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 レユニオン島のコンタクトによる災難事件

UFOと宇宙哲学の研究誌 NewsLetter No.39 1969 より転載

きわめて重要な事件が、印度洋の英領モーリシャス島と仏領マダガスカル島のあいだにある仏領レユニオン島のラ・プレーヌ・デ・カーフル(カフラリア人の平原)という名で知られる平野で発生した。目撃の日時は1968年7月31日の午前9時である。
ゴードン・クレイトン

 目撃者のリュス・フォンテーヌ氏は31才、農夫で家族持ち。以下は彼の話である。

「私はその朝アカシアの森の真ん中の小さな開拓地でキロメーター21(測量地)の所にいて、かがみこんでウサギ用の草を取っていた。そのとき突然開拓地に一種の卵型物体を見た。私から25メートルの距離の所に地上から4〜5メートルの高さの空間に浮かんでいるかのようだった。両端は濃青色で、中央部は明るくて、プジョージ404型車の風よけガラスよりももっと透明だ。物体の上下には輝く金属ガラスのように光る脚が2本ついている。
▲リュス・フォンテーヌ氏が見た物体とスケッチ(編者模写)。

 物体の中央にはこちらへ背を向けて2人の人間がいたが、左側の人間がくるりと向き直ってこちらへ顔を向けた。その人問は立っていたが、小さくて身長は約90センチくらいで、顔から足の先までが電車の運転手が着る服のような一種の上下続きの服で包まれている。右側の人間はちょっと私の方へ顔を向けただけだが、それでも顔をチラリと見る余裕はあった。それは一種のヘルメットで部分的に覆われていた。

 すると2人は私に背を向けた。溶接機の孤光のような強烈な閃光が起こった。周囲のすべての物が白くなった。高熱が放たれ、続いていわば一陣の疾風が起こると、数秒後にはもう何もなかった。

 それから私は物体がいた地点へ接近したが何の跡もない。物体は直径4〜5メートルで、頂上から底部までは約2.5メートルある。青色を帯びて、上部と下部は白かった。

 私は、一部始終を妻に語り、続いて憲兵にも話したが、みなただちに私の話を信じてくれた」

 以上がフォンテーヌ氏の最初の証言である。翌日調査が始まった。そのとき彼は調査員たちにもっと正確に説明した。外観が卵型の物体に彼は顔を向けて直面したこと、アルミニウムのように輝いて上下が向き合っている2枚の白い皿のような物が見えたことなどである。

 意兵の調査はサンピエールのマルジャン隊長の手で行なわれ、市民保護係のルジュロ係長が放射能測定器を携行して現場へ行りた。

 驚異が待ち受けていた。彼らは疑似着陸の推定現場から5、6メートルの範囲内に或る程匿の放射能を発見したし、また事件の日にフォンテーヌ氏が着ていた衣服にもそれを発見したのだ。

 リュミエール・ダン・ラ・ニョイ(夜の光)誌の購読者で(注:この事件は最初同誌68年11月号に掲載された)、この事件の報告を親切にも送ってくれたレユニオン島の通信者によれは、フォンテーヌ氏の衣類は物体に面していた部分のみが放射能を帯びていたと本人が洩らしたという。

 ルジュロ係長によれば、草や小石等の8個所が放射能を帯びていることに彼らは注目した。そこでは6万分の1レントゲン線量を検出した。

 危険な汚染という見地からすれはこの数字は実際には極端に低い。救助者は25レントゲン線量に数秒間照射されることもあることが認められている。100レントゲンまでなら有機体に対する損傷は不可避ではないが、200では不可避となり、600では致死線量となる。

 だが調査者全員はこの放射能調査が、高地ばかりでなくこの熱帯地方にふる多量の雨が地面をすっかり洗い流してからの、10日後に行なわれたことを指摘してきた。ゆえに放射能レベルは調査の日よりもうんと高かったことだろう。

 それはともかくとして、放射能を帯びた草や小石などは目下、研究所にある。これらは疑惑の余地のない具休的な発見物である。

 この記事中のスケッチはフォンテーヌ氏との合作で、ジュルナル・ド・ジル・ド・ラ・レユニオン(レユニオン島新聞)の画家ジェ−ラール・ビエドノワールによって現場で描かれた絵の転載である。その記事はクロード・ユク氏によって書かれた。

 8月28日付の最初の報告を受け取ってから、われわれは右の新聞とそこにいる通信者とに連絡し、未知の放射線に照射された後の目撃者の運命に関するわれわれの関心を述べた。われわれはフランスのブラズイで起こった事件について述べて、市民保護係に知らせるように頼んだ。

 レユニオン島と隣りのモーリシャス島では別な目撃事件(複数)が発生している。8月18日に葉巻型物体がレユニオン島上空で見られたし、一方、モ島のキュアーパイプでは6月に宇宙船らしき物が飛ぶのが見られたが、それはフォンテーヌ氏の見た物に似ていたと伝えられている。

FSR誌編集者のあとがき
▲レユニオン島付近地図

 この車件の最初の大ざっばな新聞記事の掲載以来、種々の噂が流れた。リュス・フォンテーヌ氏は放射能の犠牲者になったはかりでなく、その結果がひどかったので本人はバリへ空輸された上、そこのキューリー財団へ入れられたというのだ。リュミエール・ダン・ラ・ニュイ誌68年11月号の"ストップ・プレス欄"は、同誌のレユニオン通信員によればこれは事実あったことだと述べている。しかしエーメ・ミッシェル(注:FSR賢誌のフランス人スタッフ)は、同通信員の情報は目撃者が照射されたということだと私に(チャールズ・ポウエンに)忠告した上、ミッシェルが行なっていた追跡調査の結果を待つあいだ極力用心せよと助言してきた。 これはリュミエール・ダン・ラ・ニュイ誌の記事が掲載される前である。

 われわれが今ミミッシェルから知ったのは、フォンテーヌ氏はバリへ空輸されなかったこと、キューーリー財団へ入れられなかったことをミッシェルの医師たる友人たちが知っていたことなどである。

 レユニオン島にいるミシェルの通信者がその後調査したところ、フォンテーヌの家族が調査者たちをまくことによって家庭の平和と静穏を得るためにウソの話をまき散らしたという。だがやはりリュス・フォンテーヌは放射能の照射から何らかの影響を受けたらしいが、それがどの程度のものかは噂のなかにほのめかされていない。

(終わり)

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