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 MOON GATE by William L. Brian
 

第5章(2) 月面における宇宙飛行士の体験 UFO Contactee No.85 より

NASAは何を隠そうとしているのか?

宇宙服は軽かった?

初期のアポロ飛行を通じて、アポロの宇宙服はおそろしくかさばって不便だという印象を大衆に与えようとされた。このことは月面における宇宙飛行士の動作を妨げることになる。そうなると飛行士は実際にはハンディキャップをつけられることになり、スポーツ選手のような離れ業を印象づけるのは不可能となるだろう。カニンガムが1964年に最上の字宙服を徹底的にテストしたときから1969年に最初のアポロ宇宙船の月着陸までのあいだに、この宇宙服の改良はほとんどなされなかったということは少々信じがたいことである。大衆はいつも、最上の装備が宇宙飛行士に与えられたと聞かされてきた。たしかにできる限りの最高の装備を開発するために充分を資金が出されたのだ。

ちょっとした詮索によって興味深い発見が明るみに出た。1971年に書かれた『宇宙への適合』の中で著者のロイド・マランは次のように述べている。

「実際問題として、ハミルトン・スタンダード社は1968年10月以前に、93パーセントの実効範囲でもってすでに宇宙服を完成させていた。その月にペンシルバニア州フィラデルフィアで開催されたアメリカ航空宇宙飛行協会の第5回年次大会に出序した宇宙開発科学技術者の前でそれを公開した。1週間にわたるその総会のあいだ、その宇宙服のなまの展示は広く関心と注目を引いたのだが、多少の不信をもひき起こした。見物人に、ふくらんだ宇宙服に大きな機動性をもたせ得ると信じさせることはむつかしいことだった。だがそのように作れたのだ。というのはアポロの月着陸計画に続く有人事宙飛行のより大きな機動性の要求を満たすための進歩した宇宙服が開発されたからである。」

▲月面に立つオードリン。アポロ11号。cNASA
▲月面に立つオードリン。アポロ11号。©NASA

筆者は主張したい。もし1968年の初めにこの服が当時使用できる最上の装備であったとすれば、NASAはあらゆるアポロ飛行で確実にそれが使用されるほどの時間的余裕と資金を持っていたはずであると。だが結局数10億ドルが月に人間を送るのに使われた。ひとたび人間が月に行けば、宇宙飛行士たちが最上の方法で自分の仕事を遂行できるかどうかを確かめるのは全く筋のとおったことである。もしその服が用いられなかったとしても、たぶんNASAは月には弱い引力しかないことを大衆に信じさせ続けようとしたことだろう。もし宇宙飛行士たちが口止めされていたとすれば、隠蔽策の中で息をするチャンスは少なくなるだろう。宇宙服のかさばりと重量は貧血を起こすようなジャンプと動きまわろうという試みのよい言い訳になるだろう。しかしアポロ16号の宇宙飛行士たちは改良された宇宙服がかなりの柔軟性を帯びていたと指摘されたのだが、それでも彼らは価値のあるジャンプの離れ業は不可能だった。

その後のアポロ飛行までには宇宙服に改善がほどこされたと大衆は聞いている。ナショナル・ジュオグラフィック詰の1971年7月号の『円錐型クレーターを登る』と題する記事の中で、筆者のアリス・J・ホールは次のように述べている。

「アポロ15号の着陸船は67時間も月に滞在できるだろう。これはアンタレスの滞在の2倍も長い時間である。宇宙飛行士が雑用で動きまわるときは、より大きな機動性が与えられるだろう」

読者はアポロ11号の宇宙服と16号の宇宙服の各サイズを比較すると、16号の服が見かけ上、かさばりが小さいことに気づくだろう。したがってアポロ16号の飛行士たちは、かりに6分の1の引力が存在していたとしても、月面で何らのトラブルも起こさなかったはずである。各種の丘は飛ぶような調子で登れたはずだし、遠距離も飛行士によって短時間で行けたはずである。

全然月着陸がやれなかった不運をアポロ13号の飛行前に、宇宙飛行士のラベルとヘイズはアリゾナ州プレスコット国立森林公園の中のバード谷でトラバースを練習した。これは計画された着陸地点の高度よりも約120メートル高い尾根にある円錐型のクレーターに到達する必要があるという体験を2人に与えるためであった。ここで筆者が再度読者に言いたいのは、月の引力が6分の1であるとすれば、アリゾナ州での練習は全く無意味だということである。月面上の彼らの重心は地球のシミュレーションとは違うだろうし、地球での重量は3倍も4倍も強いので、月の条件をつくり出すことはできないだろう。しかしその練習は地球に似た引力の条件をシミュレートするのにはたしかに有効だったろう。

もしカニンガムの荷物と宇宙服が84キロあったとすれば、彼は数分間で完全にへたばったことだろうが、そうではなかった。信じがたいことだが、彼の1964年のシミュレーションは宇宙服の気圧の問題を含んでいた。これが意味するところは、彼は酸素とある種の冷房装置を身につけているということである。さもなければ彼は熱の消耗で急速に死んでいたことだろう。こうした証拠のすべては、生命維持装置と宇宙服は、宇宙飛行士が長時間、月の強い引力のなかで行動できるほどに軽かったという結論を示唆するものだ。加うるにこれは1964年に早くも達成されており、1969年までには開発努力によって宇宙服をかなり軽くしていたと思われるのである。宇宙服と生命維持装置の合計重量は、おそらく34キロ以下であったろう。NASAが入手した外国産の軽い金属と最もよく知られた材料がこれを確実にしたことだろう。

難儀な月面の徒歩旅行

月に向かう途中で発生したアポロ13号の不運に続いて、アポロ14号の打ち上げまでに調整などで10ヶ月の遅れが出た。この飛行はフラマウロ高地帯へ着陸するという新たを試みとなるもので、この飛行のハイライトは円錐型クレーターに向かって2.9キロの"遠足をすることにあった。

ところが問題が起こった。というのはこの徒歩旅行はほとんど登り坂のため、宇宙飛行士たちはMET(基準寸法装置運搬車)を交替で引っ張る心要にせまられたからだ。最初の月面徒歩旅行でルイスは、シェパードとミッチェルが踊るような足どりとカンガルー飛びで動きまわったと言っている。具合のわるいことに最初の徒歩旅行は彼らをへたばらせたにちがいない。円錐型クレーターへの旅行で彼らは息を切らせてあえいでいたし、心臓の鼓動も早くなっていたからだ。この難儀な状態は84キロあると思われる彼らの半硬式でわずらわしい宇宙服と背中の生命維持装置のせいであった。

飛行士の体重、宇宙服、生命維持装置の合計重量が6分の1の引力では28キロを超えるはずがないということを理解するのは読者にとって重要である。これが彼らの地球の重量の大部分とはほとんど考えられない。前日、踊るような足どりとカンガルー飛びで動いていた男たちにとって、小さを丘は恐るべき存在になったように思われた。もし月の弱い引力が登り坂を歩く宇宙飛行士たちにこのような恐るべき存在になったとすれば、最上の状態にあると思われた飛行士たちの健康状態はたぶん過大評価されていたのだろう。ほとんど努力しないで急スピードで丘を登る容易さと長距離をトラバースすることについて、宇宙飛行士によるコメントが聞けるものと思われていた。

幸いにもアポロ15、16、17号は、月の敵対的を環境や途方もない"6分の1"の引力にたいして、宇宙飛行士たちを屈服させなかった。月面車は目的地への道のほとんどにわたって彼らを運ぶはずであった。

アポロ14号の飛行士たちが円錐型クレーターの南側面が見える位置まで来たとき、シェパードが片膝をついて石を拾い、立ち上がろうとしてミッチェルの助けを求めた。目的地までの道のりの3分の2の所で、登り坂を歩くにつれて彼らの脈拍は1分間210まで上がった。以下の情報はこの徒歩旅行に関するルイスの記事を要約したものである。

「彼らのひどい呼吸はヒューストン、ニューヨーク、ワシントン、フロリダで聞かれた。それが続くにつれて徒歩はますます困難になってきた。クレーターの縁は近いように思われたが、一同はその方向に意義のある前進をすることができないのだ。登るにつれてシェパードの脈は150に達し、ミッチェルは128になった。2人はしばしば休息した。4時間の徒歩旅行の半分以上をついやした後、シェパードは円錐型クレーターの縁までまだ30分はかかると見積もった。そこでシェパードは、あと30分かけても緑まで行くのに充分な時間はないと判断したのである。結局飛行士たちは円錐型クレーターには全然到達できなかった。一同は坂を下って"気味悪いクレーター"の方へ引き返して岩石の採集をし、それからトレンチを堀るためにトリプレットの方へ行った。

どうやら2.9キロメートルの遠足はうまくゆかなかったらしい。宇宙飛行士たちがそこへ到達しようとしてさほど一生懸命に努力しなかったとすれば、これはそれほど驚くべきことではない。結局彼らは道すがら記録による裏付けとサンプル採集の仕事があった。地球でならあらゆることを考慮すれば、これは納得のゆく時間量であるはずだ。しかし月面の6分の1の引力なら宇宙飛行士たちは少なくとも時速8キロの歩行速度を保つことができたはずである。もし彼らが目的地へ行く道の3分の2の位置にいたとすれば、時速8キロの割合で6分間でもって残りの800メートルを歩行できたであろう。しかし彼らは30分間でもそれをなし得ないと判断した。地球でなら、彼らは残りの距離をのろのろ歩いて時間切れに間に合ったかもしれないが、しかしこれは月面でのことで、いわゆる6分の1の引力下とされているのだ。

わざとスローモーション映画にしたのか

ついに彼らは着陸地点へ引き返して、ALSEP(月面科学実験装置)の装置類をチェックし、それからシェパードはよく知られている6アイアンのゴルフのテストをやった。このテストの目的は、月の弱い引力でボールがどれだけ飛ぶかを見せることにあった。1個のボールは90メートル、他のボールは360メートル飛んだと思われている。これに関連した種々の不確実を要素のために、この距離に関して結論を出すのを不可能にしている。しかしこれまでに打ち出した月に"強い"引力があるという証拠は、その打球テストでそれほどの意義のある距離が出るはずはないことを示している。

著者は映画でアポロ14号の宇宙飛行士の1人を観察した。その飛行士はまともに映写されれば完全に正常な状態で歩けたかもしれないと思われるセミスローモーションで走っていた。その飛行士が地面から高く飛ばなかったことと、歩行間隔は地球の歩行以上に大きくなかったことを考えると矛盾が起こってくる。そのスローモーション効果はこの事実を覆い隠すことはできなかったのだ。これは宇宙飛行士の体重が実際よりも軽くなったという印象を与えようとして、動作がのろくなるようにわざと映画のフィルムの映写スピードを落としたことを暗示している。スローモーション効果を出せば、被写体は緩慢に着地するように見えるので、大衆は月には弱い引力があるということに納得するだろう。

1979年に放送されたアポロ11号の10周年記念のテレビ特別番組で、月面の宇宙飛行士の短い録画を再放送した。筆者は月面のテレビ画面をうんと見たかったのだが、1時間にわたる特別番組の中でそのフィルム映写の時間は2分足らずだった。もっと悪いことに、その映画は各場面のあいだが多くカットされているようだった。そのため映画は変化が激しくて、宇宙飛行士たちは昔の映画みたいに超スピードで動きまわるように見えた。たぶん他の視聴者も自問したことだろう。

「この歴史的な出来事を撮ったオリジナルフィルムをなぜこんをつまらない映し方をするのか、なぜもっと注意を払わなかったのか」と。かわってこの番組は月旅行の準備と宇宙飛行士たちの生活面に焦点をあてていた。アラン・シェパードがコメントして、月面の6分の1の引力について力説していた。

不可解な月面車

アポロ15号は宇宙飛行士に月面で遠距離を行かせるために、初めて月面車を採用することにをった。ミッチェルとシェパードが月面でトラブルを起こしてからは、この月面車はほぼ必需品とをった。アポロ15号はハドレー・アベニン山地域へ行くことになっており、ここで月面車が飛行士たちをかなりけわしい傾面へ運び上げるはずだった。だが月面車があってさえも、スコットとアーウインは着陸船から9.6キロの半径内にとどまらねばならなかった。これは故障の場合に着陸船へ歩いて帰れる最大限の距離である。

▲月面を時速11マイルで走るアポロ16号の月面車。cNASA
▲月面を時速11マイルで走るアポロ16号の月面車。©NASA

この月面車なるものは月の6分の1の引力に合わせて作られたと思われていたが、よく調べてみると、これは地球の引力に近い引力に合うような乗物に似ていることを示しているのだ。それは長さ約3メートル、高さ1.2メートル、ホイールベース(自動車の前後輪の車軸間の距離)が2.25メートル、輪距が1.8メートルである。車輪は径80センチで、接地面にはチタンの山形の刻みがある。見たところ地球のタイヤとほとんど変わらない。各車輪は個別に短距離用の電気モーターをそなえており、アポロ16号の場合、最高スピードは時速17キロメートルと公表された。本書(原書)の写真4はアーウインと月面車の写真で、バックにはハドレー山が見える。

月の引力を6分の1とすると、月面では科学通信機器を積んだ人間の乗らない月面車は54キロ以下になる。宇宙飛行士は着陸船の横腹から月面車を降ろし、それを組み立ててから使用することができた。ルイスによると、地球での訓練期間中よりも月で月面車を降ろすほうが困難だったという。

降ろす作業中に次のようなこ言葉が月から地球への無電で聞こえた。

「落ち着けよ」「うまいぞ」「もう楽だ」どうやら6分の1引力下でわずか54キロかそれ以下の重量しかないはずの物体で2人の宇宙飛行士が悪戦苦闘していたらしい。月面車の積み降ろしや組み立ては地球で訓練されていたので、月面のほうがむつかしいということはなかったはずだ。むしろ月でのほうが容易だったはずだが、そうではなかったのだ。

スコットとアーウインが複雑なネックとウェストのついた最新式の月面服を着たことは意味深長である。この服のおかげでターンしたり首をうをずかせたり、ぐるっと回したりできるし、それ以前の宇宙飛行士よりももっと容易に前にかがむことができた。したがって月面服のかさばりは、月面車を降ろすときの飛行士の動作にたいするへたな言い訳にすぎないように思われる。残る唯一の可能性は月の強い引力である。なぜなら地球での訓練は機械上の問題や作業の困難さを排除するために行われたからだ。

月面車を扱う際に月で起こると予想された諸問題は、1966年に出たローレンス・メイサク著の『月面での生き残り』と題する書物で論じてある。著者によると、弱い引力のために安定性が最もうるさい問題の1つだという。そして重心を低くしなければならぬので、トレッド(輪距)も広くしてひっくり返るのを防がねばならぬと述べている。したがって、ミニサイズの乗物でも荒地上でスピードを出すには約7メートルのホイールベース(前後の車軸間の距離)を必要とするだろう。しかしホイールベースがあまりに長いと、進行方向の障害物をよけるのがむつかしくなってくる。

メイサクが考えた乗物の車体は、平らな地面上にある場合、90センチのクリアランス(車体底面と地面とのすき間)をもつ径約2メートルの円筒型である。

地面から1.8メートル以内に重心を保とうとすれば、6メートルのトレッドを必要とする。メイサクは6分の1引力下での荒地専用の乗物を設計しようとしていた。彼の案になる設計は、この乗物ならば岩石にひっかかることもなく、地球式の乗物ならたやすくひっくり返るような引力条件下でも安定を保つことを証していた。

月の引力が6分の1ならば月面車がどのように作動するかを調べるための分析結果が付録Tに出ている。

月面車は月面上で固まっていない砂ボコリや岩石に遭遇した。このタイプの地面ならば普通の舗装道路よりも牽引力は落ちるだろも月面車は約700キロの地球重量があった。6分の1引力下ならわずか58キロの力で月面車を横滑りさせるだろう。したがって時速16キロメートルの最高速度で進行する場合、半径25メートル以下のカーブを描くように車輪が回転すれば、その乗物は横滑りし始めるだろう。時速8キロメートルでさえも、最小カーブは6メートルとなる。オペレーターは急速な方向転換をしないように極力注意しなければならない。急激にターンするとひっくり返るからだ。月面車は特に危険である。宇宙飛行士たちは月の地面から上方約1.5メートルの位置に重い背のうの生命維持装置を背負っていると思われていた。月面車の座席は地面から約90センチにすぎない。したがって地球重量で382キロという宇宙飛行士たちの合計重量の大部分はこの上にうまく乗っかっていたのだ。こうして、月面車は、右に引用したローレンス・メイサクの提案による月面車設計基準には従っていないのである。

作動し得る最大の制動力も月面車の月面重量にかかっている。6分の1の引力下では、わずか58キロの制動力で車輪を動けなくするだろう。この割合ならば時速16キロメートルで進行する月面車を停止させるのに、ほとんど6秒と12メートルを要するだろう。これは障害物のない平らを地面なら受け入れられるが、月面には岩石やかなりの大きさのミゾなどがあるので、月面車を傷つけたりひっくり返ったりするのを防ごうとしてそれらをよけるひまはないだろう。結局、6分の1引力下で月面車が月面上を走るのは危険だということは容易にわかるのである。6分の1の引力が存在するとすれば、月面車でけわしい丘を登り降りするのは自殺行為に等しいことになるだろう。

このことは月が地球の引力にほぼ等しい強い表面引力を持つという決定的な証拠を提供するものである。

アポロ16号では月面服にもっと多くの修正がほどこされた。そしてNASAは打ち上げを1972年3月17日まで延期したが、これはもっと柔軟性のある服を強化し、ロケットの垂直上昇中の見事を分離を確実にするために、ドッキング投下装置を作り直すためである。

アポロ16号は宇宙開発計画の実際の発見事に関して貴重な情報を提供した。読者はこの章の初めに述べられたジョン・ヤングのジャンプの離れ業を思い出されるだろう。彼はアポロ15号の改良型の服よりももっと良いと思われた改良月面服を着て行動していた。また読者はこの最新式の服が1968年に初めて発表されたハミルトン・スタンダード社のデザインに沿って作られたのではないかとさえ思うだろう。

最初のEVA(宇宙船外活動 でヤングとデュークは月面車を実地で試みた。着陸地点に接近するにつれて時速17キロメートルに達する最高加速度でヤングが月面車を運転した。ルイスによると、地面はでこぼこで、スピードを出して急角度のターンをやる"グランプリ"レースで、月面車がどのように作動するかを2人は知りたがっていた。6分の1引力条件ならこのショーは間違いなく大惨事に遭遇したことだろう。

厳重に監視されていた宇宙飛行士

月面におけるアポロ16号の初日の終わりに"ホットマイク"事件が起こった。

宇宙飛行士たちは自分たちの会話が一般に放送されるシステムで聞かれるかもしれないとわかっている場合、自分のしゃべることについては慎重になれと前もって言われていた。ルイスの記事から引用したこの事件の要約は次のとおりである。

「ヤングとデュークは明らかにマイクロフォンがオフになっていると思っていたので、管制センターの一般放送システムによって聞かれていると思った場合は警戒してまともに話し合ったことだろうが、このときはもっとざっくばらんな言葉で会話をし始めた。そこでヒューストンのセンターはヤングに呼びかけて、君はホットマイク(緊急連絡用のマイク)を持っているのだぞと告げた。ヤングは詫びて、こんな場所でホットマイクを持つのはときとして恐ろしいことだと述べたのである。そこでセンターは、ホットマイクがオンになっていたのを知らなかったところをみると、君たちはずいぶん立派な仕事をやったのだなと伝えた」

上の情報からみて、宇宙飛行士たちはヒューストンのセンターによって注意深く監視されていたことが読者にわかるだろう。加うるに彼らは自分たちのマイクロフォンがオンになっているときは大体に自分をコントロールし続けているのである。上の例ではどうやら何かの装置のトラブルでマイクは切れていると思ったらしい。こうした性質の暴露情報は、単なる1つの出来事とみれば無意味だが、本書に提示された大いなる暴露を示す資料の背景には、このような小さな証拠が大きな比重をもつのである。

チャールズ・デュークは月面で明らかに難儀な目にあっていた。彼は何度も倒れ、つまづいたり倒れたりする彼の姿を写した一連の写真が多くの新聞に現れた。

この転倒は月に弱い引力がある証拠として、ニューズ媒体によって実際に現れた。だが6分の1引力ならば物体が倒れるのに約2.5倍の長さの時間がかかるので、デュークは立ち直る余裕は充分にあったはずだ。しかも彼が最も進歩した最新式の月面服を着ていたことを考えれば、こうまでたびたび倒れたというのは驚いた話である。この服は彼以前の宇宙飛行士以上に多くの柔軟性を与えたと思われていたのだ。

アポロ17号の目的地は晴れの海のくぼ地の南東にある山系で囲まれたある谷だった。サーナンとシュミットは月面車を組み立てて乗り込んでから最初の船外活動を始めた。サーナンに関する次の興味深い記事は『アポロの航行』から要約したものである。

「サーナンはひどく興奮したらしいので、カプセル通信者のパーカーが、君の代謝作用率は上がっているぞと警告した。これはサーナンが多くの酸素を使用していたことを意味する。サーナンは今生でこれほど興奮したことはないと答えて、みんなは落ち着くだろうとパーカーに伝えた。そして無重量状態で自分を処理することに慣れているせいだと思うと言った。そこで天文学者のパーカーは、サーナンが6分の1の引力で行動していると思うと述べた。サーナンの答は次のとおりだ。『そうです。われわれがいる所は……全然』月の引力に答えたサーナンの最後の発言は、彼がその議論を避けたがっていたことを暗示するらしい。たぶんパーカーは強い引力に気づいていなかったので、戸惑わせるような質問を発したのだろう。

なぜ大気の測定をたびたびやったのか

アポロ17号の目的の残りは科学実験にあてられた。シュミットは地質学者なので、非常に広範囲の地質研究が多くの月の岩石によって行われた。加うるに、重力計、大気成分検知器、それに地表下に水か氷が存在するかどうかを調べる装置などによる実験も行われた。大気に関する実験はアポロ15号と16号の目的の1部でもあったので、大気の密度は調査する価値があるし、先行したアポロ各号の発見事が異なる位置でそれをもっと測定する必要があることを示したと結論づけるのは筋が通っている。もし月が科学者の主張してきたのと同じほどに真空であるとすれば、何度もくり返して大気の測定をやる必要はなかったはずだ。月は真空状態だという仮説が、月の弱い引力にもとづいているのは興味深い。大気を保つためには、かなりの引力が必要なのだ。

こうした概念を心にとどめながら、6分の1引力概念にもとづいた月の大気説を第6章で説明しよう。月には強い引力が存在することも述べるつもりである。

第6章へ続く

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