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 肉体の意識の変換 第2部

ニューズレター No.38 昭和44年3月30日発行 より 

われわれの知的または肉体の意識は理解力に欠けるけれども、偉大なカを持つ。そして理解力に欠けるがゆえに破壊において強力な要素となるのである。暗黒中で働いているので、肉体の意識は絶えず手探りを続けて、さまざまの誤った憶測をするようになる。

われわれがいと高きもの、すなわち”因なる意識”に服従するとき、最初は子供が成長するにつれて導かれるのと同じようにわれわれも導かれるが、やがて次第に多くの力を得るようになり、そのカをよき生き方のために用いることを知るようになる。電気技師になりたい少年は勉強をみてくれる先生につき、先生はどうすればよいかを本人に話してやらねばならない。すると少年は学ぶにつれて向上してゆく。少年があまりにせんさく好きで自分一人で学ぼうとすればあちこちで感電するだろうが、電気の法則を学ぶにつれて訓練を受けなかったにしても、さほどのケガはしないだろう。

 これは電気と呼ばれる力を制御する知識を先生が生徒に伝えていたからである。少年は制御できない状態から完全に制御できる状態にまで一歩一歩導かれた。そして自己の知識を知恵として応用し始めている。もはや電気のカは少年を傷つけはしない。カが本人に服従しているからだ。本人はどこでもいつでもそのカを応用することができる。

 われわれが現在の状態を克服する力を持とうとして自分自身を変換させるには、自己の生命を偉大な”宇宙の技師(全体的意識)”に服従させねばならない。すると因の意識がわれわれにすべての事柄を説明してくれるのである。われわれが注意を払うならばより広大な理解に生長し、万人の利益のためにこのカを応用するだろう。われわれは知的想念を召使いたらしめるように制御する方法を知るだろう。少年が電気の制御法を学ぶには電気のあらゆる法則を知って理解しなければならなかったのと同様に、知識はわれわれの力(複数)の制御に至る道なのである。

 神は人間にあらゆる物事を得る方法を与えたが、人間はそれがどうしてなされるのかを知らねばならない。われわれが”父” の方へ帰るのは機の熟した時なのである。人間は自分が持つカで狂暴化しつつある。それに気づかないで人間は戦争やあらゆる種類の破壊におちいっている。因の意識とは、地上に平和をもたらすために、あらゆる問題に対する答え方や諸状態の修正の仕方を知っているところの源泉である。

 人類にとって唯一の希望は、人間が意識を変換させて再び生まれかわることにある(注:肉体の生まれかわりではない)。これを達成するには意志の力を用いねはならぬ。意志の力はこの目的のためにのみ与えられたからだ。つまり自分の知的意識を今より”父の意志”に強制的に従わせることなのである。そうすればわれわれの生命はそのカを反映し始めるだろう。それほどのようにして可能なのか? われわれは肉体の苦痛が顔に反映する。同様にしてわれわれが感じる善はわれわれの生命中に反映するのである。より高い意識に導いてもらうことによってこそ、われわれは諸状態を制御することが可能となる。かつては破壊的に用いていたこのカを制御することになるからだ。あなたは理解を深めるにつれてそのカを建設的に用いるようになる。そして良き状態を作り上げる。街路の人々を見るがよい。不安そうに心配そうにし、どの道へまがれはよいかも知らないではないか。これは人々が想念を支配していないで、逆に想念に支配されているからである。

 より高い想念に支配されることによってこそ正しい接触に導かれ、万物が善であるという認識に到達するのである。この認識によってあなたの顔には微笑が浮かび、力または活気が与えられるので、あなたは飽きることなく永遠に前進できるのである。

 だがあなたはこの意識中の機能に自分を服従させるように意志のカを用いねばならない。古い時代にはこの法則の応用法を心得ていた賢明な母親たちがいた。自分の息子や娘たちに教育を授ける方法を持たなかったので、偉人の像の所へ子供たちをつれて行き、偉人について語ったのである。そして子供たちにこの偉人と同じ人間であり、偉人と同じ事がやれると感じさせた。すると子供たちは少しずつその意識を取り入れ始めて、ついに彼らの感じはきわめて強力になったので、偉人と同じ人間になろうと思うようになった。次第に彼らは自身の内部のカについて意識的になりうまくゆくと感じた。われわれが意識を変換できるのは言葉によるのではなく感じによるのである。

 われわれは自分の行為が正しいと確信しなけれはならない。われわれは無我の表現に通じる悦びを感じなければならない。われわれは”感じ”というものがコントロールされるとき、意識である”感じ”を通じて成長するからだ。そのときわれわれは自分が感じるとおりのものになる。自我は意識的な想念によって変換されるからである。

 たとえばあなたが偉人の面前へ出ることになったとしよう。あなたが自分を取るに足りぬもので相手は偉人なのだと感じるならば、あなたは小さくなるだろうが、反対に自分が相手と等しい人間だと感じるならば、向かい合って相手を見つめながらしかも完全な気楽さを感じることができるだろう。われわれは何事につけてもこんなふうに感じるべきである。大統領といえどもわれわれと同様の人間ではないか。その地位を永遠の生命と比較すればゼロに等しいものである。とにかくあなたが自分を偉人のように感じるならば偉人と同じ波動を放って働いているのである。すると偉人はあなたの望む物を与えるだろう。

 あなたが就職する場合、経営者があなたより優位にあると考えてはいけない。「この者は卑下しているのだな」と経営者が感じたら相手は自然に虚勢を張るようになり、あなたを利用するようになる。経営者と同等の立場に立て。そうすればあなたを正当に扱うだろう。だれに対しても自己を卑しめるな。あなたは隣家の男と全く同様に”天の父”の御子である。神はえこひいきしない。

  われわれは”感じ”を通じてのみ、より偉大な人間になれることを知る必要がある。神の前で起き上がって立て! しりごみをするな!

 神がわれわれに与えた意識をわれわれが感じるとき創造主と等しくなるというのは略奪ではない。それはイエスも言っている。そうすると、意識が高度な自我に変換されるとき仲間の男と同等であると感じるのも略奪ではない。このときあなたは次第に苦痛、悲しみ、その他あらゆるマイナスの状態を排除することになるのである。

 われわれが”父”の息子であり娘であることや、神のカが無限なるがゆえにわれわれの力も無限であることなどを教えてくれるのは、より高度な知覚力である。この知覚力を通じてわれわれは楽しくなることを知る。神が常に供給者であることをわれわれは知っているからだ。われわれは安心して生きる。決して心配しない。心配するのは肉体の意識にすぎない。それは良き物事を知らないからである。

 宇宙的な想念の中に生きる人は常に安心して、常に喜んでおり、接触するあらゆる人にその事びを放りている。その人は自分の疑問のすべては解決することや、自分が生命の道を導かれていることなどを知りている。利用すべきすべてのカが自分のためにあることを知っている。

 われわれはすべていつかは宇宙の法則を知らねばならないが、これまで傷ついてきたので法則からのがれようとした。だが法則に従って働くことを知ろうとすれば、自由意志を史の意志に導かせるようにしなければならぬ。そうすれば自分の全存在を変換させ始めることになるだろう。われわれは今この地上に天国を見出すだろう。  

(完)

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