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 第二の誕生 遺稿 3部作 第2部

日本GAPニューズレター 第31号 昭和41年3月10日発行 より

「まことにまことにあなたがたに言うが、人間は生まれかわらなければ神の国を見ることはできない」とイエスは生命の神秘が洩らされた人々に語りました。


また、天からくだってきた者以外に天へ昇る者はいないとも育っています。この”第二の誕生”というのは、万物を物質の世界に生み出した根源の”因なる意識の状態”に帰ってゆくことを意味します。万物と同様に人間も”因の状態”からくだってきた(生まれ出た)のですから、”氷遠の生命”を楽しむためには、その意識の状態に帰る必要があります。

人間が物質の世界に生まれたとき、結果(現象)の状態でもって迷うようになり、広大な”因の状態” の記憶を失ってしまいました。その結果、有限のセンしスマインドの指令に身をまかせてしまい、”宇宙の意識”の指導にたいしては目を閉じています。人間の生命の目的のハケロは結果の世界において制限されるようになっています。人間の注意力のすべては物質の分析に向けられ、物質の背後にある”困”にたいしては盲目となっています。ゆえに本来の真の自我に立ち返るには先ず生まれかわらねばなりません。宇宙の無限の意識的な知覚力の中に生まれかわるのです。

第一の誕生は本人に自分と同様の物質界の理解力を与えましたが、第二の誕生は”因”の理解力を本人に与えています。今や人間の義務は、制限のきずなを打破して、地上という子宮から飛び出て、すばらしい”因” の広大さを知覚することにあります。

第二の誕生は意識体または肉体の死を意味するものではありません。それはあらゆる生命との一体性における意識の二つの面の結合を必要とします。パウロは次のように言っています。

「われわれは地の似姿を持っているが、また天の似姿をも持っている」

第二の誕生−すなわち生まれかわりは天と地とを結合させて無限の意識を生じさせます。肉体人間としての概念と宇宙的な知覚力が等しくつり合うようになり、人間は”父の国”について知り始めます。限定された知覚状態にある人周は目下”父の国”の広大さの中で迷っていて、永遠の生命を求めることができません。しかしここで生まれかわって”神の遺産”を引きつぐならば、彼はもはや迷うことはありません。なぜなら、どこを見ようが何を研究しようが、それによってたえまなき活動の存在することがわかり、本人はこの活動が”父” の目的をあらわす生命にほかならないことを知るからです。

教師や聖職者は以上のことを理解しなけれは他人や自分を救うことはできません。イエスは次のように言っていきす。「各人は自分自身の重荷を負っている」自分匹とつての救世主は自分自身ですじところが人間は自分だけにとらわれて”因”の中の一結果となり果てていますので、”父の国”の広大さと自身との関係を知ることによって”父の国”の中にいる自身を発見する必要があります。

もし人間がわずか数千人の人口しかない見知らぬ都市へ入ってゆくならば、道に迷ってもときた方向へ引き返すのは人に尋ねなければならないことがあるでしょう。その近辺の地理にくわしくなって、行動の確信をもって歩きまわれるようになるまでは、全然自由とはなりません。もし人間がせまい世界のさなかで簡単に迷ってしまうならば、境界のないこの広大な宇宙の中では完全に迷ってしまうということや、その中で自分を発見するにはより長い時間を要すると考えるのは不合理でしょうか。

第二の誕生とは知覚の誕生なのであって、物質の束縛から解放され、時間と空間の限界からのがれるのです。それは暗黒の無知という限界から全知の知覚の世界へ意識が生まれ出ることです。これを宗教的狂信による神話的な幻影と混同してはいけません。

こんにち、いわゆる精神主義者よりも多くの科学者のほうが第二の誕生に近づいています。或る偉大な科学者は次のように言いました。「私が心の努力に疲れはてて問題を考えることをやめると、そのときこそ問題の真の解答がやってくる」(注:これはト−マス・エヂソンの言葉として伝えられるもの)

これが瞬間的な第二の誕生です。肉体人間の意識が広大な宇宙の意識の御手にゆだねられて、制限というヴエイルがはがれると、真理が急速に姿を現わしてくるのです。

天文学者は宇宙のドアーを開き、宇宙で行なわれている活動を伝えます。科学者は活動を規制している諸法則を立証し、化学者は困の世界へ入ってゆきます。化学物質や化合に関する知識が新しい誕生への道を開拓するからです。人間の直感のひらめきのすべてはより大いなる生活への一段階となります。現象界で観察することによって得られる新しい啓示のいずれも、無限の知覚力へ通じる一里塚です。

第二の誕生に関して不可解なことは何もありません。それは発展であり、生長でもあるのです。人間がいつも”父の国”にいるということ、そしてモシ望みさえすれは神の国へ入ることを許されるということはわかっています。隠されている物事は必ず洩らされる時がきます。人間が地上の生命を知覚するようになるにつれて、人間はより大きな”因”を知覚するようになるでしょう。

"父の家"の中の幸福な王子になるのは人間の義務です。そうするためには家そのものに気づかねばなりません。と同時に、”天(因の国)”へ入ろうとするならば、今、自分がその”天”の中にいることを知覚するようにならねばなりません。そしてこの天の中には多くの住家(惑星)があることを知らねばなりません。

ちょうど広大な宮殿の中に住んでいることを自覚するためには、その中に多くの室があることを知らねばならないのと同様です。

人間が活動の原因ばかりでなく、物体の構成についてもより多くを知ろうというたえまなき衝動が各人の心に起きることについてその解答はここにあります。結果(現象)としての子供に広大な宇宙を知らせようとすするのは”因”なる両親であってそのために人間は”父”が絶えず与えねばならぬすべての物事を楽しむことができるのです。

以上が第二の誕生です。すなわち、”因”の無限の領域を知覚することと、決して現われることをやめない、万物を包含する、常に活動する生命とを知覚することです。

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