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  古代マヤの謎 第4話 

7つの謎と奇跡 1981年主婦の友社発行 より転載

マヤ遺跡に残るシンボルで見逃すことのできないものに、もうひとつケツァルコアトルがある。これは羽毛あるヘビという意味で、古代マヤ語ではククルカンという。つまり地上をはうべき宿命をになったヘビに羽が生えたシンボルをマヤ族はなぜか重視して、多くの石の彫刻に残しているのだ。

ケツァルコアトルとは何か

ケツァルコアトルとは古代からマヤ人のあいだで崇拝された一種の神の名であると共に、伝説上ではマヤの地ヘやって来た卓越した1人の白人指導者ということになっている。そのことはマヤの史料のなかで西暦98年に終了するカトゥンチアハウの時期にククルカンと自称する白人の事蹟が述べられており、この人物がユカタン半島を支配してチチェンイツァに都市を建設したというのである。これについては例のスペイン人司教ラングがマヤ人から聞いた伝承を次のように記している。

▲テオティワカンに残る羽毛のあるヘビの彫刻。

「ククルカンは人から好感をもって迎えられる人物で、独身であった。彼は西方(メキシコ中部地方)に帰って以来、神として崇拝され、ケツァルコアトルと呼ばれたが、ユカタンでもやはり傑出した指導者としてククルカンと称された」

つまりマヤ史上ではケツァルコアトルとは単なる神の名なのか、実在した人物なのかは不明なのであり、この点で考古学者の論議をまき起こしたが、まだ結論は出ていないのである。これをデニケンが黙っているわけがない。早速『神々の戦車』で次のようにとりあげた。

「この神はどこともわからぬ日出ずる国から、白衣を着てあごひげをはやしながらやって来たのである。彼は人々に科学、芸術、習慣などを教え、きわめて賢明な法律を残した。彼の指導のもとにトウモロコシは人間と同じほどの高さに伸び、綿は色づくほど成長したといわれている。ケツァルコアトルは使命を終えてから道すがら教えを伝えながら海の方へ帰って行った。そして船に乗って明けの明星(金星)へ飛び去った。ここでも具合がわるいのはヒゲをはやしたケツァルコアトルもまたやって来ると約束したことである」

どうやらデニケンはこの賢人を太古の宇宙人とみなしているらしい。だが、この種の仮説はあながち否定できないものがある。遠い昔から別な惑星の偉大な進化をとげた人間が地球を指導に来たと思われる形跡はあるのだ。それは『旧約聖書』の「エゼキエル書」でも明らかだし、他にも多くの証拠が残っている。 しかし伝説によれば、この賢人は船に乗って明けの明星(金星)へ飛び去ったのではなく、ある日、海岸へ行って泣き始め、われとわが身を焼いたあと、その心臓は明けの明星となったというし、船に乗って自分の国へ帰ったという伝承もある。もとは戦争の捕虜としてチチェンイツァに連行され、雨の神ユムチャクに捧げるための生賀として「いけにえの池」に投げ込まれたが、死ななかったので、規定により救出して神の位を与えたという。

そしてこの”白い皮膚の男”はユカタンを制する偉大な王としてあがめられ、チチェンイツアは繁栄した。人々はこの英雄を記念して大神殿を建設した。これが現在も残るカスティーリョ(城塞)大ピラミッドとその頂上にあるクタルカン神殿である。

「いけにえの池」に多くの美しい処女や若者が生賀として投げ込まれたという伝説は、1904年から4年にわたってこの他の水底を探ったアメリカ人エドワード・H・トンプソンにより、多数の人骨や装身具その他の品が発見されて実証された。これからみると伝説をあたまから無視してかかることは禁物だ。どのような驚くべき事実が秘められているか、わからないのだ。

さて、ケツァルコアトル(ククルカン)すなわち羽毛あるへビは、マヤばかりでなくメキシコ中部3田の各種族で信仰の対象になっていた一種の神のシンボルであり、宇宙人の象徴ではない。前記の賢人をククルカンと称したのは、マヤ人が威徳をたたえて神の称号を与えたのである。この白い皮膚の賢人が実在したとしても、これまたどうみても宇宙人ではない。彼は戦争なども指導して武勲をたてているからだ。おそらく遠い陸地から漂流してユカタンへ上陸した白人ではないだろうか。これはカーネギー研究所の見解とも一致する。

とかく"宇宙考古学″者は、古代の伝承などに出てくる偉人をすぐに宇宙人とみなしたり、洞窟内の壁画に円形の模様などがあれば、やたら古代の円盤だと称したりしがちだが、空想は自由であるにしても、やはり考古学の基礎をふまえた上で研究を行うことが重要であろう。

少々説教めいて失礼だが、とにかくへビはたしかにデニケンが言うようにマヤの建築物すべてのシンボルとなっている。

「これは驚くべきことだ。というのはマヤ人が繁茂した草花にかこまれた民族ならば石の浮き彫りに花のモチーフを残しそうなものであるからだ。だが、どこへ行ってもいやらしいへビの模様が待ち受けている。遠い昔からへビは地面のホコリのなかをはい回っている。しかしなぜそのへビにマヤ人は空を飛ぶ能力を与えるようになったのだろう。もともと悪の象徴であるへビは地面をはうように運命づけられている。どうしてこのいやらしい生きものを神として礼拝できよう? しかもそれが空を飛べるとは!しかしマヤ人にとってはへビが空を飛ぶことはできたのである」

続いてデニケンは例の白い皮膚の賢人を持ち出して、結局ケツァルコアトルとは別な惑星から来た"空を飛ぶ人間″または”空を飛ぶ乗物″だと示唆している。なかなか豊かな想像力だが、彼はある重要な史実を見落としているようだ。つまりへビもムー大陸の重要なシンボルであったのである。

ムーのへビのシンボル 

チャーチワードの研究によると、ムーの『聖なる霊感の書』には、生命の木にからみついているヘビの図があって、このヘビはカンと呼ばれ、水を象徴するものであるという。ムー大陸は四方が水に囲まれているという意味をこのシンボルであらわしたのである。そして生命の木とはムー大陸そのものを意味し、そこに住む人間はその木に実った果実である。『聖なる霊感の書』によれば、真の生命とは人間の内奥に宿る霊魂、すなわち宇宙の創造パワーである。肉体は仮の宿にすぎず、この宿が滅んでも創造パワーは永遠に不滅であり、したがって人間の霊性こそ真の生命であるという。

この樹木とヘビのシンボルは十字架と同様に大昔のムー人が大陸から世界各地へ植民したときも持ち出されて、北米、中南米へと広まった。しかしムー大陸で用いられた各種の象徴のなかに、ナガと呼ばれる一種のコブラがある。これには創造主の7つの命令に由来して7頭のヘビとしたムー人があり、彼らはインド方面を開拓してナガ族と呼ばれた。一方、ムー大陸の北に住んでいたある種族は、羽毛のあるヘビを宇宙の創造主のシンボルに用いていた。これが伝えられたユカタンの古代マヤ族はククルカンと呼んで羽のはえたヘビと、7頭の大蛇の2種類を天地の創造神のシンボルとした。「クク」とは羽毛を意味し、「ウル」とは覆われたことを意味するムー大陸の言葉だったのである。グアテマラの古代キチェ・マヤ族の聖典である『ポポル・ブー』にも羽毛あるヘビは天地の創造神と記されている。

だが、本来きわめて抽象的な意味を持つこのケツァルコアトルという名称は、白い皮膚の偉人に移ってしまい、マヤ古典期後期ではひどく混乱してしまった。 

第5話へ続く

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