報告が殺到し続けたのである。

不動産業のセールスマン、ジョン・イートンと、ガレージの使用人エドワード・ブルックスである。ブルックスはB−29の後尾銃手だったことがあり、物体群が最新式飛行機であるという説を否定した最初の人である。「あまりにも機動性がありすぎた」と言う。別なガレージ使用人のジョン・ブルームフィールドの言うところによれば、物体群はジェット機の約10倍の速度で飛び、ときには直角のターンをやったという。「互いに衝突しそうになったこともある。最後の瞬間に1機は直角で急上昇し、他の1機は直角で急降下した」と言った。

「地上から見るとそれらは食事用の皿ぐらいの大きさに見えたよ」 と、もう1人の使用人マーロー・ウエツブが言う。「縦になったり、あらゆる角度で飛んでいたな。だからそれらが皿型だったことが容易にわかったんだ」 飛行雲を吐いているのを見た者はいないし、エンジンの音を聞いた者もいない。全体的には町中がこの現象を冷静に受けとめていた。2、3の特殊な報告を除いては、空軍特有の3種類の宣伝文句−幻覚、大衆ヒステリー、インチキーの形跡もなかった。この物体群が別な惑星から来たものか、それともアメリカ製の新型航空機なのかについては、町の意見が分かれた。

午前11時15分には最多数の円盤群が出現したという報告がファーミントン・タイムズにはいったが、11時30分にはすべて消えてしまった。11時35分には近くのラスベガスで円盤群を見たという報告が出た。12名の郵便局員が正午まで飛んでいた1機の円盤を目撃し、海軍予備役中尉の局員ロバート・ヒルガーズは、その物体がすごく高く飛んでいたと述べた。20マイルはあったろうという。ラスベガス・デイリー・オプティックは8段抜き大見出しでファーミントン事件の記事を掲げた。

こうした物体はタコ、気球、光の反射、近くのアラマゴルドの原爆実験による破片、渦巻き、暗示感応、幻覚、蜃気楼、戦争ボケなどによるものだという空軍のあらゆるごまかしも、このファーミントン事件にはあてはまらなかったようだ。町全体が幻を見るはずがないのだ。

ところがいつのまにかこのファーミントンの小さな騒ぎはバカでかい話になってしまっていた。というのはこれが1948年の春に起こった円盤着陸騒動と大体に同じ方面にあったからだ。この年の春にデンバー大学の講演者の同僚がニューメキシコへ飛ぶようにと緊急の要請を受けたのである。この同僚(私はこの人をジー博士≠ニ呼ぶことにしよう) は政府の極秘防衛計画に7年間参画しており、陸海空に関して1700人の科学者を含む3万5千回の実験に役割を果たしていた。彼はまだそれに関係していたが、仕事にはかなりうんざりしていた。政府の給料が安いからだ。

しかし今度はスリルを感じていやにはならなかった。デンバーから目的地へ飛ぶのに3時間しか必要としない。現地へ行ってから、見たところかすり傷もなく、そっと地面に着陸したかのような1機の円盤を見たが、これがこの地球上に最初に着陸した円盤と思われるものであった!

 その後まもなく私はこの事を最初はあのデンバー大学の講演者から、次にジー博士自身の口から聞いたのである。

「そんなことは全然信じられませんな。だがもっとくわしく話して下さいよ。どんな物体でした? どこで見つかったのですか?」

その科学者は話してくれたが、更に他の多くの事柄も話したので、私はその町の名前を忘れてしまった。彼はオレゴン州とモハトベ砂漠の地磁気の断層について説明し、円盤のパイロットたちがそれに関心を持っていたらしいと語り、この関心が円盤の推進力と何かの関係があるかどうかを調べているところだと言う。円盤パイロットたちは地球人の知らないような飛行の秘密をすでにマスターしているのではないかとも言う。

私は数カ月聞この話を秘密にしたが、円盤問題をよく知らない連中が円盤についてあちこちで話し始めるや、今が世間に洩らすシオ時だと思った。新聞で読んだ以上にくわしい真相を私が知っているという証拠はないのだ。

デンバー・ポスト紙が科学者]氏のことを報道し、ファーミントンの市民たちがハッシュハッシュ作戦のことを話していた夜、私はデンバー中の人が探していたあの人″と一緒にハリウッドで食事していた。相手はちょうど長距離電話でデンバーのジョージ・キーラーと話し終わったところであった。キーラーは彼のために働いており、彼の姪と結嬉していた。ファーミントンの円盤出現事件の報道はデンバーをわかせているとキーラーが伝えたと言う。

「君に話したことをおばえているかね?」と]氏は受話機をおいてから話す。「最初の空飛ぶ円盤がアズテクから21キロの牧場で発見されたということをー」

私は忘れていたが、思い出した。「ええ、思い出しました」「ファーミントンはその牧場から38キロしかない。彼らは(あの円盤の大群は)1年前に仲間の1機が落ちた場所の上空を飛んだのだ」「なぜその地域の偵察を続けるのでしょう? 故郷へ帰りそこなった円盤に対する弔いなのでしょうか、それとも円盤を墜落させた特殊な地磁気の断層を克服したことを示すためでしょうか?」と私は尋ねた。

「そのことはデンバー大学の私の講演の中で話したよ。君は注意を払わなかったのかね?」

第二章 その科学者は何を言ったか/円盤は実在する

「教会に近づくほど神からは遠くなる」 ということわざは、あまり深く考えて言ったものではないだろうが(でなかったら、修道僧たちの信仰の深いことなど説明がつかないだろう)、それにしても、遠くの岡の上に住む世捨て人のほうが隣りの人よりもあなたの家の内部がよく見えるということはあるだろう。科学者]氏がデンバー大学の学生たちに何を話したかをもっとも正確に伝えたのがデンバーの新聞ではなかったことも、右のような理由によるものだろう。報道賞はサマーサイド・ジャーナル紙に与えられるべきである。これは、カナダのニュー・ファウンドランドとセント・ローレンス河口のニュー・フランスウィックの中間にあるプリンス・エドワード島に本社のある、あまり大きくない新聞社である。

この新聞がデンバー駐在員からその記事を入手したのであることは、ほほ間違いないが、講演の内容はまことによくまとめてあり、3月の午後に何が起こったかを読者に理解させるにはこの上ない読物となっていた。

講演の紹介記事が常にその内容を充分に読者に伝えているとは限らない。その理由は、人が話をするとき本人は第1に聴衆の耳に訴えるのであるということだ。文章を書く人は読者の目に訴えるのである。だから、ニューヨーク・タイムズがよくやる講演の全文報道が、必ずしも真実をあます所なく伝えているとは限らない甲である。記事には、講演者が特に声を強くして話したことも、彼の身振りも、(この場合は) 黒板にチョークで彼が画いたスケッチもふくまれていないのだから。

この謎の講演者がデンバー大学で提起した問題は、根本的には次の3つである。

(1)制空飛ぶ円盤が実在することを科学は本当に認めたのか。
(2)円盤は何で出来ているのか。
(3)彼らはどこから来るのか。

講師は円盤が地球で建造されたものと考えているのかどうかは、聴衆も知りたいところだろう。また逆に他の惑星から来るのであれば、どの星か? 円盤には操縦者が乗っているのだろうか? もし乗っているとすれば、その外観、背の高さ、皮膚の色、年齢、身につけている衣服、その他調査の対象になりそうな点はどうだろう? 彼らの航空力学に関する知識がわれわれのそれよりはるかに深いものではないかということも当然問題となるだろう。

たった50分間の講演でこれらの問題を充分に説明することは、どんな科学者にも無理な話だろう。円盤の実在を信じる組と信じない組の2派にすでにわかれている聴衆をさらにこまかく分けるのがせいぜいといったところである。この人は知識人ですぐれた人物であり、科学者であると同時に資産家でもありそうだという一般の印象を立証するような話をしながら、途中でちょっとした情報をも洩らしてくれることもあるだろう。

それはさておき、円盤は実在する、というのが彼の話である。そのうえ、空軍はプロジェクト・ソーサーを解散したと発表しながら、実際は解散どころか、おそらく名称を変えていっそう強力に調査を続行している、とも話した。円盤のうち4機はこの地球に実際に着陸した、とも語ったのである。

この4機のうち3機は捕獲され、現在彼と共に地球物理学の研究を行なっている人々の手によって調査された、と彼はつけ加えた。3機の円盤が発見されたとき、その内部には、身長90センチから1メートルばかりの乗員が34名、死亡して横たわっていた。

地球にはじめて着陸した円盤は、この講演に先立つことわずかに2年足らず前、デンバーから5百マイルも離れていない地点に£陸したのである。

空飛ぶ円盤は地球上のどこかの地点からやって来るとはとても思えないが、さりとて、どこから来るのかという疑問はまだ解決されてはいない。金星からという線が非常に強いと彼はつけ加えたが、同時に、これは依然として大きな疑問のままであることも強調した。

円盤に使用された金属を研究した結果、地球上では未知の2種類の金属が発見されたと彼は言う。このことから彼もその同僚の科学者たちも円盤が米国やその対抗国で建造されたものではないという確信を深めたのである。

最初の宇宙船の内部からは、磁力線を測定するのではないかと思われる計器が発見された。これらの計器こそは、彼とその仲間たちが、解決のあかつきには円盤の推進力という問題はすべて解決されると信じ、今なお研究を続けている或るものへの手がかりとなるものだった。光速度飛行の可能なこのような宇宙船なら、最も接近したときでも地球から161、000、000マイルもはなれた金星でも1時間足らずで往復できる、と彼は言った。

政府は関心を持っている。

サマーサイド・ジャーナル紙の記者によれば、講演者は前置きの中でも自己紹介はしなかった。彼の話はよくねれており充分に整理されたもので、その話し方も頭のにぶい学生さえ理解し、ノートを取ることができるくらいゆっくりとしていた。

記者が気づくほどの特に変わったなまりも言葉使いもなかった。講師は科学用語を駆使して、いかにも種々の科学に精通しているらしい話し方をした。宇宙船に関して行なった実験の話をするときには、われわれ≠ニいう言葉をさかんに繰り返したが、特にどの実験に関係したという話はしなかった。政府は今でこそ空飛ぶ円盤などに関心はないと公式に言明しているが美際は充分関心を持っているのであって、そのことは遠からず明らかになるだろうと彼は語った。最初に着陸した円盤の直径は30メートルで船室の高さは1・8メートルであった。2番機の直径は21メートル、3番機は11メートルである。これらの数字は(インチ、フットにすれば) すべて9で割切れるが、このことは彼らが地球の度量法を使用したことを示しているのかもしれない。

彼の説明によると、円盤の周囲には回転する金属環があり、その中心に船室がある。静止した船室と円盤とは歯車で連結されているが、その歯車比は地球では知られていない数値だったし、潤滑装置はいっさいない。太陽系の惑星をとりまく磁力線を利用して飛行するのではなかろうかと彼は考えている。

宇宙人34人は死んでいた。

1番機の外観から見て、この機体はいかなる方向にでも飛行できるらしいと研究者たちは推定した。ヘリコプターではないが、どこへでも着陸できる。最も小さい機体には、着陸装置として、どの方向にでも回転する金属球が3個、まるで3輪車のようについていた。

磁力線を利用して飛行するのではないかという説を受け入れるなら、これらの円盤は大気中でもほとんど無限に近い高速ーすくなくとも秒速186、000マイルーで航行できるし、重力や風による抵抗のない場所ならどのくらい速く飛べるか見当もつかないと彼は語る。

1番機からは、16名の乗員の死体が発見された。その年齢は、地球ふうに計算して、若そうな乗員が35歳、最年長者が40歳くらいと推定された。死体はみな黒褐色に焦げていた。

2番機からも16名の死者が発見された。しかし彼らには明らかに焼け焦げはなく、皮膚の色はみな白人と同様だった。他の点では1番機の宙飛行士たちと同じで−背はやはり低かった。身長以外はわれわれと異なった点は全くないし、ヒゲものばしてはいなかったが、ある者には桃の実のようなきめのこまかいうぶ毛が生えていた。

3番機にも乗員がいたが、やはり死亡していた。これは直径11メートルの小型機で、乗員はわずかに2名である。着陸したときには2名ともまだ生きていた、というのは、2人は船室から脱出しようとして死んでいたからである。

乗員は死亡したが、これらの宇宙船はすべて自己の計器に頼って着陸したのであり、墜落したのではないと研究関係者は信じている。計器飛行で着陸したのかもしれないし、全行程を遠隔操縦されて飛んできたのかもしれない。しかし何らかの故障らしい点が発見されたのは1機だけだし、決して墜落はしなかった。

構造は、地球上で建造された乗物とは全くちがう。どの機体にも、ビョウもボルトもネジも使用されていない。飛行制御盤には押ボタンがズラリとならんでいる。外皮はアルミニウムのような金属で出来ているけれども、きわめて固いもので、加熱してもビクともしなかった。

たぶん磁力線を利用して航行するのだろうが、これらの宇宙船の設計者たちは、たがいに反撥する金星(正の電荷をもつ) と地球(やはり正の電荷をもつ) の間を安全に航行するという問題を解決したものと思われる、という以外には、推進法に関する説明はなかった。

船内には武器らしいものはなかった。講師の話では、彼らは自分たちを追跡したりおびやかしたりする物体を分解させる方法を知っていたものと思われる。

講師は船内に積載されていた水と食糧についてはくわしく説明した。1機には休息・睡眠のための設備があった。壁にかこまれた造りつけの寝台で、ドアを閉じると見えなくなるし、開いたときはカーテンのかげにうまくかくれるようになっていた。

講演の終わり近く、彼は4機目の円盤の話にふれた。彼の研究グループが政府の実験場の近くで偶然見つけたものである。発見されたとき、乗員の姿は見えなかった。 科学者たちはカメラや測定器具をとりに車までもどったが、ふたたび宇宙船に近づくと、数人の小人が円盤にかけこみ、機はまるでまぼろしのように消えさってしまった。

講演者は円盤が研究のため分解された後どうなったかについては全然ふれなかったし、3機の円盤で発見された34体の死体の行方についても手がかりとなりそうな話はしなかった。「彼はただ『円盤は実在します』 と述べただけであった」 と、サマーサイド・ジャーナル紙の記者は詰を結んでいる。

どこかで盗み聞きをしていたかもしれない空軍のスパイのために講師は、宇宙船は真珠湾上空を乱舞した日本機(これだって空軍当局は実際に目撃してはいないのだ) と同じように実在するのだ、とつけ加えてもよかったのだが、彼はそこまではしなかった。

円盤の構造は『9の組織?』 

サマーサイド・ジャーナル紙のこの講演要約記事と実際の講演全文とを比較すると、記者は大成功をおさめたといわなければなるまい。講演者は言及したが記者が省略した個所もある。たとえば、磁力の父ウィリアム・ギルバート(1544−1603)、ニューメキシコ州アラマゴルドで原子力時代の暮が開いた1945年7月16日、マックス・ブランクがベルリン大学の教授をしていた1903年に発展させた学説などの、科学史上の画期的な事件がそうだ。しかしそれらは講演の重要部分ではない。これらの出来事を円盤の時代に結びつけることは、講師の前置きの一部だったのである。

講演者は黒板に4種の図を描いた。1つは円盤の建造に使用されたと思われる9の組織≠ナある。他の2つは、円盤の側面図と平面図だった。全体の直径は99・99フィート、船室の直径は18フィート、外縁の上部には操縦者が周囲を見るための隙間があった。外観は、オレゴン州マタミンヴィルのポール・トレントが撮影してライフの1950年6月26日号に発表された写真によく似ていた。4番目の図は、太陽から発する磁力線がどんなふうに各惑星 − 特に地球と金星 − を結んでいるかを示すものだった。

この講演が大変な騒ぎをひきおこしたので、チョークで描かれたこれらの解説図はラッカーをかけて保存されることになった。ラッカーが除去されていないなら、今でも残っているはずである。

記者は、宇宙船には見たところドアも出入口もなかったということを書き忘れている。しかし、丸窓はたしかにあった。1個は破損していて鉛筆ほどの大きさの穴があいていた。この穴からガスか空気かが激しい勢いで噴出したため、内部の16人は黒褐色に焼け焦げてしまったのであろう。

乗員たちは身長こそ1メートルくらいしかなかったが、決して一寸法師ではなかった。このことは講演者が原稿の中でも私の家での雑談の中でも特に強調した点である。彼らの歯に虫歯はなかったし、充填物も見られなかった。1種の制服を着ていたが、衿にも帽子にも記章のようなものはついていなかった。

計器のなかには、科学者たちが時計だろうと判断したものが2、3個あった。この計器が1回転するには29日を要した。このことが、円盤の推進法と磁力との間に何か関係がありそうだと推定する最初の手がかりとなった。というわけは、磁気日は23時間58分であり、磁 気月は29日であるからである。

マンテル大尉に何がおこったのか?

もう1つ、記者が書き落としたことがある。これは重要な問題だった。トーマス・F・マンテル大尉に何が起こったのかという説明である。この事件は色々あれこれと議論の種になってきたが、マンテル大尉とその愛機にいったい何が起こったのか、納得できそうな説明をした人はだれもいなかったのである。

1948年1月7日、ケンタッキー州フォート・ノックスのゴッドマン空軍基地の上空に正体不明の物体が出現して、軍・市民の両方に目撃者があったという点では、すべての報告一1致している。ゴッドマン基地の管制塔では、付近を飛行中の州航空隊のF51、4機にこの物体の調査を命じた。そのうちの3機がまず接近して、金属製で途方もない大きさだと報告してきた。操縦士の1人は涙のしずくのように丸くて液体のようだ≠ニ語った。

マンテル大尉はゴッドマン管制塔に、物体は彼の機の半分くらいの速度で前上方を飛行していると報告してきた。「もっとよく見えるように接近中」と彼は送信した。「前方を本機の半分の速度で飛行している。金属製らしくてすごい大きさだ。本機と同じ速度で上昇を開始。時速360マイル…‥21万フィートまで上昇しても接近できないようなら、追跡をあきらめます」

マンテル大尉がゴッドマン管制塔と交信したのはこれが最後だった。 1948年1月7日午後3時15分のことでかる。

マンテル機の姿が編隊から消えて5分後、残った2機はゴッドマン飛行場にもどってきた。その1機は燃料を補給して酸素を積み込むとふたたび付近百マイル4方を飛びまわり、3万フィートまで上昇したが、何も発見できなかった。 その日もおそくなってマンテルの遺体は、フォート・ノックス近くで愛機の残骸の中から発見された。

これが空軍当局の公式見解である。その発表によれば、マンテル大尉は高度2万フィートでたぶん酸素不足のため失神したものであり、彼が追跡して死をまねいた正体不明の物体は、金星であった、というのだ。

「しかしながら」とその発表は続く。「その後の調査によると、金星と当該物体の高度と方位が時間的に一致しないことが明らかになった」

実際のところこの物体は今だに正体不明≠ニ考えられているし、知りうる限りでは現在まで空軍から解決したという発表はない。

マンテル大尉の悲劇の真相

だが、デンバー大学の講演者はこの問題に多くの人が満足するような解決を与えたのである。彼はまず、彼のグループのメンバーは1942年以来政府の研究に従事していることを説明して、聴衆を納得させた。

すくなくとも1700名の科学者が極秘の計画に関係している。彼らはこの5年間共同研究を続け、磁気に関しては全世界が過去数百年間に知りえたよりももっと多くのことを発表したのである。

彼らが到達した結論は、万物が現在の外形をもつようになったのは磁力線のためであるというのだ。1平方センチあたり1257本の磁力線が存在する、と彼は語った。地球のある地域には磁力の極端に弱い地点がある。ハッテラス岬の周囲では潮が永遠に引き続けているのと同じように、ここでは噴出が起こっているのである。オレゴン州とニューメキシコ州の周辺ではこのような磁気の欠険した地域があることがわかっている。

もし円盤がこれらの磁力波にそって飛行し、われわれと同様(いやわれわれよりはるか以上に) 磁気を制御する方法を心得ているとすれば、そのような変動のある地域に彼らが関心を示すということは当然ありうるだろう。原爆実験もかなり磁力波を乱したにちがいないし、それが彼らの計器に探知されないはずはないのである。

彼らがホワイト・サンズ実験場などの上空にしばしば姿をあらわすのは、たぶんそのためだろう。そして、ワイオミング州、コロラド州、アリゾナ州、ニューメキシコ州、それにテキサス州などでは空気がどこよりも澄んでいるので、地上から目撃される機会も多いわけである。

彼によれば、訓練された目撃者さえ自分の眼を疑うあの魔法のような離れわざは決して魔法でも何でもないのである。飛行中の宇宙船がやってのけたといわれるいろいろなこと、たとえば分裂したとか、しばらくの間空中に停止していたとかいうことは、実験室でも再現できる。マンテル機は、エンジンから翼端まで磁力により外形を保っているのだ。いや、マンテル大尉自身の肉体からしてそうなのである。だから、円盤がマンテル機を空中分解させるにはただ機体の磁気を消去してしまうだけで事足りた、と講師は説明した。

2本の磁力線が自然に交叉することはない。しいて、または思いがけなく交叉させられれば、分解と発火が起こる。そのような磁気の乱れを人工的に作りだすことができれば、地上の生物を1瞬のうちに消滅させることも可能である。

これが、マンテル機に何が起こったのかについての専門家の説明である。磁気を制御して飛行している円盤にとって、追跡してくる大尉は障害の種となりそうだった。ボタンをひと押し、それでマンテルと愛機は存在を停止したのである。

円盤の1つはトイレつき

その他講師が指摘したことで特に興味深いのは、円盤に積まれていた水は地上の飲料水のほとんど2倍の重量があったということである。これは2個の小さな容器に納められていたが、原爆製造第1号となるためナチがあれほどノールウェーから欲しがっていた重水とよく似たものだった。

明らかに食糧と思われる小さいウエハースのようなものがあったが、強く圧縮されていて、1ガロンの水でもどすとあふれるほどふくれあがった。飼料としてモルモットに与えたところ、丸々と肥ってよく育ったという。

外部から調べたところでは、船室はきわめてよく密封されており、前述の丸窓の穴がなかったら、科学者たちが船内に入るには何カ月もかかったことだろう。しかし、内部から見ると壁にはよく見えるノブがあって、そのノブの上にはもう1つ小さいノブがついていた。この小さいノブを押すとパックリとドアが開いた。だが、いったんドアがしまると、外部からは全く見分けがつかなかった。

船内で発見された2種類の物質が何であるかは今のところまだわからない。非常に強くて軽いが、1万度まで加熱しても熔けなかった。大人が12人その上に乗っても曲がらない。円盤は2人がかりなら1方の端を持ち上げることもできた。そのくらい軽いのである。

宇宙船の歯車を破壊するため150種以上の実験を試みたが不成功に終わった。この歯車はきわめて固いうえに、ギア比もわれわれが使っているスエーデン法とはちがう。3対5でなくて3対6であり、潤滑、熱による膨脹、遊び、摩滅などに対する余裕の空隙がない。講師の言葉にょると、ある円盤は、3万5千ドル相当のダイヤモンド・ドリルを使用したにもかかわらず、内部に入ろうとする努力を頑として受け付けようとしなかった。

72フィートのほうの宇宙船には寝室はおろか化粧室までついていたが、3番目の円盤にはそのどちらもなかった。後者には小人が2人、押しボタンばかりで操作される制御盤の前の折りたたみシートにすわっていたらしい。発見きれたとき1人は船室から体を半分のりだし、他の1人はすわったまま頭をガックリとたれていて、2人とも死んでいた。

3個の着陸装置をそなえていたのはこの小型機である。移動には車輪でなく、鋼鉄製のように見える球を使用する。全部の球が同じ方向に回転していれば、何人かかっても円盤をかたむけることはできない。しかし、鋼鉄球が静止しているときは、子供でも機をかたむけることができる。このことからも研究者たちは、磁力の法則が何らかの関係ありという確信を深めた。講演者の推測では、この複座機はおそらく新型で、彼らの故郷からの往復飛行をした経験に基づいて建造されたものであり、寝室も化粧室もついていないのは地上の自動車同様、必要がなかったからであろうという。

なるほど1時間で金星・地球間を往復できる円盤に、寝袋は必要ないにちがいない。

彼ら、の上衣にボタンを縫いつけた糸も調査されたが、この糸を切断するには450ポンドの重量を要した、と講師は語った。

以上が講演者の話である。ジー博士自身による物語はあとでご紹介する。しかし、私にも話したいことがあるし、私のあとは空軍にも登場してもらうことにする。公聴会が開かれるのは空軍の法廷だからである。

>>Part3へ続く

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