ホーム ライブラリー レターズ ピクチャーズ ufo 掲示板 お問い合わせ リンク

GA Site -UFO Contactee-

articles

過去更新記事

 ├ 2009年度
 ├ 2008年度
 ├ 2007年度
 ├ 2006年度
 ├ 2005年度
 ├ 2004年度
 ├ 2003年度

最新更新記事

サイト内検索



GA Site内を

新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 MOON GATE by William L. Brian
 

第3章 平衡点の矛盾 UFO Contactee No.84 1984より

月の引力は地球の1/6ではない!

地球から打ち上げられる月探査機または宇宙船は、地球の引力のために平衡点に達するまでは次第に速度を失ってゆく。しかしそれが平衡点を通過したあとは、月の引力が強くなるので加速し始めて速度は増してくる。そして月を回る軌道に乗るかまたは月面に撃突するには、正確な軌道を持たねばならない。

月の引力の正確な測定と正確な平衡距離を求める必要は、IGY(国際地球観測年)のアメリカ国内委員会の理事長、ヒュー・オディショーによって指摘された。彼は1958年に『大気圏外の科学研究の継続プログラムの基本的目標』と題するレポートをIGYの参加国全部に送ったが、その中で彼は当時の月の質量の測定は、アステロイド帯の運動と地球の極軸の観測に基づいていたと述べたのである。月の質量のせいだとされた不確定性は、0・3パーセントとされたが、これは月ロケットの軌道に大きな影響を与えるほどであった。したがってオディショーは、月に関する初期の実験においてもっと正確に月の質量を決定することが望ましいと述べた。これは月に接近して行くロケットを追跡し、軌道の各点で月の引力を算出すれば達成できることだ。そうすれば月の表面引力を算出できるのである。

▲アポロが撮影した月の写真 cNASA

▲アポロが撮影した月の写真 ©NASA

役に立たないニュートンの法則

すでに読者はNASAとソ連がたとえ正確な平衡点の位置を知っていたとしても、月ロケットをうまく打ち上げるのがいかに困難であったかがわかるだろう。もし平衡点がニュートンの万有引力の法則から導き出された数値よりもかなりはずれていたとすれば、月探査機をうまく打ち上げようとする試みには一連の失敗がつきまとうことになる。また、予期された月の引力の重大を誤差が発見されれば、再プログラミング、ロケット設計、月探査機設計などに多年を要するだろう。

人々が自分の考えをあらためるのに要する時間も重要である。特にアイザック・ニュートンの引力に関する概念でもってほぼ300年の教育とトレーニングを受けてきたからには、なおさら重要だ。国防省流にみれば、ここで新発見の隠蔽が起こるかもしれないと考えてよい。こうしたことを心にとどめて、平衡点の位置に関する古い考えにそって月ロケットの歴史をたどることにしよう。

月は宇宙探険の最初の標的として選ばれた。地球に最も近い天体であるからだ。ソ連は1959年1月2日にルナ1号と呼ばれる月ロケットをうまく打ち上げた最初の国である。このロケットは月の表面から4660マイル以内を飛んで宇宙空間へ飛んだあとで地球へ情報を送り返した(訳注=ただし月をはずれて5955km離れた位置を通過したが、ルナ2号は月に命中した)。

一方、アメリカは1958年にパイオニア1、2、3号を打ち上げて、その後、ルナ1号から数カ月後に月面から37300マイル離れた宇宙飛行に成功した。(訳注=1958年8月17日、バイオニア0号の打ち上げに失敗、10月11日のパイオニア1号もだめ、11月8日に打ち上げた2号は550kmまで到達してへたばり、12月6日に打ち上げた3号は第1段エンジンの早期噴射停止のためまたも失敗したが、102,300kmの距離まで飛んだ)。

ルナ2号は1959年9月12日に打ち上げられ、月に命中した最初の月探査機になって、衝突する前に信号を送り返した。

ルナ3号は1959年10月4日に打ち上げられて月の反対側を回り、4372マイル以内に接近した。そして月のむこう側の写真を送り返したのである。ところがどうしたわけかソ連の月探査計画は、ルナ3号月ロケットを打ち上げたあと4年間中止されたのである! 打ち上げられたルナ各号のすべてはレーダーで追跡され、軌道と引力に関するデータが集められた。

以前にも述べたように、月の近辺を飛ぶ物体の軌道により表面引力の計算が可能になるし、かわってこれにより平衡点も計算できるのである。もし新発見事が予期されたことよりもはずれていたならば、未来の月探査を再評価し再計画するのに数年はかかるだろう。もし月の引力が予想以上に強ければ、月面に軟着陸するにはもっとはるかに大型のロケットと莫大な燃料を要するだろう。

ソ連の宇宙開発に関する機密保持ぶりはよく知られている。したがってアメリカはソ連の月探査機で得た情報から利益を受けてはいないかもしれない。

『人類と宇宙−次の10年間」でラルフ・ラップによれば次のとおりだ。

「……ソ連は自国のロケット類に関して厳重な秘密政策をとった。打ち上げの写真1枚も公開したことはない。しかもソ連はデータを科学界に提供するのが遅かった」 

加うるに月をそれること37300マイルを飛んだアメリカのパイオニア4号は、月の引力の本当の性質をNASAの技術者に理解させるほどには月に接近していなかったのかもしれない。いずれにせよ、それに続くレインジャーロケット類は、アメリカが首尾よく月にロケットを打ち込むには多くの難問をかかえていることを示したのである。

最初のレインジャーロケットは着陸の衝撃に耐えるように設計された球体の容器中に地震計を収容していた。だが具合の悪いことに1962年1月26日に打ち上げられたレインジャー3号は、目標を完全にはずれて太陽を回る軌道に乗ってしまった。レインジャー4号は4月23日に月に命中したが、有益な情報を全然送り返さなかった。レインジャー5号は10月18日に打ち上げられたが、月から450マイル離れて通過し、これは8時間以上も追跡された。その後の打ち上げは1964年まで延期され、プログラム全体が再編成されたのである。

地震計を積み込んで月面に半軟着陸するのは困難だというので、5号以後のレインジャーロケットのすべては写真撮影用だけに設計されたというのは重要なことである。この地震計は径30インチのバルサ材の球の中に収納されており、逆噴射ロケットにより時速150マイルに減速して月面に撃突しても大丈夫なように作られていた。これは時速200マイルで花崗岩に撃突しても作動を続けるように設計されていた。月が地球の表面引力の6分の1しかないのならば、おそらく地震計は助かるだろう。しかし月の引力が予想をはるかに越えるならば、ブレーキの役目を果たす大きな逆噴射ロケットがない限り、着陸の成功はおぼつかない。明らかにレインジャー関係の科学者は6分の1という弱い引力が撃突時の速度を低いレベルに下げてくれるものと期待していた。彼らはその後の月ロケットから地震計を除いて、打ち上げをほぼ1年半ばかり延期したので、おそらく月の引力に関して何か新しい事を知ったのだろう。

ソ連は4年間の沈黙の後、1963年4月2日にルナ4号を打ち上げた。これは月から5300マイル以内を飛んだ。このロケットの目的は全然洩らされず、ただ次のようを短い声明が出されただけであった。

「……コントロールされた実験類や測定類は完遂されている。このロケットとの電波通信はあと2、3日続くだろう」

月の引力に関する詳細なデータを得ようという目的がその打ち上げの背後にあったことはまちがいない。この情報がなければ軟着陸に成功できないのだ。

失敗だらけの打ち上げ

アメリカは1964年1月30日にレインジャー6号を打ち上げたが、飛行中にカメラに偶然にスイッチが入ったとき電気系統が焼けたという(訳注=打ち上げの段階でカメラに高電圧のアークが飛んで、その過程でテレビ装置が破壊された)。そのために写真は送り返されなかった。この危険を排除するように電気系統を設計し直した後、レインジャー7号が7月28日に打ち上げられたが、これはうまくゆき、数千枚の写真を送り返してきた。レインジャー8号は1965年2月17日に打ち上げられ、続いてレインジャー9号が1965年3月21日に発射された。いずれも成功し、レインジャー9号が撮影した写真のなかにはテレビで放映されたのもあった。

一方、ソ連は1964年5月9日にルナ5号の軟着陸を試みたけれどもフルスピードで撃突してしまった。ルナ6号が6月8日に打ち上げられて月を近傍通過し、ルナ7号は逆推進ロケットがあまりに早く作動したらしくて月面に撃突した。ルナ8号は1966年2月3日に月面にうまく着陸した。

アメリカの軟着陸計画はサーベイヤーと呼ばれて1960年に開始された。1962年にはサーベイヤーの重量を300ポンド以上も減らす決定がくだされ、多くの実験が中止された。この理由は計画された打ち上げロケットのアトラス・セントールの第2段にトラブルが発生したというものだった。

1963年度におけるサーベイヤーの予定された打ち上げ日はむなしく過ぎて、準備完了にはほど遠い状態であった。(訳注=1965年度に月へ飛んだ無人宇宙船はソ連のルナ3個だけで、このいずれも失敗した)。プロジェクトのコストは最初の見積もりの10倍にもはね上がり、多くのトラブルによって次々と打ち上げが遅れていった。

議会の調査が行われ、国会科学宇宙飛行委員会はジェット推進研究所、NASA、主要契約会社であるヒューズ航空機会社などの管理実務を非難した。

『我々は月に到着する』の中でジョン・ノーブル・ウィルフォードは、サーベイヤー計画の困難さについて述べている。どうやらジェット推進研究所の職員がこのプロジェクトの困難さを当初過小評価したことを認めたらしい。このプロジェクトは初期に充分な支援が与えられなかったことや、彼らが物事を行う能力を過信していたことを職員は告白している。

1962年10月18日のレインジャー5号の失敗で、地震計パッケージの投棄と半軟着陸の困難による今後のレインジャー打ち上げが重大な遅延に終わったというのは、たぶん偶然の一致ではあるまい。

サーベイヤー計画は当初の予定から28カ月も遅れてしまい、その1号が月に軟着陸したのは1966年6月2日であった。

月探査機を用いて月周回軌道に乗せるアメリカの計画は、1958年8月17日にアトラス・エイブル1号で始まったが、それはあとの2個と同様に月に到達しなかった。

当時、もっと大きな宇宙船を建造しようという決定がくだされ、ロケットとしてアトラス・アジェナDを使用することになった。衛星にブレーキをかけるときに用いられる燃料から成っていると思われるより大きな有用荷重を運ぶには、より大型のロケットが必要だということらしい。このことは探査機が月軌道周回を達成できるように探査機の速度を落とすのに必要なのだろう。

再度言うと、1958年に始まった月軌道に乗せるプロジェクトは、ボーイング社がアメリカのルナー・オービター・プロジェクトの仕事を始めた1964年まで延期されたのである(訳注=ルナー・オービターはソ連のルナ系列とは別物なので要注意)。

ソ連が進歩していた

ソ連は1966年2月3日にルナ9号をうまく軟着陸させたあと、1966年4月3日にルナ10号を月軌道に乗せることに成功した。軟着陸のときと同様に、軌道に乗せるにはしっかりした逆推進ロケットによるブレーキが必要だったらしい。いずれにせよ両方ともそれぞれ短期間で達成した。

アメリカのルナー・オービター1号は1966年8月14日にうまく月軌道に乗った。この5号は1968年にうまく飛んだあと、1月31日に月に撃突したが、各オービターとも月の99パーセントを上まわる地域を撮影し、月のマスコン(訳注=月面下に部分的に集積した重い物質。月の重力分布の不均衡によるもの)の発見、または月面のある地域の引力の増大などを発見した。このマスコンについてはあとでもっと詳細に述べることにする。

平衡点距離の矛盾

以上、月探査機を分析してみると、アメリカもソ連もおそらく1959年には早くも月の引力の性質について明確な概念を持っていたらしいことがわかるのだ。しかし両国が月の引力をどのように扱うか、そして1966年まで軟着陸などのようにしてやるかについては知っていたことは確かである。この1966年という年は次に述べる月の引力に関する情報を考えてみれば重要である。

読者は月の引力が地球の引力の6分の1とは違うかもしれないという示唆について気のもめる状態であったことだろう。だがこれには正しい数値を出すのに必要を基礎知識を与えることが必要だったのだ。そこで月探査機に続いてさまざまの文筆家や団体が大衆に伝えた平衡点の位置に分析の焦点をあてることにしよう。

究極的にはこの情報源はおそらくNASAだろう。アポロ12号に関して『タイム』誌1969年7月25日号に、次のような平衡点の情報が掲載されたのである。

「月から43495マイルの地点で、月の引力はそのとき200000マイル離れた地球の引力に等しい力を及ぼした」

読者はこの一文に驚くかもしれない。なぜなら第2章で述べた平衡点距離は、月から20000ないし25000マイルであったからだ。『タイム』誌は過ちをおかしたのだろうか。そこでこの数字を確証するために別な情報源をさぐってみることにしよう。

ヴュルナー・フォン・ブラウンとフレデリック・オードウェイ共著の『ロケット工学と宇宙旅行の歴史』の1969年版には、アポロ11号に関して次のような記事が出ている。

「月への接近は非常に正確だったので、19日の午前8時26分(東部時間)に予定されていた中間コースの修正は中止された。月から43495マイルの距離でアポロ11号はいわゆる平衡点を通過したのである。そのむこう側では月の引力場が地球のそれよりも優勢であったのだ。そのために地球から長い道のりに乗って次第にスピードを失っていた宇宙船は、いまや加速し始めたのである」

ロケットの飛行が大変正確だったので、中間コースの修正は必要なかったという点に注目されたい。加うるに、平衡点の距離は43495マイルとされて、先の『タイム』詰に出ていた数字とびったり合っているのだ。

もう1つの立派を情報源は『エンサイクロピーディア・ブリタニカ』である。この団体はオーソドックスの科学者にうけるような情報を一般に出している。したがって平衡点距離に関するこの団体の主張はヴュルナー・フォン・ブラウンと密接に一致しているのだ。アポロ11号に関しては1973年版の『宇宙探険』という項目で次のように述べている。

「アポロ宇宙船の軌道の型を考えてみると、先に述べた記事が問題になってくる。アポロ11号は118・5マイルの高度で時速17427マイルで飛行しながら地球軌道に乗っていた。この宇宙船が正しい軌道に正確に乗った瞬間にロケットモーターに点火することによって、その速度は時速24200マイルに加速されたのである。この宇宙船が月に向かって64時間にわたる飛行中、地球の引力が船体に作用し続けたため、その速度は月から39000マイルの距離で、地球に関して時速2040マイルに落ちてしまった。この時点で月の引力が地球のそれよりも大きくなり、月の裏側を回るにつれて加速が始まって、時速5225マイルのスピードに達したのである。ロケット推進装置に点火することによって、速度は時速3680マイルに減速され、月を回る長円の軌道に乗った」

ここでも距離は39000マイルとあるが、これはやはり『タイム』託とフォン・ブラウンが出した数字に近い。

ここで読者は思い出すだろう。第2章でエンサイクロピーディア・ブリタニカの1960年版に、平衡点距離は月から19月レイディアイ、すなわち20520マイルと出ていたことを−。この場合、距離の食い違いは同じ書物の版が違うことに起因している。

『我々は月に到着する』の中でウィルフォードは、アポロ宇宙船は月から約38900マイルの位置で月の引力圏内に入ったと述べている。

APのスタッフによって1969年に書かれた『月面の足跡』では、平衡点は次のように述べてある。

「金曜日、すなわち月飛行の3日目、アポロ11号は地球と月のあいだの長い引力の丘の頂上にあった。東部時間の午後1時12分、月に面と向かい合った宇宙船は、月の引力が一段と強くなる地点の里程標を通過した。宇宙飛行士たちは地球から214000マイル、月とのランデヴー地点からわずか38000マイルしかない位置にいて、ハンターがカモをねらうように目標をねらっていた」

読者はすでに38000マイルと43495マイルのあいだのさまざまの数字の矛盾に気づいているだろう。多くの異なる数字はさまざまの精度で与えられているのだが、それでもアポロ以前の計算とは根本的に異なる範囲内にあるのだ。

20000ないし25000マイルというアポロ以前の古くさい距離と、38000ないし43495マイルというアポロ以後の数字のあいだの矛盾に打ち勝つ方法はない。地球から月までの距離が221463マイルと252710マイル間にわたっていろいろあるとし、宇宙船が地球と月のあいだを直線では飛ばないにしても、このことはやはり平衡点距離の矛盾を解決するものではない。

筋の立った結論は次のとおりだ。最新の平衡点情報は、1969年に最初のアポロ月着陸の時に大衆に伝えられたのである。たとえそれが初期の月探査機から1959年代にもさかのぼって決定されたものであるにしてもだ。明らかにこの矛盾は現在まで大衆に指摘されてはいない。今日まで科学界と政府の現状は月の表面引力が6分の1であることをほのめかしているが、これは月から25193マイル以内に平衡点があることを表すものである。したがって平衡点の矛盾とその含みは調査する必要がある。

月の引力は地球の64パーセント

月の表面引力は標準的を逆2乗則を用いて右に示された新しい数字でもって計算された。地球と月のレイディアイ、平衡点の距離、地球の表面引力などは知られているので、月の表面引力は容易に決定できる。この技術にはニュートンの万有引力の法則に必要を月の質量または地球の質量に関する知識などは必要としない。現在も有力と思われているニュートンの万有引力の法則の唯一の役立つ部分は、引力の逆2乗則である。ゆえに、地球の引力は平衡点で月の引力と等しいのであるから、その逆2乗の法則のおかげで月面の引力がきまるのである。技術的な計算は本書の付録Bに出ている。

その結果はこういうことだ。つまり月の表面引力は地球の表面引力の64パーセントなのである。ニュートンの万有引力の法則によって出された6分の1「すなわち16.7パーセントではないのだ!

43495マイルという数字が、おおやけの情報源によって我々に与えられた平衡点距離の測定された数値であることを読者がちょっと考えてみるならば、当惑するような食い違いが起こってくる。次のとおりだ。

「なぜ専門家は、25000マイル以下だという平衡点距離に関するアポロ以前の主張をすべて無視しながら、しかもこの情報を流して月の引力の6分の1説をとなえ続けるのか?」

さらにもっと情報をつけ加えると、月の引力は地球のそれの64パーセントよりも大であるかもしれないことを示唆している。隠蔽と思われることや、月の引力におけるわずかな変化にたいしても平衡点の距離が変わることなどを考えてみると、NASAは大衆にたいして少な目の数字を流したのかもしれない。平衡点が月から43495マイルだとすれば、月の表面引力は地球のそれの64パーセントとなる。平衡点を8500マイル外へ移動させて月から約52000マイルの位置にすれば、これは月の表面引力を地球のそれと同じ強さに引き上げることになる。

第4章で述べる種々の矛盾には、月のまわりを回る宇宙船の軌道周期や、平衡点から月へ到着する宇宙船によって得られる速度などが含まれている。一般に公表された周期や速度は、月からの43495マイルの平衡点距離を裏付けしていないのだ。それらは古い平衡点距離と月の弱い6分の1引力を裏付けするだけである。したがっておおやけの情報なるものはちぐはぐで矛盾しており、何かが隠されていることを意味するのである。ここで疑問が起こる。をぜ本当の平衡点距離が洩れたのか? NASAの職員の誰かが隠蔽策を妨害しようとしたのか?

第4章へ続く

home artcles letters pictures ufo bbs お問い合わせ link