ホーム ライブラリー レターズ ピクチャーズ ufo 掲示板 お問い合わせ リンク

GA Site -UFO Contactee-

articles

過去更新記事

 ├ 2009年度
 ├ 2008年度
 ├ 2007年度
 ├ 2006年度
 ├ 2005年度
 ├ 2004年度
 ├ 2003年度

最新更新記事

サイト内検索



GA Site内を

新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
ジョージ・アダムスキーの思い出 デスモンド・レスリー

日本GAPニューズレター 第53号 より

円盤騒ぎ起こってから12年になる今日(この記事は1965年に書かれた)、いまだに議論の的になる人物がただ一人いる。

どう見てもこれほどの"関心""激しい怒り""徹底的な支持""憎悪"などをひき起こしたコンタクティーは他にいない。

▲1954年の夏、パロマー・ガーデンズを訪れたデスモンド・レスリー(左)とアダムスキー。

しかしこの事はたぶん大衆にとって益となっているはずである。とにかく大衆に何かを考えさせたのだから!

この驚くべき人間と12年にわたる親しい交際を続けた今でも私は1954年にカリフォルニアで彼と最初に会ったとき以上にさほど利口になっていない。私とジョージの共著の書物が浮世の人間どもを仰天させてから1年後である。彼は間違いなく次の3つのうちの1つとして後世に残るだろう。

1.古今未曽有の大ホラ吹き。
2.最も風変りなバカ。
3.ユリヤ以来の最大の重要な人物の1人(注:エリヤは旧約聖書の『列王記』に出てくる紀元前9世紀のヘブライの大予言者)。

ジョージは激しい人である。たて続けに数時間も話すので、彼のいっていることは事実なのだろうと思うようになる。するとまたたきもしないで彼はきわめて激しい、がまんのならないようなことをいい出すので、聞き手はそんなことまでいわなくてもよいのにと思う。そして彼に失望して去って行く。するとたぶん数週間、または数日、数カ月たってから彼のいったことは真実なのだという確信をもつようになる。

例をあげよう。教皇ヨハネ23世が死ぬ1,2日前に彼はローマからロンドンに到着した。私は空港で彼を迎えた。その日は聖霊降臨祭の前日の土曜日であったと思う。そこからまっすぐにステインズにある私の小型巡遊船へ車で案内した。その船で一族の数名め者が週末をすごしていたのである。彼はうれしそうで、旅行について一切を私たちに話してくれた。すると何かのはずみで例の黄金のメダルの話が出たので、ついにジョージは語り始めた(注:アダムスキーがローマ教皇から与えられたといういわくつきのもの)。

「これは黄金のメダルで、私以外のだれもこれをもらうことはできないのだ」といって、表面に教皇ヨハネ23世の肖像を彫り込んだきわめて優美な小型の黄金のメダルを取り出した。後に私が調べたところによると、それまでだれにも譲り渡されたことのないメダルである。

「どのようにしてそれを入手したのか?」と尋ねると「教皇が昨日私にくれたのだ」と答えた。当時教皇は死にかかっていて、長いあいだだれにも会っていないことを知っていた私は、むしろジョージと対立した。、そこで彼はそのときの様子を語り続けた。

バチカン宮殿内のナゾ

彼は宇宙人の指示に従ってバチカン宮殿へ到着し、すぐに中へ案内され、法衣を与えられて教皇のマクラもとへ導かれた。その場で彼は宇宙人から渡されていた密封した包み物を教皇に手渡した。受け取った教皇の顔は明るく輝き、「これこそ私が待ち望んでいた物だ」といった。ついで教皇はこのきわめて特殊なメダルを与え、謁見は終わった。

さて、ジョージをバチカンへつれて行ったのはルウ・チンシュクーク女史、あの信頼できるルウであった(注:スイスGAPリーダーで、ヨーロッパの女流円盤研究家として有名な人。英、独、仏、伊の各国語に熟達したルウがこのとき通訳としてアダムスキーに同行した)。それで私は彼女に照会してみたのである。その返事によると、2人はバチカン宮殿へ行ったが、私用出入ロへ近づいたとき、首に紫色の布をつけた一人の男が現われた。ジョージは叫んだ。「あの人だ!」これに迎えられて中へ導かれた。

▲ヨハネ23世がアダムスキーに与えたという黄金のメダル。上が表、下は裏。

20〜30分してからジョージは1952年に砂漠で行なわれたコンタクトの直後に目撃者たちが述べているのと同様の興奮と狂喜の状態でふたたび姿を現わした。彼はすっかり有頂天になっていて、ア然としているルウに告げた。「彼に会った!彼に会った!」

彼が謁見の模様をルウに話した程度の内容は私も聞いている。まさかただのひやかしでバチカン宮殿へはいり込み、高位の人に迎えられるとはルウにも考えられぬという。彼は宮殿内にいるあいだにたしかにすばらしい体験をもったのである。(注:この点については大体同じ内容の書簡をルウが編者宛によこしたことがあるし、フライイソグ・ソーサー・レビュー誌にも発表した。)

後に私が大修道院長に例のメダルについて話したら、院長はおったまげて、そんなものは最も特殊な事情のある人でないと与えられるはずはなく、自分の知る限りではそれをもらった人はまだいないという。私の大きな疑惑にもかかわらず、どうやらジョージはヨハネ23世の死の2日前に会ったらしい。そして教皇に封をした包みを渡したようである。

その包みの中に何がはいっていたのかと尋ねたら、自分は知らないと彼は答えた。それはヨーロッパへ出発する前にスペース・ブラザーズから与えられたもので、「教皇にそれを渡しなさい。そのためのあらゆる手配はバチカン宮殿内でととのえられるはずだ」と申し渡されたという。どうもブラザーズは他のあらゆる場所と同様、この宮殿内にも"第五列"(注:スペイン内乱で活動したフランコ将軍側のスパイ部隊。ここでは冗談でいったもの)を潜入させているらしい!

ジョージの話によると、その包みの中には公会議に対する指示と助言がはいっていたのではないかという。後のその会議の議題、すなわちキリスト教徒の統合、ユダヤ人憎悪の解消、その他教会の維持に必要な常識的な処置を考えてみると、その包みには実際には次のような文句が書かれたメッセージがはいっていたものと思われみ。「それをやり通せ。さもなければ去れ」これはもっとていねいな言葉で述べてあったのだろうが。

アダムスキーの欠点?

以上はいかにもジョージらしい。だれかが、これ以上もはや彼の話を信ずることはできないと決めると、彼は後になって結局は支持されるような話をもち出してせまってくる。

私はまた1954年に彼と一緒にいたときを思い出す。そのとき彼はバンアレン帯(注:当時は未発見)について残らず話してくれた。地球の表面から数千マイル離れた彼方にある輝くはん点である。その後この帯のうち2つ は発見された。3番目は末発見だが、宇宙飛行士が月にむかって出発したときに発見されるだろう。

ジョージの欠点の一つは、報告の仕方がきわめて下手だということである。彼は目で見たままの記憶をもたないし、物事や場所の記述はかなり混乱している。これについては、かつて私と彼がいっしょに旅行したときの模様を彼が第三者に話して聞かせる際に調べたことがある。どうやら大きさ、日時、形色などは彼にさほどの印象を与えないらしい。ゆえに、たしかに彼の円盤旅行の体験記には遺憾な点が多い。だからといって彼の体験記が真実ではないというのでぽない。ただ彼は目で見える物を言葉で表現するのが困難なのだ。(注:一説によればアダムスキーは真相のすべてを公表できないために、体験談のときはかなりボカしながら話したといわれている)彼が本当に打ち込むと抽象的、満神文化的な話題がはるかに得意である。たぶん彼が真に打ち込んで語るのを聞いた人はいないだろう。それはまったく経験によって得たものである。講演の際は彼は神経質となり熱狂的となる。彼は疲れやすく、極度に精神力に頼ろうとする。しかし一人きりになってゆっくり休養するとまったく別人のようになる。声はより深く、より美しくなり、その内部で神なる"意識"が呼吸を始めたかのようにほとんど人格の転換が行なわれるのである。こうした瞬間こそ私にとっては忘れがたく銘記すべきときなのである。

ジョージは世界を豊かにする

ジョージについていえば、彼が出現したことは世界が豊かになることであり、彼が去れば世界が貧しくなると私は思う。驚くべき情報を伝えて人々の目を初めて実際に覚まさせたのは実に彼である。しかも彼は長い年月と批判のテストに耐えてきた。この地球と他の惑星の兄弟たちとの一体化が実現するとき、ジョージ・アダムスキーの名は敬愛と名誉とのなかに残るだろう。

個人的にいって私はジョージ・アダームスキーの友人であることを残念に思うことは決してないだろう。

円盤研究界のあらゆる人々のなかでジョージ・アダムスキーは唯一の最も議論の的になる人物として存在している。他の多数の人が惑星人とコンタクトしたと称し、それらが寛容でもって認められたり信じられたり、おもしろそうな軽べつの目で見られたりしてきたが、悪口、賞賛、驚嘆のアラシをひき起こすにはジョージはただ口を開きさえすればよかった。

アダムスキーの知られざる面

他の人と同じほどに私は彼についてよく知るようになったと思う。数度彼とともにすごして一般にはほとんど知られていない隠れた面を発見した。話好きで、はでな、むしろ荒っぽい外面の奥には偉大な人問性がひそんでいたのである。彼の性質のなかにある或る種の気まぐれ性はこの偉大さを隠すのにしばしば骨折ったし、むしろ真実の彼よりもはるかに浅薄な人間という一般向けの顔を見せていた。

彼はいかなる人物であったのか?

たしかに尋常な人間ではない。肉体的にはポーランド人で、少しばかりジプシーの血が流れていたと思う。きわめて強健で、男ぶりがよく、燃えるような黒い目をもっている。精神的には一個人どころではなかった。公開講演を行なう際のジョージを私は最もきらった。彼は聴衆の前では話が下手だった。神経質で、混乱して、一挙に多くを語ろうとした。彼にとって群集は魅惑的だったが、しかしそれを恐れた。演壇にいる彼しか見ない人は失望して去って行ったにちがいない。

すると今度はくつろいだ気ままなジョージが出現する。こぎれいな顔のわりにするどい目をして、はたの澄まし屋をギョッとさせては茶目な喜びにひたったりする世間なみの飲み手のジョージである。

最後には別なジョージが出現する。美しい表情の、賢明な、親切な、自己の任務の重要さを深く認識したジョージである。このときのジョージの中に"主″が現われるのを私は数度ちらりと見た。その後ふたたびカーテンがおろされて浮世の容ぼうが彼をおおい隠すのをいつも残念に思った。

なぜ彼は選ばれたか

私はしばしば彼が円盤問題の主役として選抜されねばならなかった理由を考えてみた。彼は自分が教えを伝えるためのカルミックな(宿命的な)理由によって別な惑星から生まれかわってきたのだとみずから信じていた。この考えはまったく妥当であると思う。彼はまた世界の偉人たちも惑星人とコンタクトし、同じ使命を与えられたのだけれども、種々の個人的理由によってそれをこばんだか、またはうまくゆかなかったのだと考えていた。

その選ばれた人々がとても出席できないと弁明したあとで王の宴会に招待された"ちんば、びっこ、めくら″として自分をみなしていた。彼は自分を一本の折れたアシ(注=植物)と感じていたが、ああ、しかしこれは喜んで"彼ら(プラザーズ)″の調べを歌おうとした唯一のアシである。それゆえ全力をつくし、立派な英語を書いたり話したりするカのないことや、講演の困難さ、彼の本来の人となりのままにあろうとすることの生来の困難さなどにかかわらず、精いっぱいにメッセージを伝えようとして非難や悪口にも属することはなかったのである。

これはまことにもっともなことと思われる。惑星人の側で賢明な処置がとられたにしてもだ。1人の偉大な尊敬にあたいする人物を選び出してそれを認めることはだれしも容易であろうが、落第して狂人のラク印を押されるかもしれないような人物が選出されるならば、本人がその妥当性を認めるめはきわめて困難であろう。ふたたびいうと、ジョージ・アダムスキーの中にはこの地球のあらゆる徳性と欠点とが存在していた。それゆえ人は彼の中に自己の姿を認めることができようし、もっと個人的な基盤から判断することもできるだろう。

彼の体験の主張の妥当性を評価することは依然として困難である。個人的には私は彼の円盤写真や初期のコンタクトなどはまぎれもなく真実であり、いつか後続の事件類によって証明されるものと思い、心から満足している。彼の主張のなかには容易に信じられないものがあるにはある。しかし人が彼を夢想家としてかたづけることにしたとすると、彼の主張に正当さを与えようとして何かが現われてくる。

遠隔操縦円盤が出現

私がパロマーですごしていた日々の夜の二度の機会を思い出す。私は小さな黄金色の遠隔操縦円盤が急速に離れて行くのを見たのだ。2度目のときは日没後まもなく内庭で話し合っていたのだが、そのとき私はだれかから観察されているという強烈な感じが起こってきた。あたりを見まわしたとたん、折りしも一個の小さな黄金色の円盤がせいぜい50フィート彼方を光の尾をひきながら矢のように上昇するのが見えた。ジョージは笑った。私はいった。「しめた。この20分間われわれはワイ談はやらなかったぞ」   

彼は私をコンタクトにつれて行くことを拒絶した。当時それは私をいらいらさせたが、後になって、そのような体験をもつのに私の精神状態は適していなかったことに気づいた。もし私が円盤に乗ったとしても、きわめてすぐれたコンタクティーになり得たかどうかは疑わしいのである。私のエゴはししきりに自分を高慢にしたがるからだ。真実のコンタクトをした人々は妙な方向にそれてしまった。新しい宗教を始めたり、実際惑星人が望んでいないことを数々とやっている。私もその例に洩れなかったことだろう。

驚くべきパースマーク

 ジョージについて私が好きだったことは、彼がこの上なく徹底していたことである。彼は高慢さや、悪口、心身の過労、その他多くの物事にまったく無とん着であったと思う。それどころか信奉者のあいだで紛争が生じても、あのような壮大華麗な計画のなかにあっていつも大いなる謙虚さと自身の"とるにたらぬ存在″感とをもっていた。

こんなことを述べても彼は私をとがめはしないだろう。彼はすばらしかった肉体を脱ぎ捨てたからだ。かつて彼は私に最も驚くべきバースマーークを見せてペれたことがある(注=パース・マーク出世時から肉体に印されている特殊なアザまたは痕跡)。それは彼のへソだった。これこそ普通人のへソとはまるで異なるものであった。それは太陽の形をした巨大な円盤型で、周囲に深く刻まれた光線状のスジを放ち、各スジが15センチもあって腰やマタのあたりまで伸びていた。これが何を意味するのか私にはわからない。まさしく"太陽の子″のシルシだったのではないだろうか。

彼と知り合った人はだれも彼を心から敬愛するようになった。私と彼との最初の出合いは奇妙なものであった。2 人の共著「空飛ぶ円盤実見記」の内、私が書いた部分はどの出版社からも刊行を拒絶されていた。その当時発生したジョージの砂漠における金星人との最初のコンタクトについて一週問後に私は友人から開いたのである(注=この友人とは超心理研究家のミード・レイン博士)。

そこでただちにジョージ宛に手紙を出して、彼が撮影した円盤写真を見せてもらいたいこと、できれば私の円盤の著書に載せるためにそれを買いたいことなどを知らせてやった。すると彼は一組の円盤写真を送ってくれて、金はいらないからそれを使用してよろしいという返事を添えてよこしたのである。

「何という並はずれた人間だろう」と私は思った。最大の価値ある写真を撮りながら金を要求しないのだ。後になって原稿を送ってくれて、出版社はいずれ見つかるだろうと謙虚に書きそえてあった。その頃までには親しかったウェイヴニー・ガーヴァン(注=元英国GAPリーダーで、後に「フライイング・ソーサー・レビュー」誌の編集顧問となり、他界した)が私の原稿を認めてくれていて、もしこちらでジョージの写真や体験の大要を私の原稿中に利用しただけなら彼の原稿が生きないことになるだろうと心配していた。そして十分に吟味してから、共著にしてはどうかとすすめてきた。そこでそのことをジョージに通知したのだが、彼はこちらの手紙をまだ受け取らないのに打電してきた。

「共著でよろし」ここで実にテレパシーが働いたのである! こうして急速に関係が深まってきた。その後直接彼に会ったとき、まるで過去世において非常に親しかったかのように私たち二人は昔なじみの友達になっていた。彼の忠実な友で秘書のアリス・ウェルズも驚くべき婦人であった。彼女には別段何も尋ねる必要はなかった。本人がちゃんと心得ていたからだ。こちらの想念をキャッチして事前に回答してくれたのである。

宇宙人ジョージはまたやってくる

かつてこの地球上で生きたことのある多数の発達した人々が、この苦難の時代に地球を援助するために円盤や生まれかわりなどによって地球へ帰って来つつあるとジョージはいっていた。ジョージもその人々の一人として、自称インテリや生意気な奴らや物知り顔をしたがる人間どもを狼狽させるために選ばれたということはまず間違いあるまい。これはちょうど、理性の力がまさって自身の精神という通路をふさいでしまった人々よりも、過去の偉大な予言者たちがきわめて純粋で謙虚な出生をしたがために真理を伝えるのによき乗物となったのと同様である。

われわれはジョージの逝去を惜しむ。心から惜しむのであるが、しかし私は彼の他界を悲しみはしない。彼は仕事に全力をつくした。世界は彼の他界によって変化するだろう。彼の出現は世界が豊かになることであり、去って行けば貧しくなるのだ。しかし私は彼が、永遠に姿を消したのだとは信じない。別な惑星で生まれかわったならばふたたび地球へ帰ってきてわれわれとコンタクトするつもりだと彼は生前に約束していた。

ジョージ・アダムスキーに関してはまた何かが起こるだろう。いや、いつも起こっているのだ。

さらば、なつかしい宇宙人ジョージよ、安らかに行きたまえ−。

home artcles letters pictures ufo bbs お問い合わせ link