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 ノースキャロライナ州の「小人」撮影事件

UFOと宇宙哲学の研究誌 NewsLetter No.39 1969 より転載

いわゆるUFO写真と称せられるものについては綿密な調査を必要とするが、"円盤乗員の写真"と称せられるものも検査をしてはならないという理由はない。この種の最初のものとしてこの写真はべつに真偽の判決をくだそうというつもりはなくただの記録用として掲載されたものである。
ジョン・A・キール

 ニューヨークのデル出版社が"円盤UFO報告誌"を廃刊することにきめてまもなく、編集長カーメナ・フリーマン女史は郵便物に同封された非常に興味ある1枚のカラー写真を受け取った。それはジョウゴ型の物を手に持った小さな人物の密着印画で、白い球体の前に立っていた。添書は14才の少年が書いたもので、著しく簡単な内容であった。ただ1個の球体がノースキャロライナ州の自宅のうしろに着陸したことと、それから出てきた1人の小さな人間を撮影したとだけ述べてあった。フリーマン女史がその手紙と写真を私へ回送したので、私はその少年と長期間の文通を始めたのである。
▲ロニー・ヒル少年が撮影した小人の写真。背後白い球体が見える。

 少年は手紙の返事をくれるのがおそろしくおそかった。私達は1968年のほとんどを通じて手紙を交換し続けた。私は長い質問書を送って、少年の物語を確かめるために作成した多くの巧みな質問を発した。また両親、学校の教員連、土地の4Hクラブの成年者リーダ−などから公証人証明の宣誓書をもらった。いずれもその写真を見たこと、少年の物語が真実であると信ずることなどを証言したものである。

 彼の家族は落胆させるような要求をしてきた。つまり家族は広く知られることを心配して住所を公表しないでくれと頼んできたのだ。家族はノースキャロライナ州のきわめて小さな町に住んでいるので、その町の名を洩らせば家族の要求を無視することになる(だが住所は記録してあるので、責任感の強い研究家には知らせてもよい)。ただその町はノースキャロライナ州パムリコ郡の広大な沼沢地の端にあるとだけいっておく。

 撮影者のロニー・ヒルはかなり人並はずれた少年である。私と初めて文通を始めたときは14才で、8年生クラスの級長であり、ボーイスカウトの副リ−ダーであった。正直な思慮深い勤勉な少年として評判がよかった。

 元のカラー写真は全く鮮明で、私はそれをニューヨーク市の数名の写真専門家に見せた。われわれはそれを大画面に引き伸ばして寸法を測定し、精密に検査した。その結果、大きさと距離に関するロニーの見積りが正しいことが確証されている。サーガ誌の編集陣と美術担当者もその写真を注意深く検査して、われわれの判定の正しいことを確証した。

 具合の悪いことだが、ネガを郵便で送れとロニーに頼むことは慎重さに欠けると感じたので、われわれはまだ見ていないが、それを見た大人たちがいることを確かめている。

 "小人"の出現に先立って空中に奇妙なニオイがしたことをロニーが特に言及している点を記す必要がある。この"ガス"要素はこのような事件について少し知られた現象で、私がサーガ誌1968年7月号にUFO関係の"ガス" に関する記事を公表するまでは大体に無視されていた。ロニーは私の記事が掲載されるずっと以前にこのガス現象の説明をしている。

ロニーの物語り

1967年7月20日金曜日の午後、ヒル少年は自宅のうしろの庭で働いていたが、そのとき事件と称されるものが発生した。以下は彼自身の言葉による乱明である。

「ぼくはガスのようなニオイのする奇妙なニオイが空中にただようのに気づいた。そのために目から涙が出た。また物音にも気づいた・・・静かな音だった。いつもは鳥の鳴き声や大のほえる声が聞こえる所だが、その日はそんなものは聞こえなかった。

 約15分後にブーンという音がしてガスのニオイも強くなった。そこでふり返ってみると、空中に奇妙な物が見えた。それほ黒い帽子みたいだった。そのときぼくは離れて動く物をちらりと見た。それは径約9フィートの白球だった。みずから動き始めた・・・。ぼくは地面に伏せた・・・。あらゆる種類の物事が心の中を急速に通過した・・・。ぼくが見た物をだれも信じてくれないだろう、何かの証拠をつかむ必要があると思って、カメラ(コダックのサビー620)を取りに家へ走った。家の中へ入ったときぼくが見た物についてだれにも話さなかった。充分な時間がないのだ。現場へ引き返したとき物体(白球)が地上にいるのを見た。

 約5砂後に大きな物音を聞いてそのため耳が痛くなった。ぼくはかたずをのんだ。身長約3.5フィートないし4フィートくらいの1人の小人が球体のうしろから出てきたからだ。右手にはジョウゴ型の黒い物を持っている。すると急にそれを地面近くにおろしてから腰まで持ち上げた。続いてからだの向きを変えて球体のうしろへ行った。再び大きな音がした。すると球体の下部から強い青色のゆらめく光が吹き出て球体はゆっくりと空中に離陸した。続いて大きな物体が再び現われた・・・。球体は大きな物体の棒状の物につながって、大きな物体が球体を穴の中へ引っ張った。すると大きな物体はすさまじいスピードで出発し、樹木の頂上を越えて消えて行った」

 これらのことが起こっているあいだ、ロニーはかすかなシューという音を聞いたが、それが物体から出てくるのか小人からくるのかはわからない。このシューという音は他の着陸事件でも報告されているし、1897年の恐るべきキャプテン・フートンの例でも報告された。ロニーがいうには、小人はゆっくりと、からだをぐらつかせながら動き、からだの向きを変えるとき両脚を堅くぶらんぶらんさせて自由がきかないように見えたという。

 少年と小人間の距離は約15フィートだった。公表された唯一のものであるこの写真ほ青味がかって、両端はカブっているためにいたんでいるが、これはロニーにとって有利である。なぜならこれと同じようなカプリ現象(フォギンダ)は他の真正と思われるUFO写真類にも現われているからだ(注:カプリとは写真用語で、雪がかかったような不鮮明な状態を意味する)。

 このカプリは物体から放射する何かの放射線か化学放射線のためではないかといわれている。原画では小人は高い頬骨のついたふくらんだ肉づきのよい頬をしているように見え、ドイツ型みたいなヘルメットを着用している。ジョウゴ型の物が手の中に見える。小人のからだにぴったりした服は銀色で金属製であり、頭部は青緑色のように見えたとロニ−はいう。両眼は傾いてつり上がっていた。銀色のヘルメットをかぶり、腰のまわりには濃い青色のベルトをしめていた。"青いベルト"は南米で数名の目撃者によって報告されている。

 ロニーのいう"大きな物音"は世界中の着陸報告においてしばしば出てくる特徴である。私はこうした確かな詳細が少年の物語の確実性を高めていると感じる。注目すべきは、少年はその地域でトゥルー誌やサーガ誌などを入手できないことだ。本人はデル誌を1冊見たことがあるが、FSR誌の"ザ・ヒューマノイズ(注:FSR誌の出した円盤奇談集)"の如き特別な刊行物を読んでいない限り、ああした細部を知っていたとは考えられない。

 ここに掲載された写真(上の写真)は原画から作られた白黒ネガの引伸しであって、原画の細部の多くは失われている。

 読者は1966年にオハイオ州ザネスヴィルで撮られたラルフ・ディター氏のUFO写真と称されるものが世界中の新聞雑誌に広く公開されたことを思い出すだろう。それは大雑誌などの表紙にさえ載せられた。しかしディダー氏はそのために1ペニーも受け取らなかった。こうしたことにならないようにロニーの写真は本人の名で版権が保たれている。この写真を売って金をもうけた人はすべてロニー宛に直送されたい。われわれは興味を持つUFO研究者がわずかな料金でカラー原画を入手できるように目下手段を講じつつある。

(終わり)

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